第8話 落ち着いて現実逃避をしよう 前
コンスタンスは黙って本を借りてきて、黙ってエリザベートの前まで持ってきた。別に、黙られていても仕事に支障はない。
「コンスタンス」
台車を転がして部屋から出て行こうとした彼女を呼び止める。
「コンスタンス」
返事がないのでもう一度呼ぶ。
「コンスタンス!」
「はい」
コンスタンスが振り返る。
エリザベートは彼女が持ってきた本の山を指して言った。
「同じ本を借りてきてる。ほら、ここからここまで。あとここ。そこのこれとその床に落ちてるやつも。こないだもちょっと被りがあったけど、どうやって探してきてるの」
「えっと……」
コンスタンスが俯いてもじもじと体を揺らす。こうなってもエリザベートは落ち着き払っていた。この間のこともあってアンガー・コントロールを心がけているようだ。水の入ったグラスを、まだ一月だというのに頭に当てているが。
「なに。怒んないからハッキリしなさい」
「司書の人にきいてます」
「なにもおかしいことしてないでしょ。なんでそんなに怖がってるの。普通にしてれば怒鳴ったりしないから」口に出してから自分が変なことを言っているなと思う。「ちょっと待って、じゃあなんでこんなに同じ本ばっかりなの」
「もう本がないんです……」
「ない?」
「市民向けにも開放されている図書館なので所蔵書は多いのですが魔法に関する本はそれほどおいていなくて……」
「それはいい。別にそれは構わない。私が言ってるのはどうして本がこんなに被るのかってことで、ないものはないんだから、それはいい」
エリザベートは天を仰いで、深呼吸した。その場から立ち上がって「暑い……」と独り言ちると、移動して窓を開けた。外から冷たい風が入ってきた。
「それは……」
「それは?」
「あの、いっぱい持ってきた方がいいかと思ってしまいまして……。はじめにたくさん持ってきたから、同じだけ持ってこないと……」
一瞬、なにを言っているのかわからなかったが、根気よく聞きだしてみたところ、こういうことらしい。
コンスタンスは毎回、大量に本を持ってこないと怒られると思ったそうだ。はじめのときにたくさん持ってきたが、次に持ってこようとしたとき図書館に所蔵された魔術関連の本の冊数が残り少ないことに気が付き、なぜチマチマともっていかなかったかと後悔したらしい。(それでなぜ同じ本を持ってくるという発想に至ったのかと質問すると、本当に全部読んでいるとは思わなかったと返ってきた。エリザベートは呆れて叱る気にもなれなかった)。
エリザベートは大きなため息をついた。包帯の巻かれた足を持ち上げ、血が滲んでいないことを確認すると、開いた窓を一瞥した。
「気晴らしにでも行こうか」
静かに呟く。
「コンスタンス着替えてきなさい。街に行って観劇にでも行きましょう。人が死ぬのがいいわ。コバルト・サーモン・シアターで新しいのがやってるらしいから、観に行きましょう」
「いいんですか?」
「ここのところちょっと……」エリザベートは言葉を探した。「コンを詰め過ぎていたから。一回冷静になってものを見た方がいいと思う。あんたも休みたいでしょ」
コンスタンスは明らかに嬉しそうな顔になった。主人の前でそんな顔するなと今さらながらに思ったが、今はそんなことを考えたくはなく、十五分ほどで着替えて戻ってきた。
その時にはもう、エリザベートは屋敷かかりつけの医師の了解をとって、こちらも暖かなコートを羽織り、杖をついて自分のメードを待っていた。そして、彼女を従えて街へ繰り出した。
首都には主要な歓楽街のようなものがいくつかあったが、二人が向かった先はその中でも”貴族街”などと揶揄されて言われることもあるエリアになっていた。屋敷からはやや遠いところにあるものの、安全に楽しみたいのであればここが一番だ。
”今”よりも少しオールドな雰囲気のある街で居住者はみんな貴族か、その関係者ばかり。目玉は端にある大きな天文台と行き先でもあるコバルト・サーモン・シアター。天文台は行こうと思えば一般人でも入ることが出来るが、シアターは貴族専用である。歩いているのもみんな貴族と使用人だ。
ところが近くを馬車で通った時、コバルト・サーモン・シアターの入り口前に明らかに景観と似つかわしくない集団がたむろしているのが見え、エリザベートは思わず眉根を顰めた。
彼らは市民団体だ。現在の王――シャルル王子の父上であらせられるフェリックス・フュルクス・マルティシニアン・ロマーニアン――彼は偉大な人物だが、欠点がある――エリザベートは両親の言葉を思い返した。
それは、民衆に多くを与えすぎていること。貴族以外にも教育の機会を与え国民全体の水準をあげるという言い訳に、多様な権利や機会を与えた。例えば公職のほとんどは貴族階級のもの以外はなることができないが、その一部を解放し、少なくとも見かけ上は、どんな要職にも貴族以外がつくことができるようになった。
その最たる例が、数年前からエリザベートの父と同じ”王の指”(指南役、相談役、格大臣の一つ上の権限を与えられている人々のこと。元老院とも)に、平民出身のアドニス・ケインズが抜擢されたことであろう。父を中心に何度も抗議をしたが、聞き入れてはもらえなかったらしい。”王の指”はあくまで助言機関。王が幼いのであればともかく、フェリックス王は成熟した大人である。それも戦争を経験した王だ。父は引くしかなかった。
新たに市民へ”真実”のようなものをもたらしたフェリックス王の政策は、市民たちにこの世の中が思った以上に貴族たちに独占されていることにも気づかせた。その結果が、あれだ。
「あれよ」
エリザベートは話の結びを終えた。コンスタンスを相手に、一つ長い話をうっていたのだ。
「自分たちに権利があると言って、人の家にずかずか入り込んでくるような連中。奇麗なところに入りたいなら、奇麗な恰好をするべきだわ。汚い恰好は、その場を汚くするんだから。品位が落ちるというものでしょ」
エリザベートはそう言って憎々し気に彼らを見た。
アイリーン・ダルタニャン。あの女も平民にやたらめったら優しい女だった。シャルル王子もそれに毒されて……。
「自由。権利。それから侵害という言葉。みんな好きなんだ。結局ね。人が引きずり落ちていく様を見るのが好き。遠くから奇麗な私たちを眺めて憧れていたやつらが、自分たちも同列の存在だと思い込もうとしてる。最悪よ」
「エリザベート様」
御者が馬車の小窓から話しかけた。
「連中のせいで入口に止められません。いかがいたしますか」
エリザベートは少し考えて、こう返答した。
「いいわ。歩くから」
御者は意外そうな顔をした。
貴族の習慣で、ある目的地まで馬車で行くとき、その建物ではなく近くの通りでおろしてもらって途中から歩き出すのは、貧乏な貴族のやることだと決まっているのである。”貴族街”ハルニヤールは入り組んだところで、服飾の店から菓子店、書店などエリアが別れておらず、距離もあることから散策には馬車が必須だ。通りを歩いている者たちもまたどこかの貴族だとしたが、これには小さな注釈が入るのである。
確かに通りを歩いているのはどこかの貴族がほとんどだが、長い距離を歩いているのは、ハルニヤールの居住区から少し離れたところに位置するケンドリック・クラブに住んでいる貴族なのだ。彼らは王都に別宅を持たない貧乏貴族で、こちらに来ているときはケンドリック・クラブという巨大なホテルで暮らしている。住むだけなら無償、ただし期限付き。貴族であればだれでも王都に暮らしている高級貴族気分でいることができる……というわけだ。
さもありなん。ようするに、歩くということはそうした貴族の決まった階級的活動からは外れた行いであり、エリザベートはそれを許容すると言っているので、御者は意外に思ったのである。
完全に表情に出ていたのか、エリザベートは御者を射殺さんばかりに睨みつけ、こう言った。
「あの連中のためにこの馬車で馬鹿みたいに待ち続ける方がよほど屈辱だというだけの話だよ。その眼をひき潰されたくなかったらさっさと小窓を閉めて」
御者が慌てて小窓から顔を離す。再び二人きりとなった空間の中で、エリザベートは腰のあたりに置いていた小さなバッグをコンスタンスに手渡し、顎でドアを開けるよう命じた。
コンスタンスの手をとって馬車を降りると、エリザベートは御者へ二時間後にこの辺りまで来て、まだ市民がたむろしているようなら、もう構わず横付けするようにと言った。
「楽しみですね、エリザベート様」
コンスタンスが能天気にそう言った。入り口前では市民たちが貴族へ食って掛かり、貴族は涼しい顔をするか、あからさまに侮蔑した表情でコバルト・サーモン・シアターへ入っていく。
エリザベートの頭の中にいろいろな汚い言葉が思いついた。それから、苦々しく、腹立たしい思い出も。
その一切を破り捨て、エリザベートは一先ず楽しいことを考えようと思い直した。先ずは、はしゃぐメードに向けて、「そうね」と同意の言葉を吐くところから。
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