第17話 友達の果て〈逢沢莉緒〉
寒いってどんな感覚だったかな。
白い息が出て、素肌がピンと張って、体が小刻みに震えて、とっても辛い。そんな感じだったのは覚えてる。
でも、今の私にはその経験があったとしても、体験ができない。寒いのはすごくしんどくて、嫌で、早く暖まりたいって思うはずなのに、今そんなことは思っていない。
ただただ、寂しい。
寂しくて、助けてほしい。
誰でもいい。誰でもいいから。
「……お姉ちゃん」
1番信頼していて、信頼されていて、信頼し合っている間柄。その関係性が心地好くて、本当に我ながらよく懐いていた。姉妹仲が良すぎて、両親からも友達からも少しおかしいって言われちゃったこともあるけど。でも、仲が良すぎておかしいって、その方がおかしいと思う。
何も悪くない、誰も悪くない、それなのになんでそんな事で指を刺されなければいけないのか。
本当に、間違ってる。
「……りっちん、指大丈夫?」
少し昔を思い出していると、すぐ横合いから声を掛けられた。首を動かす気力も無く、視線だけそちらに向ける。
声の主は、川島
「ん……もう何も感じないよ。あっちんこそ、大丈夫なの?」
「私も感覚ない。いつ、ポロって指先落ちてもおかしくないよ」
視線を落とすと、ブクブクに腫れて真っ黒に変色した肉と化した指が確認できた。これがいわゆる凍傷というやつか。ぐずくずの真っ黒な肉に真っ白な霜が張り付き、もう自分の体の一部とは思えない。
もう少し前は、指先の痛みでどうにかなりそうなくらい辛かったが、今はそれもなりを潜めている。峠を超えたのだろう。最早、元通りに治るなど期待していない。
「私たち、どうなるかな」
あっちんとは逆の方向から、声が上がる。
この子は、長谷川
「「……」」
さっちんの悲哀に満ちた言葉に、私たちは上手く返せない。
だって、私たちの結末は多分。
「……死んじゃう、のかな」
そう、多分、死ぬ。
今、私たちは高校の教室の中で隠れ潜んでいる。教壇の机の下に3人で縮こまっている状態だ。
5日くらい前、突然化け物が学校内に現れた。生徒も先生もパニックになって、何も分からなくなって、その隙にみんな訳も分からず殺された。今、教室内にはその時に生まれたクラスメイト達の死体が何十個と転がっている。私たち3人は、その死体の下に隠れて、何とか最初の襲撃から生き残ることができた。
でも、化け物は学校から居なくなることはなくて、ずっと校内を徘徊している。もしかしたら生き残りを探しているのかもしれない。私たち以外に生き残りがいるかどうかは、分からない。教室から1歩も出ていないから。
教室から出て、廊下で化け物に見つかれば間違いなく殺される。だから、警察が来てくれるまで隠れることにした。
でも一向に助けは来なくて、しかも何故か急に寒くなって、動くに動けず5日間ずっとここにいる。
食料問題とか排泄問題とか色々考えていたんだけど、なぜかどっちも、3人とも必要なかった。死に瀕して、体が生きようと頑張っているのかもしれない。
独りだったら、絶対に早々に心が折れていた。3人いたから、身を寄せ合って、励まし合って、何とか正気を保てていられた。
でも、そろそろ限界だ。
精神的にも、肉体的にも。まともに睡眠も取れていない、今にも眠りそうだ。眠ってしまえば、もう二度と目覚めないかもしれない。それほどの疲労感。
「……死にたく……ないなぁ」
あっちんがそう絞り出した。
私も、同じ気持ちだ。お姉ちゃんと行きたいところはまだたくさんあるし、親孝行もしたい。友達とカラオケとか、ショッピングとか、やり残したことがある。
それに、好きな人。高校生なのに、私はまだ好きな人が出来たことがない。恋愛というものを経験してみたかった。
「こんなところで」
死んでる場合じゃないのに。
私の終わりがこんな感じだなんて、全然想像してなかった。普通に結婚して、子供が出来て、孫が産まれて、家族みんなに囲まれながら老衰で眠るように逝く。そんな未来を思い描いていた。
それって、そんなに高望みだったの?欲張りだったの?
何か悪いことでもした?だから、これは天罰なの?
「……わかんないよ」
言ってくれなきゃわかんない。
いくらでも謝るし、いくらでも罪を償う。だから、何かしたなら誰かそれを言って。そうじゃないと、納得できない。
こんな思いをしてる理由を誰か教えて。丁寧に、細かく教えて。そうして、理解できたなら私はもう―――。
「―――」
「「……ッ!!」」
世界に打ちひしがれていると、現実が冷や水を浴びせるかのように私を襲う。
化け物の唸り声だ。数時間に1回程度、奴らは教室の前を通過する。この時ばかりは大きな緊張感が場を満たす。身じろぎのひとつでも行えば、勘づかれて見つかるかもしれない。
だから、3人とも体を硬直させて、息を殺して懸命に耐え凌ぐ。永遠に感じられる、この死の時間を乗り越えるんだ。
『―――ガラ』
「……ッ!?」
教室の扉が突然開かれた。
喉が開き、ひゅっと空気が漏れる。空気を声に変換しなかった自分を褒め讃えたい。今声を出してしまっていれば、間違いなく見つかっていた。
どうやら、化け物が教室に入ってきたみたいだ。いつもは廊下を通り過ぎるだけなので、こんなことは初めてだ。不測の事態に鼓動が早まる。
「「……」」
両隣に目をやると、あっちんとさっちんは顔を青ざめさせて目を見開いていた。彼女たちは、予期せぬ化け物の行動に怯えて、来るかもしれない未来を想起して震えている。もちろん、私も。
震えが止まらない。息をしていいのだろうか。空気の流れとか、そういうものは感知されないだろうか。何か一つでも取り零せば、次の瞬間人生に終止符を打たれるかもしれない。命懸けの綱渡りをしている気分だ。
「……アー、ウー」
化け物の姿は見られないが、何かつぶやきながらみんなの死体を漁っている。食べるのだろうか。食料にするつもりで、それで回収しに……。
私たちも食べられてしまうのかな。
今まで、魚や鳥、豚、牛など色んな生き物を食べて生きながらえてきたくせに自分がそうなると思った瞬間、忌避感で満たされる。本当に人間って自分勝手なんだな。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある人だけ、なんて有名な言葉があるけど、私は食べてるのに食べられる覚悟なんてコレっぽっちもできていなかった。
「……」
怖い。
怖いよ。
殺されたくない。食べられたくない。化け物に食べられて、消化されて、排泄物として体外に出される。それが私の最期なの?15年間生きてきた、その末路がそれなの?
今まで、なんの為に生きてきたんだろう。
震えが止まらない。
震えて、震えて、小刻みに震えて。
そうして、はたと気づいた。
「……ぇ」
右手の人差し指、その付け根がえぐれ、落ちかけている。凍傷による壊死と震えによる揺さぶりで、指を手のひらに繋ぎ止める肉が限界を迎えていたみたいだ。
痛みなどとうの昔に感じ無くなっていたので気づかなかった。
「―――ぁ」
そして、肉の繊維がついにちぎれ、人差し指が手の支配から離れて、単独で地面に向かって落ちていく。
私の指、こんな呆気なくなくなっちゃうんだ。そんなことを思った時だった。
『―――』
ほんのすこし。
指の爪の部分から地面と接触してしまったため、僅かに音がなった。それは、意識していないと知覚できないほど、か細く弱々しいものだった。日常なら、誰も気付かない、気にも留めない。
日常なら。
「ソコニ、イル」
瞬間、全身が総毛立つほどのおぞましい感情を向けられ、冷や汗が吹き出た。
死が具現化して、背後から抱きすくめられる錯覚を抱き、咄嗟に両脇の2人の頭を抑えつけ、自身も伏せた。
『―――!!』
1秒後、私たちの頭があった位置を何かが凄まじい轟音を立てながら通過して、机を真っ二つに斬り裂いた。頭を伏せていなかったら、今、死んでいた。
「ぁあぁああああ!!!!」
あっちんが突然の衝撃とあまりの恐怖に叫ぶ。対してさっちんは、何が起こったのか理解できていないみたいで、目を白黒させて狼狽えている。
「……さいあく」
心の底から歯噛みする。
私のせいだ。指が落ちた音で、存在に気付かれた。まさかあのタイミングで……。
いや、考えても仕方ない。今は、化け物から逃げなければ。
「2人とも、立って!逃げるよ!」
「いやぁあああ!ぁあああ!」
「う、そ?え?うそうそ、見つかった?え?」
「……ッ!」
ダメだ、あっちんは取り乱していて冷静な判断ができない。さっちんは現実逃避に耽り、ただただ逃げる気もなく判断を遅らせている。
このままじゃ、3人とも殺される。
「イタ、イタ」
化け物……改めて見ると、人型の豚のような様相だ。長いシッポがあり、さっき机を切ったのはあれを振りかざしたのだろう。
「……くっ」
あっちんとさっちんには、もう何かを期待することはできない。私が、今決断しなければいけない。
戦うのは論外、有り得ない。逃げるしかない。ただその場合2人の処遇をどうするか。無理矢理手を引っ張って教室から飛び出せたとして、すぐに追いつかれて1人ずつ殺される。3人で逃げ切るのは不可能。
「……」
錯乱している2人を置いていく……?
この2人に化け物が気を取られてくれれば、私だけは逃げ切れるかもしれない。要するに囮にするということだ。
それが1番最適な案のような気がする。2人はここから動こうとしない。だから、私だけでも逃げられれば、まだ希望は繋がる。どうにかして外部から助けを呼べれば、2人が殺される前に助けられる……かもしれない。運良く学校前とかに人がいてくれれば。
うん、そうだね。そうしよう。
私だけでも助かる。それがいい。それしか、ないんだ。
「2人とも、ごめんね―――」
『りっちん!昨日休んだの風邪だったって?最近寒いから気をつけて!はいこれ、オレンジゼリー!あげる』
『りっちんは本当にお姉ちゃんと仲良しさんだね〜。めちゃくちゃ羨ましい姉妹だよ!今度紹介してね』
「……は」
こんな時に、なんで2人との会話を思い出すんだろう。
あっちんとさっちんとは、いつも一緒にいた。なんでかって、あの子たちは本当に良い子たちだったから。
あっちんは私の体をいつも心配してくれていたし、さっちんは気味悪がられていた私とお姉ちゃんの姉妹仲を絶対に否定しなかった。
一緒に居て、安心できたから。
だから、友達だった。
「友達、なんだよね」
友達ってさ、血の繋がっていない、恋愛感情もない、それなのに一緒にいる他人じゃん。他人だよ、普通の他人なのに。
「なんでこんなに、許せないの」
友達が極寒の中、恐怖に怯えて長い間蹲っていた、許せない。
今から化け物に私の友達が殺されるかもしれない、許せない。
何よりも、友達を捨てて、自分だけ逃げ遂せるなんて一瞬でも考えた自分が、許せない。
「……ふぅ」
頭に思い浮かんだバカバカしい方法。
でも、それを選ばなければいけない。
「私が、時間を稼ぐ」
正気じゃない2人が正気を取り戻すまでの間、私が化け物の気を引く。そうしたら、2人はきちんと逃げ出してくれるはず。
大丈夫、私は小学生の頃空手を習ってたし、この中だと化け物の相手をする適任は私だ。
やるぞ、やるぞ。
友達のために。そして、一度友達を見捨ててしまった私を、私がまた好きになるために。
「あああああぁ!!!!」
魂から絶叫する。声の音圧だけで、世界を壊すくらいの心持ちで。願わくば音でびっくりして、あっちんとさっちんが正常に戻らないかと僅かながらに期待して。
そうして、自分を立たせて、醜い恐怖心とか後悔とか全部紛らわせる。消すことなんてできない。だから、せめて気付かないように有耶無耶にする。
「ウヘヘ」
そんな私の小さな抵抗も、化け物には1ミリも関係がない。口角を上げ切って、ヨダレを垂らして、頬を紅潮させる。
ただの餌として、まな板の上で活きがいい魚を眺めている。活きがよければよいほど、それを食す者は喜ぶ。
「……」
知ってた。私がもう助からないってことくらい。
時間稼ぎなんてできなくて、すぐに殺されて。その後2人も殺されるって、知ってた。
何をどうしても、誰かは死ぬ。そんなこと、全部知ってた。
でも。
「……でも、ごうずるしかないじゃん」
涙が止まらない。弱くて、情けない。
お姉ちゃんなら、こんな時どんな選択をするだろう。気が強いから、私と同じく化け物に立ち向かうかもしれない。それで、なんだかんだで勝っちゃったりして。
「ごめんなざい、おねえぢゃん」
私が死んだら、多分お姉ちゃんはいっぱい泣く。しばらく立ち直れないくらい悲しんでくれて、それで数年くらいしたらまた前を向く。
だから、私の死のせいで、お姉ちゃんの数年を奪ってしまうかもしれないことを申し訳なく思う。
また、来世で逢おうね。その時はお姉ちゃんはおばあちゃんになってると思うけど。
「フヘ」
化け物が腰を屈め、しっぽを丸めた。そっか、さっきはそんな感じでちっちゃくしたしっぽを鞭みたいに使って攻撃してきたんだね。
今度は机じゃなくて、私が真っ二つになる番。
あっちんとさっちんの前に出る。
せめて、痛くないのがいいな。
化け物がさらに腰を斜めに屈め、次の瞬間、しっぽを解放した。あとコンマ数秒で、それは到達して私を絶命させる。
はは、私かっこわる。
本当に、最期まで。
……。
…………。
本当に。
―――本当は。
「―――じにだく、ないよ
「ああ、助けに来た」
ぇ?」
黒い流星。
窓をぶち破る轟音と共に現れたのは、世界に存在を刻む黒い軌跡だった。
滑らかに流れ、緩やかに
それが、流麗に空を漂う長く美しい黒髪だと気づいたのは数秒たった後だった。
黒色を美しいと感じたのは、後にも先にもこの時だけだ。黒は黒で、他の黒と違いなんてあるはずもないのに、なんでこの黒はこんなに心を打つんだろう。
教室内は土埃が舞い、窓の破片が飛び散る。耳鳴りがして、音が聞こえづらくなる。そんな中、私の目は突然現れた人物に奪われていた。
私よりも少し高い身長。絹のように綺麗な長い黒髪。以上に整っている容姿。絵画の一幕を閉じ込めたような風景だった。
「私は、キラ・フォートレス。【正義】の味方だ」
いつの間にか止まった涙。
絶大な安心感をもたらす、声色。
私は、安堵と好奇に身を委ね、意識を手放した。
俺はTS美少女になって全ての悪を虐殺します めめ @watashimentama
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