第14話 最低と最高




「痛ミハ、始マリダ。終ワリモマタ近イ」



「ああお前の地獄の始まりで、現世の終わりだな」


 頭部の右側を大きく凹ませ、脳みそかと思われるピンクのミンチを垂らせながらも、【悪】は悠然と背を伸ばす。狂気じみていた錯乱状態から何故か脱しているようだ。


 確信していることだが、こいつの寿命は残りわずかだ。今奴は崩れ去る直前の命を消費させながらああして立っている。だから適当にあしらって時間を稼いでいれば何れ決着はつくだろう。    

 しかしそれは愚策もいいところ。そんな受け身な姿勢で衝突すれば瞬く間に敗北を喫する事になる。そうなれば、命が燃え尽きる前に東雲くんと深冬さんを殺害して、そのまま魔の手は体育館にまで及ぶだろう。


「キラさん大丈夫!?」


「……ん、巨乳はまもなく死ぬ」


 すると、タイミング良く安全を危惧していた2人から声を掛けられた。東雲くんは相変わらずの優男だが、深冬みとは何か癇に障る。こう、気分で適当かましてくる態度が。【正義】ではあると思うんだけど、むかつくから後でお仕置するか?


「安心して見ていろ」

 

 心配しなくともこいつはここで確実に殺す。


 そのためにも、まずは私の右足首をどうにかしないと。【悪】に不意をつかれ、投げ飛ばされた私の唯一のダメージは、この掴まれた部位だ。ちぎれなかっただけマシだな。ちぎれて欠損した傷は、私の低レベルの治癒能力では治せない。七瀬さんの能力なら別だろうが……。

 取り敢えず「白炎」加密列で、


「治癒」


 足首にほんの少しの温かさを感じた後、皮膚が波打ち瞬時に傷が回復する。相変わらず気持ちが悪い過程だが仕方ない。因みに当然ながら白炎で私がダメージを負うことはない。自分の魔力由来の熱だからだ。だから大鬼蓮に接触したとしても、なんら問題にはならない。

 

「ふう」


「痛ミカラハ逃ゲラレナイ」


「あ?」


「―――俺コソガ痛ミダ」


 精神的混濁はひとまず落ち着いたみたいだが、また別の意味で頭がおかしくなったらしい。痛み、痛みと、ひたすらに宗教のように反復する。痛みに何か因縁があるのか、それとも私のパンチが余程痛かったのか。まあこいつの生い立ちなどに欠片も興味はないし、痛みをそんなにご所望なら存分に痛めつけてやる所存だ。


「だから歯食いしばれよ」


 動こうとしない【悪】向かって、私は猛進する。黒い流星が白雪を切り裂いた。

 殺す、殺す、殺す。肉の一片になるまで殺す。

 

 今、この処刑の最終段階に足を踏み入れた。

 

 

* * *



 雪は白い。


 血は赤い。


 血肉は赤黒い。


 殺意と集中力と、それと【正義】の心だけを残して、付随する残りを削いで、削いで、削いで、極限を抽出すると世界はどう見えると思う。

 正解は生々しい色だけ、だ。


 分かりづらいかもしれないが、それが答え。巡り巡る死因の種を避けて、【悪】を滅する攻撃を放って、また避けて、放って、避けて、放って。そんな攻防の時に知覚できるのは、生々しい色だけなのだ。白の上に立ち、赤を飛び散らせ、赤黒を打ち抜く。

 骨髄まで響く衝撃の余波も、乳酸が絶え間なく溜まり続け次第に硬直する全身も、知っている。加えて今回は異常な冷気により手足の指から感覚が失われていく。ただ、そういった雑念すら思考に挟む隙がないのが、厄介な【悪】との会敵である。


 だから、只々拳に殺意を込めて振るい、相手の一挙手一投足に集中し、心に【正義】を宿して己を奮起させる。それだけで取り巻く世界は活きた色のみになる。


 そう、今のように。


「……ふっ」


 奴に浴びせるのは、怒涛のような打撃だ。豪雨に打たれるが如く、全身をくまなく攻め立てる。眼球、人中、左顎、鎖骨、肘関節、肋間、鳩尾みぞおち、脇腹、睾丸。ありとあらゆる部位に叩き込む。

 赤黒く細かい肉片が弾け飛んだ。

 

「ブピッ……!」

 

 何やら豚野郎がおかしな音を発するが、連撃を止めるつもりは毛頭ない。豚野郎の股間を蹴り上げ、今さっき掌底で半分潰した睾丸をさらに追い込む。足の甲にウズラの卵が割れたような感覚が伝わった。


「……ゴプォ」


「おら去勢だ」


 豚野郎の、口に該当する器官だと思われる穴からピンク色の泡がブクブクと溢れ出てきた。白色の泡に血が混ざっているのだろう。

 一説によると、睾丸損壊は、同時に骨を3200本折るのと同等の痛みであると言われている。それは女性の出産時の痛み、実にその150倍以上に昇る数字だ。眉唾な数字ではあるが、睾丸は歴とした臓器の一つであり内臓が潰されたとあっては微かな信憑性も感じられる。

 もっとも私にはそんな汚いものはついていないので痛みに共感は…………。……できてしまった。そうだ、忘れてた。『俺』がその雷が走るような痛みを鮮明に覚えている。


 ……。


「……」

 

「ビョボ」


 今心底不快な気分になったので、もう一度豚野郎の睾丸を潰しておく。なんで美少女の私がこの痛みに共感しなくてはならないんだ。潰す側だぞ私は。


「不愉快だ」


 その場で軽くジャンプし、腰から鋭く回転するイメージで顔面に回し蹴りを放った。恐らく頬に該当するであろう箇所に深くめり込み、豚野郎は穢い顔面を地面に擦り付けながら変な体勢で吹き飛んでいく。どんどん不細工になってしまうな。この世で1番醜く整形してから殺そうかな。


 豚野郎はそのまままた図書館に突っ込んでいく……のかと思いきや、突然身をひるがえして上体を起こし、不格好な雪面着地を成功させた。その丈夫さに対して不審に思いながら様子を伺っていると、息を切らしながらも喜色に塗れた顔面が確認できた。また何処と無く身体付きがさらに大きくなっている気がする。


「……!」


 あれは……少し、いやかなりおかしい。


 睾丸は2つとも破壊した。それなのに、ああして立てるはずがない。業腹なことだがその痛みの一端を知る私が断言する。あのタフさはおかしい。ショック死すら選択肢に入る程の激痛だぞ。


「痛ミ、痛ミ。子宮ヲ抉ラレル痛ミハドンナダ?」


「……」


 【悪】は、自らの下腹部を何度も殴り付け首を傾げる。醜悪な問い掛けだが、今はどうでもいい。あの子宮の持ち主は手厚く弔うし、仇は討つからだ。

 それより今考えるべきなのは―――。


「痛み、か」

 

 ひたすらに繰り返すこのワード。これがあの異常な耐久力の鍵となるものだろう。というのも、この手のモンスターはスカイドラゴンテイルにも生息していたからだ。ダメージを負えば負うほどに強化され死亡するまで猛威を振るい続けるドMなモンスター、通称Mモンと呼ばれていた。

 Mモンの厄介なところはひとえにそのしつこさにある。何せ明らかに大きな致命傷をいくつも抱えているのに力尽きないのだ。それは正にこのオグル・リザードのようだった。

 

「ヨコセヨ子宮。痛ェゾ?」


「……」


 死にかけの豚野郎は私の子宮に拘泥しているらしく下腹部に下卑た目線を送ってくる。今すぐぶち殺したいところだが、果たしてこのまま打撃を与え続けて殺し切れるかどうか……。


「ヨコセヨォッ!!」


 痺れを切らしたのか豚野郎が顔面の右下に空いている大穴……恐らく口を大きく開けてタックルのような低姿勢で突っ込んできた。速いし、デカい。攻撃は直線的ではあるものの、その範囲が広いこともあり、足元をすくわれてしまうかもしれない。


 ギリギリまで引き付けてから闘牛士のようにひらりと躱す。そして剥き出しの脇腹に肘を押し込んだ。筋繊維が断裂する音がした後その巨体は軽い発泡スチロールのように飛ばされ―――


 ずに、血反吐を吐きながら踏ん張る。


「ゥオオッ!!」


「……」


 豚野郎はそのまま横薙ぎ、手刀の袈裟斬り、掴み、のしかかりなど、多彩に技を披露してくる。また活きた色の世界に入った私は枯葉のような身軽さで全てをかわしきる。現状は微塵も負ける要素がない。時間さえあれば打撃だけで十分に殺せる。


 ……だが。


 ここで頭を過るのは、1つ目はこの気温。氷点下はゆうに下回るだろうこの寒気では、時間が経過すればする程に体が固まり不利になる。豚野郎はその持ち前の脂肪から保温効果があるだろうからな。


「フヌァアッ!!」


 そして2つ目の懸念。それは、マジック・ゴブリンとの邂逅にまで話は遡る。あの時私は確かにマジック・ゴブリンを抹殺するために動き出したつもりだった。それなのに先触れもなく私の意思には反して、キラ・フォートレス状態は終わりを告げ、いつもの『俺』に戻っていたのだ。エネルギー切れか時間経過か、それとも別の原因か。いずれにせよ、『キャラクター・メイキング』は半永久的に変身可能な能力ではないということだ。


 豚野郎が小物だとしても、流石に『俺』では歯が立たない。即ち変身効果が切れる時、それは敗北を意味する。もちろん東雲くんと深冬が控えているため最悪の事態になるかどうかは分からないが、万全を期するべきだろう。


「ウゼェ!」


「……」


 だからこそ、いつ殺し切れるか不明なのにいつまでもちんたら殴り続けるわけにはいかない。決めるなら、本気で、最短で。一撃で確実に仕留められるように。


「ウゼ……ビョゴッ」


「お前うるさい」


 ノロい右ストレートを回避し、ローキックで足の骨を折ってやった。豚野郎は刹那に痛がる素振りを見せるものの、次の瞬間には薄ら笑いのような表情を浮かべてまた立ち上がる。これだからMモンは。


「良イ痛ミダァ」


「あっそ」


 本当は、取りたくなかった手段だ。だってこいつは激痛に呑まれて後悔しながら死ぬべきだった。これまで蹂躙してきた命の価値を省みて、懺悔するべきだった。しかし、こいつはもう痛覚ではどうにもならない域まで狂っている。


「残念だ」


「……ァア?」


「最適には程遠い。だけど、きっと犠牲者達も許してくれる」


「……ナニヲ」


 『痛み』で死ぬ直前に屈服させるのが理想形だ。生物が忌み嫌い、甚大なストレスを感じる現象がそれだから。でもそれが通じないなら。それが叶わないなら。代替案を考えるしかない。

 そうなった時、次点で思いつくのは。



「『恐怖』だな。お前は怯え死ね」

 


 言われている意味が理解できないと間抜け面を晒す豚野郎を無視して、私は早速構築に取り掛かる。

 必要なのは、圧倒的な火力。雪も、肉も、地も、空気も、空間も燃やし尽くす極大の業火。濃密に集約された無尽の白い炎。イメージするのは、大砲だ。爆弾は無意味な被害が広がるから却下。


「『白炎』泰山木たいさんぼく


 私が両手の掌を前方に向けると、空中に大きな盃と見紛う程立派な一つの花が開花する。これは、樹高20メートルにも届くモクレン科の常緑高木、泰山木に咲く白い花だ。その大きさは20センチを超える。


「……ソノバレバレノ攻撃ガ当タル訳……ア?」


 豚野郎は、泰山木の花が含有する莫大なエネルギーを悟りその場から退避しようとする。しかし、当然ながらそんな真似は許さない。「白炎」折鶴欄おりづるらんで奴の腰から下と大地は既に固定を完了させている。根を張るように辺り一面に張り巡らせているため、束縛から脱するためには周囲直径100メートルの地表を脚力だけで引き上げなければならない。


「動、カネェ」


「泰山木の花言葉を教えてやろうか?」


「……動カネェ」


「それはズバリ『前途洋々』だ」


「動カネェ動カネェ動カネェ動カネェ!!」


 必死に身を捩らせ折鶴欄の草を引きちぎろうともがくオグル・リザード。そんな【悪】を愉快げに見つめ、ついぞ破顔した私は教えてやる。



「『前途洋々』とは、人生の先行きが大きく開かれて、未来は明るいという様子のことだ!」



「動カネェェエエエエエエェエエァアエッ!!!!!」


 まあこの前途洋々が当てはまるのは、私を筆頭とする【正義】、それに弱者の皆であり決してお前のような臭い豚ではないんだがな。

 どれだけ策を弄しようとしても、火事場の馬鹿力を再現しようとしても、その束縛からは絶対に逃げられない。物理的に不可能だからだ。痛みを与えているわけではないからパワーアップも期待できない。


「どうだ?絶望し、『恐怖』しているか?」


「殺ス殺ス殺ス!!」


 憎悪で気色ばんだ顔付きで、噛み殺さんばかりに睨み付けてくる【悪】。そう、それが見たかった。私は嬉しさのあまり綻ぶ顔を隠そうともせず、泰山木の構築を進める。


「絶対二殺ス!家族、知人、全部殺ス!子宮グチャグチャ二シテゴブリン二食ワセテヤル!!」


 今回は『白炎』泰山木は大砲のイメージを土台に、炎に指向性を持たせる仮想を行う。要するに今この場で大爆発を引き起こすのではなく、前方……つまり豚野郎に向かってその炎が突き進むように設定するということだ。


「死ネ死ネ死ネ死ネ!!」


「「……」」


 もう処刑も佳境に差し掛かったため東雲くんと深冬に意識を向けると、2人は小難しい顔で黙り込んでいた。何を思っているのか伺えないが、喜んでいるわけではなさそうだ。まあいい。


「恐怖はどうだ?ほら、もう死ぬぞ」


「オ前ヲ殺ス!ァアァア"ッ!!!」


 ふむ。顎に手を当てて、【悪】の様子を観察してみる。

 汗の量が比較にならないほど増えている。眼球の運動も上手く定まっていない。筋肉も微痙攣を起こしているな。心拍数も跳ね上がっている。


 ……うん、凄まじい恐怖を感じているようだ。どうやら痛みは無いに等しいようだが、ちゃんと恐怖感情は抜け落ちていないらしい。恐怖というのは防衛本能の一種だからな。これが無いと、負の事象を避けようとも思えない。だから残して正解だ。


「ァァアッ!!オァオオ!!!」

 

 もっとも、今恐怖が残存していることが幸か不幸かは当人次第ではあるが。私的には無論幸だな。

 

 『死』という現象は、最も根源的な恐怖だ。『生』を授かって生活する生物にとって真逆の存在だからな。いつか必ず来る死を心の底から恐れて、それでも生物は今日も生き足掻く。そんな状態で正常な精神を保っていられるのは、死がまだ先の話だからだ。いつか分からない遠い未来にやってくる、そんな曖昧と絶対を併せ持った存在だからこそ、生物は精神の均衡を保てている。


「ァ"ァアァア"ッ!!ゴロズッ!!オァオオ"!!!」

 

 しかしある日突然、「あ、君あと5秒で死ぬよ」と神様に告白されたらどうだろう。狼狽し、困惑して、そして最後には特大の恐怖をもって死んでいくはずだ。


 断言する。


 いずれ来たる『死』よりも、間もなく降り掛かる確定した『死』は、はっきりと怖い。くっきりとした輪郭があるどデカい死を叩きつけられるのだ。


「ヤァメロ"ォオオオ」


 全員、こう・・なる。それは多分【正義】も弱者も【悪】も似たり寄ったりで、恐怖するだろう。それは痛ましく、とても聞いていられないような魂の絶叫だ。


 ただ。



「お前ら【悪】の絶叫だけは、何千回、何万回聞こうとも、私の良心は何ら影響を受けない」



 なぜなら、こいつら【悪】が捻り潰した大量の弱者達も、一人一人が同様に迫り来る確定した『死』という未来を恐怖していたからだ。どれだけの絶望と、諦念と、悲観の中その人生に終止符を打ったと、打たされたと思っている。想像するだけて胸が締め付けられる。


 これが自業自得というやつだろう。本当はこいつが殺した全ての人々の絶望を凝縮させて味あわせてやりたいのだが、それは実際問題難しい。だから、考えられる最大の苦痛を与えてから殺すようにしているのだ。それが目いっぱいの弱者への配慮だ。


「今、泰山木の構築過程まで終わった。後は発射するだけだ」


「ァアァア"!ァ"ァア"ッ!離ゼェ!!殺ズ!!ァアアア"!!!」


 まるで獣のようだ。恐怖で頭がおかしくなったのだろう。もう少し眺めていたい好奇心が顔を出すが、その間に変身が解けてしまうとマズイ。ここは潔く終わらせてもらおう。


「最大の恐怖を抱いて」


 苦痛もブレンドしたかったが、無い物ねだりはしない。明確な死の形をこうして見せつけてやったのだ。過去の犠牲者達にはこの恥辱の姿を供えてあげよう。



「―――死ね」



「オォオオォオオオオオオ"ッ!!!」




 『白炎』泰山木。




* * *


 


 泰山木の大きな花々が目が眩む光量で発光し、次の瞬間余りにも強大な真横の炎の柱が現れる。直径にして15メートルほどの太さの柱は泰山木の花から真っ直ぐに伸び、斜線上に居たオグル・リザードの身を『ジュッ』というほんの一瞬の焼き音と共に消失させた。


 巨大な炎の円柱は破砕音を轟かせながら、その勢いを休めることなく前へ前へとその手を広げる。図書館の一部を飲み込み、その背後の大学会館を貫通して尚さらに遠方を目指す。

 このまま進むと市街地に重大な損害を与えて、生存者まで巻き込む可能性があるが、その点を考えて敢えて少し上向きに発射しておいた。

 私の思惑通り大学の敷地内を抜けた炎の柱は民家の上を通り過ぎ、空へと昇っていく。あたかもプランクトンを捕食する白鯨のように細雪ささめゆきをその身に取り込み、雪雲に達して、それでも天へと駆ける。その姿はまるで、空を支配下に置く白龍のようで、その御身が見えなくなるまでずっと、ずっと目で追い続けた。

 

「……」


 私とオグル・リザードが立っていた場所は、白炎の熱で蒸発した雪の蒸気で厚く覆われている。目を凝らしてオグル・リザードの位置を見てみると、オグル・リザード物だと思われる粉のような灰が舞い散っていた。しかし降り注がれる雪と混同してしまい、そしていずれ見えなくなった。


 ただの白炎だと火傷すら与えられなかったが、力を込めた泰山木は耐え切れなかったらしい。まああれを耐えられても困るのだが。

 兎に角、【悪】はまた一つ滅びた。これで少しでも平和に近付けたなら、処刑の甲斐があったというもの。


「……ん、素晴らしい戦いだった」


「お疲れ様キラさん。流石だった」


 肩に積もっていた雪を払っていると、深冬と東雲くんが蒸気を被りながら歩み寄ってきた。白髪少女は感嘆したように、英雄は安堵したように、各々が別々の想いを表に出している。


「ありがとうございます、です。2人には私のわがままを聞いてもらって申し訳ないです」


 私が単独でオグル・リザードを討伐したいと申し出た時、渋々ながらも承諾してくれたからな。その信頼に応えられてよかった。


「あれ?そのちょっと変な敬語の口調に戻ったんだね」


「む。変なとは失礼です。……って、口調変わってましたか?です」


「え?ああ。気付いてなかったのか」

 

 思い返してみれば確かにいつもと口調が違ったような……。でもそんな、昂ったら性格が変わるみたいな戦闘狂ではなかったはずだ。……うーん、その辺りも『俺』と混ざった変化の一つって事かな。


「……ん、リーダー。体育館が気掛かり。早速帰ろう」

 

「確かにそうだな。戻ろうか」


「そうですね」


 その意向に反対はない。オグル・リザードを殺した今、次に留意すべきなのは弱者が過ごす体育館の方だ。


「あ、すみません、先に行っておいて下さい、です」

 

「分かった」


 そこで忘れ物に気付き、2人を先に行かせる。危ない危ない。犠牲者の子宮を路肩に置いておいたまんまだった。これは丁重に扱って、丁寧に埋葬してあげないと。


 子宮を小脇に抱えて、私は2人の後を追った。


 白義大学図書館は半壊。キャンパス中央通りは車が走行できないほど地面が崩れた。木々もなぎ倒され、大学会館にも大きな穴が開いた。私が後にした処刑場は、学生が行き交っていた以前の姿の見る影もない。


 そしてそんな破壊跡も、降り続ける雪によって隠蔽される。

 雪がやむことはなかった。





* * *





 真っ暗だ。


 電気は使えないため月の光しか頼りできるものはない。ただその月の光は俺が思っていた以上に頼りになるらしい。手元くらいまでなら問題なく見られるので読書程度なら気兼ねなくこなせそうだ。

 流石に昼の太陽と同じくらいに世界を照らしてくれるとは言えないけどね。


 窓の外を上から下へと際限なく流れる雪の粒を眺めて風流に浸るのならば、月光が最も適任だ。なんと言うか、今風に言うなら"エモい"というやつか。


 今俺は寝静まった500人の人々を眼下に、体育館二階の観覧席に足を運んでいた。時は真夜中の1時。激動の1日だったせいか、目が冴えて眠れないのだ。食事はとらないのに睡眠は必要なんて、またおかしな体になってしまったものだと嘲笑が漏れる。


「……」


 オグル・リザードを倒したため体育館に急いで帰還した俺たちだったが、緊張とは裏腹にこちらは平和そのものだった。杞憂というやつだ。

 強いて言うなら、小和ちゃんが俺達のことが心配でたまらなかったらしく忙しなく歩き回っていたくらいか。怪我はないと何度も言ったのに、念の為とゴリ押しをされて結局『熾天使・癒』を施されてしまった。六対の大きな翼が現れて、もの凄い光を放っていたな。あれは感動的なくらいに美しかった。


 それから、道着を身に付けた大柄な岩尾ごうと、白髪眠たげ少女のこがらし深冬みとや、その他沢山のスキル持ちを合わせて改めて自己紹介を行った。多種多様な能力があるようで興味深かった。

 レベル29のモンスターを倒したと報告すると、皆には大層驚かれた。何でも敵の過去最高レベルは柊くんが倒したレベル26のオークだそうだ。あの柊くんがそんなに強くなってるとは思わなかったから、俺にとってはそっちの方が驚きなんだけどね。

 レベルと言えば、実はオグル・リザードを倒した後改めて自分を鑑定もどきしてみると、レベル16から19にあがっていた。やはりレベルというくらいだから変動があるらしい。柊くんが言うには、モンスターが死んだ時に1番近くにいる生命体が魔魂とやらを吸収してレベルアップするんじゃないかとのことだ。これからモンスターを狩りまくってレベルを上げていかないとな。強い分には困らないんだし。


 そうそう、キラの変身については、皆へ事の顛末を説明している最中に勝手に解けた。変身時間は20分前後といったところだ。それが訓練次第で延びるのかは不明。現状自由自在に変身と解除を繰り返すことはできないため、要練習という感じだ。キラ以外に変身もできないみたいだしね。


「……はぁ」


 手すりに背を預けて、ため息をつく。この館内は適温が保ているから白く変化はしない。


 思えば、遠くまで来てしまった。場所の実感としては、あしげく通っていた大学そのもの。しかし、それを取り巻く世界があまりにも変質しすぎだ。

 馬鹿でかい亀を初めとするモンスターも、スキルも、体質変化も、毎日死と隣り合わせだという事実も、どれかひとつ取ってみても重すぎる代物だ。塞ぎ込んで、閉じこもってしまってもおかしくない。それこそ、この体育館に引きこもる人々のように。

 それなのにそんな悲壮感は生まれず、歓喜と使命感が胸を満たすのだ。その図太さを誇っていいのか、怪しめばいいのかも分からない。


 『私』になって強くなったと錯覚しても、俺自身はまだまだ彼女には及ばない。覚悟が、足りないのだろう。しかし俺は『私』とは違い、恵まれた境遇をしている。悲惨な過去もない。そんな薄っぺらな人格で、大それた覚悟を固められるのだろうか。


「……はぁ」


 思案に耽れば耽るほどため息が落ちる。俺の【悪】を憎む気持ちは『私』からの借り物でしかないのかもしれない。



「おい、湊。眠れねえのか?」


 

 マイナス思考に陥り肩を落とす俺に、闇を穿って耳心地の良い声が聞こえてきた。ガサツさの中に、思いやりという芯が通ったこの声色は。


「逢沢さんですか」


みおでいいって言ってんだろ?あとタメ口!」


「……では、澪と」


「おう!」


 溌剌に快い受け応えをしてくれるのは、猫目プリンこと逢沢澪だ。ついさっき初対面の挨拶を交わした間柄ではあるが、澪は初めから俺を『湊』と呼び捨てにした。人によっては失礼にあたると判断するだろうが、俺は人懐っこい女性だと逆に好感を持った。何しろ話しやすい。


「いやあそれにしてもレベル29を倒すとはなあ。もう湊はここの主力だよ!リーダーよりも強かったりして……」


「それはどうだろうね」


 俺の背中を豪快に叩きながら、澪は上機嫌を隠そうともせずに『にしし』と笑う。実際、俺と柊くんどちらが強いかと問われれば、悩んでしまう。個人的にはキラを推したいんだけど、何せレベル差もある。


「……眠れねえほど悩み事があるなら、あたしが話聞くぜ?頭悪いけど、聞くぐらいなら、な」

 

 黙る俺を見て、澪は何とも魅力的な提案をしてくれる。正直この申し出はとても有り難い。まだ相談できるほど仲の良い仲間もいないし、唯一交流があった柊くんと小和ちゃんは、どちらも常に忙しそうに動き回っているし、何より、これは原因不明だけど何故か俺に対して過保護に接してくるのだ。相談などしようものなら、全部を投げ打って解決に心血を注ぎそうな怖さがある。嬉しいんだけど、罪悪感が勝ってしまう。

 その点、澪は深すぎず浅すぎず良い距離感を維持してくれそうな安心感がある。だから、本当は今すぐ相談したい。だけど。


「嬉しいよありがとう。でも、まずは妹さんを見つけ出さないとね」

 

「……!」


「2人で協力して妹さんを救い出して、そしたら俺の相談に乗ってよ。それがwin-winってやつでしょ?」


「……あぁ。そうだな」


 澪はただ短くそう呟くだけだった。その声は震えており、それが妹を想う悲しみなのか、俺の言葉への喜びなのか、それとも妹さんを話題に上げる俺の軽挙への怒りなのか、はたまた別の何かなのか、俺には判断がつかない。ただ、彼女がすぐにこの場を離れないということは、俺が決定的なミスをしたわけではないのだろう。

 だから、もう少し踏み込んだ質問をしてみる。


「今日の昼間、卯月さんと喧嘩してたよね?あれも妹さん絡みで?」


「あー……聞かれてたか。お察しの通りだ」


 そう、柊くんと小和ちゃん、それに木崎さんに連れられてこの体育館に初めて訪れた時、黒髪姫カットの似非お嬢様……卯月うづきかえでさんと澪が言い争いをしていたのだ。

 次の捜索地を東にするか南かといった内容だったはずだ。澪は頑なに東側を主張していた。彼女の事情から逆算するに……。


「東の街に、妹さんの高校か、又は妹さんと澪の家があるんだね?」


「……湊には適わねぇな。高校だよ。あの日も妹は……莉緒りおはいつも通り登校したはずだからよ」


「だから、どうしても東側へ行きたかったと」


「ああ。前回の東遠征ではさ、莉緒の高校まで行けなかったんだよ。直前にレベル26のオークと出くわしてさ。……撤退するしか無かった。再遠征するにも、高校付近はどうも高レベルモンスターが多く徘徊してる」


「それで、卯月さんと揉めてたんだね」


「その通り」

 

 やっと全容が掴めた。

 澪からして見れば、取り残されて危ない目にあっているかもしれない最愛の妹を助け出す為に、どんな危険でも犯すだろう。

 ただ卯月さんからすると、他人の妹1人のために遠征部隊全員を危険に晒すわけにはいかないわけだ。そこには自分の命も含まれているわけだし。


 これはどちらが正解でどちらが間違っているという話ではない。お互いに譲れない線引きがある。寧ろ、どちらの意見も正解だからこそあの衝突があったと見るべきだ。しかし、それを加味した上で客観的に結論を下すなら、ワガママを通そうとしているのは澪の方だろう。言い争いの時の卯月さんの指摘通り、多分に澪の私情が介在しているからだ。


「……」


 ただ、そんな事は澪だってよく分かっているはずだ。大勢の仲間たちをベットする(賭ける)ような、信義に真っ向から立ち向かう愚挙を押し通してでも、妹を助けたいのだろう。

 その気持ちは、分かる。命の価値は平等じゃない。最愛の1人が助かるなら、自分を含めてその他大勢の命など全賭けしても構わないと、俺は思ってしまう。『最愛』とはそれ程までに重い言葉なのだ。

 それなのに卯月さんはどうしても協力してくれない。澪にとって焦慮に潰されそうな日々だっただろう。そんな時に飽和するスキル持ちである俺が現れて、『私』が妹の救出を確約してくれた。そら、感極まるだろう。


「なあ湊」


「ん?」


「最低な事を言ってもいいか?」


「……どうぞ」


 彼女の今にも泣き出しそうな表情から、何となく予想はついているが取り敢えず先を促してみる。こういうのは吐露させてあげた方がスムーズになる。その目に溜めた涙も、さっさと流した方が楽になる。


「あたしは妹が世界で1番大切なんだよ。誰よりも、何よりも」


「そうだね」


「あの子の笑顔が守れるんだったら、あたしは死んでもいい。……それに、誰が犠牲になっても」


「……」


 やはりそう来たか。この先も粗方想像できる。彼女はあるお願いを俺にしてくるはずだ。

 短い付き合いだが、澪の性格は熟知している。それは真っ直ぐで、偽りのない彼女だからこその理解だ。そんな性根が優しい彼女にとっては、何よりも言い難いとあるお願いを、この後口にするだろう。


「妹が危なくなったら、まずは……あ、あたしが盾になってあの子を守る」


「……そうだね」


 澪ならば迷いなくその行動を選び取る。そうするだけの覚悟が彼女には感じられる。だから指が白くなるほど手すりを握り込んで、涙を浮かべているのだ。自分が最低だと強く自覚しながらも、何にも変え難い宝物を守ろうとして。


「そ、それで……!もし、あたしがしんっ死んだら!」


「うん」


「……つ、つぎ、次はっ!み……みな、湊が……!」

 

 声を大きく震わせ、澪は揺れる瞳の焦点を必死に俺に合わせる。本当は目を背けたいのだろう。しかし不義理は働けないと自らを律して奮起させているのだ。

 俺に対する最低なお願いを成就させるために、彼女は最低に成り下がろうとしている。そうしないと、帳尻が合わないからだ。自己保身なんて全く考慮していないのだろう。


 ……もう十分だ。もうわかった。

 ようやく『私』ではなく、俺としての在り方の方向性が今少し見えた気がする。俺なりの【正義】を今始めよう。だから、その帳尻合わせはさせてあげられない。



「た、盾………




 「―――俺が盾に、この命を犠牲にしてでも、妹さんを守ってみせるよ」




 ……に……えっ?」


 

 澪が『最低なお願い』を完全に口にする前に、俺が『最高の提案』を割り込ませて帳尻合わせを阻止する。彼女は、突然の事態にその猫目を丸くして疑問符を零した。


「もし澪が死んでしまった時は、その後は俺が盾役を引き受けよう。約束だ」


「……えっ?えっ?」


「俺が死ぬことになったとしても、妹さんは、莉緒は絶対に無事に返す」


「……」


「これは掛け値無しの確約で、確定した未来の話だ」

 

 ここで昼間の『私』の言葉を引用してみる。ここまで安心感を与える言葉選びが出来るのは流石キラ・フォートレス。今回は彼女にあやからせてもらおう。


 澪がしようとしていた最低のお願いとは、要するに俺に『妹のために死んでくれ』という内容だ。彼女にとって、妹さんの命は、俺のそれよりもずっと、ずっと重い。だから、あたしが死んだ後には、俺の命を捨ててでもあたしの妹を守ってほしいとお願いするつもりだったのだ。

『妹をよろしく頼む』とか『あとは任せた』などの濁した言い方ではなく、はっきりと『もしもの時は死んでくれ』とそう断言する気だったに違いない。そうでないと、あんなに言い淀む説明がつかない。そしてその濁さずに言い切る姿勢が、彼女の妹を愛する気持ちの現れだ。


「……ぃいのか?」


無問題モーマンタイ


「……じぬぞ?」


「可愛い女の子のために死ねるなら本望」


 だから、そんな心根の清らかな澪に『最低なお願い』などさせてやらない。そのお願いを口にさせない。代わりに俺が口にさえすれば、彼女にとってそれは降って湧いた『最高の提案』に早変わりするのだから。


「……みなどっで、バカだっだんだな」

 

「俺は元からオタクで根暗で美少女が好きな変なやつだよ。この世界に来てからおかしいけどね」


「……ぞっか。ぞうなんだな」


 これが、俺の目指す【正義】の在り方だ。『私』のように障害物を薙ぎ倒しながら突き進む力も、【悪】を殺し尽くす覚悟も、俺にはない。それでも、【正義】を重んじ、【悪】を無くさんとする熱い闘魂は備わっている。それなら、こういったアプローチも効果的なのではないかと、そう思う。

 自分を犠牲にして、助けたい人を救う。その助けたい人は、俺自身の助けたい人かもしれないし、他人の助けたい人かもしれない。それでも、誰かが助けたいと願うなら、何の躊躇いもなく俺はその手を取る。

 

「……あー、あぶねえ。湊のことちょっと好きになりそうだったわ」


「……えっ?なんて!?もう一度!」


「2度目はねえ」


「人生初告白になりそうだったのに」


「残念だったなぁ」


 澪には感謝してもし切れない。俺の方向性が定まったのは彼女のおかげだ。奇しくも相談しようとしていた内容が、相談に乗ったお陰で解決した形になったな。

 俺だって勿論死ぬのは嫌だ。痛いのも、怖いのも避けたい。それでも男の端くれなら、魂に掲げる度胸の一つや二つ持っておくべきだよね。その強さは『私』が教えてくれたのだ。


「よーし!んじゃ明日の遠征に備えて今日はもう寝るわ」


「うん、おやすみ」


「おやすみ湊。……本当に、ありがとう」


 憑き物が落ちたようにスッキリとした顔になった澪はそう言い残して、1階の寝床へと戻って行った。その後ろ姿は今にもスキップしだしそうな程軽快で、プリン色の長髪が飛び跳ねるようになびいていた。

 

 初めて会った時は、強面のギャルで話しづらいという第一印象が強かったが半日でこうも印象が変わるもんなんだな。人は見かけによらないとはよく言ったもんだ。

 澪にはこれから先もずっとメンタル面でお世話になりそうだ。【正義】の方向性が不安定になった時は、その都度彼女に相談するようにしよう。俺の指針になってもらえるよう明日お願いしてみようかな。最初は嫌がられるかもしれないけど、きっと引き受けてくれる。

 妹さん……莉緒ちゃんだったか?その子も必ず助け出す。明日東側に遠征できるかどうか柊くんに交渉してみよう。澪と俺が組めば、彼も折れてくれるかもしれない。そうなったら、澪の笑顔が見られそうだ。さっきは泣き顔を拝んでしまったけど、あれは嬉し泣きだよな?ちょっと告白っぽいこと言われたし、もしかしてゴールインとかあるのか?


「……いやいや」


 思わせぶりな態度をみんなにとるようなタイプの女の子かもしれない。そうだった場合、勘違いした男の末路は悲惨だ。常々思い違えないようにきっちりと自分を戒めて過ごそう。


「さて、俺も寝るか」


 精神の地盤が安定したからか、急に眠気がやってきた。オグル・リザードとは命懸けの激闘を繰り広げたからな。早く休まないと、明日の遠征に響いてしまう。


 そうして俺は二階の観覧席を後にした。進むべき道。掲げるべき目標。見据えるべき指針。一晩にして思わぬ収穫があった。明日からは一段と旺盛に行動しよう。

 だから、澪の妹救出はその手始めだ。俺は拳を握り決意を新たに作り替えて、その夜を終えた。



 そして。




 そして―――。









 逢沢澪の死体が体育館裏で発見されたのは、その翌朝のことだった。


 


 

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