第80話 オープンキャンパス3
やっと地獄の女だらけの密集地帯から脱出出来た。女の体臭が鼻をつくことつくこと。しかしオープンキャンパスには男性も少なくはない数が参加していた。蒸し風呂状態で苦しんでいる私達女を尻目に、男性達は体育館の2階に隔離されていた。悠々と談笑しながらお茶を飲んでたよ。まさに貴族。
「あーー説明会終わったよ〜……」
「……そうね、前原先輩を拝めたのは
凪も何処か疲れたような口調でため息混じりにそうこぼす。ご自慢の黒髪姫カットが少し乱れて見えるのは気のせいだろうか。
ゾロゾロと大名行列の随員の如く校舎の廊下を移動するオープンキャンパスの参加者達。背伸びして辺りを見渡しても男の姿はない。恐らく別ルートで移動しているのだろう。
「模擬授業は昨日決めたやつでいいの?」
確認の意を込めて凪に問う。
「ええ、それでいいわよ」
オープンキャンパス資料には、事細かに模擬授業の内容について記載があった。それを参考に、昨日の夜電話にて凪と今日受ける授業を予め決めておいたのだ。
「じゃあ行こっか」
ちなみに授業の選択肢は10個程あった。模擬なだけあって、『数学』『英語』などといった堅苦しい分野ではなく、『家庭』『体育』『音楽』など比較的キャッチーな科目が中心となっている。
その中で私達が選んだものは、
「「現代社会」」
である。
そう現代社会。私達が暮らすこの社会の数々の基本的な問題について調べ、考える科目だ(ネット参照)。一見小難しい学問のように思えるが、今回の模擬授業には『減り行く男性人口、その対策について考える』なんていうサブタイトルがついちゃってるのだ。私と凪はこの副題で閃いてしまった。
『前原先輩が来るのでは』と。
模擬授業には、前原先輩や春蘭高校生徒会役員の先輩達が参加するという。と言ってもこれは、かなり前からオープンキャンパス参加者たちの間で噂になっていたことだ。さっきは前原先輩をまた拝めた衝撃で頭から吹っ飛んでいたけど。まぁその眉唾な噂を信じて私達は昨日夜な夜な作戦会議を開いていたのだ。
行きの電車にて小耳に挟んだ情報によると、先輩達はいくつかの教室を決められた時間で周回するような参加形式を取り、ひとつの授業に丸々留まるわけではないらしい。恐らく10個全ての教室を回るという事はないだろう。2個ないし3個。かなりの希望的観測を入れて4、5個。ちなみに凪と私は3個だと予想している。授業時間は50分。15分程経てば次の教室……というパターンだ。私たちの予想はいい線いってると思う。
そう、3個。3分の1以下の確率。その確率を当てなければ前原先輩と授業を受ける夢が叶わない。しかし私達は昨日の段階では周回形式だと知らなかったわけで、10分の1を当てるつもりで作戦をたてていたのだ。それが3倍に増えた。天は味方をしている。
現代社会と結論づけるまでは紆余曲折だった。凪と意見が真っ向からぶつかり合い喧嘩直前まで議論が発展した。
『前原先輩は運動神経抜群なんだよ!?絶対、体育に参加する!!これをとるべき!!』
『いいえ。それは知ってるけど、体育の中でもバレーボール、サッカー、バスケットボールに分かれてるわ。この一科目でさらに三分割されるのはリスクが高すぎる。それに男性は女性と運動することを毛嫌いする方も多いと聞くわ。それならこの家庭科の料理実習で、彼氏とキッチンで一緒に夕ご飯を作るシチュエーションを体験すべきよ』
『うぐっ……確かにそれは捨てがたいけど、前原先輩が家庭科に参加する根拠がないじゃん!……あ、分かった。例え前原先輩が居なくても、生徒会のイケメンの誰かと料理出来たら良いとか思ってるんでしょ!これだからミーハーは……』
『……それは蜜柑のほうではないかしら?体育体育って、汗まみれの男を鑑賞したいだけでしょう汚らわしい。前原先輩の好きな料理を知ってる?好きな動物は?好きな女性のタイプは?』
『……う、えっと。……。そ、そんな細かい事はこれから知ってけばいいの!なんてったって、私は凪と違って前原先輩と将来を誓い合った間柄……』
『……は?』
『いや何でもないです、すみません』
とまぁこのような一悶着……、いや二悶着を経て、現代社会に落ち着いたのだ。まぁ私のはち切れんばかりの愛があれば、3分の1を引き当てるなど容易いのだ。
「教室はどこだっけ?」
「1年1組の教室ね」
よし!現代社会へ、いざ行かん!
* * *
「前原先輩かっこよかったね〜」「それ!実物見て説明会終わった後私ついファンクラブ入会しちゃったもん」「体育館からこの教室までの間に!?行動力すごいね……」「ねぇねぇ、どの先輩がこの授業参加してくれるかな」「私は仁先輩か隼人先輩がいいな」「結局その2人になっちゃうけど、他の先輩もイケメンばっかだよね」
教室のドアを開けると、既に場を騒音が支配しており席の大半は埋まっていた。ワイワイと今し方終わった説明会を話題に談笑している。興奮冷めやらぬ者、黙々とスマホの画面を注視する者、教室に1人だけいる男子に群がる者。
「……ふーん、勘が鋭い者達も少なくはないようね。前原先輩の動向を読み切るとは見所があるわ」
「いや現代社会の授業に前原先輩が参加確定みたいな言い方してるけど、まだ分からないからね?」
「いいえ、将来の嫁である私達2人の予想が外れるなんて有り得ないわ」
「ま、まぁ確かに私達は前原先輩のお嫁さん……え?凪もだっけ?」
「……。さぁ、空いてる席に座るわよ。あそこなんていいわね」
「……そ、そうだね」
凪が前原先輩への好意を隠さなくなったのはいつからだろうか。男嫌いで、色恋なんて以ての外。そんな気高くて凛とした凪もカッコよくて好きだったけど……。
「前原先輩が来て下さるといいんだけれど……」
想い人を思い、
男嫌いの変わり者とも揶揄された時期もあったけど、今ではこうして前原先輩のことを……。なんだかこっちまで嬉しくなるなぁ。
「大丈夫、きっと来てくれるよ。私達将来の嫁コンビがいるんだもん」
「……!そうよね、そうよ」
「さ、席に座ろ」
そうだよね、凪も女の子だもん。好きな男の子に会えるかどうかの瀬戸際なんだからそりゃ不安にもなるよね。いっつも頼りっぱなしの私だけど、こんな時くらいリードしてあげなくちゃ。
えーっと空いてる席は。
「あそこに座ろっか」
「そうね」
私達は1番後ろの席に座ることにした。
凪は窓際、私はその隣の椅子に腰掛ける。窓から入り込む夏の陽光が少し熱いが、どうやら教室内は冷房が完備されているらしく居心地が良いのでさほど気にはならない。中学校には冷暖房機器はなく、扇風機やストーブで凌いでいるため高校の設備は羨ましく感じる。
ここで改めて教室内に意識を向ける。
見た所、中学校と大差ないように思う。一般的な学校机に椅子、黒みがかった緑色の黒板。どれも見慣れたものだ。
しかも、隣には幼馴染みの東堂凪。10年来の付き合いである彼女には、最早家族のように接している。
「ねー凪、授業始まるまでに一応トイレ行っとかない?」
特に尿意は感じていないが、緊張も考慮し万が一の有事に備えるためそう提案する。
「……」
「……凪?」
しかし反応がない。私は、訝しげに彼女の顔を覗き込んでみる。すると何故か顔を僅かに赤く染め、机上に穴が開くほど視線を送っているみたいだ。何かを我慢しているようにも見えなくもない。
「えっと凪?どうしたの?もしかしてトイレ我慢してた?それともやっぱり窓際は暑いかな?」
「……いいえ。蜜柑ちょっといいかしら」
普通じゃない幼馴染みの様子を心配していると、凪がそう言って端正な顔を寄せてくる。口元に手を当てていることを考えると、小声で話したいのだろう。一体何なんだろう。
「(驚かないで聞いて欲しいのだけれど)」
「(うん)」
ここで凪はゴクリと1度喉を鳴らす。躊躇っているのか、気持ちを整理しているのか。察することは出来ないが、唯ならぬ事態が起こっているのは分かる。凪は数秒程の間隔を経てその口を開いた。
「(この机から……前原先輩の匂いがするのよ)」
「ッ!!?」
思わず『ガタタッ!』という音とともに立ってしまう。周囲の喧騒に包まれてさほど目立たなかったのが救いか。暴れ回る心臓を深呼吸で落ち着かせ、私は再び席につく。
「ふーーっ……」
深呼吸をもう1つ。ここは冷静にならなければいけない場面だ。先ずは何をするべきだろうか。先ずは……そう、事実確認だ。
「へ、へぇ〜。でも前原先輩の匂いなんてこの前の学校説明会の終わり際会った時に少し嗅いだくらいでしょ?少し不安が残るんじゃない?」
「……いいえ、私が間違えるなずなんてないわ。この机からは確実に前原先輩の匂いがするのよ」
「……。か、確認したいから私も嗅いでみていい?」
「いいわよ」
許可を得た私は、ゆっくりと凪の机に顔を寄せる。まさかね。いくら私達が嫁コンビだとしてもそう都合よく……
「……ふぐっ」
この、森林浴をしているが如く包み込んでくる自然の恵。鼻を突き抜けるそれはまるで雷のように脳内を駆け巡る。フルーティーで麻薬並に欲望を刺激するこの香り。この香りを思い出して何度自分を慰めたことか。
「……」
「……」
「……これは、間違いなく前原先輩の香り」
「でしょう」
しかし、未だ半信半疑である。この机から前原先輩の匂いがすることは最早疑いようがないのだが、前原先輩の席かどうかはまだ断定できない。何かの拍子に香りだけ付いた可能性も捨てきれない。
「でもこの学校には何百と……いや千を超える数の机があるはずなんだよね。それが前原先輩の席だという証拠が欲しいよね」
「すーっ……確かにそうね。すはすは……どこかに物証がないからしらね。くんかくんか……例えばここの……」
「ちょっと!!匂い嗅ぎながら喋らないでよ!私だって嗅ぐの我慢してるんだからね?」
「私の席だからいいのよ。話の続きだけれど、例えばここの机の中に教科書とか入ってないかしら。置き勉?とかいうやつよ」
「なるほど。確かに教科書があれば名前が書いてあるはずだから持ち主がはっきり分かるだろうけど……。流石に模擬授業あるなら置き勉しないように先生に言われてるんじゃないかなぁ」
「それはそうなんだけど……。あら?何か紙が1枚入ってるわね」
なんですと!?
もしかして授業か何かで使ったプリントだろうか?だとしたら特定できる可能性がある。
凪が机の上にB5ほどの大きさの紙を1枚広げる。私も席を立ち、傍で紙を一緒に確認する。そこには
* * *
おめでとう!今日の大当たりを引き当てたのは君だ。何を隠そう、この席はあの天下の前原仁君の席だ。君は運がいい。ご褒美だと思って、この机は嗅ぐなり体を擦り付けるなり好きにするといい。君が入学してくれれば、もしかするとまたこの席で勉強出来るかもしれない。そうなることを祈って、略儀ながらこの手紙の締めとさせて頂く。
春蘭高等学校 第32代会長 桐生隼人
* * *
「「…………」」
……。
「ね、凪」
「何かしら蜜柑」
「いちごミルク1本」
「嫌」
「駅前のチーズケーキワンホール」
「嫌」
「過去のスポ男2年分贈呈」
「嫌」
「いいから、その席譲ってよ!私達親友だよね!?ね!?」
「ぜっっったい嫌よ。私今日はオープンキャンパス終わるまでここから動かないわ」
私が窓際の席を選択していれば。後悔が波のように襲ってくる。私、橘蜜柑は今人生の分岐点とも言える重要な選択肢を外したのだ。
今もすはすはと机を嗅ぎ尽くさんとする幼馴染み、東堂凪。悔しくて羨ましくて気が狂いそうだ。
「……なんか模擬授業やる気失くした……」
「すはすは。くんかくんか」
模擬授業開始まであと5分。
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