第42話 王子様の言うことには 前
”彼ら”は、エリザベートの屋敷からやや離れたところに住んでいる。
”彼らは、聖ロマーニアスの王都の中心に聳えたつ建造物の一画に住んでいる。
建造物は、聳え立つという表現に相応しいものだ。全長は34m。下の方は使用人たちの住むところ。上の方には、彼らを住まわせる者たちが住まう。ということは、彼らのいる建造物の一画というのも、必然、高いところにある。
王城ロマーニアス。彼らが住む場所は、そのように呼ばれている。
一人の男が、廊下を書類を抱えて歩いていた。その男は小麦色の髪と、白く透き通るような肌と、幼さの残る顔立ちと、それらがまったく噛み合わない巨体を持ち合わせていた。
男は確かに歩いていたが、歩幅が大きいので速度は走っているのとそう変わらなかった。表情一つ変えずにどすどすと歩く男と廊下ですれ違おうものなら、その姿からは考えられないほどの速度で迫ってくるのを感じて、相当に恐怖だろう。実際、この階で働くメードがまず注意されるのは、この男の速度に慣れておくことだ。向こうも騎士なので間違いが起ることはまずないが、仮に進路上でぶつかることがあれば跳ね飛ばされるだけでは済まない。最悪、死ぬだろう。
彼の主は彼にせめて鎧を脱ぐよう時たま注意してみるのだが、この男は真面目一辺倒で職務に命をかけているので、護衛するときに鎧がないのではいけません、と固辞している。
男は金糸の刺繍が入った赤い絨毯の敷かれた廊下を抜け、一つの部屋の前で足を止めた。
白く縁どられた両開きの扉だった。
男はノックして入室した。
「あなた宛ての書類です。確かに持ってきました」
と、男が言う。
その部屋――は、ある一人の人間が公務のために使う部屋だが、それにしては大きかった。平民であれば、恐らく三家族は暮らせただろう。部屋が寂しくならないよう、応接間がカーペットで区切られたり、各国の調度品が置かれたりしているが、使い方が狭ければそれでもまだ、ブランクが残ったままになる。
扉の正面、窓の近くに、食卓ほどのテーブルがあった。所狭しと本や書類が外側に置かれ、椅子のある、手が簡単に届く範囲にハンコや書類留めやペンが配置されていた。
使っていない部分と使っている部分がはっきりと示され、それは明らかな空白となって部屋を演出している。男はこの部屋を見ると、自分の気持ちさえ寂しくなるのがあまり好きではない。そして男の主は、そんな風に考えなくてもいいのになあ、と思っている。
「王子、王子、聞いていますか?」
男が机の向こう側に座っていた少年にそう声をかけた。
「持ってきました」
少年は顔を上げ、自分の騎士の顔をたっぷり何秒か見た後、椅子から立ち上がって机の外側に出た。
「ああ。ありがとう」
「どこに置きますか?」
「今机はいっぱいだから……そこらへんに置いといてくれ」
「あっちの机ですか?」
男がカーペットで仕切られた応接間を差していう。立派なソファと立派な机には誰も座っておらず、なにも置かれていない。
少年はそうはしたくなかったらしい、難しい顔になった。
「いや、あそこに置くと見るのが面倒になる。だからこっち側に」少年は扉の縁から部屋の半分を指定して言った。「置いてくれ」
「……置くところがありませんが?」
「適当に置いてくれ」
「床にですか!?」
「ああ。床でいい。前もそうしたろ」
「そして前はお母さまに叱られました。私もです!」
「いいから」
男が顔をくしゃりとゆがめ、落とすように書類を床に置いた。
「それで満足ですか? シャルル様」
「ああ。これでいい」
少年が言う。
少年は王子だった。シャルル・フュルスト・マルティシニアン・ロマーニアン。聖ロマーニアス王国の第三王子。
そして、この少年の近くに立つ男は、彼の”お付きの騎士”である、エドマンド・ド・フォン・エグザミナ・リーヴァー。史上最大の騎士爵家であるリーヴァー家の長男であり”お付きの騎士”であると同時に、随分前から護衛の騎士を務めている。
初めて会ったのは、まだ彼が小さかった頃。年齢は六つほど違うが、シャルルのほうが精神はずっと大人だった。
それから今まで、成人してもエドマンドはそれが逆転するどころか、年々ひどくなっていると思っていた。
若干十五歳にして、シャルル王子は国務の一部を任される立場だ。代表としてどこかへ赴いて、パーティーに出席する。そういった仕事は兄弟に任せ、自分は市民団体との均衡をとる役目や、公共事業への出資など、国内の細かい業務を任されている。今回持ってきた書類も、その一部である。数年前の戦争から立ち直り切れていない、東の国境沿いの町、リチャード辺境伯の領土で出土した、新たな古代遺跡。発掘の調査報告書や、その過程を記した書類がほとんどだ。
シャルル王子は机の前から椅子を引きずってきて、床の書類の前に置き、腰を下ろして紙をめくり始めた。
「それをマルガレータ様に見られたら……」
リーバスが眼を覆って言う。
「……今回もないな」
「手紙ですか?」
「うん」
シャルルが頷く。手紙というのは、彼の婚約者からの熱烈なラブレターのことだ。侯爵令嬢のエリザベート・デ・ルイス・コーネリウス・マルカイツ。父親はグザヴィエ。母親はクリスタル。以前は毎日のように彼女から手紙が届いていた。中身は会えない寂しさを綴ったものから王子への絶えない愛を綴ったものまで。ようはつまり、ラブレターなのだ。
あまり内容の変化もないそれを毎回、シャルルは律義に読んでいた。だが、ここ一か月ほどは手紙がぴたりとやんでいる。あればあるでエドマンドとしてはかさばるだけの代物だが、なかったらなかったで少し怖い。
「うーん。なにかあったかな」
と、シャルル王子。不思議そうな顔をしている。
エドマンドとしてはなにを呑気にと思わないでもない。自分だったら婚約者からの手紙が途絶えれば、他に懸想でもしたのかと不安になるところだ。
が、元々シャルルがエリザベートをどう思っているかはよくわからないところがある。十歳で婚約者同士になって以降、なにかと会うことはあっても、はっきり進展があったという話は聞いたことがない。趣味はあまり合わないようだし、それに、中等部にあがってからのエリザベートの醜聞の数々に対しても、なにも思うところはないのだろうか。
感情を示さないわけではない。ときおり、なにか悲しんでいるような様子を見せることはある。決定的なものはなにもないが……。
「今度会ったときにでも、訊いてみようか」シャルルが言う。そして、一枚の紙を持ち上げる。「彼女のお父さまについても」
その紙は、エリザベートの父親に関するものだ。彼女の父であるグザヴィエは今、他人の領地で遺跡発掘の責任者となっている。
そして襲撃。犯人についてはなにもわかっていない。王の側近である彼に対する襲撃だ。憲兵隊が捜査にあたっているが、手掛かりも見つかっていない。
その原因は犯人たちの用意周到さだけではない。他でもない被害者のグザヴィエが非協力的というのもある。しかも目撃者によれば、グザヴィエはカダルーバ人と話し込んでいたらしい。
「そうです。本題と言えば、それですよ。彼女はなにか知っているかもしれない。質問しない理由がありませんよ」
「僕は、そうは思わないけれどね。不用意なことはしたくない」
シャルル王子は紙を床に落とし、立ち上がった。
「準備はしておこうか。もしものときのために」
そういうわけで、事態はエリザベートのほうへ戻る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます