第140話 ディザスターピース 後
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「時間だ。行こう」
メアリー・レストが言う。エリザベートはメアリーに連れられてパビリオンから出る。
メアリーは空をじっと見ている。作り物だらけの場所の、作り物の空には、黒と紫の混ざった渦のようなものが出来上がっていた。
あれが出現したのは、数分前のことだ。メアリーとエリザベートがクーデターを主導した人物を特定し、これからの段取りを話そうとしているときに出現した。
メアリーは「物事全部、そう上手いことはいかない」と言った。エリザベートがあれがなんなのか尋ねると、彼女は覚悟を決めたように「魔術師たちだ」と返した。
「私と同じ、数千年前――今は神代と呼ばれている時代の。彼らの目的は、歴史が実際にその時代に生きている人間の手によって続くことだ。世界の終末をもたらすものが地上に現れたとき、それから私のように”実時間”から逸脱しようとするものが現れたときにのみ、介入すると決まっている」
「どうするの? 勝てるの?」
「まさか。安心していい。君には手出ししない。君はその時代の人間だ。君がいくら歴史を変えてしまっても、彼らにはそれを修正する権利を持たない。私だ。私と、恐らくオクタコロンが原因だろう。あれはイレギュラーだから」
時間を超越しているのにもかかわらず、”エリザベートの記憶”を媒介にしているがためにその歴史の人間でもある、というグレーな存在。そういうことらしい。
「どうするのよ。あんた。まさか死にに行くわけじゃないんでしょう」
「出来る限りのことはやってみる。大丈夫だとは思うが、修正はさせない。それは確約する。お前は戻った後に集中しろ。気にしなくていい」
「……アミュレットを置いて行こうか? マリアには私から説明をしておくから……」
「はは。お気遣いは結構。本当にね。それに、それはもう君のものじゃない。君が使おうとしても使えないだろう。僕なんて、もってのほかだ」
エリザベートはメアリーに言われるがまま、ついた先での注意点をいくつか聞かされた。戻った後は遡行酔いがあること(前回の遡行では高熱を出していたため、影響を身で感じられなかったらしい)。メアリーの淹れた紅茶があれば治ること。治ったあとはすぐ、目的を遂行すること。
「クーデターを止める。でしょ?」
「世界を終末から救うんだ」
メアリーは紅茶を淹れた筒をエリザベートに押し付けた。
「僕から君に出来る最後の手伝いだ。この先はなにもできない」
そして、現在に至る。二人はパビリオンを出て、メアリーが丘の下に作った扉の前に立っていた。
「いいか。君が降り立つ先は、クーデターが始まってから三十分後だ。まだなにもかも全部間に合う。でも学院は危険だから、早く彼らと合流すること。場所は寮の地下にある古い水道だ」
「ちょっと待って。クーデターが始まった後なの? それじゃあ黒幕がどうとかなんの意味もないんじゃないの?」
混乱したエリザベートがそう尋ねるのをよそに、メアリーは彼女の身体をぺたぺたと触って、なにかを確かめているようだった。
「シャルル王子に黒幕の正体を伝えろ。そうすれば彼は適切に動いてくれるはずだ」
「ちょっと、どういうことよ」
「行けばわかる。さあほら。行けよ」
エリザベートは諦めたように息を吐いた。誰もが自分に隠し事をするし、企みごとをするものだ。もう受け入れるところは受け入れるべきなのかもしれない。
エリザベートは扉を開いた。青い廊下が広がっていた。
エリザベートがそこへ足を踏み入れようとすると、一旦はその場から離れようとしていたメアリーが声をかけた。
「なあ」
エリザベートが振り返ると、彼女はこちらに手紙を差し出し、笑って肩をすくめた。エリザベートは笑えなかった。遺書みたいなものだ。馬鹿げてる。なら初めから意地など張らなければいいのに。
「それじゃ、また」
「また」
エリザベートとメアリーは手を振り合った。何方となしに目が合って、それがあまりに意味ありげだったので、眼を逸らさずにそのまま、旅立たなくてはなからなかった。
後に残されたメアリーはオクタコロンの残滓が入った金魚鉢を片手に、黒と紫の渦を険しい顔で見上げた。
渦の中に大きな人影が現れても、メアリーはじっとその場を動かない。
「はあ……こうなるはずじゃなかったんだけど。全部あいつのせいだ。でもな、今さらもう恨んだりもできそうにないんだよな……それが一番しんどいよ。わかるだろう?」
オクタコロンの残滓がメアリーの言葉に賛同するように、ぴょいと跳ねた。
風が耳元でびゅうびゅう鳴っていた。人工物の花はまるで生命を持ったそれのように抗いがたい力に戦ぎ、根元から抜かれそうになっていた。パビリオンの上部が崩壊し、渦の中に吸い込まれていく。メアリーはそれでもじっと、渦の人影から眼を離さなかった。美しいものから眼を離せないように。
▽
エリザベートが廊下の先に視線を投げる。廊下は長く長く、どこまでも続いているように見える。だが実際はそうではない。出口となる扉は確実にある。水筒を胸に、彼女は走り出す。
「マリアを助ける。クレアも助ける。コンスタンスも。ジュスティーヌも。シャルル王子も。あとそれからついでにアイリーン・ダルタニャンのくそったれも。それからおまけに、他のくそどもも」
エリザベートは自分を鼓舞するように繰り返した。廊下を歩くたび、青い光が濃くなり、エリザベートを覆っていく。それを何十回と繰り返した後、待っているのは、エリザベートのよく知っている場所だった。
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