第13話 痛



 金盞花は、原産地を地中海沿岸に持つキク科の植物だ。その花は赤みがかった黄色や淡黄色など、主に黄を基調としたものが多い。ただ、キク科キンセンカ連に属するオステオスペルマルという花は決まった色を持たず、紫やピンク、オレンジ、それに白色の種類まで存在する。そんなオステオスペルマルの花言葉には、「元気」「健康」といったものがある。


 話は変わるが、私が扱う『白魔』、その権能はあまりの汎用性の高さに、無限とも思える可能性を秘めている。ただ当然発動が自動化されているわけではないので、全て手動で「仮想」「構築」「発射」の創造プロセスを踏んでいるわけだけど、この中で1番手こずるのは「仮想」の段階だ。構築は仮想という骨組みに沿って魔力を肉付けしていくだけだし、発射なんて速度に応じた魔力を噴出すればいいだけ。土台となる仮想が最重要科目だ。その仮想に必要なのはずばり想像力。これがないとイメージが形になる事すらない。だからこそ私は、自分が好きで想像しやすい「白色の花」を主軸に、魔力に炎の属性を持たせて『白炎』を使っている。


 ここで頭を悩ませたのが、身体強化や自己治癒など想像力だけではどう考えても発動しない能力の存在だ。だがこの辺りを使えないと【悪】が強大になれば、いずれ頭打ちになってしまう。そんな時に着目したのが「花言葉」である。花言葉を想起するだけで、想像から仮想へ至る変換効率が劇的に改善した。実際にある言葉としてイメージを補完してくれるのだろう。この発見によって、戦闘の幅は何倍にも膨れ上がった。例えば自己治癒ならカモミールという名で知られる加密列かみつれの「あなたを癒す」という花言葉が応用できる。


 そして前述したように金盞花きんせんかなら「元気」だ。これは身体強化に上手く適合してくれた。私のパワー、スピードのみならず視力や聴力などの五感に至るまで全パラメーターの強化が実現された。もっとも伸び幅は身体強化能力者には到底及ばないが、それでも金盞花の発明はその後の戦闘に大いに貢献してくれた転換点だったのだ。




* * *

 



「『白炎』金盞花」


 その言葉と共に、私の左手の甲に八重咲やえざきの金盞花、その紋章が浮かび上がる。白色に淡く発行した美しい焼印のようだ。同時に爆発的な全能感が溢れ出る。


「調子二乗リヤガッテ女ァ」


 オグル・リザード……【悪】はそう吐き捨てると、傍らに横たわっていた木の幹を大袈裟に踏み付け破壊する。飛び散った木屑としとど降る雪が皮肉にも良い塩梅に混ざりあった。

 

「……キラさん」


「……ん、もう大丈夫そう」


 背後に控える東雲くんと深冬みとさんが各々の反応を見せる。英雄は様子が変わった私の身を案じ、白髪の少女は結末を幻視したのか背負っていた大槌を消す。


 もうわかったから。覚悟が足りない未熟な自分なのだとわかったから。だから、全身全霊で【悪】を殺す。今覚悟を固めたところでいきなり戦闘力が向上するわけではない。それでも「勝つか負けるか」という重要な結果に一石を投じることができる。



「さあ第2ラウンドだ。お前という人生の有終の美……いや、"有終の醜"を飾れ、ブサイクな豚野郎」



「……ゥオォオオッ!!!」


 【悪】は激昂したように大地を踏み鳴らしながら走り迫る。「激昂したように」というのは、顔がブサイクすぎて表情が分からないため雰囲気や声調でしか判断がつかないからだ。


「ふっ」


 【悪】が激走の勢いそのままに繰り出す大きな横振りを、足さばきを駆使してなす。全身を回転させながら避けるその動作はまるで、相手の腕を基点に舞う駒のようだ。 

 そのまま手のひらを相手の手首に添えて、パンチの威力を見当違いな方向へ逃がしてやる。そして体勢を崩した隙を見逃さずに、素早くしゃがみ込み、足払いをした。


「ヌォ!?」


 私の脚力にかかれば大抵の【悪】はそのまま両足が消し飛ぶんだけど、オグル・リザードという豚は頑丈なようでそうもいかない。衝撃で両足を地面から離された豚は、丁度私の目の前に空中で真横の姿勢で放り出された。3mの肉塊が視界を覆い尽くすのは、もう壁と遜色ない。


 時が停滞し、がら空きのボテ腹が正面にお膳立てされている。寸分の迷いもなく、右腕を大きく振りかぶる。腰も低くして、全身を弓のようにしならせて、拳を固く握って、息を止めて―――。


「ヤメッ……」


「やめない」


 渾身の突きを豚腹に捻り込む。肉の繊維を押しちぎり、内臓を潰し上げ、骨を砕き散らし、それでも腰を入れ続けて拳は奥へ奥へと目指す。肘を伸ばし切った頃には背部まで貫通していないかな、と期待を込めた時、【悪】は堪えきれなくなったように遥か先まですっ飛んでいった。


「……気骨もない豚虫が」


 もう少しあいつがその場で耐えていれば腹部貫通も夢ではなかったというのに。根性もない救えないやつだ。ただ奴の硬皮がやっかいなのもまた事実。一筋縄ではいかせてくれないか。

 図書館の出入口を大破させながら、頭から突っ込む豚を眺めて悪態をつく。今のダメージで内臓に重大な損傷が出ただろうし、もう息絶えてくれていれば助かるんだけど。


「痛ェ……痛ェナ……」


 しかし、案の定ブツブツと何やら口にして、瓦礫からその姿を現した。私の突きは貫通さえしていないものの相当の肉を抉りとったようで、腹部からは血が滴る肉がぶら下がっており、また剥き出しになったあばら骨も僅かに顔を出している。


「痛ェ、痛ェ、痛ェ」


「……」


 【悪】は頭を掻きむしり、苦しげに痛みを訴える。たしかにそれは激痛だろう。痛みだけでショック死すら視野に入るほどの。苦しみ喘ぐ【悪】を目にして、ニマニマと口角が上がってしまう。


「痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ!!」


「……あ?」


 すると、【悪】は自身の爪が割れ、頭部が出血するほど激しく頭を毟り始めた。一目見て異常に片足を突っ込んでいると判断できる有様だ。痛苦を自ら重ねる愚行。


 なんだこいつ様子が―――。



「痛ェエエエェアアアッッ!!!!」



 突然の咆哮。そして、両手を地面に叩き付け、舞い上がる砂埃と雪煙。視界は一瞬にして白で埋め尽くされ、お互いの様子が分からなくなった。目眩しが狙いかと咄嗟に身構えるが、直前の様子からその警戒は的外れだと自己完結する。

 少し遅れて衝撃波のような分厚い突風が吹き荒れ、加えて背筋が震える威圧感がのしかかってきた。


「……」


 これは……。


 直感だが、あまり良くない事が起きている気がする。あの手の輩には何度も煮え湯を飲まされてきた。「あの手の輩」とは、つまり手負いの獣を指す。瀕死に陥り、窮地に追い込まれた【悪】は、生き汚く力を振り絞り足掻こうとする。大抵は一蹴できるものの、時折理不尽なまでの追い込みをしかけてくる個体もいるのだ。

 その時の予感に、この現状は酷似している。



「痛ェ痛ェ、痛ェナァ。痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ。痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ」

 


 白煙を振り払いその姿を表したのは、血管が全身に浮き出た赤黒い肌を持つ5mにも達する恰幅を持つ巨悪だった。

 小さなオグルの角は、2対の長い黒角に。歪んだ顔面を更に歪ませ、ギチギチと歯軋りの音を鳴らせている。全身の筋肉は増幅し、張り裂けんばかりにその存在感を主張していた。


 ―――所謂パワーアップというやつだ。これだから【悪】は。どこまでも救えない。



「……随分と肥えたもんだ豚野郎」



==============================


『オグル・リザード』(状態:狂)


魔魂まこん量 「32」

・階位 「中級 中位」


 オグルの上位種族。オグルが魔魂を一定量吸収すると進化する。竜の血が混ざった血族において稀に生まれ落ちる特異種。オグルの力にリザード種の硬皮を併せ持つ。


==============================




「痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ、イ、ィ痛ェ。痛、ェェエ、ィ?痛ェ痛?ィイィ、テェ、?痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛」




* * *




「最終ラウンドだ、知性なき虫に成り下がった哀れな生物」


 こいつが自我を保っているのか、意識が残っているのか、どうパワーアップしたのか、どういう原理でデカくなったのか、全てどうでもいい。ひとつ悔いているとすれば、こいつには正常な意識を保持しておいてもらわないと、死ぬ間際の懺悔が聞こえないという1点に尽きる。


 ……というか、私の1ラウンド短いな。ラウンド事に1回しか接敵していない気がする。


「ェィ痛。痛ェァァエエエエエ!!」


 正気を失ったように見える【悪】は戦闘態勢に入るかと思いきや、いきなりその場に蹲りのたうち回り始めた。何かの作戦なのかと、成り行きに注視していたが一向にやめる気配がない。どうやらただ度し難い激痛に苦しんでいるだけのようだ。


「……」


 私は心底軽蔑した眼差しで【悪】を見据える。どういう能力であんなに筋肉を肥大化させたのかは知らないが、【悪】の最後なんてこんなものだ。ほうっておいても、こいつはいずれ死ぬ。回復手段がないならもう望み薄だろうな。最終ラウンドはなかったか。


 だが、そんな自滅のような死に方が出来ると思うな。私が引導を渡してやる。


 1歩1歩雪を踏み固める感触を足裏に感じながら、もがき苦しむ醜い豚に歩み寄る。私がすぐ側に立ってもこいつは何ら反応を見せない。ただただ血反吐を吐きながら呪詛のように「痛ェ痛ェ」と繰り返す壊れた人形だ。


「痛ィェテェ、イェェテ?痛ェェイェイ?痛……痛ェ―――ェブ」


「……」


 私は無言で【悪】の頭部を蹴り上げる。確かこの体勢の敵の頭を蹴る足技は、サッカーボールキックと呼ばれていた。危険であるため禁止している団体もあったはずだ。まあこと殺し合いにおいては禁止もクソもないんだけど。


「痛ェボッ……イェ……ブビィッ」


 何度も何度も何度も、糞に沸く蛆虫を見るような目で見下しながら、側頭部を執拗に痛め付ける。はっきり言って、失望していた。この【悪】は、死ぬという最大の後悔を抱えた上で、最上の痛苦を添えて地獄へ送り出したかった。それなのに。


「痛ッ……痛ミィ……」


 もう狂人……狂悪と化したこいつは、今本当に痛みを味わっているのかも分からない。反射的に、口癖のように痛い痛いと喚くことしかしないのだ。当然後悔の有無、その真偽もわからない。

 もう頭蓋骨は粉砕しているだろうし、胴と頭の接合部も頼りない。いつ首がちぎれ飛んでもおかしくない。


「痛ミィガビッ……痛ミガ……」


 ……それにしてもしぶとい。生命力だけはゴキブリ並だ。そろそろ本腰を入れて頭部を蹴り飛ばすか。何度も小突いてやれば意識が覚醒するかもしれないと考えていたのだが、無駄骨だったらしい。


「……じゃあな豚虫。ブサイクに似つかわしい最期だったぞ」


 もう聞こえてもいないだろうがな。惨めな人生だったな。


 私は右足を天高く上げ、魔力を集中させる。この面を蹴り抜けば処刑は終わりだ。犠牲者の数は計り知れないが、こいつの死をもって弔いとさせてもらおう。あの子宮は後で墓を作ってやらないとな。



「―――痛ミガ」



 ああ、もう黙っていいぞ。お前はもうこの世から処分するから。結局見てくれだけの小物だったなお前。


「死ね」


 先刻の渾身の突きと同様に、180度開脚した全身を弓のように大きくしならせ、弾き出されるようにして右足の甲を【悪】のぼろきれの頭部に叩き込んだ。


 僅かな抵抗の後、脳みそがひしゃげる感触。そのまま筋繊維が烈断されるプチプチというイクラを潰したような音が聞こえて、それで―――



「―――痛ミガ、足リナイ」



「……ん」


 首の根元からちぎれ飛ぶはずだった奴の頭部がビクともしない。まるで広大な大地に根を張っているかのような重量感。足の甲が力を逃がせず少し痺れてしまった。


「なぜ突然固く……」


 ちらと瀕死の【悪】に目をやると、何やら小刻みに痙攣していた。痙攣……と呼べるのかどうか。人が寒い時に無意識に行うシバリングという生理現象の方がどちらかと言えば近いかもしれない。

 何度も何度も、細かく、細かく震え続け、その内に段々と間隔が延び、そして鼓動と同程度の速度にまで痙攣が落ち着く。最後には、何事も無かったかのようにシンと静まり返った。

 その後、観察を怠らないように気構えても静寂が破られることはなかった。


「……」


 死んだ、のか?


 今のは今際の際の悪足掻きか。もしかしたら走馬灯でも見ていたのかもしれない。

 呆気ない終わり方ではあるものの、これくらい哀れな方がお似合いか。


 否めない不完全燃焼の念を抱きつつ、私は念の為トドメをさそうとする。子宮を早く弔ってあげなければならないし、体育館の様子も一応早めに見ておきたいが、万が一もあるからだ。そうして白炎で燃やし尽くそうとして。



 燃やし尽くそうとして―――。



 足首の激痛と、出鱈目に混ざり合い乱れ飛ぶ視界に意識が掌握された。脳は掻き回され、上下左右という概念がぐちゃぐちゃに壊される。

 1秒にも満たない困惑を経て、ようやく私自身が投げ飛ばされた事実を知った。この足首の激痛は、万力のような握力で握り潰されたが故のもの。


「『白炎』大鬼蓮」


 2mにもなる白い円が私の進行方向に顕現する。

 先程は盾として使った蓮の葉を、今度は柔軟性と衝撃吸収性を付与して大きなクッションとして使用するのだ。

 空を切り進行する運動エネルギーは、蓮の葉に阻まれて瞬く間に消失した。

 

「……しつこい豚が」


 地面に降り立ち右下へと視線を向けると、異形に陥没した自分の足首が確認できた。血が所々噴出し、力が入らない。



「……痛ミガ足リネエヨナァ」



 そして、ゆっくりと起き上がり鎌首をもたげるのはこの世の膿を凝縮させたおぞましさである、オグル・リザードだ。

 死んだのかと思っていたのだが、思い違えていたらしい。


「ああ足りねえよな。痛みも、後悔も、反省も、何もかもがお前には足りていない」

 

 正直この【悪】がしぶとく命を繋いでいたのは驚いた。腹部が大きく抉れ、頭部は再生不可能なほどに歪んだ輪郭を成しているからだ。どういうカラクリで息を吹き返したのかは知らないが……。


 好機だな。


 これは、神の思し召しというやつだ。害虫未満の存在価値しかないクズの死に方としては、やはり生ぬるかったらしい。こいつはもっと身を押しつぶすような無念と全てを呪うような惨痛を噛み締めながら死ぬべきだ。



「ここからが本当の最終ラウンドだ。豚野郎」


 

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