第6話 スキル発現のすゝめ〈東雲柊〉




 なんだこれ。


 なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。


 非現実だ。有り得ない。あってはならない。こんな、こんな現実が存在していいわけがない。ダメだ。


「おぇええ」


 ふと横に目をやると、幼なじみの小和が耐えきれず嘔吐していた。10年来の付き合いだが、いつも身嗜みに気を付けていた面影が全くない。ただただ、溢れ出る吐き気に抗わずに、身を任せている。


「……」


 当の俺はと言うと、不思議と胃のむかつきが微塵もない。別にこういった光景を見慣れているとか、そういうわけではない。むしろ慣れていないからこそ、どうしても現実だと認識できない。ただただ眼球が、身体が小刻みに震える。


 血に塗れ転がる肉の数々が、作り物めいているように感じる。余りにも鮮やかな血は血糊ちのりにしか見えないし、肉から飛び出た骨は石膏で作られた棒にしか思えない。


 死んで、いるのか?

 これだけの数の人々が?何があったんだこの場所で。集団自殺?災害?


「なんだよこれ、おい」


 力が抜け、糸が切れた人形のように膝を落としてしまう。砂利が皮膚に食い込む痛みが全く気にならない。それは、倒れ伏した人々が受けた苦痛に比べれば、無いに等しいようなものだから。


 悲しいとか、悔しいとか、腹が立つとか。


 そういうものじゃなくて。これはそういう次元ではなくて。


 魂が、これを強く拒絶している。知性あるものがこの惨状を目にすれば、例外なく、漏れなく、本能がこれを唾棄だきする。

 そう、こんな現実、唾棄すべきなんだ。ほんの少し前まで生きて、呼吸をして、誰かを想い、地に足をつけていた者達が今ではただのタンパク質の塊に成り果てた事実なんて、この世から捨て去るべきだ。


 いや、ダメだ、ダメだ。

 許しちゃダメだ。諦めちゃダメだ。


 今思考できている俺が、もう思考すらできなくなった者達の前で、何故情けない姿を晒せる?彼らの遺志を、無念を、引き継ぐのは今を生きる俺でしか有り得ないんだ。


 顔の前で拳を強く、強く握る。自分が何を為すべきなのか、何を為せるのか、まだ分からないけれど。この冷たく、ドロドロした感情は本物だ。


 その時、倒れ伏した人々達のちょうど真ん中辺りから物音が聞こえてきた。


 まさか、生存者が?


 そう思い、一縷の希望を手繰り寄せる感覚で視線を巡らせてみると、モゾモゾと動く物体を捉えた。



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『マジック・ゴブリン』


魔魂まこん量 「6」

・階位 「下級 中位」


 ゴブリンの上位種族。ゴブリンが魔魂を一定量吸収すると進化する。妖精に分類されるが、生物の根底に他種族への悪意が介在する。また、魔法を行使する。


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 瞬間、心が沸騰するのを強く感じた。

 総毛立つとはこれを指すのかというほどに、全身の産毛が逆立つ錯覚を覚える。血が、肉が、心が熱を帯びる。


 これは怒りでも憎しみでも哀しみでもない。ただ、俺という人間の存在意義が震え立っただけの話。使命だ。


 おまえか?


 お前が、この光景を作り出したのか?


 マジック・ゴブリンに対する形容できない熱烈な感情と、何百人の命を奪う残虐性への恐怖で胸中はグチャグチャだ。今すぐに問い質したいのに、膝は震え、一歩が踏み出せない。太ももを拳で目いっぱいに殴りつけ叱咤するも、それは叶わない。

 もどかしい、もどかしい。俺はこんなに情けない人間だったのか?これほどまでの衝撃を受けてなぜ変わらない、なぜ立ち上がれない。


「……ッ」


 今ここで自分を全うできないなら、俺に何かをする価値など無い、あるはずが無い。無価値で、無意味で、無力で、無益で、失われたもの達を想うことすらはばかられる。ここで気力を絞り出せないで、何が英雄だ。動け、動け、動け、う……


「ホブ・ゴブリンよりも、救いようのない蛆ですね。お前にはこの世界の酸素を消費する価値すらないです」


「……!」


 その時、横合いから凛とした女性の声が空気を切り裂いた。自分の弱さに打ちひしがれていた俺にとって、それは何処までもつんざく絶対的な自信に聞こえた。


 揺れる黒い長髪。豊満な胸に、引き締まった体。普段は朗らかな垂れ目が、今は少しつり上がって見える。その真っ黒な瞳は、赤く、赤く燃えているように熱い。傾国の美少女とも称されるような、無二の美貌。



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高杉湊たかすぎみなと』(状態:魔力変質)


・魔魂量「16」

・技能「キャラクターメイキング」


 『キラ・フォートレス』選択中


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 彼女は高杉湊くん、いやキラ・フォートレス。謎の人物だ。俺と同じ大学生のはずなんだけど、何故か美少女と化している。本当に何故か。


「……キラ、ちゃん」


 ひとしきり吐き終えたのか、この十数秒で少しやつれた様子の小和が呟く。彼女にはこの現実は到底耐えられるものじゃなかっただろう。俺でさえ、気が遠くなりかけたというのに。強い子だ。


 キラさんに目線を戻す。彼女は一目見て分かるくらいに、いかっている。俺がどれだけ大それた感情を持ったとしても嘆くしかできないのに、キラさんは強固な決意を宿し、今まさに思いの内を実行しようとしている。


「酌量の余地なしです。私という【正義】が、お前という【悪】を殺す、です」


 ……強いなぁ。何がそこまであなたを駆り立てるんだろうか。

 俺がホブ・ゴブリンから湊くんを助け出した時とは大違いだ。あの時の彼は怯えて、諦めていて、俺はどうしても放っておけなくて勢いで飛び出してしまった。一つの命を救えたんだと、恥ずかしながら自尊の心を持ってしまっていた。俺でもやる時はやるんだと。


 それでも結局このザマだ。


 彼は彼女になり、絶対的な力と、それに裏打ちされた自信に溢れている。このマジック・ゴブリンだって、キラさんがどうにかしてくれるだろう。


 今何が起きていて、不可解な生物たちは何で、これからどうなるのか。微塵も予想できないし、押し潰されそうな不安が頭をもたげる。夢であってほしいと、一抹の希望はもう何度もぎった。その度に冷静な思考部分が俺を奮起させるのだ。現実だ、覚悟を決めろと。


 姿勢を低くするキラさんをぼんやりと眺める。あれは戦闘態勢ということか?


 マジック・ゴブリンに俺が抱いていたはずの大きな感情は陰りを見せている。恐らくキラさんの、より強大な感情にあてられてしぼんでしまったのだろう。本物を目の当たりにして、託してしまった。

 それが正しいのか、間違っているのか。判断はできないが兎に角今俺はほんの少し安心している。キラさんへの信頼の表れだ。


 もう大丈夫だ。

 ホブ・ゴブリンを圧倒したあの鮮烈で苛烈な戦闘は俺の目に深く焼き付いている。


 俺はキラさんの戦いに巻き込まれないように小和を連れて距離を取っておけばいい。ものの数分で決着がつくはずだ。その後は、どうしようか。とにかく警察だ。警察に通報しないと。危険生物が二体も出没したんだ。もしかしたら他にもいるかもしれない。非常に逼迫した状況だ。急がないといけないかもしれないな。


 よし、取り敢えず俺は小和と安全圏へ避難しよう。


 そう結論づけ動き出そうとしたその時。


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけキラさんの姿がぼやけた。テレビの画質が乱れたように、水中で目を開けた時の視界のように。

 無意識に瞬きを一度行った。瞼を開いたその瞬間には。


 キラさんがいなくなっていた。


「「えっ!?」」


 俺と小和は同時に驚きの声をあげてしまう。この驚愕は覚えがある。そう、ついさっき似たような体験をした。


「うぇ!?」


 キラさんだった彼もまた同様に声をあげる。顔面から地面に突っ込んだ彼は顔を勢いよくあげ当たりを見渡す。


「一体何が……」


 そんな彼の当惑した声でさえ、今の俺には響かない。


「君は……」


 キラさんじゃない。あんなに芯が通ったような存在感ではなく、対照的に今にも消え入りそうなこの細々とした気配。自信なさげに眉が下がり、忙しない反応を見せる彼は。


「……湊くん」


「あ、いや……えっと」


 何が起こった?

 キラさんがマジック・ゴブリンを倒すべく動き出そうとした瞬間、その姿は掻き消え湊くんが代わりに現れた。いや分かってる。さっきだって俺は瀕死の湊くんがキラさんに変化する様を見たんだ。それと逆のことが起きただけの話。


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高杉湊たかすぎみなと』(状態:魔力変質)


・魔魂量「16」

・技能「キャラクターメイキング」


 『キラ・フォートレス』


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 恐らく、この「キャラクターメイキング」なる技能によって。


 本当に謎だらけの人物だ。信用していいのか、いけないのか。それすらも分からないのに、キラさんのあの幼気な姿と物怖じしない性格は接していて不思議と包み込まれているような包容力を感じたのだ。

 少なくとも極悪人ではないのだと思う。


 だから行動を共にしたいと申し出たし、色々と委ねてしまいたかった。だってキラさんは強いから。

 今だってマジック・ゴブリンなどという意味の分からない生物に出くわして怖くて怖くてたまらないのに、キラさんがいたから安心して全てを任せてしまおうと考えていた。それが確実で、最も安全な方法だからだ。


 だったというのに。


「……」


 湊くん自身も混乱しているのか、四つん這いの姿勢のままオドオドしている。お世辞にも彼に頼ろうなんて考えられないほどに。


 ……俺は最低だ。


 俺は今心底失望してしまっている。湊くんが嫌いだとか、キラさんが好きだとかそういう問題じゃない。

 圧倒的な戦闘力と隣にいるだけで安堵感を与えてくれるキラさん。

 見た目からして戦力には期待出来ず、寧ろ俺が手を差し伸べてあげるべき湊くん。


 こんな訳の分からない状況で、ましてやマジック・ゴブリンを目の前にして、どちらの人物に居て欲しかったなど聞くまでもないだろう。


 だからこそ俺は最低で下劣なのだ。


 勝手に期待して、勝手に頼って、勝手に失望して。全部全部、俺が勝手に心の中で思い描いていた内容で、湊くんに微塵の非も有り得るはずがない。彼も俺たちと同じく何も理解出来ておらず、状況に振り回され、困っている側の人間だ。それに彼はほんの少し前に瀕死にまで陥ったんだ。


 そんな湊くんを前にして、失望してしまった。浅ましい自分が、醜い自分が、心から不愉快だ。


 ここは優しく声をかけてあげるべきだろう。幸いにもマジック・ゴブリンにはまだ動きは見られない。今のうちに体勢を立て直して、湊くんの力を何とか借りてこの場から逃げだそう。あの化け物に勝てるなんて思っちゃいけない。絶対に勝てないし、それは俺のやるべき事じゃない。警察とか自衛隊に任せるべき事案だ。

 よし、なんとか自分の醜さに蓋をし、次の展開に思考を割けるようになった。臭いものには蓋を、ってやつだ。


 そうと決まれば迅速に。

 俺は俯く湊くんに話しかけるべく、一歩踏み出す。


「湊く……」

 

「……うわ!?」


 次の瞬間、湊くんの身体がふわりと宙に浮き、何かに勢いよく引っ張られるように空中移動を始めた。


「……ッ!?」


 バカな。なんだ?キラさんの能力のひとつか?いやそんなわけが無い、彼が自発的に発動させているなら、あんなに手足を動かし抵抗するはずがない。突風じゃない、俺や小和には何の影響もないからだ。常識に囚われるな、この場でそんな真似ができるのは誰だ。


「……マジック・ゴブリン」


 あいつしかいない。湊くんが飛ぶ延長線上に即座に目をやると、奴は何やら手のひらをかざして気持ちの悪い笑みを貼り付けている。マジック……魔法を使ったのか?その力で湊くんを引き寄せている?何のために?何をする気だ?


「そんなこと決まっているだろう!」


 目の前に広がる血の海を睨み付ける。肉も骨も、莫大な無念さえもこの海には沈んでいる。この者たちは殺されたのだ。マジック・ゴブリンに。魔法で。

 そして今まさに湊くんも被害者になろうとしている。許されない、そんな事がまかり通っていいはずかない。


「やめろやめろ!やめてくれ!!」


 悲痛と焦燥で構成された、彼の叫び声が耳を穿つ。思わず耳を塞ぎたくなるような、痛々しいものだ。


「湊くん!!!」


 彼を追うために亡骸が浮かぶ血溜まりに足を踏み入れる。構うものか。今一番大事なのは死者を悼む気持ちではなく、間もなく散ろうとしている生きている命だ。

 奪わせない、絶対に奪わせない。思い出すのは、ホブ・ゴブリンから彼を助け出した瞬間の眼差し。ありがとうと、そう言ってくれたんだ。だから、お前に彼は奪わせない。


 強い踏み込みで生臭い血が盛大に跳ね、顔を濡らす。口内に入り込み、鉄の味が舌に広がる。構わない。


 犠牲者たちの肉を蹴り、骨を踏み砕き、自分の冷酷さに唖然としながらも、尚も障害物を足蹴にする。構わない。


 湊くんが特別だとか、そういうものじゃない。特別とか普通とかそういう物差しで命は計れない。もうこれ以上誰も死んで欲しくない。死んだらそこで全て終わりなんだ。そんな最期が他人からあっさりと告げられるなんて絶対に許してはいけないんだ。

 湊くん、君はまだ生きるべきだ。さっきはあんな目を向けてしまって本当にすまなかった。君の気持ちを考えられていなかった。たくさん謝りたいんだ。そして出来れば許して欲しい。だから。



「だから頼む。助けてくれ……」

 


 あ。


 湊くんのその言葉を最後に、背中から血に濡れた細い腕が生えるのが見えた。彼の体は1度だけ大きく痙攣すると、その後ピクリとも動かなくなった。

 マジック・ゴブリンは腕を軽く振り払うと、腕からすっぽ抜けた湊くんが、濡れたタオルを地面に落とした時みたいな音でベチャッと血溜まりに沈んだ。

 マジック・ゴブリンは腕を滴る鮮血を舐め取りつつゲップを何度かした。何でもない、本当に何でもないただの作業。ただ人間が箸に付着したソースをねぶりとるようだ。



 眼球に焼き付いて離れない。



 湊くんが最後に絞り出した言葉。その時の彼の、悲哀と諦念と嫌悪にまみれた表情が焼き付いて離れない。なにをおもっていたんだろうか。なにをねがっていたんだろうか。


 助けてあげられなかった。あんなにも生きたがっていたのに。


 キラさんから湊くんにその姿を変えた時、もっと早く手を差し伸べてあげれば、もしかしたら逃げ切れたんじゃないか?俺が自分勝手で無意味な思考を繰り広げる時間があったなら、他に対策がうてたんじゃないか?多くの死体を前に、醜悪で、下衆で、卑劣で、大した行いも出来ないくせに一丁前に怒りばかり抱いて。

 その結果がこれなのか?俺は一体何をした?何を成せた?唯一命を救えたと心中で豪語していた湊くんさえも失って、何が残った?


 背後からは、泣き崩れる幼なじみの絶叫が聞こえる。好きな子を泣かせて、生きたいと足掻いていた人を死なせて。


 そんな俺にこれから何が出来る。何百もの消え行った命達の上で、無遠慮に立ち尽くす俺に何が求められている。


 いや、もうやめよう。成すとか、求められているとか、そういう最もらしい言葉遊びはもうたくさんだ。もうそういう段階に俺はいない。そうだろ。

 俺がやりたいから、やる。そこに使命感とか責任感とか、余計な不純物を持ち込むな。決意に傷ができる。その傷が広がった結果が今のこのザマだろう。


 瞳を動かし、マジック・ゴブリンを見据える。勝てない、無理だ、やめとけ、逃げろ。本能からの助言を無視し、魂の震えに呼応するように息を吐く。


 特別な覚醒なんていらない。

 劇的な奇跡なんていらない。


 どんな形でもいいから、俺にマジック・ゴブリンを倒させてくれ。悪魔に心臓を捧げよう。鬼に命を預けよう。

 湊くんを含む大勢の者達の未練は俺が晴らす。別に彼らを気の毒に思って弔いの為にやるわけじゃない。俺が、そうしたいからするんだ。

 いつだってそうだ。誰かの為とか誰かを想ってとか、耳心地の良い言葉を並べて悦に浸るな。俺がするかどうかは俺が決めるし、俺がする事は全部俺自身のためだ。これから先何があってもそこだけは曲げない。



 それが俺の覚悟で、どうしようもない俺の欲望だ。



 


『技能が発現しました』

 



 

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