第120話 知っての通り世界の終わり(and I feel fire)中
「はあ? クーデター?」
エリザベートが小ばかような口調で言う。
メアリー・レストはエリザベートに腹を立ててはいない。まるで気にしていない様子で、そばの椅子の背に手を置いた。
メアリーはなにも言わない。そのために彼女の言葉はエリザベートに向けて逃れられない刃となって目前に突きつけられている。
エリザベートは背筋が凍り付く思いをする。
「嘘でしょう! 前の時間ではそんなこと起こってない!」
「嘘でもなんでもない」
「これから、起こるってこと? いつ? どこから始まるの?」
「いや、言ってしまえばもう起こっている。外を」
メアリーが言い、先ほどと同様に窓へ近づいた。そして、招くように彼女のほうを向いた。
エリザベートは恐る恐る窓へ近づく。
化学実験室の窓の下は、用務員などが通る小路になっている。道に投げ出されたリネンが散乱している。それを踏みつぶして歩こうとしている人間も。エリザベートは息をのみ、一歩、後ろへ下がった。メアリーがエリザベートの反応を窺っている。
フェンスの向こう側、王都のあちこちで火の手があがっていた。見えるところでは、あのひ古代遺跡で見た仮面を被った人影が誰かを襲おうとしている。
エリザベートは絵画のように静止したその光景を見て、顔をひどく歪ませた。
メアリーはエリザベートが小脇に抱えているびんに眼を落した。びんのなかの蛍は、こちらに飛び出そうとしている姿勢のまま、止まっていた。
「時間を止めた」と、メアリーが言った。「落ち着いていられないからな」
固まったまま動かなくなっていたエリザベートは、その言葉で融解して、メアリーのくしゃくしゃの髪を睨み下ろした。
「あんた……話してもらうわよ。わけのわからない理屈をこねて隠そうとしたら許さないから」
▽
「そうは言っても、話せることも少ないが」
メアリーが言う。
「どういうこと?」
「前にも言っただろう。あまりに大きな”揺らぎ”は修正されてしまうと。僕はそれを計算して動いているんだ。だから君が知りたいであろうこと――その一部は、教えられない」
「はあ」エリザベートが溜息をつく。「なんなら言えるわけ?」
「君が知り得ることのできることなら、大抵は平気だ。法律でもあるだろう。ある行為を故意でなくしてしまったとき、その行為について知り得たかどうかが重要になる。知り得ることが自然であるのなら、それは故意とほとんど変わらない。違うか? どうかな。この時代の法には詳しくない。だがこれが”揺らぎ”に関する原則になる」
「つまり今の私が手に入れようと思えばできる知識なら、知ることができる。そういうこと?」
「あり大抵に言えば。なにか訊きたいことはあるか?」
「そうね……まずは、クーデターについて。これは遡行前にはなかった。そうよね?」
「いや、ずれはあるが、クーデター自体は起こることが決まっている。ただこんなに早くはなかった。僕たちと共に遡行したやつが前よりも早くことを起こしたんだろう」
「そいつが誰かを言うことはできない?」
「前に言った通りだな。そうだ。この情報は知ることができない。今この状況ではわからないということだ」
確かにそう言っていた。
「そう。それじゃあ、このクーデターにはアイリーンが関わってる? どういう意味でもよ」
「……関わっている。止めようとしているんだ。だがそれは上手くいかない」
メアリーは”前もそうだったんだ”と、エリザベートにはほとんど聞こえないような声で付け加えた。エリザベートは敏感にそれを感じ取ったが、この質問ははぐらかされそうだと考えた。それよりも訊きたいことがあった。
「それなら猶更なぜ、私なの? アイリーンを遡行させればあるいは……」
ずっと抱えてきた疑問だ。以前はそれを知ることは重要ではないとはぐらかされた。”行動を改めること”とその場だけの理由を付け加えて。
それは現時点でもほとんど達成されていないだろう。その自覚はあった。
メアリーは難しい顔をした。頭の中でなにかを――恐らく”揺らぎ”に関することだろう。エリザベートの顔をちらちらと見ながら思案している。
「まだ言えないことなの?」
「いや、言える」メアリーが意外なことを言う。「実のところずっと前から。だが言う必要があるかわからなかった。でも確かにそこに拘って魔術まで使って僕に辿り着いたというなら、もう言ってしまった方がいいかもしれない」
メアリーはエリザベートの眼を見据えた。
「落ち着いて聞けよ。僕が遡行するのにお前を選んだのは、そうだな、お前は物事の中心近くにいながら、いつも蚊帳の外だった。それが理由だ。お前になら干渉しても”揺らぎ”は少なく済む。そのうえその影響は少なくない」
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