第4話 勧善懲悪




『技能が発現しました』


 無愛想な機械音が聞こえる。



「早く!逃げよう!!」


 焦燥に塗れた悲鳴が木霊する。



『ぶちゅぶちゅ』と、


 私の体の中でひしゃげた内臓がずり落ちる。



「あー痛い、です」


 死ぬほど痛い。


「今すぐに死ぬかも、です」


 間もなく死ぬ。


「ああ……なのに」


 なのに、どうして。



 こんなにも、気分が高揚しているのだろう。



* * *




「あーー。あーー」


 血が溢れこびり付いた喉の調子を確認するように声を発する。うん、我ながら可愛い声。


 現状を把握するために眼球をぐるりと2周ほど回し、辺りを見回す。強い白光に晒され目がチカチカする。


 私は仰向けに寝転がっている。体が軋み、今にも意識が飛びそうな激痛に襲われている。無理やり体を動かそうとすれば即死だろう。


 少しだけ首を傾けてみると、倒れている私の足側には邪悪なホブ・ゴブリンが立っていた。気持ちが悪い笑みを隠そうともせずに私を眺めている。また頭上に視線を向けると、男性と女性が驚愕に塗れた表情を見せていた。


「んー……」


 うん、そうだね。


 この鼻につく悪臭を纏った緑猿に、イケメンと美女の2人、そして瀕死の重傷を負った体。この場所はうちの大学のホールだね。


 えっと。

 なぜか、記憶が曖昧だ。

 まるで朝起きた時に昨晩見ていた夢の内容を思い出すような作業。恐らく時間をかければ可能なんだろうけど、記憶の紐を辿るのに少し時間がかかる。


 んー。ふむふむ。


 私は大学生で。

 講義を受けに来ていたと。

 バカでかい音が鳴り響いて。

 この臭い猿が空間の割れ目から出てきた。

 英雄が助けてくれるも、呆気なく私は臭い猿に捕まり握り潰されたと。


 なるほど。


 あー、なるほど。


 『俺』は高杉湊だ。下劣で愚鈍で、救いようのない凡夫で、調子に乗った結果ホブ・ゴブリンに捕まり、あまつさえ握り潰され、瀕死に陥ったあの高杉湊だ。


 でも、今はそうじゃないな。私はそうじゃない。


「私は、キラ・フォートレスですね」


 ほら、その証拠に足元に注意を向けてみれば、私の爪先が目に入らない。何故なら、胸に聳え立つ2つの大きな山が視界を遮っているからだ。

 そう、おっぱいである。


「あーーー」

 

 声は、鈴を鳴らしたようで、清廉に透き通っている。これは紛れもなく『俺』がそれこそ死ぬ程プレイしたゲーム、「スカイドラゴンテイル」でのメインキャラクター「キラ・フォートレス」のもので間違いない。


「あーーーー」


 男の声とは違い、なんのしがらみもなく喉を流れる美声が心地好く何度も発声してしまう。


「あーーー……ごぼっ」


 おっといけない。夢中になりすぎて自分の体が瀕死なのを忘れていた。口から赤黒い鮮血が一層勢いよく溢れ出る。そういうところだぞ。


 本当は今すぐに姿見で自分の姿を確認したいところだが、そうも言ってられないだろう。


「とりあぇず……ごのがらだを」


 早急に治療する必要がある。

 1度小さく息を吸い、


「『治癒』です」


 私はそう力強く一言呟いた。


 すると、突如淡い光が私の体を包み込み、甘やかにケガを癒し始める……ことはなく、『ぐち』『ぶぢ』などと不快な肉の音を奏でながら体がぐにぐにと波打ち始めた。


「……」


 あー、そこはファンタジーな感じで、私の体を光が纏いそれが晴れるとなんと元通り、というわけではないんだね。おかしいな、スカイドラゴンテイルではそういったエフェクトだったんだけど。


 まあ私はキラではあるけど、この世界がスカイドラゴンテイルとは限らないからね。仕方ない仕方ない。


「……ふう、です」


 そんな事を考えていると、傷の修復が完了したようだ。地獄のような痛みも綺麗さっぱり消え去り、私は生きている実感を噛み締めるのだ。


「あー痛かったです」


 しみじみと言葉を紡ぎながら、慣れた体であるにも関わらず同時に違和感を抱きつつ立ちあがる。


 手のひらをひろげ、まじまじと観察してみる。細くしなやかで真っ白な指。艶々とした爪。手の甲には、幼い頃火傷を負い一生傷となった跡もきちんと残されていた。


 うん、私はキラ・フォートレス。間違いない。でも『俺』は高杉湊だ。


 なんだろう、この感覚は。

 不思議としか言いようがない。私の語彙力が拙いことがもどかしい。


 そう有り得ないのだ。何故、私はこの世界にいるのだろう。何故『俺』はキラ・フォートレスに成っているのだろう。何故、両方の意識があるのだろう。何故それを疑問に思うことなく、確信しているのだろう。何故いきなり治癒魔法なんて使えた、いや使えると思ったのだろう。


 何故、何故、何故。

 

「グ、ヒヒ」


 思案していると、前方から臭い空気の音が聞こえてきた。欲に犯され、慈悲も容赦も何もかも全ての善意を削ぎ落とし、ただ下種が【悪】を成すためだけに発せられた声。


 知能指数が低いこんな生ゴミでは、『俺』が私に変化したことなど差して気にも留めていないのだろう。ただ形のいい女が現れた、その程度の認識だ。


 不愉快で、鬱陶しく、吐き気がする。こんなクズが存在してはいけない。いけないんだ。


「心配しなくても、お前はあとでいたぶりながら殺してあげます」


 【悪】にそう告げ、私は後ろへと振り返る。


「……」


 そこには呆然として立ち尽くす2人の男女がいた。



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東雲柊しののめしゅう』(状態:魔力変質)


・魔魂量「4」

・技能「未開放」


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七瀬小和ななせこより』(状態:魔力変質)


・魔魂量「3」

・技能「未開放」


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 んー、便利だなあこれ。

 何なんだろう。


 これ何かなー。あれ何かなー。って思い浮かべるだけで、まるで自分が元から持ってた知識みたいに自然と思い出せるんだよね。


「まあいっか、です」


 臭い緑猿の動向に注意しつつ、東雲君と七瀬さんに近付く。一歩また一歩と足を進める度に、私の長い黒髪がふわりと揺れ、甘い香りが漂う。

 『俺』より身長が低いため、いつもより視線が低いな。足元も大きな胸で見えづらいし、胸は重いし、女の子って大変なんだな。1ミリもよこしまな気持ちが湧いてこないのは、自分の体だからなのか、はたまた苦労の種であるおっぱいを憎んでいるからなのか……。

 というか体つきは男から女に変わったのに、着ている服が変わってないから豊かなおっぱいに押し上げられて、お腹が見えてしまっている。胸は服で締め付けられて辛いし。

 

「あの……あなたは?さっきの方は……」


 私が自分のおっぱいを睨み付けていると、七瀬さんが恐る恐るといった様子で話し掛けた。

 この上なく困惑しているのだろう。馬鹿な男が臭い猿に殺されかけていたと思えば、急に黒髪美少女が現れ、瞬く間に大怪我を治療。そしてこちら側に歩いてきたのだから。

友好的な人なのか、害意を持っている人なのか、また本当に人間なのかどうかすら今の彼女たちでは判断が出来ないはずだ。


「んー……あなた達は【正義】の側みたいなので教えます、です」


「せ、せいぎ?」


「私はさっきの倒れ伏していた男で間違いないです。見た目が変わってさぞかし戸惑っているとは思いますが、原因を知りたければ『この人は誰なんだろう』と念じながら私を見てみて下さい、です」


「……え?えっと、わかり……ました」


 未だに混乱しているはずだが、快く了承してくれた。うん、やっぱり【正義】は違う。良い子だなあ。ちなみに東雲君はまだ理解に時間を要するのか一言も発しない。


 ついでとばかりに、私も自分の手のひらに視線を落とし念じてみる。


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高杉湊たかすぎみなと』(状態:魔力変質)


・魔魂量「15」

・技能「キャラクターメイキング」


 『キラ・フォートレス』選択中


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「え?なんだろこれ。高杉君……魔魂?技能……キャラクターメイキング……。キラ・フォートレス?」

 

 七瀬さんは見知らぬ単語のオンパレードに目を回しているようだ。


「無理もないです。理解も、納得も出来ないと思います、です。私も今の状況を把握できているかと問われれば、否と答えるしかないです」


「そう……ですね。正直何が何だかって感じですけど、取り敢えずあなたが無事でよかったです」


 七瀬さんは追いつけない現実に困惑し冷や汗を流しつつも、私の身を案じてくれたのか笑顔を見せてくれた。


「……!」


 マジか。

 この状況で『あなたが無事でよかった』とか普通言える?

 空間が割れたんだよ?ホブ・ゴブリンが出たんだよ?死にかけの男が美少女になって治癒魔法を行使したんだよ?本当に今が現実なのか夢なのかすらまだ分からないんだよ?


 混迷して、狂乱して、泣き叫んで、声高に『一体お前は何なんだよ、今何が起きてるんだよ』と糾弾してもおかしくないと思うんだけど。……そうだよね?私の感覚は狂ってないはず。


「なにが……どうなって」


 ほら、頭を抱えながら蹲る東雲君を見なさい。普通は、こうなる。こうなるはずなんだよね。でもこの東雲君はそんな困惑の最中にいたとしても、命をなげうって『俺』を助けてくれたんだよね。自分の感情なんて何処かに捨てて、一目散に人命救助にあたる。この人が英雄じゃなくて、一体誰が英雄なんだ。


 この2人とは対照的に私が混乱してないのは、私がキラだからだ。ちょっとよく分かんないけど、そうとしか言えない。自分がキラなことに一切の違和を感じないんだよね。不思議だ。


 まあ要するに、錯乱してもおかしくない今、他人への安堵を1番に口にする七瀬さんは、この女性は。


「狂ったお人好し、ですね」


「……え!?」


「いえ、もちろん良い意味です。あなたは間違いなく【正義】です」


 心外とばかりに驚く七瀬さんを尻目に私は振り返る。もう少し【正義】同士交流を深めたいところだけど、そろそろ時間が来てしまったみたいだ。汚臭が辺りに一層強く漂い始めた。


「ヒヒ」


 口角をこれでもかと吊り上げ、不細工な顔立ちをさらに醜く変化させたホブ・ゴブリンがこちらへ歩みを進めていた。


 今大学ホールに残っているのは、私と東雲君、七瀬さんにホブ・ゴブリンの3人に1匹だけだ。その他大勢いた学生たちは皆逃げてしまった。それはそうだろう。鼻が曲がるほど臭い緑猿が空間から突然出現したのだ。誰だって逃げる。教授なんてホブ・ゴブリンが現れる前にもう逃走完了してたぞ。


「よーし」


 私も負けじと口角を上げ、白い歯を獰猛にアピールする。パキパキと子気味よく指の小骨を鳴らし、ホブ・ゴブリンから遮るように東雲君と七瀬さんの前に立つ。


「今日も頑張っちゃいますよー、です」


 ああ。

 今この時を待ってた。


 なあホブ・ゴブリン。お前は【悪】だよな?そうに違いない。

 流石の私も、臭くて不細工なやつがいたとして、ただそれだけでそいつを【悪】と断ずるほど浅慮ではない。しかし、このホブ・ゴブリンは、大学ホールにいた皆を恐怖に陥れ、『俺』を楽しみながら握り潰したのだ。


「それはもう、【悪】そのものの所業、です」

 

 お前は存在してはいけない。

 これから先数え切れない数の人を不幸にするだろう。その人達が流す涙をお前は想像できるのか?できたとして、悼む気持ちを持ち合わせているのか?


「断じて、否です」


 存在価値がない。見ているだけで不快。臭い。キモイ。死んだ方がいい。生きてるだけで迷惑。惨めでどうしようもない。死んで生まれ変わってまた死ね。頭がおかしい。汚物と吐瀉物でも朝ごはんで食った?声が嫌い。視界に入るだけで吐き気を催す。お前を構成する全てが、お前という何もかもが悪い、悪い、悪い。


「お前は【悪】です」


 お前という【悪】を。


「私という【正義】が殺します、です。全て殺す、です。絶対に殺す、です。死んでも殺す、です。虐殺、です」


 この世は勧善懲悪。【正義】は【悪】を滅する。そういう風にできている。それは当然で、決して歪められてはならない。1ミリの【悪】も許さない。他でもないこの私が。


 ホブ・ゴブリンが鈍重な足を動かし、私へと一直線に駆け始めた。思ったよりもかなり素早い。一般人では到底逃げきれない速度だ。『俺』が東雲君に助けられたあと、実にあっさりと捕まったのも頷けるというもの。


「さあ、ホブ・ゴブリン。お前という世界のゴミを、私という【正義】が駆除してあげます、です。意地汚く生きてきたであろうお前でも、死ぬ間際くらいは【正義】を楽しませるよう努力して下さい、です」


 その言葉を言い切った後、私は一歩進み出す。二歩目は速く。三歩目はもっと速く。四歩目以降は、強い踏み込みでリノリウムの床にひびを生じさせながら、ホブ・ゴブリンに肉薄する。それは瞬間移動とも見紛う速度だ。


「……!?」


 臭いゴミが驚きに満ちた顔を晒す。

 一瞬でゴミの懐に入り込んだ私は、地面にめり込ませる勢いで左足を踏み鳴らす。そしてその足を支点に体に回転を加え、右足でゴミの肥太った腹に蹴りをじ込んだ。

 

「おらあ!です!」


「ゲボォ……!」


 筋肉が引きちぎれ、内蔵が破裂し、骨を粉砕する感覚が足に伝わる。なんと甘美な経験だろう。【悪】を破壊する善行を進行形で積んでいるのだ。


 ゴミはおぞましいゲロを吐き散らしながら、大学ホールの端から端まで吹き飛び、壁に突っ込んだ。

 爆砕音が響き砂煙が舞い、建物全体が大きく揺れる。

 

「きゃあああ」


 七瀬さんは衝撃に怯えているのか、悲鳴をあげながらその場に蹲っている。避難をお願いするべきだろうか?いやでもなあ、【正義】が【悪】をぶち殺すところを見て、彼女がこれから【正義】を成す手本にしてほしいしなあ。


「……マジかよ」


 東雲君はというと、私とホブ・ゴブリンの戦闘が信じられないのか目を見開いている。気持ちは分かる。私はいつも通り【悪】を蹂躙しているだけだけど、『俺』ではこんな真似逆立ちしてもできない。正に非現実だ。


「アアアアアァ!!!」


「おっと、です」


 東雲君を眺めていると、横から汚らしい叫び声と共に瓦礫が飛んできた。破壊された壁の残骸だろう。

 視界の端にきちんと捉えていた私は、それを難なく回避する。


「まあ手加減しましたから、立ち上がって貰わないと困ります、です」

 

「ハア……ハア……」


 砂煙の中から、ホブ・ゴブリンが臭い息を吐きながら姿を現す。そこには先程の醜い余裕は見る影もなく、切羽詰まったものが伺える。身体中は血にまみれ、片目は潰れ、腹は私の蹴りの威力で大きく陥没している。


「正に、物理的な死に体ですね」


「オマエ……シネ」


「え!?」


 ホブ・ゴブリンが突然意味ある言葉を発した事に東雲君が驚きの声を上げた。私も少しだけ驚いた。今まで言葉が分かる素振りどころか、おおよそ知能があるか疑わしい行動しかしてこなかったというのに。


 そうか。


 ……そうか。


「お前は、やはりこの上なく度し難い【悪】です」


 言葉を解する程の知能があるのならば、こいつは間違いなく意志を持って動いている。『俺』を痛めつけていたのも、無意識な害意ではなく、明確な害意を抱いていたのだ。弱者をいたぶり、観察し、殺すつもりで。鬼畜以外の何物でもない。『俺』があいつに抱いていた、嗜虐の印象は間違ってなかったということだ。


「オマエ、シネ。シネ」


「残念ながら死ぬのはお前です。無惨に、悲惨に、この上なく惨たらしく殺します、です。【正義】の名のもとに、です」


「シネ!シネ!」


「……それしか言えないんですか?」


 多少の知能があったとしても、やはり低脳は低脳でしかないらしい。私たち【正義】とは脳の作りが根本的に違うのだ。【悪】は生まれながらにして【悪】。


「アアアッ!!」


 もう話すことは無いと言わんばかりにホブ・ゴブリンが雄叫びをあげながら走り出す。2mの巨漢が床を揺らしながら迫り来る光景は『俺』ならお漏らししてしまう程迫力あるものだ。


「うえ、臭い唾飛ばしながら来ないでくださいよ、です。鳥肌です」


 しかし私が奴を恐れることはないだろう。ただ単純に勧善懲悪を遂行するのみ。例外はない。


 彼我の距離が縮まる。ホブ・ゴブリンは私を余程殺したいのか、血走った目で射殺すように見ている。


「んー、苦しい死に方といえば、やっぱり焼死ですかね?」


 かくいう私はホブ・ゴブリンをどうやって殺そうか画策中である。

 窒息死、失血死、溺死、病死、圧死、毒死。まあ死に方は色々あるわけだけど、流石に全部再現できるわけもなく。今回は私の得意技である炎を使って殺すことにしようか。


「『白炎びゃくえん』です」


 私がそう呟くと、手のひらに白い炎が灯った。白く、白く、影さえもおちない。それは純白の火炎だ。幻想的なまでに煌びやかな燃焼である。


「シネシネシネシネ!!」


「あーはいはいわかったです。今からお前を苦しい方法で殺します、です」


 先程よりも接近したホブ・ゴブリンがヨダレを撒き散らしながら腕を振りかぶっている。その臭い液体が万が一私にかかるような事があれば、お前を100回殺すだけでは足りなくなるからやめてくれ。


 さあ殺そう。

 できるだけ惨憺に。この世に生まれ落ちたことを後悔しながら、これまでの悪行を懺悔しながら、耳心地の良い断末魔を聞かせてくれ。それが【正義】のためになる。【悪】にできることなんて、それくらいなんだから。


「『白炎』白百合しろゆりです」


 瞬間、手のひらの炎が爆発的に火力をあげ、辺り一面にばら撒かれる。10cmほどだった白い炎は、その体積を何百、何千倍にも増加させ、空間を支配した。重力に従い地面に落ちることはなく、それらの炎は空中に留まる。


「シネ!シ……」


 死ね死ねとしか言えなくなった肉の塊だったが、突如出現した白炎に目を奪われ足を止める。いや、足を止めざるを得なかった。何故なら空気中には、幾千万もの白百合を型どった炎が咲き誇っており、少しでも身動ぎすればどうなるかなど馬鹿でも分かるからだ。


「……」


 東雲君と七瀬さんはこの美しい景色に言葉も出ないようだ。そうだろう、そうだろう。あまりにも耽美。あまりにも神秘的。あ、君たちはそれに触れないでね。


「綺麗ですよね?白百合は私も好きな花なんです。花言葉は『純潔』です。【正義】である私にピッタリだとは思いませんか?です」


 ホブ・ゴブリンにゆったりと語りかける。不細工なお前でも、最期くらいは見られる程度の徒花あだばなを咲かせてくれ。それがお前たちの唯一の意義だろう?


「ヤメ、ヤメテ、クレ」


「あら?『シネ』以外にも話せたんですね?うん、そうですよね。やめて欲しいですよね?」


 ホブ・ゴブリンは、濁った涙を流しながら首を振る。もう勝ち目はないと、もう逃げ場はないとこいつは悟ったのだ。だから泣き落としにシフトしている。黒髪美少女で優しそうな私に泣きつけばもしかしたら見逃してくれるのでは無いかと、そう微かな希望にしがみついている。


「もし許してほしいなら、今この場で懺悔して下さい、です。高杉湊を虐めてごめんなさい。皆を怖がらせてごめんなさい。【悪】に生まれてごめんなさいと、です」


「タカスキミナトイジメテ、ミンナコワガラセテ、アクニウマレテ、ゴメンナサイ」


 【悪】は滂沱ぼうだしながら自らの行いを謝罪した。今の言葉が心の底からのものであるかどうかは正直分からない。心から悔いているかもしれないし、生き残るためだけに心にもないことを言っているだけかもしれない。はたまた頭が悪そうだから、言葉の意味を分かってないかもしれない。


 でも私はそれでもいいと思う。きちんと口にする事が肝要なのだ。【悪】であっても、反省はやはり必要で、それに向かい合うためには認識が必要だからだ。口にしないと、行いを客観視出来ないかもしれない。そういう観点で、今のホブ・ゴブリンの行動には大きな意味があったと言えるだろう。


「うん、言えましたね、です。では殺します、です」


「……!?」

 

「えっ!?」


 私そう告げると、ホブ・ゴブリンと東雲君、両者の声があがった。片や愕然とした絶望、片や理解できない様子で。


「……えっと、みなと君。正直俺には今何が起こってるか全く掴めてないんだけど、その、今からそいつを殺す……んだよね?」


 今の今まで移りゆく状況に振り回されていただけだった東雲君だが、事ここに至って私に話しかけて来た。


「そうですよ。さっきから言ってたじゃないですか。殺すって、です」


「いや、でもさっきは許してあげるって!」


「そんなこと言ってないです。許してほしいかどうか聞いただけです。そもそも、【悪】を【正義】が許すことなんて有り得ないです。反省の言葉が聞きたかった、ただそれだけです」


「……。そんな、君は……」


 私がつらつらと理由を突き付けると、東雲君は端正な顔を少し歪ませた。どうしても納得がいかないようだ。


「もしかして、ホブ・ゴブリンを庇ってます?哀れんで、情状酌量を求めてる感じですか?」


 だって、そうだろ?今の東雲君は、ホブ・ゴブリンが殺されるのに反対しているように見える。奴が許される未来を望んでいたように見える。

 奴は【悪】なのに?

 なんでホブ・ゴブリンの肩を持とうとする?なんで私という【正義】の味方をしない?君はこっち側じゃなかったのか?『俺』を助けたあの英雄の姿はどこに?

 なあもしかして。


 東雲君、君は【悪】なのか?

 

「……いや、そいつが許されるべきなんて思っちゃいない」


 『白炎』白百合を東雲君に放とうとした瞬間、彼が口を開いた。その言葉を聞こうと、一旦白炎を解除する。勿論ホブ・ゴブリンの周囲を漂う白百合はそのままだ。


「現にみなと君は殺されかけたんだから。何で今美少女になってるのかは分からないけど……。まあとにかく、外野である俺がどうこう言う資格は、ないと思う……」


 悔しいとも、苦しいともとれる表情で英雄はそう絞り出すように言った。


「んーー?じゃあなんでさっきは、ホブ・ゴブリンの許しを乞うたんですか?」


「俺はただ、必要以上に苦しむ姿が見たくなかっただけだ。今夢を見ているだけかもしれない、現実ではないのかもしれないけど、それでも誰かが苦しむのは、出来れば……」


「ふむ、です」


 なるほど。彼の意見は分かった。ホブ・ゴブリンは殺されても仕方ないけど、出来れば苦しませずにってこと。

 

 とどのつまり、甘いのだ。ほんの少しだけ東雲君が【悪】なのではないかと疑ってしまったが、そうじゃなかった。甘い、とてつもなく甘い。甘ったるすぎる。それに考えが及んでいない。

 慈悲など欠片も持ち合わせていない相手に対して、慈悲を提供するその姿勢。美徳だろうか?篤行とっこうだろうか?


 いや違うな。それは、敵にこれまで害されてきた被害者たちへの冒涜だ。それではダメだ。完膚無きまでまでに叩き潰さないと、【悪】が泣き叫びながら後悔するように苦しませて、 心を折らないといけない。それが逝ってしまった善良な者たちへのせめてもの手向けとなるのだから。


 ……でも。


「……わかりました、です。他でもない英雄のお願いです。1度だけ聞き入れます、です。『俺』の命を救ってくれた方ですからね。無下には出来ないです」


「あ、ありがとう。英雄?」


 幸いこのホブ・ゴブリンの被害で、認知できているものは『俺』への殺人未遂だけだ。じゃあその他でもない『俺』がそれでいいというのなら、それでいいことになる。恩には滅法弱いな。


「さて、話は聞いていましたか?です。ホブ・ゴブリン、お前を今から殺します、です。必要以上に苦しませずに、です」


 白百合の花畑に囲われ、その動きを封じられているホブ・ゴブリンに諭すように言う。


「ナンデ……ユルシテクレルッテ」


「あーまたその話ですか?いいですか?その問の答えは、この一言で片付きます、です」


 未だに女々しく生にしがみつく怪物は、尚も疑問を問い掛ける。その答えはとてもシンプルだ。これ以上なく、全ての原点とも言える。


「私が【正義】で、お前が【悪】だから、です」


「……!!アアアアア!!!」


 私が手のひらをホブ・ゴブリンに向け、笑顔で言うと、奴は逃げられない運命を悟り諦めたのか、怒号とも慟哭ともとれる叫び声を空に飛ばした。それはこれまで残虐の限りを尽くした【悪】の末路に似つかわしいものだろう。


 出来るだけ苦しませたかったから、本当は白百合の花を1本1本使役する予定だったけど、苦しませない方針にシフトしたので、大学ホールの内部に爛々と咲く花々達を一斉に管理下に置く。


「アアアアア!!!」


「あ、ダメですよ」


 すると、ホブ・ゴブリンは最後の抵抗とばかりに出口に向かって走り出した。しかし、空中には数え切れない数の白百合が咲いており、それは出口までの道筋にも同様である。2mの大きな体躯では白百合の間を通る事も出来ず、当然に奴の体に花々が接触する。


「……!?アアア!!アアア!!」


「あーだから言ったじゃないですか」


 全身に白百合を浴び、そのあまりの熱にホブ・ゴブリンが絶叫を上げながら床を転がる。白炎で創られた白百合は、温度でいうと6000度は下らない。一つ一つが超高音の炎だ。さっきまで私たちがその熱をまるで感じなかったのは、私が白百合の大きさに、熱も、エネルギーも何もかもを圧縮して留めていたからである。でも触れちゃったら、話は変わってくるよね。


「もう、苦しませない約束だったんですから、自分から苦しみに行かないでくださいよ、です。まあ殊勝ではあります、です」

 

 6000度といえば、あの太陽の表面の温度と同じくらいだ。人間が喰らえば殆ど即死なんだけど、流石はホブ・ゴブリンといったところ。丈夫だね。


「でも、今すぐ殺してあげます、です」

 

 のたうち回るホブ・ゴブリンを見据え、向けていた手のひらを握り込む。

 すると、幾千万もの白百合がホブ・ゴブリンへと一斉に飛翔した。白く輝く花々が各々に舞い散るわけではなく、統率されたように1つの目標を目指す。

 それは夜空瞬く流星のように、白い星々が軌跡を作り、美しい眺めを縁どった。


「んー、綺麗ですね」

 

 【悪】であっても、この情景の一端を担ってくれるというんだからその点において、その点においてだけ価値があると言えるだろう。今この瞬間だけ、この一帯が別世界のものであるかのように感じる。

 白百合達は【悪】へ祝福という名の鉄槌を加え続けた。

 



* * *




 十数秒後、出現させた白百合を全て使い切ったことで空間は日常を取り戻していた。ホブ・ゴブリンはというと、その肉体を炭へと変化させている。本当は炭どころか個体すら残らないと思うんだけど、流石というかなんと言うか。


「んー、勧善懲悪かんぜんちょうあく完遂〜です」


 今日もまた【正義】を成せたという達成感で、私は腕を天高く上げ、体を伸ばす。これで世界のゴミがまた1つ減り、平和へと1歩近付いたと言えるだろう。道のりは果てしないが、着実に歩を進めていると信じるしかない。


「お疲れ様です……で、いいんですかね?」


 戦闘後のストレッチを行っていると、複雑な心境であろう七瀬さんと東雲君が傍へ近寄って来た。2人とも、炭となったホブ・ゴブリンを見て苦い顔をしている。


「ありがとうございます、です」


「……これは、現実ってことか?」


「どうなんでしょう、です。私も正直何が何だか、です」


「いや俺からすれば、君の正体もとてつもなく気になるんだけど……」

 

 それは最もだ。私自信、私がキラ・フォートレスであると確信しているからこそ、こうして盛大な戦闘劇を繰り広げたわけだが、それ以外に関してはチンプンカンプンである。分かっているのは、目下の脅威だったホブ・ゴブリンを退け、安寧を手に入れたということ。


「私はキラ・フォートレスです」


「……そうか」

 

 私の自己紹介に対して、英雄に諦めたようなため息を零されてしまった。いや本当にキラ・フォートレスだし、それ以外の事は何も分からないんだって。


「これからどうする?」


 戦場となり傷付いた大学ホールを見渡しながら、七瀬さんが不安げに振る舞う。こうして見ると随分と派手にやってしまったものだ。それでもこの建物が崩れ落ちないのは、日本の建築技術の高さを物語っている。うん。


「……取り敢えず、この場から逃げたみんなの姿を探して、それから警察署だな。もしかしたら逃げた皆が警察に知らせてくれてるかもしれないけど」

 

「そうだね。スマートフォンもなんでか使えないし、直接向かうかしかないか」


 東雲君の方針に対して、スマートフォンの真っ暗な画面を晒し、触れても何の反応も無いことを確認しながら七瀬さんが同意する。これは充電が切れているわけではなく、画面が何故か点かないのである。『俺』のスマートフォンも同じ現象だ。

 

「えっと、湊くん?キラさん?君にもついてきてもらうからね。状況説明が俺達だけじゃ厳しい」


「いいですよ。私も何が起こってるのか知りたいです」


「よし、決まりだな。取り敢えず大学ホールを出て、みんなの捜索だ。その時に出くわした人に警察への通報をお願いしてもいいかもな」


 こうして大方の目標が定まった私達は、炭を背後に歩き出す。

 何が現実で、何が非現実で。夢か真かすら判断できない。もしかすると、『俺』が貪っていた日常はもう帰ってこないのかもしれない。それは酷く寂しく、不安なことだ。


 しかしそれと同時に充足感も感じている。キラ・フォートレスとなった『俺』は、憧れていた【正義】のヒーローになれるのかもしれない。ホブ・ゴブリンを圧倒したあの戦闘力さえあれば何だって出来る。


「私は【正義】です。全ての【悪】は虐殺です」


 2人には聞こえないように、小さく強い決意を口にする。

 これからは勧善懲悪の物語。私は善を遂行し、悪を滅する事だけを考えて生を全うする。弱者を憂い、害を淘汰する。

 ホブ・ゴブリンはその手始めである。新たに生を受けた私は絶対に妥協しない。

 

 出口から漏れ出す陽光が私の顔を淡く照らす。それはこれからの行いを激励げきれいするようにも、また逆に咎めるようにも感じられた。



 今、【正義】の執行者が動き始めたのだ。


 


 

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