第39話 お付きの騎士をここに

 考えて、実際に行動を起こすまでにかかった時間はほとんどなかった。馬車から降り立ったエリザベートは、コンスタンスにマリアの荷物を任せ、一路母の下へ、自分の騎士を伴って行った。


 玄関の前で花瓶のほこりを払っていたメードがマリアを見て眼を丸くした。エリザベートが母の場所を尋ねると、メードは自分の思う母の居場所を話した。


 母はキッチンで東方のレシピについて料理人と話していた。エスニック料理を好むこともある母なので、食卓に合う料理を考えていたのだろう。こういうタイミングに話しかけられたことは幸運だった。話の途中なので、なにもしていないときよりは取り付く島もある。話をしていないときは、話などするつもりはないとはっきり拒絶されてしまうだろうから。


 お母さま、とエリザベートが言った。クリスタルが顔を上げた。厨房の近くに立つ二人の姿を認める。娘が次になにを言うか予想がついたのか、小さくため息をついた。


「エリザベート……」


「お母さま。騎士を連れてきました」


 クリスタルは娘の眼を見て、これが一言、言葉を添えるだけでは済まないと知って、天を仰いだ。料理人に作業を続けるよう言いつけ、二人を連れて食堂まで戻った。


 三人とも椅子には座らなかった。マルカイツ家には、食事のときを除いて食堂の椅子には座らないというルールがあった。マリアは元々立っているつもりだった。


「ケンドリック・クラブまで行ったのね。わざわざ。自分から」クリスタルはわざとらしく深い息を鼻から出した。「どうしてかしらね……あなたは、自分の欲求よりも貴族らしさだとか、プライドを大事にする娘だと思っていたけど。それとも、また衝動的な行動をとったの?」


 言ったはいいものの、エリザベートがマリアを連れて来たのが衝動的な行動ではないことは、二人の姿を見た時点で察しがついていた。


「プライドを捨てたつもりはありません。マルカイツ家に泥をかけるような真似も……それだけ重要なことだったということです」


 エリザベートが続けて言う。


「彼女が遅れたのは、王都にまだ慣れていないから。馬車の賃借事情に詳しくなかったからです。賢い彼女なら、すぐにそれも理解できるはず。それに彼女はなにものかの襲撃も受けている。見てください。このハンカチ。まぎれもなくこれは血です。今日のミスは不運不幸によるもの。彼女の評価はそれでなんら落ちることはないでしょう。むしろ、襲撃者を退けたという結果が、女の騎士だという理由で担保されない実力さえ本物であるという証左になるはずです」


 一部は誇張したと言ってもいい。全部を完全に信じたわけじゃないだろう。それは長い台詞をつらつらと喋った、エリザベート本人さえそうである。だが、主張すること、それ自体が、意味を持つ。今のところエリザベートはマリアを推薦するにあたって、そんなことを繰り返している。


 そこにどんな意味を見出しただろうか。クリスタルは、娘の言い分を聞いて、マリア・ペローへ視線を映した。じっと、品定めをするように。


 長い沈黙が続いた。エリザベートもマリアも手ごたえはわからなかった。即断されないだけ話す余地はあったということか、クリスタルもマリア・ペローをそこまで忌避しているわけではないのかもしれない。やがて、難しい顔で組んでいた腕を解き、クリスタルはこともなげに、いいんじゃないの、と呟いた。


「え? なんて? お母さま」


「あなたがそこまで言うなら、いいわ。かまわない。ただし今度のシャルル王子とのデートまでに仕込んでおきなさい。それができないのであれば、この話はなかったことにする。エリザベート。それでいい?」


 エリザベートが頷く。シャルル王子と会うのは三日後だ。仕込むと、言葉は曖昧だが、ようは出しても大丈夫だと判断して貰えればいいだけ。貴族出身のマリアならそう難しいことではないはずだ。


 今だって侯爵夫人を前に落ち着き払っている。並の騎士ならよくわからないことを口走り、クリスタルの不興を買ってもおかしくはない。


「わかったわ。お母さま。約束よ」


 クリスタルはその言葉を聞くと、頷いて、自分のメードに向けてマリアに部屋を与えるよう指示した。


                ▽


 食堂を後にする。正面、奥のほうにコンスタンスの姿があった。マリアがエリザベートに耳打ちをする。


「意外にあっさり行きましたね」


「ええ。どういうことなのかしら」


 状況を変にかき乱したくなくて、追及はしなかった。けれどクリスタルは確かにマリアへ妨害工作をしたと思っていたのに、簡単に騎士になることを認めた。


 そう口にすると、マリア・ペローはそういう意味ではないと反論した。


「いいえ、私はてっきり嫌われてると思っていたもので、だから意外に友好的だと思ったんです。あいつらを送りつけてきたことに関しては、初めから疑ってませんよ」


「……そうなの?」


「ええ。まあ」


 マリアが頷く。


「単純な話です。私を雇わせたくないなら、ただ単に拒否すればいい。工作なんてまだるっこしいことをする必要はないんですよ。だから違うと。そう考えます」


「確かに、そうだわ」


 エリザベートは頬の下を掻いた。


 確かに、そうだ。母はそんな不用意なことはしないはずで、だとすればマリアが嘘をついているか、他の何物かが送り込んできたことになる。


 そうなると必然、思い出される人物がいた。


「……手紙の、魔術師」


 時間を遡行する魔法を使える魔術師。今のところ自分を取り巻く因果は、やつに繋がっている。とすれば、マリアを騎士にすることを妨害したのも、やつなのかもしれない。


 でもなぜ?


 マリア・ペローの何が特別だ?


「わからない、けど、手掛かりはある」


 エリザベートはマリアから受け取っていたハンカチを目の前に出した。


 パースペクティブなら痕跡を辿って賊を割り出せるかもしれない。


 コンスタンスが目の前にやってきて、業務報告を終えた。間違いはなかったらしい。それを聞いたときどうしてだかエリザベートの身体に、どっと疲れが押し寄せてきた。なにも終わったわけではないが、一息つける。緊張が解れたらしい。


 相変わらず問題は抱えたまま。それでも地盤は少しは整った。今はそれでいい。今は、それを喜ぼう。これから十時間ぐらいは。


 お付きの騎士は整った。


 私の味方。


 あとは、裏切らないのを祈るのみ。


 しかし、もう少しすればまた問題はやってくる。丁度十一時間後。ジュスティーヌの騎士として、マーヴィン・トゥーランドットを迎えると聞いて。

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