第106話 優しく寝かせて‐5 (やや流血表現アリ)

 マリアとサビアンは互いに武器を構え、向かい合う。


 マリアが持っているのは、一対の戦闘ピッケル。かつて古代遺跡からくすねた金属で作られた謹製の品である。長さはおおよそ長剣の半分程度。金属棒の先端に鋭い穂先をつけ、根元にヘッドとブレードをつけた武器だ。打ち合いも可能だが、どちらかと言えば鎧を着こんだ相手を素早く仕留めることに長けている武器である。


 対してサビアンの武器は完全な市街地戦用。前回戦った際は剣身を黒く塗って光の反射を抑えていたが、今回は刃がノコギリ状になった特殊な剣を使っている。鎧を着ていない相手は勿論、マリアが着ていた革の鎧程度なら簡単に切り刻まれるだろう。


 確かに、この状況は不利である。武器の相性は悪いし、こちらが守らなければならないアイリーン・ダルタニャンはサビアンの背後にいる。サビアンがマリアと相対しながらもマリアの攻撃が届く前にアイリーンを殺せると踏めば、マリアにそれを防ぐのは難しい。場の混乱に乗じて逃げない辺り、サビアンはマリアのことも殺す気だ。でもなければあんな風に挑発してマリアを引きずり出そうともしなかっただろう。


 でもマリアにとって重要なのは、いかにこの状況を早く終わらせるかなのだ。エリザベートが問題なのだ。


 だからマリアは実際には、ほとんどなにも考えなかった。持ち前の観察眼がなにかを考える前に状況を推察させ、あとはサビアン・カテドラルを殺すだけでいい状態まで精神をもっていっていた。


 必要なことその一。アイリーンを殺させない。マリアは前に踏み込んだ足にスプリングでも仕込んでいるかのような瞬発力で飛び出すと、数mの距離を三歩で縮め、極めて低い角度でサビアンに襲い掛かった。


 サビアンはマリアが懸念していた通り、剣を後ろに振ってアイリーンを殺すつもりでいた。マリアがサビアンの考えていたよりも早かったとしても、これを止めるのは無理だろう。


 だが、床すれすれを走るマリアの片手から飛来した物体が現れたことで、サビアンはそれを一瞬だけ躊躇した。弾くべきか、このままアイリーンを殺す軌道から外れないべきか。マリアが投げたのは、当然、ピッケルの片割れである。それは回転しながら正確に、サビアンの胴体――それも剣を持った腕に近い場所に飛んできていた。回転の精度はブレードかヘッドの先か、はたまた槍状の突起が正面に来るか、といったところで、そのまま受ければ無事では済まない。仮に動けるだけの余力が残ったとしても、マリアの追撃を捌くのは厳しい。


 なら、マリアの投てきは防ぐべきだ。サビアンはここで死ぬつもりで戦っているわけではないのだから。


 サビアンは剣をマリアの投げたピッケルの軌道上に置く。回転する凶器は剣の柄に弾かれ、宙を舞う。

 

 こうなると、アイリーンに構っている暇はない。サビアンは剣を逆手に持ったまま、考える。このままここで迎え撃つか、前に打って出るか。前に打って出るのであれば、カウンターを仕掛けることになる。それは簡単か? 難しいか? 迎え撃って戦うのとどちらがいい? サビアンはどちらも難易度としては変わらないと判断した。強いていうのであれば、向こうがアグレッシブに攻めてくるのを許すのは、戦闘勘としてはあまりよくないことではある。


 マリアは低姿勢でサビアンに迫り、途中でサビアンから弾かれたピッケルをキャッチした。サビアンは剣を逆手に持ったまま、マリアに向かって一歩、前に出た。そして背後に倒れて動いていなかったはずのアイリーンに、踵を切りつけられた。


 ギャッ、と声を出し、踏み込んでいた足がバランスを崩す。「なにしやがるこのアマ!」アイリーンを怒りの形相で睨みつけたサビアンは前から来るマリアに対応することができなかった。マリアのピッケルの一本が足の膝を砕き、もう一本が鎖骨へ突き刺さった。


「ああ! クソが!」


 サビアンの肩口から血があふれ出す。それでも彼は諦めない。ピッケルを押し込もうとするマリアの手を掴み、ピッケルの先がそれ以上自分の中へ入ってこないよう、押し上げる。片足に力が入らないため、ほとんど一本の足で体勢を保っていた。


 死に物狂いで全身に力を込める。身体からピッケルを抜き、覆いかぶさるようにしてマリアに襲い掛かった。マリアに馬乗りになろうとするが、彼女が足を曲げて体と体の間に入れたことで、不完全な形になる。それでも殴ろうと拳を振り上げたが、その拳をアイリーンが切り払った。腕から先が消え、悲鳴を上げるサビアン。アイリーンはとどめをさそうとするも、マリアが「殺すな!」とそれを制止した。


 血が飛び出る腕をサビアンがマリアの顔に押し付ける。血液が口の中に入り込み、噎せながらも傷口に指を入れ、怯んだところを体の下から顔を殴って打ちぬいた。二度、三度。サビアンの怪我をした足を蹴飛ばし、落ちてきたところを首に腕を巻きつけ、締め上げる。


 サビアンがじたばたと体を暴れさせる。マリアは咳き込んで力を上手く入れられない。サビアンは腰に提げていた短剣を取り、マリアの足を刺した。が、それが最後の抵抗だった。徐々に暴れる力が弱くなる。


 駆け付けた憲兵隊がマリアとサビアンを離すまで、二人はその格好でいた。サビアンはその場で腕に包帯を巻かれ、治療を受けた。マリアは床にサビアンの血が混じったつばきを吐き捨て、口元を裾で拭った。


「大丈夫? マリア」


 アイリーンがハンカチを持ってマリアの口元へ手を伸ばす。


「問題ない」


 マリアが言う。そして、二階席の廊下に続く扉の前で立ったまま、こちらを見ていたエリザベートのほうを向いた。


 マリアとエリザベートは、しばしそのまま見つめ合っていた。エリザベートはなにか言いたげで、疲労している騎士を罵ろうとしているのか、労おうとしているのか、どちらともとれる表情をしていた。


 マリアは悔恨を顔ににじませ、エリザベートを見ていた。互いにそれがエクスキューズにでもなっているかのようだった。


「マリア・ペロー! こちらへ来てもらえるか」


 劇場の外へサビアンを連行した憲兵隊の一人が現れ、マリアを呼んだ。マリアは「私だ」と言って振り返り、その男の下へ足を向けた。


「なんだ」


「少し話を聞かせてもらいたい。それからその足の治療も」


「わかった」マリアは承諾した。憲兵に付いて行こうとして、劇場の外、貴族たちが恐れおののきながらもたむろっている場所に、知っている顔を見つけて立ち止まった。「少し待ってくれるか」


 憲兵の男は頷いた。


「マリア。その血……」


 クレア・ハーストだった。今回の作戦でも参加自体はしていたのかもしれない。外で彼らの馬車を探していたのか。あの場で巻き込まれなかったことは幸運だろう。劇場の外にいて、エリザベートの眼に留まらなかったことも。


 クレアがマリアの頬に手を伸ばす。


 マリアはその手を制止した。


「私の血じゃない。ほとんど相手のだ。それより前に話したことは憶えてるな。食堂で話したことだ」


「それって、まさか、お嬢さまのこと……」


 マリアはクレアが再びエリザベートを”お嬢さま”と呼んだことで、微笑んだ。


「私は駄目だ。この状況でどちらも選ぶことはできない。全て終わってから彼女の下へ帰ることにする」


「それって、そんな、そんなのって……」


「もっと早くそうすべきだったんだ。君のこともだ。いいか、クレア。を救うのは君であるべきだ。他の誰でもない。彼女と一番長くいたのは君なんだから」


 クレアは黙りこくり、俯いた。


 マリアは彼女の頭に手を置いた。


「まだ時間はある。ほとんど残っていないだろうが。それまではまだ、悩んでていい」


 マリアは手を振ってクレアから離れた。


 残されたクレアはぎゅっと拳を握り、立ち尽くしたまま、自分を鼓舞していた。だが結局その日、クレアはエリザベートの前には行けなかった。


                ▽


 サビアン・カテドラルは、憲兵の馬車に乗せられたまま、虚ろな目で外を眺めていた。片手を失い、血も大量に流れ出たことで意識がもうろうとしていたが、かろうじて意識はあった。


 曖昧な頭でサビアンは今回の作戦を振り返った。


 作戦はこうだった。こちらのスパイである政治家の男と共に劇場へ出向き、情報の受け渡しを行う。そしてその後、政治家の男を殺す。


 情報はちゃんと受け取り、国を売った傍ら、懸賞金目当てで自分たちのことも売ろうとしていた政治家の男もその場で切り殺した。


 そうだ。アイリーン・ダルタニャンとマリア・ペローは計画の一部ではなかった。だが二人を見つけた瞬間、殺すべきだと感じた。


 その感情は今考えると、外からやってきたように思えてならない。あんなに殺したかったのに、その感情があった場所は、今や空洞となっている。


 サビアンは最後に見た光景を思い返した。マリア・ペローとその主人、エリザベート・マルカイツ。


 そういえば、事前に言われていたことがある。もしその場にエリザベート・マルカイツがいた場合、なにがあっても殺さないこと。作戦を伝えてきた人間はそう言っていた。


 サビアンはシャルル王子一派の動きについては知っていた。エリザベートとマリアの関係についても、ある程度は。


 どうしてそんなことを知っているのかはわからない。だがそのことで気づいたことがあった。


 馬車の向こうから声がする。少女と憲兵が話し合っているようだ。なにか少女が無理な要求をしていて、憲兵は渋っている。


 何往復かのやりとりのあと、憲兵が「少しだけだぞ」と言い、馬車の扉を開けた。自分の治療をしていた憲兵の一人がアイリーン・ダルタニャンを見て、険しい顔になった。


「話したいらしい。いいか?」


「いいわけないでしょう」


「すまない。もういいと言ってしまった……」


「まったく……」


 アイリーンが憲兵たちの会話を背に、サビアンへ質問をする。その前に、サビアンは笑い出した。喉の奥から声を絞り出し、懸命なまでにだ。


「なにがおかしいの?」


 サビアンが言った。


「俺がここに来た理由が分かったんだ」


 そして彼は息絶えた。


 

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