第87話 この世界のイベント




 今日も今日とて、肌に突き刺さるような冷気が街中を取り巻いている。深呼吸などしようものなら、肺を痛めてしまうのではないかと邪推してしまう。

 春蘭高校規定の制服の上に黒いダウンを羽織り、今朝も寒威に身を強ばらせながら登校する。いつも通りの風景である。


「―――というわけで、時々莉央ちゃんと美沙の周辺をこの2人に警戒してもらうことになると思う。肩身が狭いかもしれないけど、安全のためだと思って、お願い」


 俺は駅の前で、京華と紗和の件について、粗方の説明を2人の友人にし終えた。

 莉央ちゃんと美沙にとっては急な話だろうし、嫌がるかもしれないが、どうにか理解してほしいところだ。


「……えっと、それはいいんですけど……」


 莉央ちゃんはそう言いながら気まずげに俺の隣へ目をやる。その視線の動きをトレースしたかのように美沙もそちらに注意を払っているようだ。


「……まあ、言外に言いたいことはわかるんだけど」


「神様、なにか問題でもありましたか」


 そんな俺たちを確認して、暁紗和が異常事態でも起こったのかと目尻を上げ耳打ちしてくる。そんな一見頼もしい彼女の姿に俺は『こいつまじか』という感想を抱く。


「いや、どう考えても君の格好を莉央ちゃんたちは不審に思ってるんだよ」


「……私、ですか?」


 なんでこいつ微塵も心当たりがないみたいな様相でいられるの。そのとぼけてるのか本当に分かってないのか分からない顔やめて。なんなのこいつ、逸材なの。


「……」


 この暁紗和という女、実は俺のパンティを頭に被りながら本日俺たちに付いてきているのである。その平然とした出で立ちから、遠目で見ればただの帽子なのではないかと勘違いしてしまいそうだ。


 なんでなの?なんで被っちゃったまま外界へ飛び出そうと思ったの?家で密かに楽しむ趣味みたいな感じで収めとけばいいじゃん。君下手したら逮捕されちゃうよ?大丈夫?


「……」


 ほら、君のお友達の京華も『こいつどうした?』って感じの引き攣った表情でドン引きしてるよ。こんな友人の姿見たこと無かったんだろうな。たぶん友情にめっちゃヒビ入ってるよ。それでいいのか、紗和。


「……?」


 俺のパンツ被りながら首を傾げるのやめろ、腹立つ。なんでかなあ、なんでこうなっちゃったかな。パンツなんていくら被ってもいいけど、莉央ちゃんたちのことは本当に頼むからね。


「ん、どうやら私は変態を連れて来てしまったみたい。ご主人様、あやまる」


「はっは!主人よ、こいつ外でパンツ被ってるぞ!なんでだ?流行りか?」


 後ろに控えているソフィと百鬼も反応を返す。まあ紗和がいくら変態でも、きちんと任務を遂行してくれるのなら何も文句はない。本当に、お願いするからね。


「ま、まあいつまでも変態にかまってたら学校遅刻しちゃうし、そろそろ行こっか」


「そ、そうですね!」


 とりあえず紗和の奇行は忘れて、日常に戻ろう。うん、それがいい。それが丸く収まる選択肢というものだ。


「神様、変態とはなんですか?」


 お前はうるさい。



* * *



 京華と紗和の2人は、俺の友人たちと家族たちの身の回りの警戒にあたる。やはり学校や仕事の行き来の道のりが主な警戒ポイントらしい。それ以外の時間帯はソフィに提出する報告書の作成や施設周りのパトロールなどを行うという。

 思ったよりちゃんとした姿勢に、本当に無料でお願いしてもいいのかと罪悪感が芽生えるが、お互いに利があるということなのでここは飲み込んでおこうと思う。


 これで少しでも害意に備えられるなら、それでいい。凛海のようなやつが今後現れないなんて保証はどこにもないのだから。


 しかし、これで一安心というわけにもいかないだろう。あの二人で全てをカバーしきれるというのは楽観的すぎる気がする。


「んー……」


 放課後、部活動に励みながら俺は頭を悩ます。俺が有名になればなるほど、考えなければならないことが増える。

 ただ、当分は様子見ということになるだろう。とりあえずは京華と紗和、この二人でどれだけの成果が上げられるのか見たい。今後のことを考えるのはそれからだろう。


「ふう」


「おーい、仁」


 ストレッチを行い、部活後のクールダウンをしていると横合いから活発な女の子の声が聞こえてくる。

 そちらへ顔を向けると、我が弓道部の新部長である2年生の片岡すみれ先輩が近付いてきていた。


「お疲れ様です。どうされました?」


「おつかれ〜!いや、ちょっと聞きたいことがあってね」


 彼女の鮮やかな茶髪ポニーテールが揺れる。

 

「はい、なんでしょう?」


「仁って甘いもの好きかなあって思ってね」


「甘いもの……ですか?大好きですよ」


 毎日アイスクリームを食べているし、休日はスイーツを求めて遠征によく出かけているほどだ。精々そのツケがダラしない体型になって返ってこないように、日々運動に邁進したいところだ。肥えてしまえば折角のイケメンが台無しだからな。


「そっか!わかった!ありがと」


 すみれ先輩は俺の返答を聞くやいなや快活な笑顔を見せて、その勢いのまま去っていった。今の僅かなやりとりのためだけに俺のもとへやってきたのだろうか。


「甘い物……甘い物……」


 スイーツ、お菓子……。

 ああ、わかった。そういうことか。


 現在時期は冬の寒威真っ只中。息は空中で白く染まり、街は積雪で化粧が施されている。そんな今の日付けは、1月の下旬に差し掛かっている。

 この時期と年間行事、そして先程のすみれ先輩の問い、すべてを符号させれば自ずと答えは見えてくる。


 そう、バレンタインデーである。


 2月14日、バレンタインデーとは、主に女性から男性へチョコレート等の贈り物をするなどして愛を確かめる「恋人たちの日」と呼ばれている日のことだ。もっとも、現在はその在り方も多様化の一途を辿り、家族や友人たちに「義理チョコレート」と称してプレゼントをする人達も数多くいる。

 俺も前世では当然女性から貰ったことがある。


「……」


 ほんとに。ほんとに貰ったことあるもん。……義理チョコばっかりだけどね。

 部活が同じ女子が、男子たちに同所属のよしみで一括チョコレートを配った際にそのおこぼれによくあずかっていたのである。はあ、なんか言ってて悲しくなるな。


 まぁとにかく、すみれ先輩の問いの真意はバレンタインデーに関するもので、俺にプレゼントしてくれるために事前確認を行ったのだと思う。

 ……俺の勘違いなら恥ずかしいのでそうであって下さいお願いします。


「それにしても」


 この奇妙な男女比の世界でも、バレンタインデーはきちんと存在する……ということでいいんだよね?

 偏った男女比という、バレンタインにおける根本的な前提が崩れている状態の今世は、俺にその疑問を抱かせる。

 

 だって男ってだけでめちゃくちゃ貰えるだろうし、来る3月14日、バレンタインのお返しをするホワイトデーなんて大変なことになるのではないだろうか。俺なんて、ファンクラブ会員数400万オーバーを誇る男だよ?どうするの?一体どういう事態になっちゃうの?

 でもすみれ先輩がああやって聞いてきたということは、バレンタインデーは普通にあるって解釈していいと思うんだよね。


「……」


 収拾がつく、のだろうか。

 一旦冷静になってみれば、それは無理だろうという結論に至る。仮にだが、100個のバレンタインデープレゼントを頂いたとしよう。それは、はっきり言って食べきれないし、持ち帰れない。せっかくの貰い物、1つたりとも無駄にしたくない気持ちはあるし、1つ残らずいただきたいところなのだが、事情がそれを許さない。


「……」


 本当に、バレンタインデーは前世と同様に開催されるのか。


 その疑問がまた脳内を満たす。

 しかし、先ほどのすみれ先輩の問い、あれは間違いなくバレンタインを示唆していた。


 んー、帰ったら調べてみるか。



* * *

 


 帰宅後、お風呂と夕ご飯を済ませた俺はベッドに寝転びながら、スマホを起動する。


「んーと『バレンタイン』と」


 検索サイトにキーワードを入力し、検索をかける。以前の世界とこの世界との差異を調べる際には、こうしてインターネットに頼らせてもらう場合が多い。家族や友人に直接聞き込みをしてもいいのだが、それがあまりにもこの世界にとっての常識だった際、怪訝な顔をされてしまうのだ。

 例えば高校生にもなって『バレンタインって何なん?』とでも聞こうものなら、また記憶喪失になってしまったのかと心配されてしまうだろう。


「やはり、時代はネット」


 文明の進歩に感謝しながら検索結果を眺め、とりあえず1番上の記事を見てみる。


 ふむふむ。

 『バレンタインデーとは、毎年2月14日に世界各地で「女性が男性に愛を伝える」イベントである』『愛の伝え方は様々で、言葉を贈ったり、物、特に甘いお菓子を贈ったり、また金銭をプレゼントする者もいる。贈答する当人が所属する団体ごとに贈るのが通例である』


「……ん?」


 なんだろう、確かに前世のバレンタインと似たようなイベントなんだろうけど……。


 甘いお菓子だけではなく、言葉や金銭もプレゼントするのか。それに、団体ごととはどういうことだろう。個人ではなく、団体としてプレゼントするという意味だろうか。例えば、弓道部から俺にプレゼント、1年1組から俺にプレゼント、ファンクラブから俺にプレゼント、と言ったように、団体単位で贈答を行うという理解でいいのだろうか。


「……」


 あー。

 そうか、わかった。


 男性が圧倒的に数が少ないため、女の子個人でプレゼントを行うと男性側のキャパシティがオーバーしてしまう。だから『団体ごと』という縛りを設けて、プレゼントの数を搾っているのだ。


「いっぱい貰いすぎても困るしな……」


 特に俺なんてファンクラブがあるし、会員400万人オーバーからお菓子を貰っても対応できないだろう。


「はっ!」


 いや待てよ、金銭でも貰える可能性があるのか。そうなれば、もし仮にファンクラブ会員の子から全員1円ずつ貰えたら、それだけで400万円の臨時収入!?


 おいおい、いきなり夢広がりすぎだろ。


「さらにもし100円ずつだったら……4億円?」


 ちょっと待ってちょっと待って。やばい、少し混乱してきた。もしかして俺って大富豪になっちゃう?生涯働かなくて済む?


「……」


 いや、バカ。まだ得てもいないお金に心を躍らせるのは滑稽だからやめろ。取らぬ狸の皮算用というやつだ。

 それにバレンタインプレゼントとは、あくまで好意のものであって、そこに邪な感情を抱くなど相手に対して失礼極まりないだろう。お金であっても、お菓子であっても、言葉であっても、それぞれに等しく敬意を評して有り難く頂戴する。それが、大人の対応というものだろう。


 目先の利益に心を奪われるんじゃない。金に目が眩んだ人間ほど見苦しいものはないのだ。もちろん、事情によりどうしてもお金が必要だという人はその限りでは無い。

 俺のように特にお金に不自由していないのに、ヨダレを垂らしながら大金に支配される。その姿が見苦しいと言っているのだ。


「とにかく」


 この世界のバレンタインがどういったイベントなのかは粗方把握した。もし女の子全員からプレゼントを貰うとなればさすがの俺も慄かざるを得ないが、団体ごとならば数はたかが知れているだろう。全国の無関係な団体から贈られてくるとかはなしにしてね、お願いします。


 今日も疲れた。知りたいことも知れたし、スッキリした心持ちで早めに寝よう。

 明日からもまた忙しいぞ。



* * *



 そして時が流れ、バレンタイン当日。

 俺としては、そこまで気を揉んでいたわけではなく、ただの楽しみな1イベント程度の認識でその日を迎えた。

 本当に、1年に1度訪れる楽しい行事。そのレベルの思考でいたのである。


 それが大きな間違いだと、遅くも俺が気付かされたのは学校から帰宅した時だ。


「メール……」


 普段使う機会がないメールアプリに一件のメールが届いていた。基本的に誰かと連絡を取り合う時にはメッセージアプリを利用しているため、メールはどこかのサイトに登録する時に使うくらいだ。キャンペーン情報などの受信は少し煩わしく感じてしまうため、大抵受信はしないように設定している。

 

「株式会社美少年信奉……」


 送り主は、そんなふざけた名前の会社のようだ。一瞬ただの迷惑メールかと思ったが、思い出してみれば確か俺のファンクラブのサイト運営会社がそのような名前だった気がする。十二使徒たちはそこと提携してファンクラブを管理しているのである。会費などは徴収していないという話だったが、サイト内に表示される広告収入などを会社に譲渡することで関係を保っているらしい。


「……」


 そこはかとない嫌な予感を抱きながらも、意を決してメールを開いてみる。

 割と長々とした文が記載されているため、漏れがないように最初から熟読していく。


「……バレンタインイベントにおける、ファンクラブからの収拾金について。えーと、総額82億7480万2400円が当社預かりとなっておりますので、速やかにお受け取りの口座設定をよろしくお願いします……」


 ふむ、なるほど。バレンタインでファンクラブの皆が俺に贈ってくれた金銭のお知らせか。確かに口座登録とかはしてないから、勝手に振り込まれるとかはないよね。


「つきましては、お手数ではございますが、お手続き、税金のご説明や書類の受け渡しなどが必要になりますので、保護者様ご同伴で下記の住所の本社までお越しください……」


 ふーん、集まったお金渡しますから会社まで来てくださいってことか。確かに額が額だから、まだ未成年の俺が1人で手続きするのはあまりよろしくない、か。

 なんてたって、82億円だからね。そんな軽々しく受け取れるような金額でもないだろう。


 そう、82億円……。


「……82おくえん?」


 突如として周囲の空気が冷やされた錯覚を抱く。

 脳髄を指で弄られているような衝撃を迎える。早まる鼓動が聞こえているのは俺だけだろうか。ともすれば、部屋中に響いているのではないかと勘違いしてしまう。

 音も、色も、光も置き去りにして、ひとつの単語に思考を蹂躙される。


「……82おくえんって、8200000000円?」


 眼窩が震える。

 スマホを持つ手から力が抜け、するりと床に取り落とした。

 体温の急上昇とは裏腹に冷や汗が吹き出る。焦点が合わない眼球を突き動かし、どこを見ればいいのか迷う。


 これだけの非現実感にタコ殴りにされる感覚は、異世界転生した以来だ。脳の機能を疑い、自分の正気を疑い、世界の正気をも疑い。

 それでも、現実があって。それでも尚、信じ込まされる世界があって。


 だから。



「…………まじ?」



 俺は、自らがおかしくないと信じられるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺が転生した世界はどうやら男女比がおかしいらしい めめ @watashimentama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ