第16話 遠征



「柊くん、話があるんだけど」


 遠征に出立するちょうど1時間前、俺は英雄のもとへ足を運んでいた。事前準備で慌ただしいこの時間帯にわざわざ訪れたのは、正に遠征に関して話をしたかったからだ。


「もう5分だけ待ってくれるか?」


「うん」


 柊くんは紙に何かを書き続けながら、俺へと目線を寄越すことなく返事をする。手持ち無沙汰なので、それとなく紙を見てみると大学近辺の地図に何やら書き込みを入れているようだ。角度の問題でその内容までも確認することはできない。


 今日の遠征への俺の参加が正式決定したのはついさっきの出来事だ。それにあたっての連携やフォーメーション、役割など変更点は多岐に渡るだろう。なんだか申し訳ないような気持ちになるが、俺の参加を強く推したのは他でもない柊くんだ。気にするべきではないだろう。



* * *



「ん、待たせたな。それで、どうしたんだ?」


 きっちり5分後、本題が始まった。勿体ぶるのも時間の浪費なので早速話を始めたいところだけど、その前に確かめなければいけない。


「今日の遠征は、どの方面に行くの?」


「あー……正直決めかねてる。南か、東かだ」


「東にしてほしい」


 ここで間髪入れずにお願いをした。俺の毅然とした物言いに然しもの英雄も一瞬呆気に取られた顔をする。俺が自己主張するなんてあまりないことかもしれないからな。しかし彼はすぐに平静に戻ると、口を開いた。


「その心は?」


「15歳から19歳っていうこの世界の人間の年齢範囲から考えると、学校、それも高校の捜索が1番効率的だから。南側には中学校がいくつかあるけど、年齢的に適さない。その点東側には東白義高校がある」


「……まあ道理だ。ただあの辺りはモンスターの質と量が他地域とは一線を画してる。以前は、泣く泣く敗走っていう形になったよ」


「大丈夫、俺がいる。誰一人死なせない。それに、モンスターが多いというのは、若しかしたら校内に篭城する多数の生存者に引き寄せられているからかもしれない」


「そうだな。それで、本音は?」


「澪の妹を助けたい」


「……ぷはっ。その建前を捲し立てた後に、本音を簡潔に言うの、そのまんまキラさんだな」


 そう言えば、オグル・リザードと戦う前に似たような一悶着があった気がする。キラは俺の憧れの女性だから、似ていると言われれば素直に嬉しいと感じる。

 でもまあ俺が口にした建前は、確かに建前ではあるものの、そうバカにしたものでもないと思う。個人的には理にかなっているし。


「うん、わかった。じゃあ遠征は東にしようか」


「ありがとう」


「礼なんていらない。頼りにしてるよ湊くん。じゃあ1時間後に体育館前で」


 柊くんはそう残して、俺より一足先に武道館を後にした。その妙にご機嫌そうな態度を不思議に思って、何となしに柊くんが今まで書き込んでいた近辺の地図を覗いてみる。


「……!」


 すると、この白義大学から東白義高校までのルートが赤く塗られ、その道中の休憩ポイントまでもが記載されていた。遠征の時間配分、モンスターの頻出地点、人員の配置などなど。この地図への書き込み作業をしていたのは、俺が遠征を東側にして欲しいと嘆願する前でのことだ。その後は全く手をつけていなかったはず。


「……」


 なんてことはない。柊くんは、最初から東側へ遠征に行くつもりだったのだ。よく考えてみれば、周到な準備が必要な遠征で、出立1時間前になっても目的方向が定まっていないなどあるわけがない。方向によって対策すべき内容も変わってくるのだから。

 悪ふざけに付き合わされた……のか?いや彼に限ってそんな真似はしないだろう。俺の覚悟を見たかった?それか、俺からの意見も一応聞いておきたかった?


 彼の真意は分かり兼ねるが、最後の上機嫌な姿を見るに何かしらの目的は達したのだろう。

 清廉潔白、熱血漢な英雄だと思っていた男は、思わぬタイミングで食えない・・・・性格を発揮してきた。


 まあリーダーを務めるならば、その資質も必要なのかもしれない。とにかく、俺の願い通りに事は進んでいるのだ。今回はそれで良しとしよう。


 してやられたという敗北感と、それと僅かながらの胸のすく思いを抱きつつ、俺も武道館の敷居を跨ぎ外に出る。

 ツンとする冷気を鼻奥に感じながら雪を踏み締めて体育館へと向かった。



* * *



「と、いうことで、各自くれぐれも自分の安全最優先で!それでは出発!」


 時計がないため正確な時間は分からないが、今は体感的に恐らく正午丁度。体育館前に集められた遠征メンバー総勢8名は、出発直前の注意事項を我らがリーダー柊くんに聞かされて本拠地を後にする。

 遠征は本来ならば10人編成で行っていたが、澪の分身の死体が構内で発見されたことを鑑み、そのうちの3人は本拠地の警戒にあてられた。そしての残りの7人に俺が加えられ、8人というわけだ。


「がんばろうね、湊くん」


 引き締めた表情で俺に声を掛けるのは、女神のような可愛さを持つ美少女、七瀬小和である。彼女は『熾天使・癒』という回復に特化した非常に強力なスキルを所持しているため、危険が伴う遠征には必要不可欠なメンバーだ。


「……うん、そうだね」


 彼女の右頬を伝う汗を見るに、緊張しているようだ。または恐怖か。その膝の震えもこの寒さのせいだけではないだろう。まあこの先に待っているのは命のやり取り。緊張や恐怖は、思考に慎重さを生むし必要な感情だろう。


 寧ろ、初遠征にも関わらず異常に落ち着き払っている俺が異端だ。そりゃ勿論俺にも恐怖や不安、緊張はある。ただ、これは向き合わなければいけない現実なのだと、逃げられない事象なのだと強く認識している。

 これも異世界に転移した影響か、はたまたキラの影響か。以前の俺ならばどこかに隠れてやり過ごすことだけしか考えなかっただろうな。


「……ん、郷。盾は任せた」


「任されたぜおい」


 深冬と郷はコンビなのだろうか。昨日も揃って任務についていた。まあ深冬は一撃必殺の槌使い、郷は防御力にものを言わせた盾役。戦術的な相性が良いのだろう。


「東雲リーダーぁ、今日行く高校なんですけど。苺の友達もいるかもしれなくて、だから……」


「あぁ分かってる。全員助ける」


「ありがとうございます。頼りにしてます」


「リーダー!お手伝いします!」


「うん、頼むよ健くん」


 木崎苺さんは相変わらず柊くんについてまわっている。彼女のスキル『温熱操作』もまた遠征には欠かせない能力だ。この極寒の中何時間も野外で活動するとなると、凍傷の可能性がある。しかし『温熱操作』で彼女を中心に暖かい空間を作り出し、俺たちの移動に応じてその暖空間も移動させることによって常に適温を維持できるというわけだ。

 この街全体を暖かく……というのは流石に不可能らしい。そりゃそうだ。


 キラの『白炎』で似たような効果を模倣できなくもないが、温度調節が難しいし、何よりあの能力は時間制限付きだ。道中で能力を使ったがために、肝心な戦闘で変身できないといった事態になっては目も当てられない。         では、キラではなくが『白炎』を使えないのかと考えたのだが、それはできなかった。構築理論は理解しているはずなんだけど。まあ『白炎』を代表する『白魔』という力はキラに付随しているものなのだろう。そう結論づけておく。


 柊くんに金魚のフン……じゃなくて小判鮫のように付いているのは木崎さんだけではない。大垣健くんも同じような立ち位置にいる。彼とはそれほど言葉を交わしてはないが、確か俺が体育館に初めて足を運んだ時に光くんと共に門番をしていた人物だ。180センチに届く身長に加えて、隆々な肉体、丸坊主。頼りになりそうだ。


「待ってろ莉緒」


 そして誰とも会話をすることなく、一行の中盤に位置しているのは逢沢澪である。プリン頭と猫目が印象的な彼女だが、今はその猫目を獰猛とも取れる勢いで吊り上げて顔を強ばらせている。

 待ちに待った妹の救出再挑戦の時だ。気負いもするだろう。


「……」


 少しフォローをいれておくか。


「澪」


「……湊か。遠征が成功するかどうかは湊にかかってる。頼むぞ」


「うん、頑張るよ。だから」


「だから?」


 『だから、あまり思い詰めずに行こう』と言葉を続けるつもりだった。しかし彼女の心中を推し量ると、そんな軽い言動は慎んだ方が良いのではないかと、そう思ってしまった。だから、結局続けた二の句は。


「……だから、一緒に頑張ろうね」


「ああそうだな」


 結局会話はそれっきりになった。こんな時、もっとコミュニケーションの経験を積んでおけばよかったと心底思う。異世界に来て、性格は変わり、人と会話をする事が苦ではなくなった。それでも、突然会話術が身に付いたわけではない。

 今まではただ逃げてただけだ。だから、悩むこともなかった。逆に今は逃げていない。だから、悩むことが増えた。どちらが健全なのかは一目瞭然ではあるが、分かっていても辛いものだ。


 体育館からキャンパス内を横断、道中に昨日のオグル・リザードとの激戦跡を経由して正門に差し掛かった頃、柊くんが腕を伸ばして行進を静止させる。


「大学正門だ。ここから商店街を右に進み、東区の東白義高校を目指す。もちろん道中も周囲を探索しながら、できるだけ生存者を保護する。さっきも言ったが、前衛は俺と郷。中衛に深冬、健くん。後衛には小和、苺。遊撃として湊くん、澪を配置する。いくぞ」


 フォーメーションは今彼が言った通りである。俺としては最前線で戦いところなのだが、キラに変身しないと大きな戦力にはなれないのだ。もちろん通常の『高杉湊』であっても魔魂量……レベルは変わらないためそこそこ動けるはずだけど、どうにも信用はされていないらしい。まあキラと比べれば戦闘力は雲泥の差だし仕方ない。


 ちなみに今の俺はこんな感じ。



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高杉湊たかすぎみなと』(状態:魔力変質)


・魔魂量「19」

・技能「キャラクターメイキング」


『キラ・フォートレス』


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 レベルは19である。なんだか弱そうだけど仲間たちの間ではかなり強い。

 無闇矢鱈に鑑定もどきを使用するのはマナー違反であるらしいため、過度な使用は控えるが、試しに柊くんを見させてもらう。ごめんね。



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東雲柊しののめしゅう』(状態:魔力変質)


・魔魂量「22」

・技能「真の英雄」


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 なんと、仲間内トップともくされているリーダーの柊くんとのレベル差は3だ。これはかなり僅差と言っていいのではないだろうか。いずれは彼のレベルを超え、俺がエース的ポジションにつく日も遠くない、かもしれない。


「湊くん?聞いてるか?」


「あ、ごめん。聞いてるよ」


「よし。では出発!」


 いけない、遠征だというのにまた集中しきれていなかった。他のことに気を取られ、ホブ・ゴブリンやオグル・リザードに足元をすくわれそうになったのをもう忘れたのか。このバカが。ましてやこの遠征には俺の命だけではなく、人の命がかかっている。


「……ふー」


 気持ちを整えるように1度息を吐いておこう。リセットだ。

 考えてみれば異世界に来てから俺は大学から出たことがない。どんな世界が広がっているのか、知らないのだ。腑抜ける暇など1寸たりともないのと、そう考えておくべきだろう。


 こうして俺たち一行は正門に配置された仲間の門番の間を抜け、縄張りである大学を出て、自然によって雪細工が施された外界へと繰り出した。迎えたるは、街を闊歩する悪逆無道のモンスター数多。

 滅ぼすか、滅ぼされるか。未来へ続く道は二つに一つ。


 いざ、東白義高校へ。



* * *



「……」


 会話はない。


 首を忙しなく回し、眼球を巡らせ、息を殺す。全員が全員、そうしている。いつ、どこから、なにが脅威として現れるのか分からないのだ。


 耳が拾うのは、俺達が積雪を踏み潰すギュムギュムという音のみ。時々誰かが息を細く長く吐く音も聞こえるか。


「……」


 それにしても、白い。

 空が白い。道が白い。家屋が白い。空気が白い。色が白い。

 行ったことはないが、北海道くらいの緯度になればこれくらいの景色は日常茶飯事なのだろうか。見慣れた街がどこか遠くの異国のように感じる。


 今、雪は降っていない。なりを潜めているとでも言えばいいか。

 だからなのか、空気が白く濁ることがなく、白が白として素直に色覚に訴えてくる。


 寒空に見下げられ、冷気に見守られ、積雪に見上げられている。それでも、木崎さんのスキル効果によって寒くはない。視覚と触覚は決して噛み合わず、何処かちぐはぐな居心地が拭えないまま目的地を目指す。


 白の間を縫って。


 ただ、今ふと思ったのだが色が白ばかりというのは索敵という意味で好都合なのではないだろうか。なにせ、目立つのだ。白以外の色が。敵が意識下に現れた時、素早く反応できる気がする。……頼むから背景の白に擬態してる奴とかは勘弁してくれよ。


 その危険性に思い至り身震いしていると、少し先の電柱の根元に黒い塊が見えた。ベタっと地面に張り付いたような形で、周囲の雪を赤く湿らせたそれは、明らかに異質だ。


 敵か?



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『ゴブリン』(状態:死体)


魔魂まこん量 「3」

・階位 「下級 下位」


 妖精に分類される。生物の根底に他種族への悪意が介在する。最下級種族の一種である。


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 警戒を顕に注視してみると、鑑定もどきが発動した。それは確かにモンスターだった。


 ……モンスターだったが。


「死体、か」


 鑑定もどきによって脳内に浮かび上がった『死体』という知識。それと、自らが視界に収めている実際の認識。それらを照らし合わせた結果、あれは間違いなく死体だと結論づけた。


 ゴブリン、ゴブリンか。

 冠に『ホブ』や『マジック』がついているわけでもない、無印のゴブリン。そのレベルは3。知識通り、雑魚中の雑魚ってことか。


 こいつが生きていたところで大した脅威にはなり得ないが、問題はなぜ死体が路上に横たわっているかという点にある。


「……」


 しかしそれは、死体を気にも留めずただ淡々と横を通過していく一行の姿を確認した今、氷解したものと考えていいだろう。まさか足元の死体の存在を見過ごしているとは考えづらい。


 ゴブリンの死体に視線を貼り付けたまま通り過ぎ、ある程度進んだ先で視線を前方に戻すと、やはりというか、道行く先にいくつもの死体があちらこちらに散見された。


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『ホブ・ゴブリン』(状態:死体)


魔魂まこん量 「5」

・階位 「下級 中位」


 ゴブリンの上位種族。ゴブリンが魔力を一定量吸収すると進化する。妖精に分類されるが、生物の根底に他種族への悪意が介在する。


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『スノーコボルト』(状態:死体)


魔魂まこん量 「6」

・階位 「下級 中位」


 コボルトの変異種。コボルトが雪地にて魔力を一定量吸収すると進化する。


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『マジック・ゴブリン』(状態:死体)


魔魂まこん量 「6」

・階位 「下級 中位」


 ゴブリンの上位種族。ゴブリンが魔力を一定量吸収すると進化する。妖精に分類されるが、生物の根底に他種族への悪意が介在する。また、魔法を行使する。


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『ゴブリン』(状態:死体)


魔魂まこん量 「3」

・階位 「下級 下位」


 妖精に分類される。生物の根底に他種族への悪意が介在する。最下級種族の一種である。


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 民家の屋根の上に、こじんまりとしたスーパーの駐車場に、飲食店の看板の下に、道の真ん中に、また民家の塀に寄りかかるように、様々な種類のモンスターが死体と成り果てて放置されていた。

 また、そこら中に刻まれた破壊跡から、激しい戦闘が繰り広げられた過去の光景が如実に思い起こせるようだ。


「……」


 そして、そんな死体で形成された花道をこれといったアクションを起こさずに平然と進み行く一行。


 そうつまりこの多くの死体を作り上げたのは、他でもない俺たちだということ。柊くんは街に取り残された人々の救助と並行して、徘徊するモンスターの間引きも行っていると言っていた。モンスターが減れば、生存者が生き延びる確率も自然と上昇する。

 このモンスターの死体たちは、正に間引いた証だ。


 こうして目の当たりにすれば、実感が湧いてくるというもの。

 俺が気を失っていた5日間、彼らは右も左も分からない中懸命に遠征を行っていた。その命懸けの足跡を、開拓された道を、後から参戦した俺が無遠慮に踏み荒らしている

 0を1にするのは、相当な苦行だっただろう。これは1を2にするのとは訳が違う。俺は、彼らが経験した0の景色を見ることなく、1あるいは2の世界を闊歩している。


 どうにも、気の持ちようが悪い、と思ってしまう。


 俺が彼らにすべき恩返しは、一桁の世界を二桁にも、三桁にも押し広げていくことだろう。ぬくぬくとベッドで浪費した時間の代償は、これからの俺の奮闘によって返済される。願わくば、利子を大きくつけてあげたいところだ。


 そんな決意を新たに、敵の出現を警戒しながら雪景色に散りばめられた死体のオブジェを確認する。


「……?」


 ふと、僅かな違和感を抱いた。


 何が、俺に違和をもたらしたのか。


 確かに、モンスターの死体は数多く点在している。まるで日常に溶け込んでいるかのような物量だ。

 ただ、そこではなく。俺が不自然に思ったのは、そんなところではない。モンスターは、関係ない、気がする。


 んー。


 もうひと押しで捻り出せそうだ。変わらず周囲の警戒に意識を多分に割きつつ、ほんの1割ほどの意識配分で思案する。脳の裏にこびり付いたように、引っかかりがとれてくれない。


 死体、死体。町に散りばめられた死体。モンスターの死体ばかりがまばらに存在している。モンスターの死体。


 モンスターの死体……。


「モンスターの死体、だけ」



 あ。

 わかった。


 違和感の正体は、それだった。町中にモンスターの死体が至る所に確認できる。だが、人間の死体がひとつも見当たらない。これだけのモンスターの数だ、人間の死者がゼロなんておかしい。ならば、死体は処理されているという結論になるが……。


「柊くん、死体はどうやって片付けてるの?」


「……死体?なんのだ?」


「いや、人間の」


「……ああ、湊くんにはまだ説明してなかったね」


 柊くんは、怪訝な顔付きの後、合点がいったというふうに口を開いた。


「話せば長くなる。遠征中で気は抜けないから説明は省かせてもらうけど、人間の死体は、消えるんだ。塵みたいにね。対して、モンスターの死体は残り続ける」


「……え?どういう―――」


「説明はあとで。兎に角、人間の死体は残らないってことだけ覚えておいて」


 それだけやや早口に言い残すと、柊くんは前を向いて辺りの警戒に戻った。


「……」


 確かに常に命を危険に晒しているような現状、無駄話とも言える会話は慎むべきだろう。やや邪険に扱われたような気もしないことが少し不満だけども。まあ彼も遠征中でピリピリしているんだろうな。


 それっきり会話はなく、一行はただ黙々と進み続けた。




* * *




 積雪が怒涛の如く舞う。


 雪煙が一帯を支配し、視界が不明瞭になる。


 そんな中、怒号にも受け取れるような声量でやり取りは行われる。


「深冬! そっち行ったぞ!」


「ん!」


「大きな音を立てすぎて敵を呼び寄せたくない! 槌は地面に叩きつけるんじゃなくて、横、若しくは上に振るえ!」


「……ん!」


 柊くん、郷、深冬のトリオは、暴れるスノーコボルトを巧みな連携で囲い、追い詰めている。レベル的にもこの戦闘には余裕があるため、他のメンバーは辺りを警戒しながら待機だ。


「ふっ!」


「ギョブォッ!」


 柊くんの正拳突きでスノーコボルトが深冬の方へ吹き飛んでいく。

 このモンスターは、ゴブリンを白くしたような外見をしている。スノーと名が付いていることから寒さに適応した生態をしているのか、やや毛深い気もするが。


「……んっ!」


「ボ―――」


 そして、次の瞬間には深冬の振るわれる大槌の一閃によりスノーコボルトの首から上は消失し、意志の消えた胴から下は力無く雪に沈んだ。それっきりその肉塊が動くことは無かった。


 俺たちの勝利である。


 先程から、不定期的にモンスターに出くわしている。幸い強力な個体ではなく、柊くん、深冬、郷の3人を中心として排除しながら進んでいる。その度に俺の体が芯から疼いて仕方がないが、よもやここで仲間の静止を振り切ってまでキラになって戦おうとは思わない。この力は、温存しておくべきなのだ。


「ふう、周囲にモンスターは?」


「見受けられません」


「よし、では遠征を再開する」


 我らがリーダーの号令で、俺たちは歩みを開始する。遠征を開始してから、30分が経っていた。道中でモンスターとの戦闘を挟んでいるため時間はかかってしまっているものの、そろそろ目的地である東白義高校の姿が見えてきてもおかしくない頃合いである。

 もっとも、目的地に近付いているということは、その分強力なモンスターに遭遇する確率が高まっているということ。柊くんが言っていたのだ。東白義高校の近辺は、モンスターの質も量も他の地域を圧倒すると。


 ただし、その理由は分からない。俺としては、高校に生き残りの人間が多くいて、そのいわゆる餌にモンスターたちが引き寄せられているのではないかと考えているのだが。


「湊くん」


 持論を展開していると、前を歩く柊くんが僅かにその端正な顔を後ろに向けて話しかけてきた。


「どうしたの?」


「……そろそろ、以前強力な個体と接触したエリアに入る。レベル26のオークだ」


 話に聞いていた件か。俺が……キラが倒したオグル・リザードを除けば、過去最高レベルのモンスターだ。さしもの柊くんといえど、簡単な戦いではなかっただろう。


「もしモンスターが現れたら、できるだけ俺たちで対応するようにする。ただ、手に負えないレベルや数だった場合、湊くんに助力をお願いするかもしれない。それだけ、気に留め置いてくれ」


 俺に助力を、ね。

 これは、その言葉ヅラ通りに俺、高杉湊の戦闘力をあてにしている……わけではないだろう。彼は、言外に俺の内にいるキラ・フォートレスに話しかけているのだ。


「わかった。いつでも変身の準備をしておく」


「……ありがとう」


 そのことに、少しも思うところがない、とは言わない。俺だって、キラではなく俺自身を求められたい。期待されたい。

 仲間のみんなが俺に持っている希望は、いつだってキラ・フォートレスなのだ。柊くんも、その点に関しては後ろめたく感じているのだろう。

 ただ、それは仕方ない。俺はまだ弱い。対して、キラは強すぎるくらいに強い。仲間たちの姿勢には何一つおかしい点などないのだ。


「……」


 だから、変わるべきは俺。

 モンスターに勝って、勝ち続けて、勝ち尽くさなければならない。それが自己の成長に繋がり、転じて仲間からの信頼を得られるというのは、レベルが存在するこの世界において自明である。

 キラが評価される、それ自体は大変喜ばしい。でもそれは、俺が俺を諦める理由にはならない。だから、頑張るんだ。


 ちらりと、同行するメンバーたちを確認する。


 額に汗を垂らす者、膝を震わす者、真剣な顔付きの者、怖いくらいに顔を強ばらせている者。

 各々が違った思惑で動いているのだろう。若しくは、高校が近づいているため恐怖感が増しているのか。どちらにせよ、今この場を満たす緊張感は本物だ。


 いつ、どこから、どうやって。

 モンスターの出現可能性は常に考慮されるべきであるが、それがどれほどの効果をもたらすのかは定かではない。しかし、それでも思考は止めない、止められない。


 疲れて、めんどくさくなって、不意に警戒を怠った1秒に現れて、次の瞬間自分の首が掻っ切られて意識は暗転するかもしれない。命がかかっているとはそういうことなのだ。それなのにどうして、警戒を怠れようか。


 現に、俺だって常時気を張っている。注意を張り巡らせて、意識を廻らせて、世界から得られる情報を少しも取りこぼさぬように。

 いつでも変身できるように、今にも身から溢れ出そうな激情を必死に飼い慣らして。キラの索敵能力も少しだけ借りて。


 だから。


 だから、



 今から襲来する敵もいち早く予見できた。



「敵襲!2時の方向、上空!」


 

 敵の出現を察知した俺は、仲間に警戒を促すため、寸分の迷いなく叫んだ。端的に、分かりやすく、状況が伝わるように。


 俺の叫びに呼応して、仲間たちが一斉に敵の方角へ顔を向ける。

 しかし、僅かに遅かったようだ。


「ぐっ……」


 相手は、俺たちが隊を成している最前にいる柊くん目掛けて強襲をかける。

 見たところ、柊くんは臨戦態勢に入りきれておらず万全の状態で迎え打てるわけではない。そのため、今すぐフォローに入りたいところだが、今からキラに変身していては到底間に合わない。ならば、素の俺のまま参戦するべきか。しかし、高杉湊に何が出来る。


「……くそ」


 判断は一瞬なのに、それを完結できなかった。その代償は、柊くんが大きな敵の影に呑まれ、凄まじい雪煙が舞い上がったことで払われた。視界が白く濁り、辺り一面の見通しが悪くなる。


「何やってんだ俺は!」


 キラに変身する暇はないと断じた時点で、俺のまま特攻をかけるしか選択肢はなかった。それなのに、1秒逡巡したせいで英雄を危険に晒した。この地獄のような世界で、危機的状況の1秒がどれほど重いか、理解していたつもりなのに。

 本当に、嫌になる。


「柊!」


「リーダー!」


 小和ちゃんと木崎さんの悲痛な声が耳を打つ。その切羽詰まった声質は、致命的なミスを犯した俺を叱咤するものだった。


「キラに変身する!3秒くれ!その間全員周囲を警戒!」


 もう迷う必要はない。ここは手札を切る場面だ。雪煙のせいで柊くんの安否が分からない。今躊躇えば、本当に死人が出る。

 それは、看過できない。


「う、うん!」


「わかった!」


 小和ちゃんと澪が頼もしい返事を口にしたと同時に、俺は心を燃やした。キラへの変身はすでにお手の物だ。

 

 憎悪や憤怒など、鋭利な激情が身の内を焦がす。

 悲哀や憂愁など、鈍重な情動が身体を奮い立たせる。

 【正義】の使命感が、手足を突き動かす原動力になる。

 種々の交錯した呪いとも呼ぶべき要因が混ざって、心の臓を形成し、肉を生やし、人の形に変化する。体が壊れて、生まれ変わる。

 そうしたら。


「そうしたら」


 私が世界に顕現する。

 ぴったり3秒で高杉湊がキラ・フォートレスになった。

 

「よーし、今日も頑張っちゃいますよー、です!」


 なんて高揚感。この世界の地に立つのはもう何度目か。しかし、その度に味わう新鮮味は全く陰ることがない。寧ろ磨きがかかり、変身するたびに心に帯びる熱が高まっているような気もする。


「さて、『白炎』額空木がくうつぎです」


 感傷に浸っている暇はない。早速「白炎」を用いて、四方八方に白い花弁を炸裂させた。もちろん、仲間たちには決して当たらぬように。

 その結果、風圧によって宙を舞っていた細かい雪が吹き飛ばされ、雪煙が晴れる。まずは視界の確保、そして柊くんの現状確認からだ。



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『ミノタウロス』


魔魂まこん量 「34」

・階位 「中級 中位」


 牛頭人身の怪物。人肉を好み、人間に過度に執着する。巨人に分類される。


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「……う、ぐ!」


 巨大な体躯のモンスターが、英雄に伸し掛っている。その手に持つ巨大な斧で獲物を仕留めようとしているらしく、柄の部分を握り締め押し返さんとしている東雲くんとは膠着状態に陥っているようだ。

 よかった、取り返しのつかない状況ではなさそうだ。


「『白炎』金盞花です」


 身体能力を向上させる金盞花を発動する。左手に八重咲きの花が白く刻まれ、絶大な活力が湧き出てきた。


「英雄からどいて下さい、です。牛肉」


「ブモッ……」

 

 素早く距離を詰め、牛頭の側頭部を蹴りつけた。そのまま無様に吹っ飛んでいく……わけではなく、少しよろけた程度で体勢を崩した。その隙を縫って、東雲くんを脇に抱えて離脱する。

 とりあえず今は距離をとることが先決。


「……」


 こいつ、強いな。

 オグル・リザードよりも、余程。


 蹴りを入れた右足が痺れている。まるで鉄の塊を相手にしているような抵抗感。私は地の彼方まで飛ばすつもりで力を込めた。それなのに、あいつはその場に留まった。


「キラさん!?ありがとう、助かった!」


「……いえ、当然のことです」


「湊くんに変身を使わせちゃったね。本当はもっと温存しておきたかったんだけど。俺が不甲斐ないばかりに申し訳ない」


「不意打ち気味の襲撃です。仕方ないですよ」


 東雲くんは私の隣に並び立ち、自らの非を詫びるように目を伏せる。彼は自分のせいで計画を狂わせてしまったと謝罪するが、こればかりは不可抗力だと言えるだろう。それに、『俺』があの時迷わなければ、私に変身する必要もなかったかもしれない。そう考えると、東雲くんを責める気になどとてもでは無いがなれない。


「はは、気遣い痛み入るよ。……さて、キラさん。あいつをどう思う?」


「強い、です。見たところ、レベルも高いです」


「そうだよな。あいつと力比べして俺も肌で感じたよ」


 もう一度、改めてミノタウロスを観察してみる。

 奴は、私に蹴られた頭を振るい、調子を確かめているようだ。

 牛の頭に人の体。単純に言い表せば、そうなる。ただ、頭部に生えている巨大な2本の角はネジ曲がり禍々しい。異様に発達した筋肉の鎧を身にまとい、その手には片刃の斧。刃はガタガタで斬れ味が良さそうとは思えない。恐らく斬るよりかは叩き潰す目的で使うのだろう。

 ミノタウロスとは、ギリシャ神話に出てくる怪物の名前で、最後は……名前は忘れてしまったが何とかっていう英雄に討伐されたという。これは『俺』のうろ覚えの知識だから、あまりあてにはできないけど。

 そのミノタウロスということでいいのだろうか。見た目は本当に想像した通りといった風貌だが。


「柊!」


「「リーダー!」」


 すると、我らがリーダーの無事に安堵したのか仲間たちが駆け寄ってきた。本当に東雲くんを救い出せてよかった。もし万が一のことがあれば、仲間たちに顔向けができなかった。


「みんな、心配かけたね」


「冷や汗やばかったよ〜この雪の中なのに」


「うわぁ!なんですかぁあの牛人間……ってレベル高!?」


「ちょいちょいちょい、流石にあいつはやばすぎないか?」


「おい!なんだあの牛!?おい!」


「ん、郷だまれ」


 徐々にミノタウロスの脅威に気付いていくみんな。雑魚ならともかく、あれだけの格のモンスターを無視はできないだろう。

 高校に近づくほど敵が強くなるという伝聞は間違っていなかった。なるほど、確かにこんな化け物が彷徨いているのであれば、卯月楓さんがあれだけ頑なに高校への遠征を拒んでいたのも納得できるというもの。


「キラさん」


「どうしました?です」


「一緒に戦おう」


「!」


 真剣な顔付きで、東雲くんが提案する。言外に断ることは許さないと、オグル・リザード戦のようなわがままは通さないと、私に伝えている。


「キラさんが1人で戦いたがっているのは知ってるよ。でも、ミノタウロスは強い。いくら何でも単独じゃ苦戦は免れない。それに、例え勝てるとしても時間は相応にかかってしまうはずだ。ミノタウロス戦に足を取られすぎれば、キラさんの変身は時間制限が来て解かれる。そうなれば、ここから学校への道中、強いモンスターと出くわせば俺たちは詰む。だから、最適解は協力して、最速でミノタウロスを倒す。違うかな?」


「…………」


「そんな渋い顔しなくても」


 正論も正論。理詰めでまくし立てられ、返す言葉もない。東雲くんはこういう時は強情だから、困ってしまう。

 私も勿論理解している。【悪】をこの手でグチャグチャの肉片にする。その快感を独り占めで享受するためのワガママと、仲間の命を天秤にかけた時、満場一致で仲間に傾く。


 東雲くんの提案は、僅かな傷もない完璧な論理。

 私のワガママなエゴは、自分本位の穴だらけ。


「……はあ、仕方ないです」


「はは、ありがとう。初めての共闘だ、よろしく」


「よろしくです」


 ミノタウロスがこちらを警戒するように睥睨する。斧を持ち直して、その濁った殺意を剥き出しにしている。


 英雄と共にならば、あの【悪】は問題なく滅せるだろう。だからせめて、苦しんで、泣き叫んで、生を後悔しながら、逝かせる。


 決意を固め直して、彼我はお互いに踊りかかった。

 



 

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