第19話 王の兄と貴族の騎士 中

 ジョン・ミューラーとマリア・ペローはしばらく言い争っていたが、やがてジョンの方が遠目で見ても「もういい」と言っているのだとわかるようなジェスチャーをすると、ペローをそこへ残し、待機させていた兵卒の下へ戻った。


「エリック。今日は訓練を免除してやる。その代わりあの女を見張っておけ.。俺はこれから外せない用事があるんでな」


「了解しました」とエリック。好奇心を抑えきれず、質問する。「あの女騎士と、なにかあったのですか? ここでなにかやらかすと?」


「あいつは元部下だ」ジョンは訓練場を挟んで向かいの通路に立つマリア・ペローを見ながらそう言った。険はあったが、どこか懐古をかみしめるような声音でもあった。「昔、やつが騎士学校を出たとき俺の騎士団にいたことがあった。一瞬だけだがな。それ以上は、訊くな。とにかくやつが大聖堂に行くまでどこにも寄り道しないよう見張っていろ」


「なにかやらかすということですか?」


「それはわからん」


 ジョンは自分の前髪をぐしゃぐしゃと揉んだ。少し落ち着いたようだ。


「見張っておけ。いいな」


「わかりました」


 エリックは隣のジョナスに声をかけ、訓練場の土を踏んだ。三歩目に達しようとするところで、ジョンが彼の背中に声をかけた。


「あいつに質問してもいいぞ。どうせなにも言わん」


 一瞬だけ振り返ると、ジョンはいつもの穏やかな顔に戻っていた。エリックは安堵した。そして、そんな彼にただ登場するだけであんな顔をさせるマリア・ペローがどんな人物なのか、戦々恐々とした。


                 ▽


 ここまで話題にずっと上り続けていたその人物は、自分と同じか少し小さい程度の兵卒が訓練場を横断してこちらに渡ってくるのを眺めていた。


 マリア・ペローはその兵卒が正面までやってきて、遠目で見るよりもずっと背が高く体格も大きいと気付くまで、腕を組んで微動だにしなかった。若干、気おされながらも差し出された手を見た。


「エリック・サンダルフォンだ。これからあんたを大聖堂まで案内する。短い間だけどよろしく」


 エリックは気やすく声をかける。貴族と騎士が会話するときは、およそこんな話し方はあり得ないが、騎士同士とあれば片方が貴族でも会話は成立する。マリアもまったく気にしていないようだ。


「はん、監視の間違いだろ。でも、よろしく。マリア・ソ・フォン・アレクサンドル・ペローだ。マリアでいい」


「じゃあ俺もエリックで……」


 マリアはエリックの言葉を制止した。


「いや、それはいい。どうせ呼ばない。さっさと済ませよう」


「あえ? ああ。わかった」


 エリックを置いてさっさと歩きだすマリア。後ろからついていく。なんとなく、追い抜くことは躊躇われるエリック。だが建物の中に入ると、またぞろ無言で歩くのに耐えられず、マリアに話しかけた。


「大聖堂に行くらしいけど、恩賞を受け取りにきたのか?」


 マリアがちらりとエリックを振り返った。長い睫毛の向こう側に、憂いに満ちた瞳が灯っている。


「珍しいよな。一人のために大聖堂に集まるなんて。でも恩賞を渡す以外にあそこが使われるのはそれこそ催しものがある時ぐらいだ。どうなんだよ?」


「当たってるよ。論功行賞が終わったと少し前に連絡が来た。私は故郷に帰っていたから時間がかかったんだ」


 はじめはジャブ。エリックは隊長であるジョン・ミューラーが最後に言い残していた言葉を思い返していた。”どうせなにも言わない”。でもまだ一言話しただけだが、この感じだと面白いことを聞けそうな気がする。エリックはゴシップが好きなのだ。騎士にしては珍しいことだが、命をかけていると言ってもいい。


「なあ、聞いてもいいか?」


 と、牽制を入れる。


「なに?」


 と、マリア・ペローが返す。


「あんた、どうしてあんなに隊長に警戒されてるんだ? ジョナスもお前のことを……どうやら知ってるらしいんだが……あんた味方殺しだって、そう言われてたような。それから他にもいろんな醜聞も……あれは本当のことなのか?」


 かなり無遠慮な聞き方だ。エリックとしては機嫌を損ねられたならそれでよし、どうせ短い時間しか話せないならアプローチの慎重さを気にすることはないという考えだ。


 マリア・ペローが振り返って、止まる。


 マリア・ペローは間近まで来るとより美しい。銀髪はどこか緑がかっていて、神秘的。目鼻立ちも濃すぎず、整っている。フェミニンというよりは、中性的な顔立ち。しかしそう印象させるのは、彼女が鎧を着て、帯剣しているからかもしれない。とはいえやはり、なにをもっても美しさがまずそこにあった。


 一瞬の出来事だ。マリアは考えたりしなかった。まったく気やすく、そこになんらかの含みを持つことはないようだった。


「それは本当のことだ。実際に私は自国の人間を殺した」


 マリアの眼に残虐さが宿る。碧色の瞳にその時の映像が流れているかのようだ。


「それは……なぜ?」


「簡単なことだ。私がいたところは退屈な場所でね。敵も攻めてこないし、娯楽はない。オルガンはあったが、誰も引けなかった。私は自分の演奏を聴くのが好きじゃないしね。まあ、それはどうでもいい。ある日、退屈な砦の防衛にひとひらの花が舞った。つまり、砦に侵入者が現れた。正体は敵国の兵士ではなく、ただの賊。地元民だ。問題なのは、そいつらを捕らえた後だよ。私が殺したその男は、賊をいたぶって楽しんでたんだ。安眠を妨害されむかついた私はそいつを殺した。そんなとこ」


「マジかよ」


「そんなわけないだろう」


 マリア・ペローはこともなげに言った。


「なにか聞きたいようだから、のってやったんだ。実際はただ、火事場泥棒を咎めて殺しただけ。それから脱走兵も殺した。遊撃部隊にいたから。仕事の一つだったんだ」


 ”なんだ、そういうことか”。エリックは思った。そして、センスはともかくユーモアを解してはいるらしい、と目の前の貴族を評価した。


「あんた貴族だろ? なんで女騎士なんか?」


 エリックとマリア・ペローは大聖堂に続く廊下まで到着していた。


「女騎士っていうのはやめてくれ」マリア・ペローが言う。「私は女騎士じゃない。女騎士っていうのは式典で旗を振る連中のことだ。私はそうじゃない」


「なるほど?」エリックは肩をすくめた。「よくわからないけど、あんたを呼ぶときは気を付けることにするよ。貴族の騎士殿」


 大聖堂の扉が近づいていた。エリックはこの時間を惜しんだ。このまま聞いていればもっといろんな話が聞けそうなのに。


「なあ」


「まだなにかあるのか?」


「そういえば、まだちゃんと答えてくれてないよな。味方殺しが本当なら、他の醜聞も本当なのか? それから、隊長のことだ。他の連中があんたを軽蔑しようとも、そんな理由なら隊長はあんなに警戒しないはずだ。あんたなにやったんだ?」


「ま、いろいろと……」マリア・ペローが目を伏せ、腰の剣を撫でる。「私の醜聞はほとんどすべて戦争のさなかに後付けされたものです……それはそう……それより前のものは、それはそれであった」


「それはなに?」


「簡単なこと。大聖堂に行くまでに私を寄り道させるなと言われたんでしょ? 私は昔、ここで働いてた子と繋がってたんだ。それはもう、密接にね」


「バトラーとか?」


「いや、メードだ」


 マリア・ペローはこともなげに言った。信じられない事実だった。エリックはそのとき、どんな顔をしていただろう? 同性愛はこの国では罰せられるようなものではないが、それでも到底認められていない。むしろ忌み嫌われている。


「より正確には、庭の手入れ係。かわいい子だったよ。今はなにをしてるんだか知らないけどね」


 マリア・ペローが一層軽く言う。エリックの生理的嫌悪を表した顔を、むしろ楽しんでからかっているかのように。


 エリック・サンドルフォンはどんな顔をしていたか? その感情や感覚は培われていったものだ。特に悪辣でなければ、責めるようなものでもない。嫌悪感というものは――。だが、マリア・ペローのような人間と仲良くしたいなら、それはそれだけで欠格事由になるものだ。


 マリア・ペローとエリックは大聖堂の扉より少し前で別れた。エリックは気付かなかったが、マリアは寄り道をさせるなと言われた理由を言っただけで、ジョン・ミューラーが彼女を警戒する理由について語ったわけではない。しかし、今日はその話題にはこれ以上触れないでおこう。この先一生、エリックが触れることはないだろうが。


                ▽


 マリアは扉の先で数人の司祭に出迎えられた。醜聞もあってか、どこかよそよそしい。貴族で、女の騎士というだけでも少しは反発されているのかもしれない。司教見習いと思われる青年がマリアから剣を受け取り、彼らの中で最も立場のある人間が、これからの予定について話す。


「じきにシャビエル大司教が来られます。姿が見られましたら、前に出て祝福の言葉と、恩賞を受け取るのです」


「それだけ?」


「それで終わりです」


 しょっぱいな、とマリアは思った。もちろん顔には出さなかったが。


 どうせ恩賞も大したものじゃない。この時期まで伸びたのは故郷が遠いことだけが理由じゃないはずだ。恐らく一兵卒が受け取るのと同じレベル。穀物をいくらかとか、金がほんの少しだけとか、その程度。


 貰えるだけマシか。


 頭の中で文句をたれていると、大聖堂の奥から頭に大きな帽子のようなものを被ったしわくちゃの老人が現れた。


「まったく、なぜわたしがあのようなものに祝福の言葉を掛けねばならない? 死ねば地獄に落ちることは確実だろうに」


 シャビエル大司教にも文句があるようだ。マリアと距離はあったが、静謐で、スピーチの声が届きやすい構造になっている大聖堂では、どんな言葉も丸聞こえになる。マリアの後ろ隣りに立っていた司教の一人が大きな咳ばらいをした。


 シャビエル大司教がマリアを呼ぶ。


「マリア・ソ・フォン・アレクサンドル・ペロー! 前へ」


「そら、行くのだ」


 司教に促され、前に出るマリア。


 司教の長いローブを前にひざまずき、言葉を待つ。


「貴殿は、先の戦争において以下の戦功を立てた件について、正当な……なに?」


 背後の、自分が入ってきた扉から別の誰かが入ってくる音がする。その姿を見た大司教が祝詞をとめ、驚きで体を固めた。マリアはひざまずいたままの体勢で、次の展開を待った。大聖堂へ入ってきたその人物は、誰にも止められることなく、大司教の前までやってきて、大司教に経典を渡すよう促した。


 マリアからは足しか見えないが、誰も文句を言わないところを見ると、かなりの権力者が目の前にいるらしい。状況が飲み込みきれない。


「顔を上げよ」


 声が上から降ってくる。


 マリア・ペローは言われたとおり顔を上げた。

 


 

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