第12話 再誕



 細かい雪が降り頻る。白炎に触れた雪達は、自らが蒸発させられたと認識する暇もなく消失する。揺れる火に突っ込み自死する夏の虫のようで、滑稽な光景に思える。

 この白銀の空間に白く輝く白炎は、同調色が織り成す眺望としてはとても完成度が高いという所感を抱く。端的に言えば、美しい。


 白炎から視線を上げると、この景色の不純物で、建造物かと見紛う程の巨体を持つモンスター、オグル・リザードが私を見下げていた。彼我の距離は10mと言ったところ。私とこいつならば、瞬き1回の間に接近して尚もお釣りが来る程度の距離だ。


 オグル・リザードの風貌は、生物の失敗作のようだ。鬼にも竜にもなり損ねた、中途半端な紛い物。だからこそ根源的な忌避感を見る者に抱かせる。

 手で頭を押さえ付けられているかのような、やけに現実味のあるプレッシャーが私を襲う。これは、私が臆してるのではなく『俺』が恐怖を感じているのだろう。ホブ・ゴブリンでさえ恐怖のあまり身じろぎできなかったのにも関わらず、オグル・リザードが平気なんてちゃんちゃらおかしい話だからね。


「……ん、リーダー。この巨乳は味方?」


「そうだ。安心していい」


「おいおい!よく見たらクソ美人じゃねえか!?おい!」


 周囲が何とも騒がしい。今【悪】を叩き潰す手順を脳内でシュミレーションしてるんだから、少し集中させて欲しい。


「……オグル・リザード。レベルが、29!?……危険な相手だな」


 私の斜め後ろに控える東雲くんが鑑定もどきを使ったのか、敵の情報を共有する。声が大きい大男……ごうくんと、やる気が感じられない白髪少女の深冬みとさんが双方小さく頷く。


 レベル?レベルってなんだろう。……29。29か。そういえばそんな数字があった気がする。


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『オグル・リザード』


魔魂まこん量 「29」

・階位 「中級 中位」


 オグルの上位種族。オグルが魔魂を一定量吸収すると進化する。竜の血が混ざった血族において稀に生まれ落ちる特異種。オグルの力にリザード種の硬皮を併せ持つ。


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 あった。確認のためもう一度鑑定もどきを使用してみたところ、やはり29という数字がある。

 魔魂量が29か。どうやら東雲くん達はこの魔魂量をレベルと言い換えて周知しているようだ。レベルと言うくらいなのだから、恐らくは戦闘力の指標となり得る数字なのだろう。この数字が大きければ大きいほど、そいつは強いというわけだね。


「……」


 レベル云々の話において、気にかかる記憶があったため、念の為に自分に鑑定もどきを使用してみる。



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高杉湊たかすぎみなと』(状態:魔力変質)


・魔魂量「16」

・技能「キャラクターメイキング」


 『キラ・フォートレス』選択中


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 そう、私の魔魂量……つまりレベルはなんと16。オグル・リザードの29には遠く及ばない。危うくダブルスコアだ。レベルというくらいだから、何かの条件で上昇する値だとは思うのだけど、強さの物差しなのだとすれば、今の私に勝ち目など一切ないことになる。立ち向かうのは最早無謀ですらなく、自殺行為とすら言わしめられよう。

 

 でも関係ない。強いとか弱いとかどうでもいい。私が【正義】で、オグル・リザードが【悪】ならば、私が負ける世界線など許容されない。この世はそういう潮流に形作られているのだから。


「さて、オグル・リザード。今からお前を灰にするのです。死の淵に立たされた【悪】の足掻きをどうか見せて下さい、です」


「よし、頑張ろうキラさん。布陣としては、郷は盾役に配置させてくれ。俺とキラさんは交代で遊撃として敵を削る。深冬にはフィニッシャーを任せたい」


「わかったぜおい!」


「……ん、承知した」


 白炎に火力を注ぎ込み戦闘に入ろうとした折に、私の思惑に反する形で作戦が練られている。これは芳しくない。


「いえ、すみませんが、ここは私1人に行かせてほしいのです」


「……1人で?なぜ?」


 私の提言に、3人は怪訝な顔付きを隠そうともせずに反応を返す。その中で東雲くんが三者を代表するように、片眉を上げながら疑問を呈した。彼の目付きには単純な疑念だけではなく、少しばかりの困惑、それに怒気の成分も含有しているように感じられる。無鉄砲で向こう見ずな発言をする私に対して、何か了見があるのかもしれない。


 だけどここは譲れないし、譲りたくはない。


「第一に、私とあなた達はお互いを知らなすぎるのです。そんな状態で連携は取りづらいし、意思疎通不足で思わぬ事故を招くかもしれないです。第二に、出現したモンスターがこいつだけとは限らないからです。もしもの時のために、体育館の防衛人員として1人若しくは2人は帰還するべきです。第三に、そこの郷くんでは盾役には力不足です。数秒の足留めすら叶わないでしょう、です」


 つらつらと即興で組み立てた建前を並べて行く。いかにも真っ当そうな屁理屈の理論武装でどうにか折れてくれないだろうか。


「……それはさっき俺が提案した作戦が悪いって意味だよな?よしんば1人か2人返したところで、2、3人は残るわけだ。キラさんが1人で戦う理由にはなってないと思うけど?」


 東雲くんは呆れ返った心情を溜息に変える。どうやら上手く言いくるめられてはくれないみたいだ。これだから頭の回転が早いやつは困る。


「本音は?」


「私が【悪】をこの手でぶち殺したいからです。……あ」


「はぁ……」


 心のうちの本音を問い掛けられて、純粋で真摯な私はつい包み隠さずにゲロってしまった。私が嘘もつけない無垢な美少女でさえなければ回避出来たのに。その弱点を的確に突いてくるとは、策士ここに極まれり。誘導尋問だ。


「……ん、こいつはどうやらおつむが足りないみたい」


「何か言いましたか?です」


「……ん、おつむが」


「いえもう結構です」


 ずっと眠たげに瞼が垂れているこの白髪少女には皮肉が通じないらしい。本当に眠いのか?名前を……深冬と言ったかな。明らかに身の丈よりも遥かに大きく、重そうな大槌を肩に乗せているんだけど、どういう怪力だよ。スキル持ちかな?


「真っ直ぐな女は嫌いじゃねえぜおい!」


「そうですか」


 そしてこの熱血漢。2m近くは背丈がありそうだ。郷と呼ばれていたか。こいつも察するにスキル持ちだと思うんだけど……。


 郷くんから視線を切り、不気味な程に静寂を保つオグル・リザードを見る。さっき言った第三の論拠はあながち的を得ていると思う。郷くんとやらも鍛え抜かれた化け物じみた肉体をお持ちのようだけど、オグル・リザードの猛攻を凌げる基準には遠く達していないだろう。一撃で即死するのが目に浮かぶ。だからこそ、実力が足りない者……郷くんと深冬さんはどちらか、或いは両者共に戦線から離脱して欲しい。彼らは十分に強そうではあるが、オグル・リザードはそれ以上に規格外なのだ。


「まあキラさんがさっき指摘した作戦の不備は、多分間違ってない。郷、お前は小和のスキルと相性が良い。体育館の防衛に就いてもらってもいいか?」


「わかったぜおい!」


「深冬、君はできればここに残ってほしい。俺とキラさんが万が一破れた時の離脱要員だ」


「……ん、承知した」


「キラさん、あなたには恩もある。だからここは俺が譲ろう。でも、恩があるからこそ危険な目には合わせたくない。キラさんがピンチになったら、容赦なく助太刀に入るよ」


「わかりました、です」


 東雲くんが一人一人の目をしっかりと射抜くように見て、指示を伝えていく。反論する余地を与えない程的確に迅速に。なるほど、リーダーとはこういった資質も不可欠だ。この人が言うなら従おうと、そう思える引導力。私の陳情を考慮して作戦を練直す頭脳も、胆力もある。信頼を預けてくれているのだろうという責任感も持たせてくれる。


 彼の雪景色を写す据わった黒瞳がとても印象に残った。500人を包容できるだけの器量が確かにあるのだ。



「話ァ、終ワッタカヨ?」



 その時、不意に不快な声が鼓膜を劈いた。喉仏を抉りとり、喉を執拗に踏み付け、地面に捻りつけないと決して出せないような、声とも呼べないくらい腐敗した代物だ。これは声ではなく、ただの空気音だ。排水溝から漏れ出る汚い音だ。

 その異形の口を使ってどうやって再現しているのかは知らないが。


「長ェ時間待ッテンダヨ。誰ガ相手スンダ?憂サ晴ラシニグチャグチャニシテヤルヨ」


「お前の相手は私です、この腐ったゴミ虫が。その減らず口を遺言に変えてあげます、です」


 まさか、オグル・リザードが言葉を解するとは思わなかった。だが、思い返してみればホブ・ゴブリンも拙いながらも喋っていた気がする。奴よりもオグル・リザードの方が流暢ではあるのだが。モンスターは知性なき怪物ではなく、言語を操るだけの脳はあると記憶しておくべきか。


「キラさん、あいつは強いよ。レベル差もある。他でもないキラさんだから単独で任せるけど、油断だけはしないで」


「……ん、瞬殺だけはされないで」


「わかっているのです。後ろから見守っていて下さい、です」


 ああ止まらない止まらない。愉悦と歓喜と、それに高揚が。あいつの断末魔はこの白銀の世界にどうやって響くのだろう。


「じゃあ武運を祈るぜおい!向こうが安全だと判断できたらまた帰ってくるからよおい!」


 郷くんはそう言い残し、足早に体育館へと向かった。


 対して私は東雲くんと深冬さんを背に、一歩踏み出す。雪をしっかりと踏み締める。寒い、とにかく気温が低い。戦いを長引かせてしまうと、関節の動きが鈍くなるかもしれない。でもこの灼熱の【正義】があれば、それさえも問題外のように思える。


「随分ツラノ良ィ女ダナ。ドウダ?俺ノ種ヲ孕マネェカヨ」


「この距離でも臭うほど口が臭いので黙ってもらってもいいですか?」


「イイネェ。強気ナ女ハグチャグチャニシタクナル」


「ぐちゃぐちゃなのはお前の顔面の方ですよね?まさかそれも自分でぐちゃぐちゃに?哀れな生物ですね」


 こんなゴミと言葉を交わしたくもないが、あまりにも下卑た態度が気持ち悪すぎてつい言い返してしまった。


 オグル・リザードは、間違いなくこの世界の膿だ。予想できる経歴、容姿、発言、臭い、こいつの全てが【悪】。あのホブ・ゴブリンよりも色濃く。マジック・ゴブリン……に関してはどちらが濃いかは審議が必要だ。

 そういえば、雪で様子が一変したせいで気付かなかったが、この場所は丁度マジック・ゴブリンに出くわしたところだ。何百もの弱者の亡骸が横たわっていたはずだが、見た所残っている様子はない。この5日間で処理したのだろう。


「よーし、今日も頑張っちゃいますよー、です」


「ガンバレガンバレ」


 放置されたドブに溜まった汚染物のような声援は意図的に無視する。聞くだけで鳥肌がたつ。耳栓とかしてくればよかった。


 依然として冷たい雪が止むことは無い。ただ風は収まり、身軽な雪たちは垂直に、時間をかけて穏やかに降り落ちる。振り撒く音は雪に吸収され、東雲くんの息遣いも、深冬さんの衣擦れの音も全く耳に入らない。

 笑っているのか、歪ませているのか。そのあまりにも醜い顔からは表情がうかがえない。この【悪】をもうすぐ抹消できる善行を心待ちに。


 今、舞い落ちた一粒の雪が白炎に掻き消された。


 示し合わせたように、それを合図に私とオグル・リザードは互いを目指して駆け出した。



* * *


 


 3mの巨体が雪煙を天高く巻き上げながら距離を詰めてくるのは、圧巻の一言だ。地面が悲鳴をあげ、近くの法文学部棟が揺れる。『俺』だったらこの時点で腰を抜かして、そのまま潰されて終いだ。『俺』だったらね。


「『白炎』」


 手のひらに着火していた炎が呼び掛けに呼応するかのように二、三度揺らめく。いくぞ、【正義】の炎。


 ボーリングの球のような、オグル・リザードの拳が轟音をたてながら振り下ろされる。生身の人間がこの攻撃を喰らえば、痛みを感じる暇もなく肉に成り果てるだろう。


「『白炎』大鬼蓮おおおにばす


 だから、その拳は防がせてもらう。私が手を前方にかざすと、宙に大きな白い蓮の葉が現れる。スイレン科の中でも大鬼蓮は最大の種であり、その葉の直径は2mにも届く。


「アァ!?」


 これは、堅牢な盾だ。莫大な量の白炎を蓮の葉の形に超圧縮し、密度を上げている。当然、オグル・リザードの膂力を持ってしても決して衝撃すら通さない。

 私が多用する、この白い炎を操る権能は『白魔はくま』と呼ばれている。私の純白の魔力に炎の属性を付与し、この世の様々な物質に形を変える能力だ。最大の特徴はその汎用性にある。付与できる属性は炎だけではないし、応用して自身の傷を治癒させることや身体能力を強化させることもできる。弱点としては、能力を突出させられないため、治癒能力者や身体能力強化者と同じ土俵にたった場合どうしても見劣りしてしまう点にあるだろう。言うなれば器用貧乏なのだ。


 という説明が、キラ・フォートレスがかつて存在していたスカイドラゴンテイルの中では通説だった。それが何故この世界で使えているのかは定かではない。ただ重要なのは、使えているという事実を受け止め、より研鑽に励むことだろう。だからそれほど気に止めてはいない。


「アッチイナァ、オイ」


 オグル・リザードは、大鬼蓮の葉に触れたせいでまとわりついていた白炎を手を何度か振り払う動作で鎮火させる。

 あの炎は太陽の表面と同程度、6000度にものぼるのだけど、あいつにとっては障害足り得なかったみたいだ。ホブ・ゴブリンは一瞬で灰になったんだけどね。


 私とオグル・リザードの体重差を考慮すれば、接近戦は得策ではないかもしれない。ただ、肉弾戦は私の得意とするところでもある。どういった戦法が最適か悩み所ではあるけど、一旦遠距離主体で相手の体力を消耗させる感じでいってみようか。私の体力を温存して、奴が疲れ果てた局面で一気に叩けばいい。

 遠距離なら白炎でいいかな。

 



「『白炎』折鶴欄おりづるら―――



「ナァ、オ前、遠クカラチマチマ削ロウトシテネエカ?」



 ―――むっ」



 気付いた瞬間には、私の鼻先に紙1枚隔てた距離にオグル・リザードの淀んだ瞳が浮かんでいた。起こりを察知すらできず、また反応すら返せず。


 私は全身を影に包み込まれ、影の主は上体を屈ませてこちらの相好を覗き込む。深淵に睨まれているような、深い瞳だ。


「……」


 この距離はまずい。ほぼ反射で上半身を逸らし、流れるように膝で奴の顎を蹴り上げる。まるで鉄の塊を相手にしているような感覚だが、そのまま胸元を足蹴にして何とか距離をとった。


 こいつ、予想外に俊敏だ。躯体に見合わない所の騒ぎじゃない。

 ……いや、違うな。速さじゃない。タイミングをとったのか。流石に警戒状態の私が知覚も出来ないほど速いわけがない。こいつは、私の意識外を狙ったのだ。白炎折鶴欄おりづるらんの形成に意識を割いたその間隙を縫って接近してきた。


 強い。闘争状態を寸分でも弛緩すれば、それは決着と同義になるかもしれない。


「……ん、巨乳死んだかと思った」


「キラさんのレベルがオグル・リザードと同じくらいなら楽勝なんだろうけどね。このレベル差じゃすんなりとはいかないだろうな」


 確かにレベルの差はある。それも看過できない程に。


「威勢ハドウシタ?色女」


 ただそれは、今ここで私が負けていい理由には絶対にならない。ここでこいつを殺せなければ、この先一体いくつの命が失われる?何粒の涙が流れる?ふざけるな、クソ虫が。


 私が東雲くんの反対を押し切ってまで、単独で奴の討伐を引き受けたのは、私がこの手で殺したかったから。それは本当だ。嘘じゃない。

 でもそれ以上に、自信があった。私だけの力で完膚なきまでにオグル・リザードを潰す自信が。慢心も奢りもなかった。生涯戦いに明け暮れた経験に裏打ちされた分析で出した答えだ。的はずれなわけもない。


「……」


 それなのに何だこの体たらくは。距離を保つことを最大限留意していたにも関わらず、オグル・リザードに容易に警戒網を突破された。そもそも、はなから違和感はあった。楽観思考に耽り、能天気に【悪】を目前にして作戦会議に傾倒する。その隙に逃亡を図られたら?目を盗んで罠を張られていたら?その危険性をおもんみなかったのか?


 有り得ない。私が危機管理を怠るなんて。


【悪】を殺すためだけの人生で、用を足す時も、食事の際も、睡眠中でさえ、身を差し固めていた私が。そんな油断大敵を体現するような真似をするはずがない。


 ……これは、精神が引っ張られているのか?『俺』に。

 この紛争に無縁で、衣食住が担保された温い日本で生きてきた『高杉湊』という意識。それは明らかに、こと戦闘においては足枷になる。大丈夫だと思っていた。記憶も、能力も、思考も、容姿も、私、『キラ・フォートレス』のものだったから。しかし感知できない水面下で、私と『俺』の観念は融合を起こしていたのか?

 だから『俺』という愚鈍な因子が私のパフォーマンスに悪い作用を引き起こしているのかもしれない。


 それは、本来なら危険視するべきなのだろう。人格の合一など、そう経験したいものではない。どういう弊害がもたらされるのか予測がつかないからだ。それなのに、『俺』という因子ゆえか、「まあ仕方ないか」という感想しか出て来ない。それだけで済まされる話ではないと思うし、何よりこれから【悪】を虐殺する時にいちいち甘ったるい思考に横入りされるのが耐えられない。今だって、オグル・リザードとの戦闘中だというのに、こうして考え事に頭を悩まされている。重ねて言うが、それなのに危機感が抱けないのだ。揺蕩たゆたってしょうがない。


「……どうすれば」

 

 いいのだろう。

 この【正義】の志も、【悪】を皆殺しにせんとする至上命題も、変わらず猛り狂っているのに、その感情を行動に100%のせられない。感情を力にする過程で、どこかで必ず楽観というキズが入ってしまう。もう、かつてのようにただ【悪】を殺し尽くすだけの日々は帰ってこないのかもしれない。


「色女、何ボーットシテヤガル」


 ゴミの戯言が耳を通り抜ける。今私がもう一度集中し直せば、このオグル・リザードを一方的にぶち殺すことは容易いだろう。だけど、その先は?もっと強大な【悪】と邂逅した時、果たして望む結果が得られるだろうか。


「無視シテンナヨ、繁殖要因」


 答えは否だろう。【正義】の勝利は揺るぎないとは言え、それは大局的な話だ。私個人の敗北、そして戦死は大いに考えられる結末ではある。ただそれは理想とは程遠い……。


「アー、飯デモ食ウカ」


 これからの展望に苦慮していると、オグル・リザードが腰に巻きつけてある布に手を入れ出した。飯?こいつ状況分かっているのか?……取り敢えず脅威には違いないのだし早めに殺しておくか。その後のことは、こいつの遺体の上で考えよう。

 そう、問題を先送りにし、まずは目下の問題から片付けようとして―――。




「……は?」




 オグル・リザードが取り出したモノを見て、思わず1文字だけ、そう絞り出してしまった。それは何の感情の中身もない、言葉の外殻だ。


 それは、茶色い肉だった。日持ちさせるために乾燥させた保存食。それでも少し傷んでいそうではあるが、見るからに悪食な奴にとっては問題にはならないのだろう。

 問題なのは、それがとあるものを想起させる姿形をしていることだ。記憶に照らし合せる限り、それは豚や牛、鳥といった家畜の肉ではない。猪や鹿でもない。


「その……肉は」


 答えを聞きたくはないが、聞かずにはいられない。乾燥によって水分が抜かれてかなり縮んではいるが、全体的には分厚い三角形、管のようなものが左右に申し訳程度に伸びていることがわかる。実際に目にしたことはほとんど無い。あるとすれば、死体から漏れ出た状態で、だ。加えて知識としての外見と見比べると、あの肉の正体として浮かぶのは……。



「アァ?女ノ子宮ダガ」

 


 ―――。


「子宮……特二出産直後ノ伸ビ切ッタヤツハ歯応エガ最高ダ。マア、コレハ処女ダガ」


 ……。


「女ノ肉ッテノハ、何デ美味インダロウナ?」


 ……。



「ナァ、オ前ノ子宮ハドンナ味ダ?」



 ……。

 もう、いい。もうたくさんだ。


 子宮は、現代では摘出手術も確かに行われている。子宮筋腫など、その最たる原因だろう。厳正な医療体制の下、学識と経験を兼ね備えた医者が手掛けるのだ。

 でもこのオグル・リザードにそんな技術など期待できるわけがない。無理やり抉りとるという手段でしか、こいつが子宮を所持するなんて無理だ。当然、子宮の持ち主は……。そもそも誰の子宮なんだ?乾燥しているということは、相当前に手に入れたはずだ。だがこいつは今しがた異次元から現れたらしい。異次元の先にも人間が?そもそもどこからこいつは来た?


 ……。



 うん、わかった。



 そうか。足りない、のだ。足りないから、こんな【悪】を前にして別の事象に気を取られるのだ。

 足りないから、私はこんな雑魚に足踏みをしているのだ。足りないから、弱者が呑まれた絶望を理解し切れてあげられない。足りないから、『俺』なんていう矮小な異分子に絆される。

 

 足りないからだ、覚悟が。

 

 私の【正義】に『俺』という傷がついたならば。その傷を覆い隠して余りある巨大な覚悟で包めばいい。人格統合がどうこうなど、ただの言い訳だ。こうして、蔓延する死臭ではなく、人の内臓を食糧にするという弱者の死を見える形で痛感した今、尚も言い訳を口にするなら、私は今すぐ自害した方がいい。


「……」


 これは生誕だ。スカイドラゴンテイルではなく、この異世界に今、『キラ・フォートレス』は本当の意味で生まれた。もう迷うな。戸惑い、慌てふためき、逡巡する1文字1文字が弱者の死体に唾を吐く行為だと思い知れ。『俺』はキラ・フォートレスで、私は『高杉湊』だ。【正義】を成せるなら、存分に統合すればいい。おびただしく至大な覚悟で全て帳消しにしてやる。


 もう、いやなんだ。


「ホラホラ、コレガ食イタイノカ?」



「―――もう喋るな」


 子宮……その卵管部を握り締め、ぶんぶんと振り回す【悪】。腐敗した肉の臭いが振り撒かれ、鼻腔に浸透する。強烈な悪臭ではあるが、犠牲者の亡骸にそんな評価は口が裂けても言えない。


「……ん、不快極まりない。殺すよ?」


 成り行きを静観していた深冬さんが眉間を寄せ悪感情を露わにする。今にも飛び掛りそうな勢いだ。


「キラさん、きついようだったら俺が……」

 

 次いで東雲くんが黙る私を見て何を思ったのか、代理を申し出てくる。その心意気は嬉しい。嬉しいが。


「いや、いい。そこで目に焼き付けろ。【悪】の悲惨な末路を」


「……あ、え?キラさんその口調は……」

 

 腰に手を当て子宮を振り回す【悪】に歩み寄る。随分と楽しそうに踊り狂うものだ。糞にも届かないゴミ未満のクズが。何の手違いでこんな【悪】が生まれてしまったんだ。仮に神が産み落としているのだとしたら、お前も同様に殺すぞ。



「ヤット戦ウ気ニナッタカ―――グブォォォ!?」



 何やら【悪】が口を開き始めたため反応できない速度で踏み込み、腹部を殴り付けた。手離された子宮は宙に取り残され、【悪】は後方に吹き飛んで行く。中央通りの縁に植えられた並木を何本かその身で砕き散らせ、ようやく私の殴打の余勢がおさまったみたいだ。


「もう喋るなと忠告しただろう?脳みそまで糞で詰まってるのか?」


 対して私は放り出された子宮を優しく、優しく両手で掴み取る。傷のひとつでもつければ、自責の念だけでは到底許されないからだ。


 ……あなたを助けられなくて本当にごめんなさい。あとでお墓を作ってきちんと埋葬するね。憎き【悪】は私が討ち取るから、どうか安らかに眠って。今までお疲れ様。


 目を瞑り、黙祷を捧げる。願わくば、最期の苦しみが浄化されるような、素晴らしい死後が待っている事を。子宮は、余波に巻き込まれないように道の端にひとまず置いておく。


「痛ェナクソ女。決メタ、ココデ殺スワオ前」


 すると、へし折れた木を彼方へ投げ飛ばしながら、【悪】が殺意を込めた意志を向けてきた。どうやら、まだ立場を理解していないらしい。私と対等な戦闘が繰り広げられると、本気で信じているのだ。脳内お花畑……いや、脳内糞まみれだな。


「今から苦痛の限りをもって死ぬ気分はどうだ?何を思う?何を望む?」


「女ガヨク吠エル」


 【正義】と【悪】は言わずもがな対等な関係ではない。よって、私と目の前の【悪】も同様に対等ではない。これから行われるのは、虐殺だ。一方的に、有無を言わさずに、選択の余地を与えずに、ただただ全てを後悔しながら生を終えるだけの、作業だ。



「分を弁えて、控えろ糞豚」



 怒りが逆巻いて、悲しみが吹きつのって、憎しみが吠え狂って、それでも叶えたい望みがある。それでも妥協できない地獄が、確かにこの世界には存在する。私は、それが許せない。耐えられない。だから。だから。



「『白炎』金盞花きんせんか



 だから、虐殺だ。


 

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