第124話 ダウンレンジ 中-1 (メアリー・レスト)

「次のことを考えないと……」


 一人残されたメアリー・レストは苛立ちからささくれだった親指の皮を噛んだ。こつこつと机を叩き、眉毛を爪で掻いた。


 上手くいかない可能性については、考えてあった。エリザベートは元が不安定な人間だし、プライドも高い。こっちがなにを言っても無駄だろうと。それに彼女がどう動いたところで”実時間”への影響は少ない。本来クーデターが起る一年後までに対策を考えればいいと踏んでいた。それまでは精々、エリザベートに自分の行いが引き寄せる災難について理解させるぐらいが、自分に出来ることで、あとは彼女を放置していた。


 エリザベートは概ね”実時間”と同じように動いた。思った通りだった。感性で動くからイベントが同じなら大体起こることも同じなのだ。


 唯一、予想外だったのは”魔除けのアミュレット”を所有しているマリア・ソ・フォン・アレクサンドル・ペローを自分の騎士にしたこと。でも結局、エリザベートに完全な変革を起こすには至らなかったし、それによって彼女が時間に乱れを生じさせるほどの生命体になることもなかった。


 不安だったのは自分たちと一緒に遡行してきた”何者か”だけだった……そのはずだ。「オクタコロン」誰かがエリザベートに干渉しているのは知っていた。でも”予言の民”は小規模なわりにそれなりの腕を持った占星術師もいたから、それが彼女にちょっかいを出しているんだろう。その程度なら――と考えていたのだ。


 まさかあのレベルの魔術師だとは思ってもみなかった。オクタコロンはこの時代の水準から大きく離れている。


 エリザベートは殺されるだろう。それも、無惨に。その時が来たら、最後の一回で出来ることを考えなくてはならない。


 最後の一回。最後の一回だ。メアリーは自分がこんなに追い詰められることになろうとは思ってもみなかった。アイリーンを救うチャンスが、もう一回しかないとは。


 メアリーは化学実験室の椅子に背中を預け、どっかと机の上に足を乗せた。そして、足を曲げて体を揺らした。考えごとをするときの仕草だ。


 今時間を動かさないのは、もしものときのためだ。万が一、万が一にでもオクタコロンがエリザベートを取り逃がした場合、時間を動かしてアイリーンたちに危険が及ぶようなことがあってはならない。


 彼らは今、旧水道に行っているはずだ。本来ならもっと後にわかることだった。これもオクタコロンがやったことに違いない。わざと足跡を拾わせ、彼らがクーデター計画に近づけるようにした。


 目的は、マリア・ペローだろう。


 結果から考えれば、彼女をエリザベートから離すのが目的だろう。アミュレットはオクタコロンにとっても邪魔だろうし、マリアがいなければエリザベートはもっと早くに孤立していたはずだ。


 ”実時間”での彼女は、そうだった。彼女の騎士であるマーヴィン・トゥーランドットは公私を完全に分けて考えるタイプだ。そのうえで私人としての要求が仕事を上回ることもある。正しきを愛し、悪しきを罰する。エリザベートのことは嫌いかどうかはわからないが、支持はしていなかったに違いない。


 それがあの舞踏会の結果に繋がったのだから。


 尊敬や信頼を得られなかったことは、同情してやらないでもない。でも自分が招いたことだ。今一人で殺されそうになっているのも、そうだ。


 エリザベートは化学実験室から逃げ延び、廊下を走って降りていた。固まったクレア・ハーストを見て更に動揺していた。あれじゃ逃げ延びられないだろう。結局のところ、後はエリザベートが殺されるのを待つだけだ。


 その時、メアリーは頭の後ろで自分とエリザベートとオクタコロン以外の存在を感じ取り、ぴくりと眉を動かす。


「ああ、そうか。驚いたな。彼女、こっちに来るのか」

 


 


 

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