第37話 分割思考-騎士 後-2
――こいつ、かなりめんどくさい奴だな。
マリア・ペローの人を喰ったような態度を見て、エリザベートは思う。騎士的じゃないというか、騎士のような恰好をした女優と言ったほうがしっくり来る。
でもプロポーションは確かにかなりのものだ。背が高く、体格もいい。それでいてごつく見えない。来ている服は男物のブラウスだが、それも浮いていない。単に女優ならこんな着こなしはできないだろう。どうしたって女性的な柔らかみがもっと強調して出てしまうはずだ。
腰につけている剣も装飾付きだ。まあこの辺りは、貴族騎士にありがちなことだが。
エリザベートは見た目から訊きたいことをまず訊くことにした。
「まさかとは思うけど、その格好で会うつもりだったの?」
マリア・ペローが言った。
「それこそまさか、ですよ。ちゃんと甲冑を着ていくつもりでした。一張羅ですから」
「時間に遅れたと聞いたけれど。馬車にも乗っていなかったって」
「ああ、それね……」
マリア・ペローがさっと顔色を暗くする。
「馬車はこっちのミスです。それは認めます。コバルト・サーモン・シアターの劇のためにあんなに馬車が使われるとは思わなかったもので。ボロ馬車しか捕まらなかったんです。でも御者があまりに下品なんで途中で降りました」
重ねて御者について質問すると、どうやら無精ひげの薬物中毒者だったらしい。ひどい斜視まで発症していたから、不安になったというのもあったようだ。
「それで時間に遅れたの?」
「いえ。歩いてる途中で変なやつに絡まれまして。実のところ、あなたがここに来るとは思わなかった……イエ、あれですよ。あなたが侯爵令嬢だからというんではなく、あれが雇われだっただろうから、そう思ったんです。二人いて、片方は明らかに騎士でした。もう一人は……多分、兵士くずれでしょうね」
雇われ? エリザベートは眉を顰めた。雇われの意味ぐらいはわかる。
もちろんマリア・ペローが嘘をついている可能性がある。むしろ普段なら時間に遅れた理由に襲撃者を使うなんて、ナンセンスだと笑い飛ばすかもしれない。
エリザベートも完全に信じたわけではなかった。だが、今の状況を鑑みるに、それが全くあり得ないというほど、可能性がないというわけでもない。母クリスタルはマリア・ペローではなくマーヴィン・トゥーランドットを雇いたいだろうから。もしかしたらそれぐらいはするかも……。
難しい顔で考えていると、マリア・ペローが懐からハンカチを取り出し、テーブルの上に差し出した。
「信じないようでしたら、これを。血がついているでしょう。私の剣から拭った血です。殺しはしませんでしたが、右腕は使い物にならないでしょう」
「そんなもの、いくらでも偽装できるわ」
エリザベートが言う。
「まあ、信じないと言うのであれば、ご勝手に」
「信じないというわけではないわ……」エリザベートは自分の顎の下を爪で引っ掻いた。「それじゃ、行きましょう。筋の通った話なら通用するかも。母に心当たりがあるなら、そこを突いていけばいいわ。だって時間には遅れたけど、あなたは怪我一つ負ってないんだし。そういう意味では襲撃は失敗している」
マリア・ペローはエリザベートの言葉の中にいくつもの吞み込めないポイントを見出していた。
例えば母親を疑っていること。自分を気に入らなかったのはわかるが、いくらなんでも非効率な方法じゃないか。それとも侯爵家の奥方はそんなに愚かなのだろうか。
襲撃に失敗している、という点。自分が傷ついたかはともかく目的は成功している。その場にいないのでわからなかっただろうが、あの二人は明らかに殺すつもりはなかった。時間に遅れて自分を拒否する理由をつくったのなら、それは明らかな成功なのだ。
けれども本当に気になったのはそこではなかった。
マリアはその疑問を口にした。
「行くって、どこに?」
「そんなの決まってるでしょう」と、エリザベート。「ウチの屋敷よ」
「はい?」
マリアは思わずエリザベートの背後に佇むメードに眼をやった。アイコンタクトして主人が本気で言っているのか確かめるつもりだったが、首を傾げられるだけでなにもわからなかった。ポーカーフェイスが出来ているか、よほど鈍感かのどちらかだろう。
この令嬢はあまりにことを急いでいる、とマリアは思った。時間がないこと自体は理解できる。学院ではなく騎士学校に通っていたマリアでも、”お付きの騎士”のことは理解している。時期としては騎士を探すのにかなり遅いと言える。
「なによ」
エリザベートが当然でしょとばかりにマリアを睨みつける。そこから動こうとしない彼女にやきもきしているようだ。
「ちょっと待ってください」とマリア。「本当に良いんですか? 私たちはなにも話していない。ちょっと遅れた事情を話していただけ。予定通りに行ったってまずは会話するつもりだったんでしょう……しかし、あなたは今、すぐに私を騎士にしようとしてはいませんか?」
「なに? なりたくないわけ?」
「イイエ、もちろん侯爵令嬢の騎士になれるというなら、ならせていただきますがね」マリアがへらりと笑う。エリザベートの嫌いな笑みだった。
マリアの考えは当たっていた。話は聞くが、それがなんにせよ騎士にはしようと思っている。”それがあまりに致命的な欠陥でなければ”。そしてこういった流れの中でその”致命的な欠陥”というものは許容されるか、見逃されがちだ。答えありきの質問であると言える。
「でもそもそも」とマリアが訊く。「なぜこの時期になったんです? 一年は昔に探すことができたでしょうに」
マリア・ペローの質問を受けて、エリザベートは遡行前の記憶を思い出した。苦々しく、忌避すべき思い出。
エリザベートはくちびるをかみしめた。それはどんどん強くなり、以前切れた場所とほど違い部分が、うっ血を始めていた。
「あんたには、関係のないことよ……」
マリアはもう一度、メードを見やった。メードは動こうとして、動かない、止めようとして、どう止めればいいかわからない、そんな仕草を繰り返していた。
それを見て、マリアは流れるような動作でエリザベートに近づくと、左手でエリザベートの腰を抱き、右手で頬を包み込んで、上の歯と下の歯に挟まれたくちびるに優しく親指を触れさせた。
驚きか、それとも浮遊感のようなものが発生したのか、エリザベートの緊張は緩和し、気が付くとくちびるは歯の万力から解放され、触れられるがままになっていた。
マリア・ペローは戸惑った顔でエリザベートを見下ろしていた。自分のやった行動に、ではなくエリザベートがまだ険しい表情をしているからだった。
「おやめください……そんなことをするような……価値のある……話ではない……」
マリア・ペローはエリザベートから手を放し、一歩後ろに下がった。
エリザベートはくちびるを拭いはしなかった。それよりも頬のほうを、それも何故だか触れられたのと反対の頬にごしごしと手を擦りつけた。衝動的で、なぜなのかは自分でもわかっていない。
「もういい?」とエリザベートは言った。
「質問はありません」とマリア・ペロー。「行くというなら、もちろん」
二人は小さな酒場から出てケンドリック・クラブのエントランスに戻った。出るときにエリザベートはメードの頭を軽く小突いた。マリア・ペローの先ほどの動作にぽーっとしていたからだ。
「なにをやってんの。行くわよ」
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