第10話 変身



 白義大学の体育館は、一般的でありふれた構造だと言える。床は樹脂塗装が施された薄茶色のフローリング材が敷かれ、高い天井からは爛々と輝く照明の光が落ちてい……たのだが、今は電気が通っていない。

 普段は1回生の体育の講義やバスケットボール部、バドミントン部、その他サークルの練習場に使用されている。運動靴で床を踏み締めた時に鳴る、床と靴底ゴムのキュッキュッという摩擦音が自然と思い出せるようだ。


 収容人数は見当もつかないが、500人程度ならば余裕を持って過ごせる広さはあるだろう。


 体育館に入りまず思ったのは、暖かいということ。睫毛が氷固まるほどの凍気に支配されていた外界とは打って変わって、快適に過ごせるだけの最低限の礎がここにはあった。


「この気温の高さも、木崎さんが?」


「はい、そうですが?」


「……へえ」


 そこはかとなく冷たげな態度の少女は一旦気にしない方針とする。そうか、焦げ茶色の小動物のような彼女……木崎苺さんのスキル、温熱操作とは俺達にとって必要不可欠であるらしい。彼女がいなければこの500人は全員凍え死んでいるのではないだろうか。


「苺が来たのは4日前なんだけど、それまでは寒さでもうダメかと思ったよ。言ってしまえば、この子は俺たちのライフラインだ」


「えぇ〜?本当ですかぁ?嬉しいですぅ〜」


 柊くんが木崎さんの肩に手を置きながら彼女を褒め讃える。当の木崎さんは満更でも無い様子だが、それ一歩間違えたらセクハラだから。イケメンにしか許されないから。俺がやったら多分通報されるやつだから。


「というか、いつからこんな極寒に?」


「湊くんの意識が無くなった直後からかな。本当に急激に気温が下がったんだよ。湊くんも低体温症になりかけて実際危なかったんだから。苺ちゃん様々だよ」


 俺の疑問に答え、木崎さんに賛辞を送るのは天使……ではなく、天使のように美しい小和ちゃんだ。側部から俺の顔を覗き込んでいる。顔が近い。

 それにしても、この木崎苺という少女は思いの外この群衆にとって重大なピースであるらしい。彼女がいなければ、全滅さえ頭に浮かぶほど。


「まあ今では他に暖めるスキルを持った子が入ってきてくれて、苺ちゃんだけに負担かけることもなくなったんだけどね」


 と思ったが、別に木崎さんだけでこの適温を維持しているわけではないらしい。流石に彼女1人に背負わすのは荷が重いか。


 次に、辺りを見渡して500人の様子を観察してみる。確かにパッと見でそれくらいの人数はいるだろう。簡易テントや布団などを持ち寄り、各々が思い思いに過ごしているようだ。

 ……だが、寂れているという印象が強い。談合する者達、眠りに興じる者、独り言を呟いている者、壁際に座り込んでいる者、涙を流す者、etc。500人という話だったが、それにしては余りにもか細い喧騒だ。いや喧騒にも遠く及ばない。恐らく半分以上の人間は何のアクションも起こしていないだろう。

 異世界転移という事象に取り込まれ、モンスターに生命を脅かされる日々。5日でその変化に適応しろというのも、厳しいものがある。この状況も無理からぬこと。どちらかと言えば、柊くんや小和ちゃん、木崎さん、俺のような人間の方が珍しく、そして異色だ。


「だから!まだ東側だって!」


「そこはもう済んだではありませんか。予定では次は南側のはずだけれど?」


「いや探索は不十分だ!やるならちゃんと潰すべきだ!」


「……それは貴方の私情ではなくて?自殺に私達を巻き込まないでちょうだい」


「お前ッ……!!」


「まあまあ落ち着いて」


 柊くんに付いて館内中央部へ進んでいると、廃れた空気を切り裂きながら何やら剣呑な声が聞こえてきた。ただならぬ声色で揉め事の気配がする。

 その元に近付くと、円卓とそれを囲むようにして立っている数人の人物の存在が視認できた。件の会話はこの者たちのものらしい。


「また揉めてるのか?」


 そんな彼らに俺の傍らにいる柊くんが声を掛ける。嫌気がさしたようなその話しぶりからして、この諍いは日常茶飯事……かどうかは不明だが、少なくとも初めてではないらしい。


「あ、リーダー!良いところに!聞いてくれ、このカタブツがよ」


 俺達に真っ先に気付き歩み寄ってきたのは、長い金髪ストレートヘアに頭頂部のみ黒髪……要するにプリン頭をした、猫目の少女だ。男勝りの口調に、このずかずか物申す態度。前の世界では間違いなく避けていた人種だな。


「わたくしは間違っていません」


 ツンとそっぽを向き唇を尖らせているのは、木崎さんと同じ制服を着用した少女だ。姫カットと呼ばれる髪型で、その言葉遣いもあり、似非お嬢様と呼称したくなる。こんな奴がまだ生息していたのか。中二病の一種か?


「すみませんリーダー。僕ではとても彼女たちを纏めきれません……」


 申し訳なさげに何度も腰を折るのは……これといって特徴のない少年だ。中肉中背、平凡な顔付き。強いて言うなら、その腰の低さと覇気のなさが特色だろうか。


「はぁ……」


 一癖ありそうな面々の顔を見回し、柊くんがこれみよがしにため息をつく。館内は暖かいので吐く息は白くはない。白くはないが……代わりにブルーな気持ちが込められているような気がするのは勘違いではないだろう。


「……あら?そちらの方は?」


 英雄も苦労してるんだなあとしみじみ思っていると、車椅子に座る俺に似非お嬢様が気付いた様子だ。似非お嬢様って呼び方もあれなんだけど、自己紹介もまだで名前がわからないからね。鑑定もどきは無許可使用タブーらしいから仲間内には使えない。

 取り敢えずきちんと挨拶しよう。俺は今の今まで意識がなかったため立場上新参者と大差ない。これ以上所在なさげにいるのもね。


「はじめまして、高杉湊と申します」


「あらご丁寧にどうも。わたくしは卯月うづきかえでです。以後お見知りおきを」


 似非お嬢様……卯月さんはそう言って恭しくお辞儀する。制服を着ているため高校生だと考えられるのだが、それにしては礼儀がなっている子だ。教育の賜物というやつか。初っ端に俺をパッとしないと言い切った木崎さんとはえらい違いだぞ。似非じゃなくて本物のお嬢様かもしれない。


「湊くんは、かねてから付き合いのあった友達なんだ。スキル持ちで頼りになるから仲良くしてくれ」


 柊くんが車椅子の背部に手を置き、俺を売り込む。言うほどかねてるか?……いや、考えれば考えるほどかねてないな。この異世界騒動直後に知り合ったわけだから、まあ遅い出会いではないのかもしれないけど。


逢沢澪あいざわみおだ、よろしく」


「僕は花月桂樹はなづきけいきと言います。リーダーのご友人なのですね。宜しくお願いします」


 猫目プリン……逢沢さんと、特徴のない花月くんも卯月さんに続き自己紹介をしてくれた。何処にでも溶け込みそうな花月くんは兎も角、卯月さんと逢沢さんは一目見る限りでは相性が悪そうだ。


「ん?おい湊、どっか怪我してんのか?」


 車椅子に座る俺を見て、逢沢さんが心配げに詰め寄って……じゃなくて近寄ってきた。俺達は紛れもなく初対面なんだけど、どういう訳か彼女は旧来の友人くらいの振る舞いしている。いやまあいいんだけどね。


「いや、これは怪我というか……体が上手く動かせなくて」


「……!もしかして飽和してんのか?」


「飽和……?」


 逢沢さんが猫のような瞳を更に鋭くさせ、語勢を低くする。そのギャルのような外見でされるとある種、詰問のようにも思えるのだが、そんな瑣末な事はどうでもよくて。

 不意の単語の意味が分からない。飽和とそういったはずなんだけど、飽和とは最大まで何かが満たされているという状態を指す言葉だ。全身が弛緩している状態と飽和という現象は、どう思考を凝らしても繋がりは見えない。


「あー、そうだその説明がまだだったな。さっき、湊くんの身体不調には心当たりがあるって言っただろ?」


「うん」


 説明を求める時に説明をしてくれる、柊くんという男はやはり仕事が出来る。確かにそんなことを言っていた。5日間昏睡状態に陥っていただけでは解明できない、この倦怠感の起因究明、そして問題解消。その手立てがあると。


「俺達は、スキルを使って奇跡に近い事象を起こすだろ?食事を取らないのに、どこからそのエネルギーが来てるのかとか、なんで生きてられるのかとか、その辺りはまだ分かってない。ただ、スキルを使うために何らかの『力』を体内に飼っていることは間違いない」


「そうだね」


「逆を言えば、スキルを使わないと力が体内に残り続けてしまうことになる」


 まあ何となくは理解出来る。その力とやらの正体は不明だが、それは資源とも言い換えられるだろう。車で例えれば、ガソリンに相当する。車がガソリンを燃焼させて走るように、俺達もまた力を消費してスキルを行使しているのだ。

 スキルという形で現れるならば、絶対に何かを消費しているはずなのだ。無から有が生まれることはない。質量保存の法則だ。……ちょっと違うか?

 柊くんは体内に貯蔵されている見えない力をスキルに代替していると考えているらしい。


「仮説続きになって申し訳ないんだけど、恐らくこの力は今も尚、体内に溜まり続けている。しかしどんな物にも限界容量が定められているから際限なく力が溜まり続けることは有り得ない」


「体内のキャパシティを突破したら、不都合が起こるってこと?」


「……でも実際、スキル持ちのほとんどは今のところ何の悪影響もないんだ」


「ほとんど?」


「スキル持ちのさらに1割、つまり全体の約1パーセントの人間には何らかの悪影響が生じることが分かっている」


 うーん。なるほど。話が見えてきたぞ。その悪影響とやらがズバリ身体の倦怠感で、俺がその1パーセントに該当すると。

 覚えるべき情報が多いな。それにしてもこの5日間でモンスターと死闘を繰り広げるつつ、ここまで仮説を確立するとは。超人か何か?

 仮説というのは、今手に入る充分じゃない限られた情報を元に結論をイメージし、矛盾がないかどうか何度も試行錯誤して構築するものなのだ。本質を捉える柔軟な思考力と可能性を生み出しては切り捨てる批判的思考力が不可欠である。当然膨大な労力と時間も必要になってくる。それをこの異常事態の最中に行ってみせるこの東雲柊という男は……。


「……」


 まあ柊くんの凄さを考えるのはキリがない。彼は俺なんかとは立つ土俵が違うのだ。


 とりあえず、毎度ながら情報を整理しよう。実の所、柊くんの仮説にも穴は多い。しかし、そんなファンタジーなことは起こらない、という前提を真っ向から否定するのはナンセンスだ。ここまでピースが揃っているのに、まだ夢を見ているだとか、壮大なドッキリにかけられているだとか主張する奴がいるならば、そちらの方が頭がおかしい。夢やドッキリであんな痛苦を味わってたまるものか。そのため、その前提には干渉しない。

 柊くんの仮説に穴が多いというのは、別に彼の考えが及んでおらず、結論までの過程が稚拙だという意味ではない。寧ろ、考えうる最適解を出していると褒めるべきだ。勿論抜本的に誤っていて全部的外れだという線もあるにはあるが、そう大筋から外れたものでもないように思う。問題なのは、その前提となる情報量の少なさ。『力』があるのは予想できるとして、ではその供給源は何か。それをスキルに変換するアルゴリズムも不明確。そもそもスキルが何なのか、俺達という存在自体も説明が危うい。

……だが、まあ正直この辺りは考えるだけ無駄。恐らくミクロな世界に踏み込まないと分からない領域だ。マクロの単位でしか世界を観察できない俺達には、知覚すらできない程遠い場所。だから、これは考察対象から爪弾きにする。絶対に解けない問題だ。


 となると、俺が今模索するべきなのは、1パーセントに含まれてしまった要因と倦怠感の解消策だろう。ただ、その点に関してはさほど心配していない。というのは、この円卓に集う顔触れの様子がまるで切迫していないからに他ならない。


「それで、悪影響があった人は今どこにいるの?」


 まずはこれを聞かないと始まらない。一人一人の顔を順に見回し、先を促す。この答えで俺の運命も決まるというもの。よもや飽和とやらは不治で手の打ちようがないなんて返答が返ってこようものなら頭を抱えざるを得ないのだけど。


「はい!私だよ湊くん」


「俺もだな」


 前者は天高く、後者は控えめに挙手する。その2名は、俺とは縁のなかった人物が集まるこの場において、比較的知己と呼べる間柄であった。


「……」


「あれ?今またお前らかって顔しなかった?」


「心外だな」


 2人の男女……小和ちゃんと柊くんは腕を組みながら不服をアピールする。俺の意識が目覚めてからのこの2人の妙な距離感の近さは何なんだろうな。知らぬ間に何かあったのか……それともこれが陽キャラたる所以なのか。


「本当はあと2人いるんだけど、生憎今は付近の見回り任務に就いてるんだ。もうすぐ戻ると思うから帰ったら紹介するよ」


 その2人と、柊くん、小和ちゃん、俺で5人。500人が住まうこの大学で、丁度1パーセントの計算になる。


「それで?柊くんと小和ちゃんがこうしてピンピンしてるってことは、この身体不調は治せるんだよね?」


「うん!もちろん」


 小和ちゃんのその溌剌な声を聞くだけで俺は癒されるよ。美少女は世界の宝。キラには及ばないけどね。


「飽和の弊害から回復したいなら、飽和状態じゃなくせばいい」


「つまり?」


「……スキルを使えば、身のうちに溜まった力は発散されて、その身体の倦怠は消えるはずだ」


 なるほど。それは正に自明の理か。許容量の最大値まで溜まった力が良からぬことを働いているのならば、その原因自体を用いてガス抜きをしてやればいいと。至極単純で明快な答えだ。


「そもそも、なんで他のスキル持ちには飽和がないのに、俺たちだけあるの?」


 身体不調が是正できる症状なのはこれでハッキリした。後で『キャラクターメイキング』を使って力を体の外へ排出してやればいい。しかし、大多数が当てはまらないのに、俺たちだけ飽和に見舞われるロジックが分からない。


「あー、それは」


「わたくしが説明致しましょう!」


 柊くんが口を開いた瞬間、ずいっと横入りをかまし、薄い胸に手を当て声高々に宣言したのは卯月楓……現代に甦りし似非お嬢様である。輝くような黒髪を靡かせ、胸を張る。


「えせおじょうさ……卯月さん、じゃあお願いします」


「今似非お嬢様と言いかけなかったでありません?」


「滅相もないです」


 つい心中の呼称を使いそうになってしまった。これはいかん、悪い癖だ。ジト目で睨む彼女の威圧を真摯に受け止め、俺は猛省する。反省はするが、二度としないかどうかは分からない。


「こほん。では、改めまして。飽和が起きる条件というものを高杉様にお教え致しましょう」


「お願い致します」


 自然と背筋が伸びる思いだ。似非でもなんでも、お嬢様と呼ぶに値するだけの品位と風格が卯月さんにはある。そんな彼女と対話していると、こちらまで感化されてしまいそうになる。


「一言で言ってしまえば、強力なスキルを保持していること。この点につきますのよ」


 卯月さんは人差し指を立て、少し前屈みに俺を見つめながら荘厳に言い放つ。


「はぁ……強力、ですか」


 強力……強力ねぇ。単語は分かるんだけど、なんというかどストレートすぎて。

 いまいちピンと来ず、何となしに補足を求める思いで周囲の顔ぶれを見渡す。柊くんと

小和ちゃんは俺を一心に見つめ、木崎さんは興味無さげに髪を指で弄っている。逢沢さんはうんうんと仰々しく何度も頷き、花月くんは……無表情で何考えてるかわからない。


「……強力とは、単純にそのスキルがモンスターを倒すのに適しているということですか?」


 皆から救いの手はないのだろうと諦念を抱き、卯月さんに仕方なく聞き返す。この子と話しているとこっちまで大袈裟な敬語をつい使っちゃうから労力がいるんだよなあ。


「よくぞ聞いてくださいましたわ!強力と、わたくしはそう言いましたわね!?」


「はい、おっしゃっていました」


 なんか急に卯月さんのエンジンがかかったんだけど。なんだなんだ。


 姫カットを跳ねあげ、頬を紅潮させた彼女は、どこを切り取っても興奮している様子であることが見て取れた。年齢は聞いていないが、年相応のはしゃぎっぷりのように思える。


「強力なスキルとは、何も戦闘力に直結するものを指すわけではありませんわ。戦いとは、大規模になればなるほど要求されるピースが増えるものなのです。肉体の頑強さは勿論のこと、作戦を組み立てる頭脳、味方を動かす指揮。前衛は身を呈して敵を押し留め、中衛は前衛の穴を埋め戦況を有利に作り、後衛は前方支援と指揮系統を担う。本当に奥深いものなのですわ」


「……そうなのですわね」


 よく分からんけど、凄い語り出した。いや内容はまあ俺もゲーマーの端くれだったわけだから理解できないこともないんだけど。どうにもお嬢様には似つかわしくない戦闘論というか。少し意外で驚いたせいで口調が移ってしまった。

 この子も前の世界ではゲームを嗜んでいたのだろうか。それともこの世界に来て戦闘に魅力を感じてしまったのだろうか。どちらにせよ、モンスターがのさばっている状況でこうも明るく振る舞えるというのは才能だろう。

 

「ええ!ええ!そうなのですわ!例えば、英雄の名を持つ東雲様のスキル『真の英雄』。これは、身体能力を桁外れに増幅させるのです。どんなモンスターも一撃でお陀仏ですのよ」


「ほお」


 『真の英雄』にはそういった効果があるのか。身体能力の上昇とは一見シンプルに思えるが、シンプル故に強い。何しろ腐ることがない。どんな状況、どんな環境に置かれても、必ず力を発揮してくれる能力だと言える。


「そして!七瀬様の『熾天使・癒』。天使、それも最上位の天使の名を冠するこのスキルは規格外ですわ。何しろ、人間の『死』以外の全ての異常を正常に引き戻せるのです。怪我、病気、状態異常。例え手足が欠損していても、体に大穴が空いていたとしても、生きてさえいれば必ず治せるのですわ!」


「……!それは」


 『熾天使・癒』。聞く限りでは、その効能は余りにも格が違う。違いすぎる。

 俺はそのスキルを使って助けられたと聞き及んでいる。じゃあ他人だけではなく仮にその力を自分に使えるとしたら。即死以外の全てのダメージを瞬時に回復し何度も復活する無敵のゾンビ兵隊だ。

 ただそれは流石に考えにくい。資源は無尽蔵ではない。回数制限やいわゆるクールタイムのような枷が設けられているはず。


「楓はいつも大袈裟だからな……」


「照れちゃうね」

 

 卯月さんの大層なスキル紹介を受け、美男美女がどことなく恐縮しておられる。そんな姿も様になる。

 というかなんで柊くんは全ての女を下の名前で呼んでるんだ?陽キャラだから?イケメンだからか?


 ……まあそれはいい。とにかく、飽和が起きるのは強力なスキル持ちに限るらしい。この強力とは、恐らく体内の力をバカ食いする程燃費が悪いことをいうのだろう。だから俺たち強力なスキル持ちは、普通の人よりも多く力を取り込んでいるのだ。そうでないとスキルを使えないから。それで強力なスキル持ちのみが対象にあがるわけだ。


 漸く色んな疑問に合点がいった。


「それで、ですわ!高杉様は、どのようなスキルをお持ちなのでしょう!」


 喉のつっかえが取れ晴れ晴れとした気分でいると、卯月さんが両手のひらをパンと合わせ、照明を反射した輝く瞳をさらけ出す。

 彼女はスキルマニアか何かか?そんな期待に満ち溢れた様子で見られてもとても困るのだが……。


「教えろよ湊〜。教えないと"見ち"まうぜー?」


 猫目プリン……逢沢さんが肘をぐりぐりと俺の肩に押し付ける。こちらもこちらで、何やら俺のスキルを待ち望んでいるみたいだ。俺は飽和症状が表出している。彼女たちからすれば、『真の英雄』や『熾天使・癒』に並ぶ強大なスキルを俺も持っていることになる。それを否定する気はないし、『キャラクターメイキング』がはずれスキルなんて宣うつもりもない。実際にこのスキルは強すぎるくらいに強いのだから。


 ……ただ。


 思い出すのは、先刻の木崎さんの反応。俺が女の子に変身すると聞いた途端、うんこの傍に横たわるハエの死体を見るくらいの熱量の目に早変わりしたのだ。なんとも言えない背徳感……ではなく、絶望感であった。


「……?どうかなさいました?」


 くっ。しかし俺の様子を見て、不安を募らせ始めた卯月さんを目の前にして、教えないよーん!とは口が裂けても言えない。実際、この先モンスターと戦うならばスキルはいつかは使わなければならないし、身体の倦怠感を解消するためにも早めに使っておきたい。仲間内で能力の共有を事前に行っておくことも大切だろう。今渋ったとしても、いつかはバレる。


 ……やるか。よし。

 幸い今はゆったりとした入院着を着用している。体付きがダイナマイトボディの女性に変わったからといって、惨事にはならないだろう。

 

「……わかりました。ではこの場でお見せしましょう」


「「おぉ〜!」」


 俺の覚悟を宿した返答に、卯月さんと逢沢さんが拍手と歓声をもって応える。柊くんや小和ちゃん、花月くんまでも期待した眼差しで静観する。唯一木崎さんだけが無関心である。

 これ以上なくハードルが上がっている気がする。キラが最高で最強なのは歴然たる事実なのだが、こうもやりにくい披露が今まであっただろうか。願わくば、彼女達の待望値を下回りませんように。


「はぁ……では行きます」


 車椅子に座ったままではあるが、キラに変身する準備を始める。誰かに習ったわけではないが、俺の魂にはキラに変身するプロセスが焼き刻まれている。


 問題なく、実行できる。


 まずは悲哀。親に捨てられたキラ・フォートレスが流れ着いた第二の故郷とも言える村は【悪】に踏み躙られ、新しい家族が血祭りにあげられた。飢えに飢えて、腐り切った両親の内蔵を食したあの記憶。


 次に憤怒。誰にも迷惑をかけず細々と暮らしていた弱者が当然のように嬲り殺される理不尽。その理不尽が溢れ、【悪】が何事も無かったかのように往来している。低劣で、醜い。


 最後に、いびつに膨張した悲哀と尖らせ続けた煮え滾る憤怒をぐちゃぐちゃに混じり合わせ、強固な使命感を付与した【正義】。

 この【正義】は、魂を朽ちさせ、脳を焼き切り、手足を壊す。【悪】を滅ぼす、諸刃の概念。それでもいい。それがいい。その生き方しかはできない。最適で、最良で、最善。


 私の存在すら呑み込もうとするこの嵐のような激情。迸って、煮えくり返って、沸いて、沸いて、沸いて。制御が効かなくなっても、尚も湧き出て。


 身を委ねればいい。細胞の一つ一つから滲み出る【正義】は、私の体が風化しても不滅。

【正義】は繁栄する。【悪】は滅びる。世界はそういうふうにできている。それを邪魔だてしているのが、他でもない【悪】だ。


 だから殺す。死んでも殺す。虐殺する。それが全人類の意向で、世界が望む在り方で、変えられない理で、何よりも。


 私の【正義】だ。


 『俺』の体を構成する全ての線がブレる。瞬きの間に、身体が再構築される。髪は水流のように伸び盛る。胸部は脂肪が乳房を形作り、腰は引き締まる。細く、柔らかく、しなやかに。かといって、脆弱さは微塵も感じさせず。一挙手一投足において空気が軋み、世界が怯える凄みが今の『俺』にはある。


「よーし」


 は拳の小骨をパキパキと子気味よく鳴らし、車椅子から立ち上がる。この、床を踏みしめる確かな感触を待ち焦がれていた。


「今日も頑張っちゃいますよー、です」


 ああ、嬉しい。喜ばしい。愉しい。今日も【正義】が【悪】をぶち殺すのだ。どうか、漏れなく、1匹残らず、殺す直前に命乞いをしてほしい。そいつの首を躊躇無く跳ねるのが、何よりの快感。善行を積んでいるという実感が得られる。


 私は『俺』とは違う。

 この体育館の【悪】の恐怖に打ちのめされた500人の弱者。この者たちの姿を見て、私が何を思う。『俺』は痛々しいと、そう同情しただけだった。


 ふざけるな。そんな安い同情で、弱者が救われるのか?【悪】が慚愧ざんきを自覚するのか?


「駆逐ですね」


 それしかない。私がこの辺りの【悪】を一掃すれば、この弱者たちも少しは心落ち着くだろう。もっとも、彫りつけられた恐怖と大切な人を失った悲しみは決して消えることは無いが。それでも、『俺』の腐った同情よりはマシだ。


「あ……え?高杉様……?」


 これからの算段を立てていると、僅かに震えた声で『俺』の名前を呼ばれた。彼女は確か……卯月さん。見た感じ【正義】側ではありそうだけど、確定ではない。


「違います、です。私はキラ・フォートレス。【正義】を体現する者です」


 卯月さんの揺れ動く瞳を見やり、自己紹介を行う。さて、彼女は【正義】か、それとも【悪】かな。見定めるように目を細める。


「ひっ……」


 すると、彼女はどういうわけか腰を抜かしたようにその場に座り込んでしまった。まるで弱者が【悪】を見た時のような反応じゃない?不服なんだけど。意義を申し立てたい。


「……キラさん、久しぶり」


 頬を膨らませて不満を顕にしていると、聞き覚えのある声色で話し掛けられた。堂々としていて、精悍なこの雰囲気。勇猛果敢、そんな言葉が彼には良く似合う気がする。


「お久しぶりです、英雄」


「あはは……そういえば前にもそんな呼ばれ方したな」


「キラちゃん!」


 その時、突如として正面から私に抱きついてきた女性がいた。結構な勢いがあったように思うんだけど……。彼女は、ここまで車椅子を押してくれた、例の『狂ったお人好し』。


「七瀬さんも、お久しぶりです。車椅子で私をここまで運んでくれてありがとう、です」


「うへへ」


 彼女は少し膝を折り曲げわざと目線を低くした上で、私のおっぱいに顔を埋めている。両乳に挟まれた顔で見上げ、相好を崩す姿は正に天使。いつの間にこんなに懐かれたかな。『俺』の記憶を漁ってみてもこころあたりがない。……まぁいいか。いくらでも私のおっぱい使っていいよ、うん。


「……おい、なんだそれ」


「あなたは、なんなんですの……?」


 七瀬さんの顔面を両乳で挟み込みもみくちゃにして遊んでいると……えっと誰だっけ。あ、そうだ。逢沢さんと卯月さんが掠れた声を発した。小刻みに震えた指で私を指しながら。人を指さしちゃいけません。


 ……なんだろう。彼女たちは私を……怖がっているような反応を時折見せる。おかしい。


「おい!リーダー!」


「東雲様!!」


 2人は今度もタイミング揃って英雄を呼ぶ。仲良いのねあなたたち。でもその一刻を争うような、逼迫したような鬼気迫る形相はどういうわけだろうか。その感情の行く先が私ということは分かるんだけど……。


「この女はッ……!!」


「この方は!!」


 尋常ではないほど吊り上げられた目尻。語気を荒らげるほどの感情の発露。ただ事ではない何かを彼女達は私に感じ取っているのだ。それが何か、私には察せられない。……恐怖のようにも思えるけど。


 2人は大きく息を吸う。次の瞬間、大々的に答え合わせが行われるだろう。自然と唾液を飲み込んでしまう。彼女達が私に抱く思い、その答えは果たして……。



「なんッて美少女なんだァ!!!」


「なんという美少女なんですのぉおお!!!」


 

 盛大なる答えは館内に大きく、それはもう大きく轟いた。耳鳴りがし、音に物量が伴う錯覚を経ても尚言葉尻は反響を続ける。いつまでも。いつまでも。木霊のように。


 静まり返る中、私のおっぱいを堪能する七瀬さんの荒い鼻息だけが唯一の他音だった。


 

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