第38話 帰路にて

「あんた、荷物はどうしたの? チェックアウトは終わってるんでしょ?」


 ケンドリック・クラブを出てすぐのところに止めさせていた馬車の前で、エリザベートが言った。こちらはこのまま帰ればいいだけだが、マリアは違うはずだ。


「ああ、もう積んであります。あの馬車です。よければついて来させても?」


「今度は上品なやつなんでしょうね」


 エリザベートがちくりと釘をさす。


「薬物中毒かどうかは確認しましたよ」


 マリア・ペローが飄々とした態度でかわす。


 遠目なのであまり詳しくはわからないが、身なりはまともそうだ。あれなら大丈夫だろう。出発しようとエリザベートはコンスタンスを馬車に乗せ、マリアにも同乗するよう言った。


 マリア・ペローは馬車に乗り込む前に甲冑を着こみ、剣を携えた。ケンドリック・クラブに持ち込んでいた装飾付きの剣は本人としては装飾品の類だったらしい。こちらはなにもついていない地味な剣だ。マリアの銀髪を思わせる色味の甲冑とのコントラストが、なんとも不自然だった。


 マリアは荷物のほとんどを自分の用意した馬車に乗せたまま、一つだけ横長の取っ手付きの木箱だけ持ってエリザベートの馬車に乗り込んだ。甲冑付きの人間が乗るのは久しぶりのことだ。重さに驚いて、馬車の関節部分がぎいぎいと音をたてた。


 馬車はケンドリック・クラブを離れ、王都の端にあるマルカイツ家の邸宅へ向かう道へついた。


 貴族街を抜け、一般市民たちの住む地区を迂回して、舗装された道を行った。夜になるとこの辺りは簡単な明かりだけになり、道は暗かった。


 ひとたび道を外れれば、精霊にどこかへ連れ去られそうになるこの道の中でも、御者の視界と馬車の中だけは、カンテラによって照らされ、互いの存在を確認し合うことが出来る程度には、明るかった。


「向こうに付いたら、すぐお母さまと話をするから」


 馬車の主であるエリザベートが言った。エリザベートとコンスタンスは、馬車の後ろ側。甲冑を着たマリアは御者の側に座っている。事故を起こしたとき、被害が少なく済むためだ。こういったことは誰かに仕えたことがあるか、仕えさせたことがあるかしなければ中々わからない。さすがに貴族の娘ということなのだろう。マリアの態度はともかく、こういったところは悪くない。


「あんたを騎士にする。……多分、そうなる。でもあんたは、話したりないと思ってる、そうでしょ」


 マリアは曖昧な表情を返した。目の前の新たな主人となりそうな少女からどうすれば不興を買わないか、未だ計りかねていた。


「ええ。まあそうです」


「私が求めてるのは三つ」エリザベートが指を三本たてる。「強さ。品位」一つ、二つと指を下ろす。「あんたはどっちも持ってる。評判通りならね。品位についてはもうちょっと気にすれば大丈夫な筈。ええ。もう少しだけ気にかけなさい。気付かないわけじゃないんだから。それで、あとの一つだけど」


 エリザベートは指を下ろし、それとともに腕も膝の上に置いた。


「裏切らないこと。できる?」


「私を随分買ってもらえているようで、それは嬉しいです」とマリア。「それで、裏切り……ですか。なんとも。信じていただけるかはわかりませんが、私は裏切りませんよ」


 エリザベートは苛ついている自分に気が付いた。


(こいつ、クレアと少し似ている。こっちを見透かしたような眼と、言動。クレアは奥ゆかしいし、それが相手を苛つかせることがあるのも知ってるから、あまり表には出さないけど、こいつは皮肉っていう形で出すみたい)


 母を相手にもそうやってシニカルな態度をとったのかもしれない。これから母と会うにあたって、マリアにはあまり喋らせない方がいいかもしれない。


「別に信じないわけじゃないわ」とエリザベート。マリアの言葉を一部肯定する。「でもそうね、裏切ったことのない人間も、裏切ることはある。これまでやらなかったからと言ってこれからもやらないとは限らない。どんなに高潔な人間も、家族の首にナイフを当てられたら、そこらへんの子供を殺すのかもしれない」


「なんとも厭世的だ」エリザベートの言葉を継ぐようにして、マリアが言った。


 エリザベートは窓の外を見た。明かりのついた、大きな建物。マルカイツ家の屋敷が遠くに見え始めていた。


 クレア。コンスタンス。目の前のこの女、ジュスティーヌや他の連中。


「だからね、あんたがただ裏切らないってはっきり言い切らないのは悪いことじゃないと思う」


 マリアはエリザベートがそうしたように、窓の外に視線を投げた。もう話すことはないという意味だった。二人に倣って、コンスタンスも同じように窓の外を見たが、考えたことは夕餉のことだった。平原の中心に生えた木々が、一瞬だけ屋敷の全貌を隠した。マリア・ペローはその時、誰かに聞こえないぐらいの小さな声で「それはどうですかね」と言っていた。


 互いに心情がわかっているわけではない。いつも以上にそれが浮き彫りになっているにも関わらず、互いの関係が長いものになることを予感していた。


 あまりに厄介だ、と思ったのはマリアだけだったが。


 

 

 


 


 

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