インターミッション
第18話 王の兄と貴族の騎士 前
この話を含めた4エピソードはインターミッションです。二章の後に読んでも問題ありません。
エリザベートが遡行するよりさらに前のこと、聖ロマーニアス王国と東方のタガルーバ帝国の間に諍いがあった。
それを戦争と形容することもある。タガルーバ帝国は強硬に、一人の将校が勝手にやったことだという。聖ロマーニアスは明らかな侵攻だったと主張する。争いはおよそ数か月の出来事であり、はっきりとした白黒はつかず、近隣諸国の仲立ちがあって和平を結び、今に至る。
終戦からほどなくして、論功行賞が始まった。我らが聖ロマーニアスの地を踏み荒らした輩の死骸があちこちに転がり、戦禍の跡もまだ回復しきっていない頃だった。
反発や反対もあったものの、論功行賞は長引けば長引くほど嘘の報告を見破りづらくなっていく。巧妙な嘘を恥知らずにも突き通すものもいる。だから論功行賞はすぐに行わなければならない。文官は戦時よりも一瞬だけ忙しかっただろう。槍の切っ先も、矢玉の雨さえ触れることのなかった立場を考えれば、そんなものへでもなかろうが。
先ず、領地から兵を派遣した領主たちに人数に見合った恩賞を与える。これは難しい作業ではない。戦時中からデータを集めていたので、終戦から直ぐ、論功行賞が始まる前に終わらせることが出来る。次に、各指揮官。これも問題はない。此度の戦争は、あちこちに戦火が広がるというより、正面衝突していたというのが正しいためだ。その中で細かい戦地があっても、全体の指揮を執っていたものには恩賞が与えられてしかるべきである。
彼はリーマス・ド・ジョナス・ローウェル・ブランケンハイム。あるいはブランケンハイム将軍と呼ばれる。此度の戦争の指揮官である。そして指揮官である彼の直属の部下にも、恩賞が与えられる。
論功行賞はこうして、領主、指揮官、隊長といった順に、その戦功を審査されるが、最も難しいのは、それより下、兵卒に対する恩賞である。何人倒した、というのはあまり関係しないが、誰を打ち取ったかは十分に関係する。こういうものの真実を調べるのは非常な時間がかかるため、基本的には直属の隊長から指名を受けたものが、恩賞を受け取る形となっている。ただし、式典には参加しない。
恩賞授与の式典があるのは、領主と指揮官。そして隊長の中でも特に秀でたものが一人だけ、参加を許される。この時、ブランケンハイム将軍に選ばれたものは、ジョン・ド・フォン・クリスティアン・ミューラーという伯爵家の次男で、彼は最も激しい戦いとなったクレンツェンベルクの戦いで指揮を執った人物だ。
高潔で厳格、それでいて柔軟性もある。将来は騎士爵の号を拝命するだろうと目されている。
そんな彼の居場所は、聖ロマーニアスの大公フェリックスとその家族が住まう王城の一部となっている騎士訓練施設である。式典の場で、なにが欲しいかと問われ、王城直下の騎士団で訓練教官をさせて欲しいと願い出た結果であった。
ところで、論功行賞の話に戻ろう。論功行賞の審査でもっとも面倒なのは兵卒の恩賞である。であれば、授与するのに最も煩わしいのはなんであろうか。
それは、非常に評判の悪い人物が相手だった時だ。
恩賞授与の式典から二か月が経過した時点である。これは”現在”からみればまたずっと過去の出来事であり、遡行された時間よりもまた前のことである。
二人の訓練生が、施設の壁に寄り掛かって話をしていた。
重要な話ではない。二人は配属からすでに一年近く経過している。王城直下というプレッシャーもなく、むしろ緊張で倒れそうになりながらも訓練に勤しむ新入りの姿を肴に話に花を咲かせているぐらいだ。やれ食堂に入ったシェフがどこの出身だとか、メードとの恋愛禁止が解除されたらどれだけいいかだとか、そんなくだらない話ばかりだ。
話はそのうち、自国の王子の話題になった。この国の第三王子、シャルル・フュルスト・ロマーニアンは神童と呼ばれている。齢11だか、12だかで既にいっぱしの歴史研究家と話をしたり、文学について論じたりしているという。しかしそんな話を中心に持ってくるのは、上品ぶった貴族ばかりである。兵卒二人にとっては、ゴシップの類のほうがずっと好みだ。
話はシャルル王子の婚約者であるエリザベート・デ・マルカイツの話になっていた。マルカイツと言えば聖ロマーニアス貴族の中でも重鎮中の重鎮である。王の助言役の一人であるエリザベートの父グザヴィエは、保守派の主要論客としても有名だ。また大きく歴史が深いだけあって、醜聞も相応に持っている。
その中の一つが、長女エリザベート・デ・マルカイツの癇癪だった。
聞いた話では、シャルル王子を含め周囲の人間はみな、あの令嬢に振り回されているらしい。ちょっとしたことですぐ怒り出すものだから、あの家のメードはしょっちゅう入れ替えられる。中には一目見て気に入らないと解雇されてしまったメードもいるそうだ。
自分たちにとって雲より高い位置にいる貴族のご令嬢についてのゴシップを二人はぺちゃくちゃと話していた。やがて、二人の背後に、二人の現在の直属の指揮官であるジョン・ド・フォン・クリスティアン・ミューラー伯爵令息が現れたことにも、二人は気付かなかった。
「噂話か?」
低く、迫力のある声。
蛇に睨まれた蛙のように体が硬直する。
「た、隊長!」
「いつからそこに……」
「訓練をサボって無駄話とは、随分偉くなったものだな、エリック・サンダルフォン。ジョナス・マイクルズ」
ジョン・ド・フォン・ミューラーは柱の陰に立っていた。日中、建物の下は特に見づらくなるものだが、その中でもジョンの体の大きさはすぐにわかった。敵国の兵士からは”黒い熊”と恐れられた人物なだけはある。だが、この名前をつけた兵士はジョンのことがわかっているというには不十分な部分もある。
ミューラーの身体は大きいが、ずんぐりとしているわけではない。マウンテン・マンのように丸太でできたような太い体をしているのではなく、鋼鉄が体を通っているかのように、しなやかで頑健なのだ。特に顔は青年のようですらある。
人物像も、厳格ではあっても頑固ではない。厳しい言葉をかけるときもどこか父性のようなものを感じさせる、生来の優しさを読み取れるものである。
「は! 申し訳ありません!」
「これからすぐ訓練に戻ります!」
二人が交互に言う。直立不動でジョンの前にかしこまる二人を、彼は寛容な視線で見比べている。
「緊張しなくてもいい。今日は平和だ。それにこんなにもうららかだ。そんな風に日向から隠れて話をしたくなるのもわかるさ」
「申し訳ありません!」
「二人とも新兵をずっと見ていたな。あいつらはまだ肩の力が抜けていない。まるでここに来たときのお前たちを見ているかのようだ。つまり、見ていられないということだな」
「はい」
「つまり、サボっている暇などない! 教官にばかりまかせず先輩として指導してやるんだ。わかったな」
「了解しました!」
「わかりました!」
エリックとジョナスが敬礼をする。ジョン・ミューラーは最後に二人へ声をかけてその場から去ろうとするが、訓練場のちょうど反対側に位置する通路を歩く人物に気が付き、言葉をとめた。
不思議に思ったエリックとジョナスがジョンの顔色をよく見ようと、一歩前へ出る。ジョンはみるみる顔を険しくする。二人が見たことのある表情だった。これは戦場にいたときと同じ顔だ。
エリックが振り返ると、ジョンの見ている方向には、一人の騎士が歩いていた。どこにいても目立つだろう、白銀の鎧を身に纏い、優雅に廊下を歩いている。ここからはよく見えないが、髪も銀色っぽく、顔立ちもかなり美しいようだ。正面で剣を振っていた兵卒が振りを乱すほどには、である。
(貴族の騎士だな、あれは)
エリックはそう見当をつけた。身分のあまり高くない貴族のなかには、はくをつけるために形だけ騎士になる人物もいるのだ。そういう貴族はああいった、戦場ではまず役には立たない装備を身に纏っていることが多い。仮に戦場であの姿でいれば格好の的だ。すぐに狙われみぐるみを剥がされ、殺されるだろう。
(男なのか? それとも女か?)
騎士団は男の世界だ。女もいないことはないが、みんなゴリラみたいな見た目のやつばかりで、あんなに華奢ということはない。例外は遠くの国に、美しくて強い女騎士がいるという話を聞いたことがあるのと、フェリックス王の娘であるエヴェレットが設立した儀典騎士団は、奇麗な女ばかりが集められたものだということだ。
遠目ではそこまで判断がつかなかった。謎の騎士についてわかっていることは、自分たちの騎士団が訓練している場所を我が物顔で歩いているというぐらいだ。しかしどこか、あの騎士は勝手を知っているような気がした。迷ってここにいるというわけではなさそうだ。
「ちょっとここにいろ」
ジョン・ド・フォン・ミュールが低い声でそう命じる。訓練場を横断し、通路を歩く騎士へ大声で声をかける。だがあいにくと、なにを言っているかまでは聞こえなかった。
ジョンと謎の騎士は対面すると、すぐ諍いになっているようだった。二人して身振りを大きく動かしながら、なにか言い争っているようだ。
「――おい、知ってるか、あいつ」
エリックがジョナスに小声で話しかけた。
知らない、何者だろうな、隊長とどんな関係だ? どの回答が来てもおかしくないと思った。でもジョナスは渋い顔でエリックのほうを見ると、こう言った。
「ああ。見たことあるよ」
「誰だ?」
「一応、それなりに有名人だけどな。ほら、けっこう前に女で貴族の騎士が騎士学校にいたって話があっただろ」
「ああ! 聞いたことがあるぞ。でもすぐ辞めたんじゃないのか?」
「辞めてない。ずっといたんだ。卒業もした。でもどこにも配属されなかったらしい」
「どういうことだ?」
「わからん。ただ、評判はよくないな。卑怯だとか、いやらしいだとか、残虐だとか、そんな話ばかりだ」
「とんでもないな」
「極めつけは、先の戦争でやつは傭兵として派兵されたらしいんだが、砦の警備をしていたようなんだが、そこで味方を殺したらしい。誤射やうっかりじゃなくて、故意にだ。でも貴族だから不問になったとか」
「名前は?」
「え?」
「あいつの名前だよ。避けるためにも憶えておきたい」
ジョナスが右上を向く。名前を思い出そうとしているらしい。
「確か……そうだ。マリア・ソ・フォン・アレクサンドル・ペロー。それで全部だったと思う」
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