第11話 オグル・リザード



「なんなんですのなんなんですの。なんてお可愛らしいのでしょう。可愛らしすぎて怖いですわ。そのスキルはどういった効果があるのですか?」


「おいおいおい湊!美少女すぎんだろおい。強いのか?お前強いのか?飽和するくらいだから強いんだよな?」


「ありがとうございます、です。『私』がこの世界に顕現できる効果です。【正義】ですからすごく強いですよ」


「うへへ」


 今、この空間は混沌と化していた。


 私は多方面からの欲望を一身に受けながらも、毅然とした態度を維持している。剥き出しになった認知欲求が、親和欲求が如実に感じられた。正直言って少し鬱陶しい。しかし、悪い気分ではない自分がいるのもまた事実。


「いや……だれ?」


 そんな中呆然と立ち尽くすのは木崎苺その人だ。『俺』が女性に変身すると聞いてどういう想像をしたのかは知らないが、想像通りとはいかなかったらしい。


「おお……」


 対して花月くんは感嘆した様子で息を零す。自己主張がなく空気のような男だという印象だったが、このスキルには流石に思うところがあったのかもしれない。


「なんとお呼びすればよいのでしょう。高杉様ですか?それとも……フォートレス様と?」


「……キラでいいですよ」


「承知致しましたわ。それでは、そのスキルを使用している時はキラ様と」


 卯月さんは『俺』が私に成り代わってからというもの引くくらいにじりよってくる。私に接触するくらい寄ってくるものだから、私と卯月さんに挟まれた七瀬さんがサンドイッチ状態で大変なことになってるんだけど。私のおっぱいに顔を押し潰されて苦しそうに……いや幸せそうかもしれない。放っておいていいでしょう。


「リーダー!湊……じゃなかった、キラが戦ってるところ見たことないのか?」


「いや、あるよ。俺と小和はキラさんに救われたからな」


 猫目プリン逢沢さんの問いに英雄……東雲くんは私を見据えながら答える。そこには確かに感謝の念が感じられた。

 しかし救われたという表現は如何なものだろう。あの大学ホールにて俺たち3人がホブ・ゴブリンの驚異に見舞われたのは、他でもない『俺』の軽挙な愚行の結果なのだ。決してそれ以上でも以下でもなく、東雲くんと七瀬さんは『俺』をどうにか救おうと奔走してくれた恩人である。それにその後のマジック・ゴブリン。私は接敵することすら叶わず、その身を『俺』のものに還らされた。何故前振りもなくスキル発動が阻害されたのかは不明だけど……。


 ……ん?マジック・ゴブリン?


「そういえば、あの後マジック・ゴブリンはどうなったのですか?」


 そういえば、七瀬さんのスキルによって私は命を拾ったと聞き及んでいるものの、マジック・ゴブリンの行方については知らないままだった。


「あーあいつなら俺が倒したよ」


「……どうやってですか?」


「そりゃもちろんスキルを使って」


 スキル……『真の英雄』か。まだ実際には見ていないけど卯月さんの弁から察するに一騎当千のスキルなのだろう。マジック・ゴブリンを下したというのも首肯できる。

 ただ、果たしてあの時あの瞬間に、東雲くんはスキルを所持していただろうか。そんな素振りは見せていなかったし、何より鑑定もどきでも『未開放』だったはず。とすれば、東雲くんがスキルを獲得したのは『俺』が意識を失った後、それも直後だという時系列になる。


 ……。


「スキル持ちは1割という話ですが、獲得するメカニズムは当たりがついているのですか?」


「残念ながら。ただ、モンスターに襲われている最中だったり、大切な人が目の前で殺されたりした時に獲得する例が多いかな。関連性は不明」


「そうですか」


 『俺』もホブ・ゴブリンに胴を握り潰され地に沈んだ時に『キャラクターメイキング』を取得したからね。獲得要件は分からないけど、状況下は共通しているってことか。


 はあ。東雲くんに現況の諸々を教示されたものの、謎は未だ数多く残されている、か。細部を突き詰めるのは困難な道を歩むことになるから、【悪】を淘汰しつつ副次的に解明していければ御の字かな。スキルを意図的に取得させられるなら私たちの戦力増強が容易になると踏んだけど、そうは問屋が卸さないらしい。


「まあまあ!おかたいことはあたしは分からねえけどさ、とにかくキラは強いんだろ?」


「彼女の強さは俺が保証しよう」


「ってことは当然、遠征にも行くんだよな?」


「そうして欲しいけど……それはあくまでも本人の希望だからな?」


「わかってるって!キラ、遠征どうだ?」


 話が進んでいるところ申し訳ないんだけど、遠征ってなんぞ?もう少し無学の人に配慮した会話運行を求む。


「遠征というのは、近隣のモンスターを征伐しつつ生存者を探索する活動のことだ。毎日スキル持ちが10人編成で行ってる。今日も行ってきたよ」


 心の中で不平不満を漏らしていると、できる男である東雲くんが付言してくれた。確かにそんなモンスター狩りをしているのだと、さっき言っていた。それをここでは遠征と呼んでいるのか。


「喜んで参加します、です」


「よっしゃ!」


 是非もない。【悪】を狩り尽くす慈善活動に参加しないという選択肢は取り得ない。これ以上ない契機だ。味方は多い方が良い。


「それにしても随分遠征に肩入れしているのですね?何か思い入れでもあるのですか?」


 逢沢さんはどうにも私に参加して欲しくて仕方がなかったように見える。もし私が参加を拒んでいた場合、あの手この手を使って説得にかかっていただろうと、そう容易に予想できるほど。若しかしたら彼女も【正義】の執行者で私のような同志を心待ちにしていたのかも━━━


「……そう、だな。実は家族が……高校生の妹がいるんだけどさ。年齢的にこの世界にいるはずなんだけど、まだ安否が分からないんだよ。だから遠征で早く見つけてあげたくて」


 と思ったのだが、どうやら少し毛色が違ったみたいだ。生憎【正義】の執行者ではなかったようだけど、それは別に構わない。家族の無事を望み、尽力する。他人の力に頼ってまで成就させたい願いがあるのならば、協力は惜しまない。その愁いに揺れ動く瞳だけで、私の原動力には十分だ。


「分かりました、です。妹さんは私が必ず助け出します、です。これは掛け値無しの確約で、同情とか哀憫ではなく、確定した未来の話です。一緒に頑張りましょう、です」


 滾る、滾る。【正義】が滾る。

 はちきれんばかりの情炎が心を壊し、四肢に力を与える。


「……っ!……ありがとう」


 私が差し伸べた手を逢沢さんは両手で強く握り込む。伝達する、彼女の念願。この固い覚悟がどうしようもなく心地好い。この純粋な想いは、【正義】だ。この子が【正義】ならば、私が躊躇うことなど何一つとしてない。


「早速遠征に出向きたいところなのですが、今日は終わってしまったのですか?」


「そうなのですわ。遠征は1日に1度。500人の命を預かっている以上ここの拠点からの長時間離脱は信義に反しますし、遠征隊の疲労も蓄積致します。それに、もう間もなく日が落ちて暗くなってくる時間帯ですのよ。今からの遠征はおすすめできませんわ」


 少し正気に戻ったように見える卯月さんが正論を述べる。ちなみに七瀬さんは私の乳から不動である。イソギンチャクに住まうクマノミか何かか。


 まあ卯月さんにここまで言われているのに遠征を強行してしまうと、仲間内にいらぬ不和を与えてしまうだけか。正直私1人だと何の問題もないように思えるが、他方で私の持つ情報が少ないのもまた事実。思いもよらぬ形で足をすくわれてしまうかもしれない。大人しく遠征隊に加わるのが無難だろう。



「分かりました、です。ではまた明日ということでよろし━━━━━……ッ!」



 ここは素直に応じて引き下がろうとしたその時、両耳に鈍痛が走った。出血を伴う外傷の感覚というよりかは、内部の強い違和感と表現した方が適切かもしれない。


 これには覚えがある。あれだ、航空性中耳炎に似ている。航空性中耳炎とは、航空機に搭乗している時、離着陸時など上昇・下降を伴う際に鼓膜の内側と外側で気圧の差が出来てしまうことに起因して生じる耳の痛みだ。しかし、それはこんな地上で起こるわけがない。飽和の症状の一種かもしれない。


「……モンスターが出たな。それも近い。恐らく大学構内だ」


「……!」


 耳を掌で軽く小突き回復を図っていると、東雲くんが神妙に、しかしやけに通る声でそう告げた。円卓に控える面々も同様に面構えを引き締めている。


「どういうことですか?」


「モンスターはランダムに出没するんだけど、空間を破って出てくる時に近くにいると耳鳴りみたいな痛みを感じるんだ。その強弱で大体の距離も分かる」


 空間を破る時の衝撃波のようなものが空気を伝播してここまで届いたという理解でいいのか?大学ホールにホブ・ゴブリンが現れた時はこの比じゃないくらいの爆音だったけど、それとはまた性質が違うものなのだろうか?


 ……。


「……ふう」


 息を細く、小さく吐く。

 これは邪念だ。モンスターが現れた兆候、その原理の究明などに勤しんでいる場合ではない。いつから【悪】から余所見をするようになった。『俺』の性格が邪魔をしているのだ。


 邪念は息にのせて排除する。不要だ、無用だ。私が御せる量は限られている。【悪】を虐殺するだけの力があれば、それでいい。


「正確な場所が分からないね。下手にここから離れる訳にもいかないし……」


 いつの間にか私の乳から離れた七瀬さんが顎に手をやり思案をめぐらす。どうやら耳鳴りで大まかな距離は予測できるものの、方向を含めた位置までは特定できないらしい。


 場所……場所か。

 【悪】が臭い息を吐き散らしている場所。


 【悪】、【悪】、【悪】。


 瞳に蓋をし、呼吸を止める。視覚も、聴覚も、触覚も、今は何もいらない。集中力が分散しないように、ただ索敵だけを意識下において。


 【悪】、【悪】、【悪】。


 悪意をその身に宿す者は、臭う。体臭も勿論鼻が曲がるほど臭いがそれだけではなく、【悪】は、天が忌避し、地が嫌忌する。そして何よりもこの私が厭悪する。


 【悪】、【悪】、【悪】。


 臭う、臭う。生きる価値のない、蛆虫以下の気配が。幾万もの死臭を纏わせた胸糞の悪い気勢が。例えその姿形が見えなくとも、意識を向けさえすれば、吐き気と共に探り当てられる。


 だからお前らは【悪】なんだ。この世界の害悪が。虫唾が走る。

 臭い、臭い、臭い。



「……見つけました、です」



「えっ」


 七瀬さんの腑抜けた声を一旦敢えて無視し、膝に力を込める。この膝を伸ばせば爆発的な推進力を得て、私は急行できる。普段ならば既にこの場から去っているところだが、七瀬さんに対して一言告げて行くくらいの仲ではある。


「モンスターの位置を捕捉しました、です。東雲くんの言う通り構内、キャンパス中央通りです。これより殲滅に向かいます、です」


 その言葉を最後に、現場へと直行する。頭を出来るだけ下げ、全身を地面と水平に近くなるように倒す。高速移動の空気抵抗を和らげ、速度を上げるためだ。


「キラちゃん!」


 七瀬さんが制止を望むような叫び声をあげるが、今は許して欲しい。疼いて疼いて仕方がないのだ。産毛の1本から鼓動を刻む心臓まで、私の全てが今にも弾け飛びそうだ。やはりこれこそが私の存在意義で、最優先の使命だ。


 胸が高鳴る実感を抱きつつ体育館を飛び出す。私の軌跡は一拍置いた後、凄まじい風圧で積雪が粉雪となり巻き上げられる。驚愕を露にする門番2人を一瞬視界に収め、通り過ぎる。


 【悪】の虐殺に興じられる愉悦で、後方に吹き飛んでいく景色が全く気にならなかった。


 精々残り少ない生を楽しんでおけ。今すぐに殺してやる。残虐に、苛酷に、惨烈に。汚い断末魔を期待しているぞ、クズ。

 笑みが零れることを耐えられない。

 




* * *





「キラさん、俺も行くよ」


 10秒ほど通路をひた走り、図書館の裏を抜け、間もなく【悪】が陣取る中央通りが目に入る頃だろうという時に横からそんな声が掛けられた。


 その声の主は、全力では無いと言えども快速で飛ばす私に平然と並び走っている。駆ける私は、一般人の動体視力では薄黒い影を僅かに捉えられるかどうかという速度だ。当然ながら同程度の速度で追随するなど夢のまた夢。


「1人じゃ危ないからさ」


「……ありがとうございます、です」


 それをこの東雲柊という男は、汗の一滴すら滲ませずにさも立談しているかのような自然さで可能にしている。走力を生み出すために振るわれる彼の手足が速すぎて焦点を合わせられない。

 それに、彼の体表に目を凝らすと、黄色の光を薄く纏わせている事が分かる。加えて発せられるこの重圧。スキル『真の英雄』を発動させているのか。


「……」


 正直驚いている。『俺』がマジック・ゴブリンに倒されるまでの英雄は、気概こそ立派に磨かれているものの能力が釣り合っていないダイヤの原石だという印象が強かった。それ故非常に惜しい、とも。

 だが今の彼はどうだろう。この5日間で身に付けた確かな実力と自信。揺るぎない信念。英雄が今まさに育っている。

 

 素直に頼もしいと、そう思った。英雄は、真の英雄に相応しい大器だった。



「おいおいおい!コイツやべぇんじゃねぇのか!?おい!強くねぇか!?おい!」


「……ん、ごう、焦らないで。リーダーが到着するまで時間を稼ぐ」


「分かったぜおい!!それまでにド頭潰されねえといいけどなあおい!」


「……ん、フラグ建てないで。殺すよ?」



 英雄に強い感嘆を抱いていると、キャンパス中央通り、その中心から切羽詰まったような声色で、物騒な内容の会話が聞こえてきた。その位置は、正に【悪】が牛耳っている地点のはずだ。

 意識を向けてみると、道着のようなものを身につけた随分大柄な男と、2mはある大槌を構え学校の制服を着る小柄な白髪少女の後ろ姿が視認できた。

 ド頭が潰れるだの殺すだの、剣呑な言葉が飛び交っていたが、どうやらこの2人は味方同士であるらしい。というのも、2人が並び立つその正面に相対する存在がいたからに他ならない。



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『オグル・リザード』


魔魂まこん量 「29」

・階位 「中級 中位」


 オグルの上位種族。オグルが魔魂を一定量吸収すると進化する。竜の血が混ざった血族において稀に生まれ落ちる特異種。オグルの力にリザード種の硬皮を併せ持つ。


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 絵の具のように生々しい薄い赤色の肌。鬼と竜の顔面を幼子が遊戯で繋ぎ合わせたような、奇怪な面構え。両目も、鼻も、口も、耳も、本来あるべき位置には付いておらず、福笑いで作り上げたレベルの見た目だ。頭頂部には控えめな角が1本生え、一丁前に腰に布を括りつけ局部を隠している。丸太のような太腕、3mに届きそうな身長。


「……オグル。オーガの別名ですか」


 臭い、臭い。あのデブには数え切れない弱者の死臭がこびり付いている。何度水浴びしようと、何度その皮を剥ごうとも、その臭いだけは生涯絶対にこ削ぎ落とせない。許さない、許せない。これまで一体何百、何千人の人生をぐちゃぐちゃにして来た?何万人に恐怖と不安を与えた?


 世界に仇なすゴミが。この場をもって確実に処分する。死んで死者と遺族に詫びろ。


 暴れ狂う怒りの手綱をなんとか握りながら大きく跳躍し、恐らくこちら側の勢力であろう豪胆な大男と白髪少女の前に降り立つ。東雲くんも私に続く。


「どわあ、おい!ビビったぜおい!誰だお前!?」


「……ん、だれ?あ、リーダーもいる」


「郷、深冬みと。2人ともよく堪えてくれた。ここからは任せて」


 背後で展開される東雲くんのイケメンセリフは捨て置き、私はオグル・リザードを真正面に見据える。彼奴は首を傾け、ばきばきと豪快に骨を鳴らす。微塵も狼狽える様子はない。


 こいつは強い。多分相当の手練だ。立ち居振る舞いは山のようにどっしりと鈍重なのに、隙という隙が伺えない。ホブ・ゴブリンのような小物ではないだろう。

 しかしだからといって何かが変わるわけではない。強いて言うならば、その自信が絶望に変わる瞬間の貴様の表情がより楽しみになっただけだ。


 行くぞ、ブサイク。この世界にお前は必要ない。今日この場所この時を最期に、お前の物語は終焉だ。



「『白炎』」



 そのつぶやきと共に、開いた手のひらに色を置き去りにした真っ白な炎が灯る。不純物が一欠片も含まれていない、【悪】を焼き尽くす為だけの【正義】の炎だ。ただそれだけのもの。ただそれだけに賭けたもの。


 オグル・リザードの濁った瞳が白い炎を照り返す。その醜い顔面を灰にすげ替えるのが今もう既に喜ばしい。


 今、戦い……いや、断罪の火蓋は切って落とされた。

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