第125話 ダウンレンジ 中-2 (マリア・ペロー)
はじめは何かを見つけたのかと思った。衝撃的なものを見つけてなにも言えなくなるのは、ここ最近それなりに回数のあったことだ。
だがエドモンドの持っている松明の光が奇妙なほど丸いのを見て、マリアは別のことが起っているという疑いを持った。あとは確認するまでもない。彼らがあまりに微動だにしないものだから、マリアは彼らがただ驚いているのではなく、なにかが原因で停止しているのだということを理解できた。
ただもちろん、時間が停止しているという事実に辿り着いたわけではない。マリア・ペローはそこまでの規模の魔術が現存しているとは思っていない。だから旧水道の奥にこれをやった魔術師か、占星術師の類がいて、もうすぐここにやってきて、自分たちを殺そうとしているのではないかと考えていた。
しかしそれも、数十秒たっても矢一つ飛んでこないことで、疑わしくなった。地面に耳をつけ、行進するものの活動を感じ取ろうとしたが、なにもなかった。文字通りなにもだ。
「水の音がしない?」
マリアはシャルル王子のミーティングで見た地図を憶えていた。それによればこの旧水道の下には、現在使われている水道が流れているはずなのだ。距離はあるが、なにも聞こえないということはないはずなのだ。
マリアは少し笑っているような、死ぬほどの恐怖心が湧き上がってきているような、曖昧で困ったような顔を浮かべた。
そして、旧水道の奥に視線をやった。
ここまでは、メアリー・レストの考えていた通り。メアリーは完璧な魔術師じゃないが、それでもマリア・ペローがアミュレットを持っていることと彼女が時間停止の網から抜けるだろうということは思い至っていた。
彼女はマリアをはじめから警戒している。というより、彼女のアミュレットをだろうか。こちらが使っている隠遁や擬態を台無しにし兼ねない。だから学生生活をしている途中、アイリーンがマリアを紹介しようとしたときも、罪悪感を抱きながらも拒絶した。
今回、エリザベートに”見つかってもいい”と考えた理由の一つも、マリアが旧水道から出てこないと踏んでいたからだ。彼女は馬鹿じゃない。自分で考える頭を持っている。だからこそ、巨大な陰謀を前にして、実際は外にいる得体のしれない魔術師が時間を止めたなどとは、思わないはずなのだ。危機管理能力があるからこそ、固まったままの彼らを置いて、旧水道から出たりはしない。むしろ突き進んで、その原因を処理しに行くだろう。
だがマリアは、そうしなかった。確かにじっと、旧水道の奥、そこに広がる無間の暗闇を見た。その更に向こう側にあるであろう探し求めていた真実をもだ。しかし彼女が次にやったことは、後ろ斜め上を向くことだった。丁度、彼女たちが旧水道に降りるときにあけた穴がある場所をだ。そしてその向こう側にあるものもである。
メアリーの予測が外れたのは、意外にも無力なコンスタンスが原因だった。マリアは状況を三割程度はわかっていたが、肝心なことについては情報が不足していた。
マリアが思い出したのは、コンスタンスとの会話だ。コンスタンスはあんなにも必死に、マリアにエリザベートの傍にいて欲しいと伝えていた。コンスタンスの気持ちを無碍にしたことをマリアは悔いていた。
これが切っ掛け。もう一つは、異様な発熱を見せるアミュレット。これがあったために、彼女は奥に進まずその場で様子を見た。
「…………チッ。なにが起こってる?」
マリアは石壁を規則的に叩きながら、もう片方の手の指でこめかみのあたりを強く擦った。
(ここに残るのはベターな選択だろう。ベストじゃないかもしれないが、ベターだ。こういう状況じゃ下手に動いた方が傷口を広げる結果になる。気付いてないだけで背中にナイフを突き立てられているかもわからない。ベターな選択肢を取らない理由はない……)
(しかし……)
チ、チ、とマリアは続けざまに舌打ちをした。
(チ、チ、チ……)
(ベストな選択肢を取らなければ取り返しのつかないことになる。そういうこともある)
それにこれまでの人生で、ベターな選択をしてきた憶えはない。もっと楽に生きていける方法はいくらでもあったはずだ。
(例えば結婚とか)
(でも私はそんなことはしていない。する気もない。それに……)
それに今、エリザベートがどこにいるかは、気になる。嫌な予感がするのだ。
(こういう予感が間違ったことはない。)
マリアは石壁を叩く手を止めた。再度、旧水道の奥を見やると、踵を返して来た道を引き返した。
▽
マリアは穴をくぐり、カケス寮の一階に出た。そして、あちこちからあがる火の手で真っ赤に染まった外の世界を見た。
「これは……。クーデター? か?」
冷静な声が出る。
驚きはある。慄きもある。だがそれ以上に奇妙だ。クーデターが起っているのは間違いがない。庭の知らない兵士が歩いている。塀の外で襲われている人がいる。騎士たちが侵入者に応戦しようとしている。
「これは現実か? それとも拐されているのか?」
呟き、アミュレットを握りしめる。判断に迷う。あんなところにコンスタンスがいるのは、どっちだからだ?
カケス寮の外、校舎の入り口にコンスタンスが見えた。必死にこちらへ向かおうとしている姿のまま、止まっている。
「目なんて信じるべきじゃない……そうだな。私にはアミュレットがある。こいつが弾けない魔術はないはずだ……ならこれは現実だろう」
マリアは自分に言い聞かせたが、言いようもない浮遊感からはまだ抜け出せなかった。抜け出せたのはオクタコロンが化学実験室の壁を突き破って出てきた音を聞いて、窓越しに走るエリザベートらしき人影を見たからだ。
マリアは自然と武器を抜いて駆けだしていた。
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