第36話 分割思考-騎士 後

 コンスタンスを伴い、ケンドリック・クラブへ向かう。あの場所に行くのは初めてた。貴族向けの場所だが、侯爵向けの場所ではない。


 馬車で正面ゲートの前まで辿り着くと、エリザベートはその建物を見上げた。大理石を基本として、その上から宝飾品で固めた悪趣味なビルディングだ。お母さまは遠巻きにこれを見つけるだけでもかなり顔を顰める。それを真似して顰めているうちに、エリザベートもまたケンドリック・クラブの頂上にある黄金の鷹像を見るだけでつばきを吐きたいぐらいに嫌いになっていた。


 ケンドリック・クラブはその名の通り、はじめはジョーゼフ・ケンドリックという貴族が王都に建てた家だ。銀行屋として名をはせたジョーゼフ・ケンドリックは王家とも遜色ない財力を持っていたという。しかし貴族としては位が低かったために”王の指”はもちろん国政に関わることが出来なかったようだ。


 それどころか自分を疎んじて商売をしづらくする法律を制定する始末。そのうち、彼は占星術師を使って王を暗殺しようとした罪で一族もろとも首吊りとなり、屋敷は王家に接収され、現在のような用途になったらしい。


 これが大体、百二十年ほど前の話。


 ジョーゼフ・ケンドリックが本当に王家を暗殺しようとしたかはわからない。あくどい人物だったが、賢かった。だからそんなことをするわけがない。ここ数十年の間は、ケンドリックを巡る出来事は”王家の黒歴史”として扱われている。


 ケンドリックと王家は互いにそりが合わなかったが研究家の見解(ちなみに、この男は四十年前に不審死している)では、ケンドリックを嵌める引き金となった出来事こそ、このケンドリック・クラブらしい。


 そんな歴史を、エリザベートは思い返した。


 彼女としては、そんな罪が”過去”にあったとしても、今の自分たちとは関係ない、と言うほかない。


 だがもし、当時に自分がいたら、確かに位の低い貴族がこのケンドリック・クラブを造ったらムカつくだろうと思う。


 なにしろ、ゲートから見えるホテルのようなエントランスがついた建物は、巨大なケンドリック・クラブの一部に過ぎないのだ。それだけで王城を除けば最大と言ってもいい建物だというのに、この向こう側には最早小規模の”町”と言ってもいいほどの面積が広がっているのである。


 だがまあ、その中で用があるのは結局、エントランスだけだ。エリザベートは黄金色を基調としたエントランスを悠々と歩き、コンシェルジュの下へ赴いた。


 歩いている間、ずっと視線を感じていた。貧乏貴族たちが。侯爵令嬢の姿を見ること自体稀だろう。しかし中には棘のある視線もあれば、嘲りのようなものを含む視線もあった。エリザベートはそれだけでむかっ腹がたったが、公共の場所なので、ぐっと我慢をする。


「これはこれは」コンシェルジュが言った。「マルカイツ様。本日はどのようなご用事で?」


 貴族じゃない。それはわかった。確かに服が豪華だが、喋り方に品がないし、下町訛りが言葉の端々に見て取れた。


「マリア・ペローを」


 エリザベートが言う。


「ペロー様……」コンシェルジュは手元の帳簿に眼を通し始めた。魔力が籠もっているらしく、勝手に捲れていく。「あの方はすでにチェックアウトなされています」


「チッ」とエリザベート。コンシェルジュが少し驚いた顔をする。「そんなことだろうと思った。どれぐらい前?」


「時間は、およそ一時間前ですか。ですがマルカイツ様。彼女はチェックアウトはなされましたが……あちらの席にいらっしゃいますよ」


「は?」


 コンシェルジュが指した方向を見やる。そこそこの距離はある。黄金色に染められたエントランスの向こうに、黒く縁どられた空間があった。どうやら小さな酒場らしい。バーテンダーと近いカウンターとは別に、ソファとテーブルに仕切られた部分もあり、コンシェルジュはそこを手で指し示していた。


 近寄るとやけに活気のある顔立ちの貴族たちが視界を塞ぐ、その向こう側に、銀色の髪の女が一人で席についているのがわかった。


 俯いているので顔立ちはわからなかったが、エリザベートはこの女だと直感した。群衆を一喝してどかせ、その女の前に立ちはだかる。


「そこのお前、顔を上げて」


 銀髪の女はエリザベートに言われた通り、顔を上げた。美しい女だった。銀色なのは髪だけでなく、眉やまつげも同じだった。北の領地から来た貴族は、大抵王都方面より色素の薄い顔立ちをしているが、この女は格別そうだ。憂いのある顔をとれば、それだけで妖精のようである。


 ここがほんの少し薄暗くて、それがまた映えさせていたのかもしれないが。


 ただエリザベートの美しさとは、方向性が違う。この妖精チックというか、非人間感は好みの別れるところだろう。


「あなた、私がわかる?」


「名門マルカイツ家の子女。エリザベート・デ・マルカイツ様ですね」


「そうよ。そしてあなたはマリア・ペローね。貴族で女騎士の」


 エリザベートは声をかけた。


「いえ、違います」


 銀髪の女が言った。


 エリザベートは顔をしかめた。


「そんなはずない。肖像画を見たもの。ええ。あなたは画家を変えたほうがいいわ。あれはひどいから」


「絵のことはわかりません。ですがあれはほんの……ほんのはした金しか払っていないので、まあ、そんなものでしょう。それに見た目で選ばれたのなら、辞退しようと考えてもいましたから」


「……やっぱりマリア・ペローなんじゃない。なに? おちょくってんの?」


「とんでもない」


 マリア・ペローはその場を立ち上がり、エリザベートと視線を合わせた。否、マリア・ペローはエリザベートよりもずっと背が高かった。見上げるほど。体格はスマートなフォルムを取っているものの、サイズ感はある。


 一瞬、そのサイズ差に気おされかける。だがすぐ持ち直し、彼女の眼を睨み据えた。


「ただ、私は女騎士ではありません。女騎士というのは、旗振りの騎士のことですから。私は騎士で、女というだけです」


 マリアは前髪の下に掌を入れると、後頭部にむけてさっと撫でつけた。すると、先ほどまであった妖精のような美貌は消え失せ、変わって悪戯心を覗かせた、皮肉っぽい笑顔が現れた。

 

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