閑話 とあるファンクラブ会員




「仁くぅん……」


 あーーー、かっこいい。

 本当に好き。


 月刊スポーツ男子、スポ男を机の上に開けながら仁君の写真をくんかくんかする。

 うーん、印刷物の良い匂い。これは中々上等なインクが使われていてそれでいてまったりとした……


 ……。


「って、ちがーう!!」


 『ばんっ』

 私は情けなさと怒りを込めて勢いよく台パンする。


 私がくんかくんかしたいのは、仁君本人だ!!仁君のワキと、足の指の間と、おしりの割れ目を嗅ぎ回したいのだ。これは匂いフェチである私の一世一代の目標。


 そのために、チャンスが少しでもあるなら、と仁君のファンクラブに入ったんだけど、未だ御本人に会えるようなチャンスには巡り会えず。こうして悶々とした日々を送りながら印刷物の匂いを嗅いでいるのだ。


「はぁ……」


 そら出来ることなら会いに行きたいよ?

 でも私は中学生だし、私が住んでいる場所は仁くんの住んでいる場所とは離れている。そんなに遠出するようなお金なんて持ってないし、端金程度のお小遣いを何ヶ月貯めようとも目標金額には届かない。


 あーーー、割れ目を、くんかくんか、させてぇええ!!



* * *



 私の名前は嬉野胡桃うれしのくるみ。現在中学2年生だ。顔も体型も成績も家庭も平々凡々。


 そんな私は、仁くんの大ファンである。もう全てが愛おしい。おしりの割れ目にチョップしたい。ちょっぷちょっぷ。


「ちょっぷ!!!」


 無性にチョップ欲が湧いた私は、台所で晩御飯の支度をしてくれているママのお尻にチョップをかます。む、思いの外良いケツをしている。


「……胡桃は晩御飯抜きね」


「そんな殺生な!」


 ご飯をいっぱい食べて体力をつけないと、今夜のお楽しみ自慰タイムが!!エロエロ仁君との妄想イチャラブプレイがぁぁあ!!

 日課だぞあれは。神聖な毎日の儀式なのだ。1日たりとも欠かすことなどあってはならない。私の、この、仁君への留まることを知らない溢れ出るリビドーが暴走しないように抑え込んでいるのだ!


「ぐっ……このままでは制御しきれない……ごめんママ。私の事は置いて……早くこの場を……」


「あ、そう言えば胡桃に朗報があるよ」


「ん、なーに?」


 折角壮大な演技をしたというのに、少しはノってくれてもいいんじゃない?という不満は一先ず胸の内に収めておく。

 取り敢えず今は朗報とやらが気になる。


 『トントントン』とリズム良くキュウリを切るママの横に並び立ちながら、次の言葉を待つ。


「近々……来週だったかな。仁君がこの近くに来るみたい」


「……ッ!?」


 ビクッと大きく肩が跳ね上がる。

 なんですと……?仁君がこの近くに……!?

 胡桃くるみだけに、るみたいってか?おいおい。


「それ本当なの!?」


「うん。部活の地方大会?に出場するみたいで、近いっていっても電車で1、2時間くらいかかるんだけどね。それくらいなら胡桃1人で行けるだろうし行ってみたら?」


 oh!マザーゴッド!!

 頭が上がらないとはこの事か。ママが私のママで心から嬉しいよ私は。ケツでかいなコイツとか普段思ってて本当にごめんなさい。


「ぜひ!いってくる!」


 うぉおおお!!テンションアゲアゲエンドレスファイナルファイヤァァァ!!

 仁君に、会える?ほんとに?


 何度も何度も願った。何度もママに土下座して頼み込んだけど、仕事が忙しくて都合が合わないと何度も断られた。何度だって諦めなかった。私は、仁君が大好きなんだ。


 世界が色付く。音が良く通る。

 視界が晴れ、私の心も明るくなる。


 ぎゅうと強く、強く胸の前で手を握る。


 暴れ出す心臓の鼓動が今は心地よかった。




* * *



「やって来ました、大会会場!!」


 いいね、いいね!!

 初めて電車に1人で乗って、何回も乗り間違えて当初の予定より時間は大幅にズレたけど、こうして辿り着いたわけだから結果オーライ!早めに家出て良かった。


 そして、ここに来て酷く痛感させられることがある。


 人が、多い。

 とてつもなく多い。ゴミのように多い。


 こんな数一体何処から来たんだ。弓道っていうのはそんなに人気な競技なんだろうか?

 ……いや、間違いなく仁君だ。彼目当てで降って湧いたようにミーハー共が集まってきたのだ。そんなこいつらに比べて私なんてファンクラブ会員ナンバー148!古参中の古参!レジェンドオブ古参!


 最初期から仁君を応援し続けた私に何かご褒美があって然るべきなのではないだろうか?


「はぁ……」


 はい、すみません。未練がましく文句垂れても仕方ないよね。兎に角今は一刻も早く生仁君が見たい。観客席は何処だろう?


「あの、すみません。応援がしたいのですが、観客席は何処ですか?」


 駐車場の入口に立っている警備員らしいおばさんに尋ねる。


「応援?この大会は出場者の関係者か、許可を得た記者しか入場出来ないけど……。君は出場者の誰かの妹さんかな?」


「……え」


 うそ……。


「か、関係者って!関係ない、例えば仁く……出場者のファンとかだったら入れないってことですか!?」


「そうだね」


「……」


 心がバッキバキに折れ、無残にも崩れ去る音がした。この一週間毎夜の如く夢を見て、妄想して、シュミレーションして。仁君にどうやってアプローチしようか。どうやって覚えてもらおうか。必死に考えた。


「そ……うですか。ありがとうございます」


 少し考えてみれば当たり前のことだった。仁君程の人気があれば彼のファンなんて星の数ほどいる。その全員に入場を許してしまうと、出場者の家族の人達が入れなくなってしまう。そんな事態を防ぐために制限を敷くくらい子供でも分かる。

 舞い上がり過ぎて脳死でここまで来てしまった。


「……」


 この、虫みたいに群がる人の大群は入場を許されなかった彼のファンの人達か。彼女たちを馬鹿にしていた私も、なんてことは無い、虫の1匹に過ぎなかったのだ。


 どうしよう。

 本当は仁君の大会が終わって、会場から出てくるところを出待ちしたいところなんだけど。

 この人の多さじゃ仁君の姿を見られるかすら怪しいし、何より大会終わりで疲れてるだろう仁君に待ち伏せなんてしたくない。


「……帰ろうかな」


 ママからは今日1日の予算として1万円貰っている。このお金でなにか美味しいものでも食べて帰ろう。うん、それがいい。


 そういえばママが、この近くに穴場的存在で、凄く美味しいのにお客さんが少ないパン屋さんがあるって言ってた。巷で噂になっていて少しずつ名が広まってきたらしいけど。

 そこに行ってみようかな。


「はぁ……」


 ため息しか出ない。期待が高かったせいで、落差に耐えられない。

 仁君を追い掛けるようになったのは、スイッターに投稿されたある1つの動画がきっかけだった。仁君の弓道の大会の一部始終だ。芸術的で、劇的で、最初はこれがアニメなのか実写なのか判断がつかなかった。それくらい、優美で、可憐で、体に電気が走ったような衝撃を受けたから。


 高揚した。

 夢中になった。


 私は、おかしくなった。勿論良い意味で。

 おかしいくらいに仁君が好きで、狂いそうなくらい彼の影を追った。


 仁君と会うことが出来たなら死ぬことも厭わない。例えば、死神に『仁君に会わせてやろう。その代わり対価としてお前の魂を貰う』と提案されたら、間違いなく死神に魂を捧げる。


 だったら今日のチャンスを無駄にせず、無理矢理にでも会いに行ったらいいと思うかもしれない。でもそれじゃダメだ。私が会いたい気持ち以上に、仁君の気持ちを優先したい。彼に迷惑をかけてまで会いたいわけじゃないのだ。あくまで最優先は仁君なんだから。


「はぁ〜……」


 クソデカため息をもうひとつ追加で。


 そんなことをしている間に例のパン屋さんに着いた模様。こじんまりとした外観。店名が描かれた看板に目を向ける。パン屋『ベーカリー』。

 ……いや、ベーカリーってパン屋さんって意味じゃなかった?パン屋『パン屋』ってこと?なんか……逆に深い意味を感じる。


 物は試しってことで入店してみる。


「いらっしゃい」


 内装は掃除が行き届いているらしく、思ったより綺麗だ。並べられたパンは、うん、噂に違わずって感じでとても食欲がそそられる。店内に居るお客さんは私を含めてたった2人。……なんかマスクにコート着て無茶苦茶怪しいヤツがいる。まだ夏なんだけど?怖すぎる。


 店員さんは、齢80年は軽く超えてそうなお婆ちゃんが1人だけ。カウンターで編み物をしている。昔ながらの駄菓子屋さんみたいなノリだ。


 まぁいいや。

 取り敢えず私が食べたいパンを2、3個買って、ママへのお土産と私の家用で5、6個くらい買おうかな。


 ん〜何がいいかな。

 入口の横にあったトングとお盆を持って適当にブラブラと歩き回る。野菜パン……おっぱいパン……ハンバーガー……。結構種類は色々あるみたい。


「あっ」


 おしりパンもあるじゃん!

 私おしりパン好きなんだよね。モチモチだし、なんか割れ目舐めたくなるし。……ならない?

 残り1個しかない。やはりみんなおしりが大好きみたい。分かる分かる。ぷりっぷりのおしりの割れ目いいよね。


 じゃあラスト1個いただきまー……


「「あ」」


 パンを取ろうと手を伸ばした私だったが、マスクをつけた不審者とタイミングが被ってしまったらしく、彼我の手が一瞬触れ合ってしまった。

 くっ。イケメンとの現場ならばここから恋が芽生えそうな展開なのに、何故この不審者なんだ!あぁ神よ。私に救いを。


 まぁそんなふざけたこと考えてないで早く謝ろう。


「すみません、私は大丈夫なので、おしりパンどうぞ」


 見て、この大人な対応?気遣いが出来る良い女だよ私は。仁くんおひとりお嫁さんにどうですか?なんつって。

 したり顔で不審者の顔を見やる。


 ……ほぉ、結構綺麗な目してるじゃん。悪くないね、及第点ってとこかな?

 今気付いたけどこの人男の人っぽい。ははーん。男だとバレるのが嫌で変装してるんでしょ?私は空気の読める女だから黙っててあげるかな。


「いや、悪いですよ。レディーファーストってことで、ここは僕が引きます」


 不審者はよく分からないことを言う。レディー……?ファースト?なんだそれ。ジェントルマンファーストならよく聞くけど。レディーって、何で女を優先させるんだろ?


「あ、と。いや、私はいいので、是非どうぞ」


「……そうですか?」


 譲ってくれるって言ってくれてるのに申し訳ないんだけど、男の人からぶんどるのは少し気が引ける。ここは遠慮させて欲しい。


「……」


 ……それにしてもこの人本当に綺麗な目をしている。宝石のような上品な輝きを放つ瞳は、意識を向けていると吸い込まれそうな感覚に陥る。今まで出会ってきた人の中で1番魅力的だ。及第点かな、なんて調子に乗っていたさっきの私をぶっ飛ばしたい。


 それに……。

 こんな感じの目をしている人を私は知っている。

 愛してやまない人。人生を捧げたい人。そう、仁君もこの人のような美しい瞳を持っていた。写真や動画でしか見たことは無いけど、不思議で神秘的な輝きがそこにはあった。

 この男の人も、若しかしたら仁君並のイケメンだったりして。


「えと、何か?」


「あ、すみません!」


 いけないいけない。不躾に顔を眺めてしまっていた。もうパンは取ったしさっさとお会計へ向かってしまおう。


「では失礼します!」


「あ!ちょっとまって」


 気まずさから急いでその場を退散しようとした私だったが、男の人に呼び止められた。


「パン譲ってくれてありがとね。見た所年下みたいだし、年下の女の子に譲られたままっていうのはどうにもむず痒くて……。こんな物しかないけど良ければ貰って」


 そう言って男の人が取り出したのは、ブッサイクで絶妙にムカつく顔をした人形が弓と矢を持ったヘンテコなキーホルダーだった。タグには『タマタマ弓道太郎 改』と書いてある。


「……えっと、これは」


「これ可愛いでしょ?前世……じゃなくて、何故か昔っからあってね、このキャラクター好きでずっとカバンとか筆箱につけてたんだよね」


 ……お世辞にも可愛いとは言えない。だけど、楽しそうに話すこの人を見ていると、不思議と愛嬌というものがこの人形に芽生えてくるから、分からないものだ。


「ありがとう、ございます」


 仁君に会えなかったのは凄く悲しいけど、神様がそんな私を見かねてご褒美くれたのかも?こんな贈り物も、悪くないね。

 自然と笑顔が浮かんでしまう。


「じゃあ僕失礼するね。おしりパンありがとう」


 そうして、陽気な不審者さんはさっさと会計を済ませてしまい、お店を出ていった。

 残されたのは手に握られたヘンテコなキーホルダーだけ。


 何となく、このキーホルダーは大切にしようと思った。神様からの贈り物を丁重に扱っていれば、いつか仁君に会わせてくれるような、そんな気がしたから。


 仁君に会う事は出来るだろうか?

 良い子にしていればきっと。


 不審者さんが出ていったドアに目を向ける。理由は分からないけど、何故か胸が締め付けられた。

 キーホルダーを少しばかり強く握る。


 仁君、私は諦めないよ。

 絶対。

 何年かかっても。

 何百年かかっても!



 あなたのおしりの割れ目絶対くんかくんかしますから!!!!


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る