第20話 王の兄と貴族の騎士 後-1

 マリア・ペローの前には、髪の長い肌着の男が立っていた。この王城でこの格好でうろつき、大司教を怯ませられる人物。そんな人物には一人しか心当たりがない。マリアがなにか喋る前にシャビエル大司教が代わりにその名を口にした。


「アルフレード王兄殿下! どうしてここに!」


「助けられたのは私の息子だ。ならば私がここにいてもそうおかしくはあるまい」


 アルフレード・フュルスト・マルティシニアン・ロマーニアン。現国王であるフェリックス王の実の兄。


 彼の言うことの理屈は、合っている。マリアの”戦功”は、まさしく戦場の視察を訪れたアルフレード王兄殿下の息子、ユークリウスを、迫りくる敵の手から救った――ことによるものだったからだ。


 そのような大きな戦功にも拘わらず盛大な祝い方ではなく、このようにこそこそとやっていることには、いくつかの理由があるが、一つは視察自体がなかったことにされていること、公式に王室関係者が敵軍に拘束されそうになったという事実が否定されているため――と、マリア・ペローの悪評が少し。そして最後の理由は、目の前にいるこのアルフレード王兄殿下の、王城での微妙な立場故だ。


 先王の実の息子であり長男でもあるアルフレードは、当然ながら王位継承者第一位だった。それを、なんの議論もなく弟に譲ったのだ。当時、継承者争いになるだろうと目して色々準備していたフィクサーどもは大損をこき、アルフレード自身は王城で唯一なんの役割も持たない――しかし、なにかになろうと思えば大抵の物にはなれる――そんなちゅうぶらりんの場所が定位置となった。


 流石に王国一の変人、と目されるだけあるということだ。マリアは考えるきっと自分が恩賞を受け取る日取りや時間も、教えられていない。息子が助けられようと、王の兄という立場にあるものがそうそう簡単に貴族とはいえ騎士と直接会った利はしないはずなのに。


 アルフレードは完全に状況を掌握し、その場を好き勝手に動き回っている。きっと突然、シャビエル大司教の服を全部はぎ取っても、誰も文句は言えまい。シャビエル大司教のような”典型的な嫌なヤツ”嫌な老人が裸に剥かれ、とても誇れはしないだるだるの肉体が衆目に晒されたとき、どんな顔をするか。マリア・ペローは気付かれぬよう内心でにやりとした。


「ん? これが彼女に対する恩賞かな?」


 アルフレードがシャビエルの後ろに控えていた司教見習いが持つ箱に眼を留める。


「なんだ、今ここで手渡すのか?」


「この女は実家から疎まれており、当人も郵送を望まなかった故、このような形に……」


「フム、つまり持てる量ということだな。どれどれ、君から受け取った彼女への書状にはなんと……金1000フェーブル相当、十字褒章、それから食料品の援助……なんだいこれは。ふつうの兵卒や現場にいただけの分隊長が貰うぐらいの恩賞じゃないか」


「まだ戦争から国庫は立ち直っておりません故、そのような形に……殿、まだきゃつらから賠償金を受け取っていない故、国庫はぎりぎりなのです」


 アルフレードが眉を動かす。それを見てシャビエルが自分の失言に気が付いたのか、ごちゃごちゃと言い訳を重ねるが、呂律が回っておらずなにを言っているのかよくわからない。


 しかしアルフレードは、怒ったりはしなかった。マリアに向けて微笑んだだけだった。


 思わず首を傾げそうになる。確かに自分はこの男の息子を助けたが、訊いた話ではこの男、息子にほとんど興味がないらしいのだ。妻にも先立たれているが女の噂もなにもない。ようするになにに興味があるのかよくわからない。こうやって表――というほどでもないが――表舞台に立つこと自体めずらしい。それが、国中で疎まれている貴族の騎士のためとなれば、なおさらわからない。


 アルフレードはマリアから眼を離し、再びシャビエル大司教と向かい合った。


「つまり私の息子に見合う恩賞は出せないということだ。そういうことだな?」


「まさか、そのようなことは……」


「しかしこれでは全く足りない。――そうだ。マリア・ペロー。君の時間を借りてもいいかな?」


「はい?」


 まさか話しかけられるとは思っていなかったので、思わずぶしつけな言葉が出てしまう。案の定シャビエル大司教が険しい顔でマリアを咎め、アルフレードが彼をなだめる。


「失礼しました……が終わってからの時間でしたら、どうぞご自由に」


「抱かせろと迫っても?」


「え?」


「君に抱かせろと迫っても、君はきっと拒否するだろうし、最悪逃げるかもしれない。つまり自由じゃないということだ。そんな言葉を簡単に使うものではないな」


「はあ……」


 マリアとしては、上手く返す言葉を探す気にもならない。


「ジョークだ。ただまあ、あまりいい冗談ではなかったかな。失礼した。そんなことは言わない。ちょっとご足労願うだけさ。それから、君は今これが終わったらと言ったが、まだ状況がうまく呑み込めていないようだな。君は今から私と”これ”をしに行くんだよ」


「これ……論功行賞ですか?」


「そうだ。鍵番はもう呼んである。入ってきたまえ!」


 アルフレードが大聖堂の扉を差す。扉から現れたのは、山のように大きな騎士だった。


「ジャンセン! アルフレード王兄殿下! まさか宝物庫を開けるつもりなのですか? このようなもののために何故!」


 アルフレードが歩き出す。後ろ手にマリアに立ってついてくるよう促し、マリアは一応、シャビエル大司教に会釈をしつつもついていくしかない。


「シャビエル! 未来だよ。私は未来を見据えているんだ」とアルフレード。マリアの剣を司教の一人から受け取る。


 廊下に出て、大聖堂の扉の向こうに大司教と司教たち、そして司教見習いたちの姿が消えるとき、マリアはこう思った。


(あれじゃあ裸に剥かれているのと大差ないな。どうやら……こういうものは実際に見るよりも想像した方が愉快だ)


                 ▽


「いい剣だ」


 アルフレードが言い、マリアに剣を投げて渡す。


 マリアは難なくキャッチし、腰に帯剣しなおした。


「ついてきたまえ。かなりあるぞ」


 宝物庫は、王城の辺鄙な場所にあった。盗難防止に、外壁沿いではなく、また人通りの多い場所――大聖堂や大広間などからは外れたところにあった。兵士たちの厩舎の近く。湿気を避けるために占星術師が何人も使われており、宝物庫のある区画に入り込んだ瞬間、肌からさっと水分が失われていくのを感じた。


 宝物庫の前でアルフレードは止まり、騎士ジャンセンに宝物庫を開けさせた。マリアは彼に剣を預けようとしたが、アルフレードがその必要はないと断った。君は私を切るつもりなのか、と言って。


                ▽



 




 

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