第26話 湖であったこと 後

 エリザベートは気付いていなかったが、ジュスティーヌは姉に誘った理由を説明したときに、言っていない文章があった。


「お姉さまがよほどお疲れなのは、姿を見てもわかるし、お姉さまがたとえ限界に近くてもできないと言わないことは、わかっているし……だからこうして息抜きする理由を見つけさせなければ、いけないと思ったの」


 プライドの高い彼女のことである。妹がそんなことを宣えばすぐ湖に落とされてしまうだろう。


 そのエリザベートはと言えば、真面目くさった顔でなにか考えごとをしているのか、先ほどから黙りこくったままだ。これでは二人で出た意味がない。


「時に――お姉さまは、今、騎士を探しておいでですよね。誰かいい騎士はいましたか?」ジュスティーヌが言う。


「あんたも探しているんでしょう。私のところに来ているのは、大体来てるんじゃないの?」


「そうかもしれませんが」


「が、じゃなくて来てるでしょうよ。見たならわかるでしょう? クズばっか。一人たりとも見どころのあるやつはいなかった」エリザベートは皮肉っぽく笑って見せた。


 ジュスティーヌが「くず……」と姉の言ったことを控えめに繰り返す。


「あんたもそう思うでしょう?」エリザベートが訊く。わざと答えづらい質問をしているのだ。


「え? そうですね……」ジュスティーヌは言葉を探した。「くず……かどうかはさておき……確かに、不足しているやもしれません。なにしろ、比較する相手が相手ですから、しようのないことですが」


「関係ない。探す方からしたら」


「そうかもしれません」


 二人とも、互いから視線を外し、いずこかを見上げた。湖面を走る足の長い虫が、二人の前を通っていった。


「お姉さまは、どのような方を騎士にしたいと思いますか? やはり、見た目も、品性も、そして強さもすべて持っているような方?」


「まあ」エリザベートが鼻で笑う。「そういう人がいればね。残念だけど、そんなやつの話は聞かない」


「でも、そういう方がいいでしょう? わたしだったら、そうだもの」


 エリザベートは、現実的に考えるなら、と想像を巡らせた。ジュスティーヌの言っているような人物は、理想的だが、そういう人間はもうすでに誰かの騎士になっているものばかりだ。そうでないものは、遡行前にお付きの騎士だったマーヴィン・トゥーランドットですらなにかしら欠けたものがある。


 だが、それはそれでいいのだ。マーヴィン・トゥーランドットなら母は満足する。なにも完璧である必要はない。


 もっともジュスティーヌが言っているのは、もっと与太っている話なのだろうが。


 現実的に考えるなら、いや、本当はそんな難しい言葉を使う必要もない。現実的。その言葉は今のエリザベートが処理するには、少し重い言葉だ。もっと簡単に、どんな騎士であって欲しいかを考えるべきなのだ。


 嫌な部分に触れる予感がした。自分のなかに在る、暗い感情の中を掬わなければ答えを出せないような予感だ。エリザベートは躊躇して、唇の端を噛んだ。


(遡行前は、嫌なことばかりだった。ジュスティーヌも私の側には立たなかった。アイリーン・ダルタニャンとは仲が悪く、ベルナデッタのような蝙蝠令嬢どもは一人もいなくなっていた。マーヴィン・トゥーランドットは私をずっと監視し、クレア・ハーストも消えた。コンスタンスはいたが、あの子はいてもいなくてもそんなに変わらない。両親は……私と戦ったりするような間柄ではない。親子なんだから)


 それを考えると、味方が必要なんだわ。


 エリザベートは血が滲むほど強く唇を噛んでいた。びち、と音がしてその一部をつい歯が噛み砕いたのがわかった。ジュスティーヌが慌ててハンカチーフを姉に差し出す。


「お姉さま、血が……」


 ハンカチーフに血が染み込んでいく。ジュスティーヌはそれを見て狼狽しつつも、舟のオールを掴んで漕ぎ始める。岸辺では異変に気が付いたのか、クレアがシートから立ち上がってこちらを窺っていた。コンスタンスはバゲットの入った箱をじっと見ていて、気づきもしなかった。


 湖の中心から去るとき、ジュスティーヌは沈んだ顔でこう言った。


「ごめんなさい。お姉さま。余計なことをして怒らせてしまって……」


「怒ってるわけじゃない」ハンカチーフを手で抑えながらエリザベートが言った。「これ、買い替えて返すから。血がついたんじゃ落とすこともできないし」


「いえ、そんな……」とジュスティーヌは遠慮しようとし――なにかを思いついて、顔を上げた。「では、今度町まで買いに行きませんか? いいですか?」


「別に、構わないけど」


 舟が岸辺につく。これまた狼狽した顔のクレア・ハーストと、ようやく事態に気づいたコンスタンスに迎えられ、舟を桟橋につなぎなおすと、痛むくちびるをおして、そのまま食事をとった。


 料理人につくらせたというハムの挟んだバゲットは塩気が効いていて傷口に沁みたが、それでも最後まで食べた。会話はほとんどなかったが、気まずくはなく、別れるときは朗らかでさえあった。


 屋敷でジュスティーヌたちと違う通路から屋敷に入り、エリザベートはコンスタンスを後ろに従えながら、こう考えた。


(今のままだと希望する相手と巡り合えない……あんな経歴書だけじゃ味方になってくれるかわからないし、なによりそれだけじゃ母は納得しないだろう……やっぱり強さもなくちゃいけない。もっと捜索範囲を伸ばさなければ……それで、実際に会って決めるのがいい。それには人数も限られるから……ああ、精査する時間も必要だ……)


「お嬢さま」


 エリザベートにコンスタンスが話しかけた。


「なに?」


 まだお腹が減っているとでもいうのか、それぐらいしか今コンスタンスが話しかけてくる理由が思いつかない。しかし、予想に反してコンスタンスは自分の前を指さしているようだった。


「呼ばれています」


 言われてそちらを見てみると、屋敷の別のメードが立って、確かにエリザベートを呼んでいた。自室ではなく広間へ向かうよう、母から言付けを預かっていたらしい。


 嫌な予感だ。でもさっきとは質が違う。広間の扉を開けると、すぐその理由は分かった。


 二人の初老の男が、それぞれ楽器を持っていた。


「さあ、エリザベートお嬢さま。午前の分を取り戻しましょう」


(先ず、この忙しさをなんとかしなければ。この騎士選びは重要になる)


 

 


 

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