第5話 暗転




「……」


「……」


 大学ホールから出ると、私達の体は眩しい朝日に包まれた。善行の後に世界からこういった形で労われるのも悪くない。


 ふと、敷地内を見渡す。


 右隣の三階建ての法学部棟、正面の五階建ての教育学部棟、左奥の薄茶色を基調とした小さめの食堂。

 キャンパスの中心部には大きな図書館。その周りを取り囲むように生える僅かばかりの木々。

 地面に視線を落とすと、長年の雨風で風化したコンクリートブロック。


 どれもこれもが記憶と違わない。私が直接目にしてはいないが、『俺』が2年間通っている大学で間違いない。

 それなのにこの拭いようのない違和感はなんだろうか。その答え合わせは、期せずして為された。


「なんでこんなに静かなんだろう?」

 

 私の隣で、七瀬さんが思案顔で言う。


 その言葉で気付かされた。

 あまりにも音が無さすぎる。今のこの時間はどの建物内でも講義が行われており、何百、何千人もの学生がキャンパス内にいるはずなのだ。そうでなくとも、この大学ホールからはつい先程数多の学生達が大騒ぎしながら飛び出たはず。その騒ぎを聞き付けた野次馬が集まっていたとしても不思議ではないのに。


「……確かに」


 七瀬さんの言葉に同意するのは、東雲くんである。顎に手を添え、何やら考え込んでいる様子だ。


 人の気配だけでなく、小鳥や虫の気配すらも微塵も感じない。この周辺には私たち3人だけしかいないのではないかと錯覚するほどに。


「怖がってたみんなに、あの大きなお猿さんはキラちゃんがやっつけてくれたよって教えてあげようと思ったんだけどなあ。遠くまで逃げちゃったのかな?」


「……そうだな。ここであった出来事を大学の教授、事務員に報告して、警察にも行きたいから、早めに皆の混乱を解いておきたかったんだが」


 東雲くんはそこで言葉を切り、私へと視線を向ける。


「なんです?」


「あー、えっと。本当に湊くんでいいんだよな?なんか自分の正体は隠しておきたいとか、そういう特殊な事情あったりするかな?さっきは君にもついてきてもらうって言ったんだけど、その辺考慮してなかったなと思ってさ」


 頭を掻きながら言う。


 なるほど。確かに彼らからすれば私が何者なのか分かってないだろうし、まあ私本人も分かってはいないんだけど、もしそんな状態で警察に行けば根掘り葉掘り調査される事になる。でも私自身聞かれても答えられる事など少ないし、長時間身動きが取れなくなる可能性がある。というか、十中八九そうなる。

 東雲くんはそういった状況を危惧しているのだろう。


 うーん。ちょっとそこまで頭が回ってなかったな。東雲くんについていく事をさっきはら二つ返事で承諾しちゃったけど、ちょっと浅慮だったかもしれない。


「じゃあ警察に行くのはやっぱりやめます、です」


「はあ……。そうなるよね」


 東雲くんは大層落胆した様子で肩を落とす。


「湊く……キラさんがいないとなると、かなり説明に骨が折れそうだ」


 そんな恨みがましい目を私に向けられても。心情としては私だってついて行きたいんだけど、どうにも面倒くさい事態に陥りそうだからね。すまんね。


「まあキラちゃんにはキラちゃんなりの事情があるだろうからね。聞きたいことはたくさんあるけど、私達がああしろこうしろって言うのは違うよね」


 んー、七瀬さんは相変わらず聖女。慈しみに溢れてる。優しさの権化。女神の体現。

 キラちゃん呼びもそうだし、ぐいぐい心の距離を詰めてくるの生粋の陽キャラって感じ。『俺』だったら受け答えすらできずに恐怖を感じてたね。あまりのその眩しさにおののくしかできない。

 

「まあそうだけどさ。じゃあそこの学生センターまでついてきてもらってもいい?入口まででいいからさ」


 そこまでして私と一緒に行動したいか?もしかして東雲くん、私が美少女すぎて別れるのが名残惜しいんじゃないの?

 などと『俺』側の思考を展開する。


 ちなみに学生センターとは、大学にある、学生に関する様々な事柄を担う施設である。とどのつまり、学生が何かアクションを起こす時に取り敢えず赴く場所だ。駆け込み寺みたいなもんだね。


「それくらいならいいですよ」


「ありがとう」


 東雲くんは真っ白な歯を覗かせ、無邪気な笑顔を晒す。私から見ても、『俺』から見ても美男子だという感想を抱く。それは七瀬さんも同様で、この2人の関係性は分からないが、傍から見ればモデルのカップルだと勘違いされてもおかしくないだろう。

 もっとも、その2人と比べても私、キラ・フォートレスの容姿はずば抜けて良い。これは別に2人にマウントをとってるだとか、ナルシストであるとかではなく、確固たる事実なのだ。そうというのも、私は元々存在するはずがない人間である。ゲームの中の世界にしか存在し得なかったからだ。それがどうして今この地面に立っているのかは説明できない。しかし、私は現実には有り得ない美貌で作成されている。


 それが二次元という絶対の掟を破り、三次元に顕現した時、それは絶世の美少女と称されるレベルになるのだ。

 さっき大学ホールの窓で反射する自分を見て少し驚いたね。あれは私が驚いたというか、『俺』が驚いたんだろうな。

 なんかもう可愛いとかエロいとかじゃなくて、神聖な何かを強く感じてしまう。誰も汚す事は許されない、不可侵の花畑だ。


「じゃあすぐにお別れになっちゃうかもしれないけど、お互い軽く自己紹介しない?」


 学生センターへ歩き出した私達だったが、後に追従する七瀬さんがそんな提案をした。正直また会うのかも分からないし、便宜上「鑑定」とも呼ぶべき何かで2人の名前は分かるしあんまり意味は無いと思うんだけど。


「私は七瀬小和ななせこより。医学部で、学年は2人と一緒の2年生だよ。さっきのキラちゃん本当にカッコよかった。でも、お猿さんに捕まってすごく大きな怪我をさっきまでしてたよね?なんか治ってるみたいだけど……。無理はしないでね」


 ……。

 自己紹介なんて不必要だと思っていたのに。これが陽キャラ?なんかもうハートをグッと掴まれるわ。もうハート握り潰されそうな勢い。私女なのに。その天使のような笑顔を振り撒かないで!


「じゃあ俺も。俺は東雲柊しののめしゅう。法学部で、小和とは幼なじみだ。正直今何が起きてるのか困惑してるし、途方に暮れてる。でもキラさんがいてくれて何だか心強いよ。怪我はもう大丈夫みたいだけど、きちんと労わってくれ。念の為病院に行った方がいいよ」


 ……。

 なんだろう。『俺』との人間としての格の違いがありありと伝わってくる。その慈愛に溢れた表情なに?ファッション雑誌の表紙でも飾るの?世の中にはこうも完璧を体現した存在がいるんだね。『俺』って一体何なんだろうか。


「私はキラ・フォートレス、【正義】の執行人です。高杉湊とも言える存在ですが、正直自身の存在についてあまり分かってはいないです。2人とも、心配のお言葉ありがとう、です。しかし、『治癒』をかけましたので、安心してください、です」


 まあ私はそんな2人に物怖じするなんて有り得ないんだけどね。数え切れない数の死線に身を置いてきた経験と、それに養われた肝がある。『俺』は社会不適合者すぎてこんなに流暢に喋るとか絶対無理。断言する。


「「……」」


 私の自己紹介に2人は黙り込んでしまう。突飛な内容に対し不信感を抱き、私を怪しんでいる。というわけではなく、必死に何かに思いを巡らせている様子だ。私からすれば特にこれといって特筆すべき点のない普通の自己紹介だったが、『俺』からすれば異常も異常。前代未聞の自己紹介だと評する。


 【正義】?高杉湊とも言える存在?自分自身が分からない?『治癒』?


 おいおい。そういうのは遅くとも中学校3年生までには卒業しておくもんだぞ?と、現実を突きつけたくなる内容だ。


「詮索は好きじゃない。好きじゃないんだけど……」


 東雲くんはそこで歩みと言葉を切り、私を1点に見つめる。言葉通り、あれこれ探るのは性にあわないのだろう。しかし、そういう選り好みを差し引いても、私が気になって仕方がないのだ。少し前からの言動からも分かる通り、彼は、私の正体を知る切望と、他人に土足で踏み込む無礼との間で揺れ動いている。

 その2つの間で揺れ動けるだけで、十分な善人と言える。


 しかし。


「申し訳ないです。何回も言ってますが、私自身あまり分かっていないのです」


 そう、何度問われても同じこと。

 私が、『俺が』、私の存在について最も動揺している。正体への渇望は収まらないのだ。そんな状態の私へ問いをなげかけた所で彼が望む答えなど返ってくるはずもない。


「……そうか」


 先頭を歩く東雲くんは、短くそう零し、歩みを再開させる。その背中は、これ以上何も言うことは無いと表していた。

 彼には悪いが、こうする他ない。


 恐らく「キャラクターメイキング」なるものが関わっている事は予想できるんだけど、そこまでだ。東雲くんだって「鑑定」もどきでその言葉は目にしてるはずだしね。そこから先の話を彼は聞きたいのだ。


 3人とも無言で移動を続ける。そこの曲がり角を曲がると間もなく学生センターだ。彼らとの交流も終わりが見えてきた。


 思えば、東雲くんには命を助けられた。もし『俺』だったら、彼の願いは何でも聞き届けてあげたいと思うし、警察にでも何処へでも連れ添っただろう。七瀬さんは可愛いしね。

 でも私、キラ・フォートレスは違う。そこまで2人に思い入れなどないし、同じ【正義】の民として少し気にかけてあげるか、という程度。残念だけどね。


 曲がり角に差し掛かる。


 砂利を足で踏み締めながら、方向を転換する。


 もう学生センターが視界に大きく収められるはずだ。そう思った瞬間。


「うっ……」


 生温い風が顔にまとわりついた。

 思わず顔を顰めてしまうそれは、私にはよく覚えがあるものだった。何度も、何度も浴びせられた。


 その度に慟哭どうこくし、怒号をあげ、己を律した。脳に強く刻み続けられた、忌避すべきもの。


 こんなものがこの世に存在してはいけないんだ。


 これは。


 これは。




「弱者の……死臭」




* * *



『弱者』


 それは力なき者。

 私達【正義】が守り、導き、自立させてあげるべき存在だ。【悪】が弱者を淘汰しないよう、私たちが保護する義務があるのだ。

 

「……」


 秋の吹き抜ける風が肌を撫でる。


 喉が乾き、飲み込む唾で痛みが生じる。


 艶々の長髪が汗で頬に張り付く。


 鼻腔を抜ける鉄臭い匂いが、どうしようも無く不快だ。思わず眉をひそめ、唇を甘噛みしてしまうくらいには。


 慣れていないわけではない。私だって20年に満たない人生の中でこういった光景を目にした事は一度や二度ではない。だが、その度に心の内から身を焦がすような怒りが湧き出てくる。


「おえぇ」


 私の隣では、抑えきれなくなった吐き気に根負けし嘔吐する女性がいる。


「……」


 その女性の隣には、言葉を失い、ただ呆然と倒れ伏した肉塊の数々を眺める男性がいる。


 こんな眺めを。こんな現実を、許してはならない。こんなに惨たらしく変わり果てるべき何かが、この者達にはあったというのか?いや違う。

 そんなわけが無い。

 

 なぜこうも容易く命を踏みにじる?なぜこんな惨憺たる光景を作り出せる?この者達の家族が、友人が、恋人が流す涙をなぜ考えられない?


 生真面目に、一心不乱に人生を走り抜け、家族に支えられ、学友を得て、誰かと愛し合う。それは一言で説明できる内容かもしれない。だが、そこには他者が想像できない挫折があっただろう。それでも尚、歯を食いしばり、本気で生きてきた者達の末路が。


「これなのか、です」


 私たち3人の前には、無惨に食い荒らされ、人ではなく物と成り果てた肉が散乱していた。1人や2人ではない、何十、何百人もの質量の人肉がキャンパス中央の広い通路を埋めつくしていた。


 血と肉の湖は、この世の物とは思えないほど惨いものだ。……大学ホールから逃げ出した人々だろうか?


 この惨状を目にして、私の胸の内は怒りで蹂躙されていた。唇を噛み、肩を震わせ、握りしめた拳が壊れそうだ。

 それなのに思考だけは冷静に作動する。理性と知性を完全に分離してあるからこその芸当だと言える。この体を焼き尽くす程の憤怒でさえ、遮断できる。


「おぇええ」


 今も尚、嘔吐を続ける七瀬さん。


「なんだよこれ。おい」


 言葉を震わせながら膝から崩れ落ちる東雲くん。


「……」


 辛いだろう。苦しいだろう。夢なのではないかと、そう思いたくなるだろう。

 こんな痛ましい眺めはもう二度と見たくなかった。私はこういった不条理を是正するために、旅に出て、仲間を集ったのだから。


 先程まで気丈に振舞っていた2人を壊され、悪夢のような情景を叩き付けられ、自分が成すべき使命を自覚して。


 それでも、私の視線はこの血溜まりの中央から動かない。


 正確には、中央に居座る生物から、だ。


『ぱきぱき』と、人骨を裂き、中の髄を啜り舐めるようにして食している。その恍惚とした表情は人の神経を逆撫でするためにしているのだとしたら、それ以上の出来はないだろう。


 ホブ・ゴブリンよりは小柄で、体格も貧弱に見える。



==============================


『マジック・ゴブリン』


魔魂まこん量 「6」

・階位 「下級 中位」


 ゴブリンの上位種族。ゴブリンが魔魂を一定量吸収すると進化する。妖精に分類されるが、生物の根底に他種族への悪意が介在する。また、魔法を行使する。


==============================



「……」


 マジックだのホブだの。

 コイツらは一体何なんだ?なんでこんな化け物が日本の一大学に現れた?何が目的で、どこから、どうやって来た?


 そもそもこの数の人間をどうやって皆殺しにした?何百人も人がいれば、みんな散り散りになって逃げるはずだ。こんな狭い範囲に、重なりながら屍を晒すわけがない。これじゃ、ひとかたまりで殺してくれと言っているようなもんじゃないか。


 何も分からない。理解できない。信じられない。

 だが分かったところでやることは変わらない。私の目の前で、こんな反吐が出る悪行が罷り通ると思うな。

 

「ホブ・ゴブリンよりも、救いようのない蛆ですね。お前にはこの世界の酸素を消費する価値すらないです」


 拳の小骨をパキパキと鳴らし、姿勢を低くする。


「……キラ、ちゃん?」


「……」


 七瀬さんと東雲くん、それにマジック・ゴブリンも、三者三様に私に注目する。七瀬さんは息も絶え絶えに。東雲くんは力ない目付きで。マジック・ゴブリンは、しゃぶっていた骨をぞんざいに放り投げ、億劫そうに立ち上がり、私を睨みつける。


「酌量の余地なしです。私という【正義】が、お前という【悪】を殺す、です」


 命を落とす覚悟なんてしなくていい。ただ己の全てを後悔しながら、憐れに、みすぼらしく、死んでくれ。少しでも、足元で散っていった者達の気が晴れるよう、私が責任をもってこいつを嬲り殺す。


 地面を握りしめるように足に力を込める。


 「白炎」は使わない。素手で、マジック・ゴブリンの肉体を、命を砕く感触を確かに感じながら殺す。


 その決意を胸に、射出された弾丸のようにマジック・ゴブリンと私との、彼我の距離を詰める。


 

 その瞬間。



 世界を焦がすような灼熱の怒りが。


 弱者たちの敵を討つ強大な使命感が。


 【悪】を殺すために溢れていた身体中を駆け巡る力が。



 急速に萎え切っていくのが、感じられた。



「……!?」


 地面を抉る勢いだったはずの一歩は力無く崩れ落ち、地面に倒れ込む。顔面で砂利を掻き分け、砂のジャリジャリとした食感が口内を満たした。


「「えっ!?」」


 東雲くんと七瀬さんの、驚愕に溢れた反応が鼓膜に伝わる。

 信じられないものを見た時のそれだった。


「うぇ!?」


 は、鋭利な砂粒で顔を傷付けられた痛みと、ついほんの前まで自らを支配していた激情が小さな小さなマッチの炎サイズにまで縮小してしまった驚きで、情けない声をあげながら顔を上げる。


「一体何が……」


 疑問を呈しながら当たりを見渡す。

 しかし俺を迎え入れたのは、違和感の嵐だった。


 豊かなおっぱいがついていたはずの胸の重さがない。

 頭を振っても長髪が顔にかからない。

 白くしなやかだった手足は、産毛に覆われ少しゴツゴツしたものに。


 何よりも、俺がついさっきまで自分に抱いていた絶対的な自信と怒りが、どうしても思い出せない。そんな事があるわけないのに。


「君は……」


 四つん這いで冷や汗を流している俺に、東雲くんが声を掛ける。

 びくりと肩が大きく震える。なぜこうも弱気になっている?なぜこうも恐怖に陥っている?


「……湊くん」


「あ、いや……えっと」


 英雄が猜疑心を隠そうともせずに、俺の目を見つめる。それはなにか大きなことを見定めようとしているように感じられた。

 怖い。怖い。さっきまで、あんなに信頼厚そうに接してくれたのにどうして。


 どうして俺は、『私』から、「キラ・フォートレス」から高杉湊に戻っているんだ?


 それと同時に、心の底からゾッとする。なぜ俺はさっきまで自分がキラだと言う事を一切疑っていなかったのだろう。有り得ない、有り得ない。キラはゲームのキャラクターで、それ以上でもそれ以下でもないのに。


 マジック・ゴブリン?なにそれ?


 なんでそんな化け物に自ら立ち向かうのだろう。


 やばい、まずい。これは良くない。自我というものがむちゃくちゃになっている。俺なのか『私』なのか。別人?同一人物?おんな?おとこ?

 俺は【正義】?


 滝のような汗を流し、シャツがべったりと背中に引っ付く。今まで何が起こっていた?今何が起こっている?これから何が起きる?


 脳内を疑問という疑問が覆い尽くし、何も考えられない。

 怖い、ヤバい。これからどうしよう。俺は何をすればいい?逃げる?逃げるってどこから?マジック・ゴブリンから?それとも、東雲くんから?いや、英雄にそんな真似は。じゃあどうする?キラの意志を継いでマジック・ゴブリンを今ここで倒すか?どうやって?無理だろ。


 浮かんでは消え、浮かんでは消える行動の選択肢。ぐるぐると、答えの出ない問答に悩み、足掻き、苦しんでいると。


 その時。


「……うわ!?」


 突然、誰かに胸ぐらを掴まれ、無理やり移動させられるような感覚で、俺の体が動き出す。


 強く、抗えない、絶対的な力だ。


「これは……引力!?」


 そうとしか形容できない。空中を滑稽な体勢で飛び、何かに引き寄せられる味わったことのないこの感覚。   

 身動きをとろうにも、宙に浮いているためじたばたと手足を動かすことしかできない。


「……まじかよ」


 そして、俺が引力のような力で引き寄せられるその先には、獰猛な笑みを浮かべたマジック・ゴブリンが佇んでいた。


『また、魔法を行使する』


 瞬間、想起されたのは、マジック・ゴブリンを「鑑定」もどきで見た時のこの一文。これが、魔法か。


「やばいやばいやばいやばい」


 呪文のように早口でそう唱えるしかできない。俺はキラじゃない。この状況を打開する力も気概もなければ、本気でそうする気すら起きない。半ば、諦めているのだ。


 マジック・ゴブリンとの距離はどんどん縮まる。


「やめろやめろ!やめてくれ!!」


「湊くん!!!」


 みっともなく泣き叫ぶ俺に、英雄が声を張り上げる。

 そうだ、助けてくれ。さっきみたいに。ホブ・ゴブリンから俺を颯爽と助け出してくれたみたいに。頼む。


 俺には、もうそう願う事しかできなかった。


 突如キラではなくなった喪失感と驚愕に打ちのめされ。彼女と俺のギャップと、自我の歪みに叩かれ。マジック・ゴブリンに謎の力で抵抗する力を封じられ。今まさに餌食になろうとしている。


 そんな俺にこれ以上何を期待するんだ。もう無理なんだよ。何もかもが、意味不明だ。


「だから頼む。助けてくれ……」


 今起こっている全ての事象に愚痴を零し、嘆き、諦念を持った。

 そんな俺の心から滲み出たその願いは。



 果たして、叶うのだろうか。



 マジック・ゴブリンの細腕が俺の胴体を突き破る。


 尋常ではない熱と欠落感に苛まれた刹那、俺の意識はあっさりと、実にあっさりと暗転した。


 

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