第77話 家族




「記憶があやふやだ……」


 病室のベッドの上にて、俺は頭を抱えていた。これは、何もまたこれまでの記憶に異常をきたしたというわけではない。ただ単に、昨夜の出来事が朧気にしか思い出せないのだ。


「……ん、ご主人様は私以外の女に、それも2人にプロポーズしていた」


「……それはちょっと覚えてるけど」


「……ん、ゆるさない」


「ごめんて」


 ベッドの隣の椅子に座り、無表情ながらもどこか不愉快な雰囲気を醸し出しているのはソフィア・マルティスその人である。

 昨夜は、確かに頭痛が酷くて自分でも何を口走っているのか分からなくなっていた時があった。話に聞く限り、真紀さんと雛菊さんをかなり振り回してしまっていたようだ。


「2人は、どんなかんじだった?」


「……ん、ご主人様の様子が気掛かりであまり観察できていないけど、去り際に笑い声が後ろから聞こえてきた」


「……そっか」


 なら、いい。

 どんなことを伝えて、どんな行動をとったのか、それは明確に覚えているわけではないけど、あの子たちが笑えているなら、決して間違ったことはしていないのだろう。

 それが、なによりだ。


「……ふぅ」


 未だに痛む頭を労りつつ、ベッドに背を預ける。白い天井を見上げながら、考える。

 これで、一旦ではあるが過去のけじめはつけることができた。俺の考えなしの一言で縛り付けていた女の子はもういない。他の十二使徒に関しては、大した天命も下していないし、美琴ちゃんに聞く限りはイキイキと使命を全うしているようなので取り敢えず置いておく。生きがいのようになっているのなら、それはそれでいい。


「……」


 と、するならば、過去の残す問題はやはりあと一つだけ。


 俺自身のことだ。


 今の俺は、家族に疎まれているかもしれない。その考えが、どうしても抜けないのだ。

 これは家族との関係を避け続けてきた過去が起因する問題だ。

 俺を『俺』としてではなく『男』『美少年』それらの視点でしか、他人は見ていないのではないか。その不信感から芽生えた疑念は、家族への視点にまで伝播して、関わるのが怖くなった。以来、関係が疎遠だったのだ。


 今でこそ完全に記憶を取り戻したが、昨日までの俺は自我の確率ができておらず、転生する前の前原仁のような振る舞いをしてしまっていた。転生したての時の俺にあれだけ優しく接してくれた家族たちだ。以前の愛想の無い俺に戻ったからとはいえ、疎ましく思うようなことはないとは思うのだが、どうしても過去のせいで疑念が消えない。


「……ん、ご主人様?大丈夫?」


「うん、ありがとね。大丈夫」


 だから、確認したい。

 本当に俺は、昔からずっと愛されていたのかどうか。

 転生して性格が変わったから、最近になって愛され始めたわけではないと信じたい。そうしないと、家族へ接する恐怖がまた芽生えてきそうで、落ち着かないのだ。


「……そういえば、家族のみんなは?」


「ん、ご主人様が目覚める直前に医師に呼ばれて席を外した。そろそろ戻ってくるはず」


「そっか」


 どんな顔をして会おうかな。

 俺が完全に記憶を取り戻して自我を確立できたのは凛海に襲われた時だ。つまり、今の状態で家族に会ったことがない。


『コンコンコン』


 ノックが部屋に鳴り響いた。

 鼓動が少し加速する。


「ソフィただいま〜、大した話じゃなかったよ」


 声と共に入室してきたのは、母さんだ。後ろには姉さんと心愛の姿も見える。

 少し疲れているように見える3人は、俺を視界に収めると僅かに固まった。


「ジンちゃん!!」


「仁!」


「おにいぢゃ〜ん!」


 そして、一斉に駆け寄ってきた。


「痛いとこない!?大丈夫!?」「狂った女に襲われたって聞いたけど、怖かったね。もう大丈夫だからね」「警察にはきちんと通報しといたからね。早く捕まるといいんだけど」「おにぃぢゃん、わだじ心配だったよぉ……」「こら心愛、鼻水が布団についちゃうでしょう。離れなさい」「……ふぁい」「今日はゆっくり休みなさいね」


 口々に、思い思いの言葉を投げかけてくれる。その余裕のない姿は、いつも通りだ。違うのは、受け取り手である俺の心情だけ。


「みんな心配かけてごめんね。僕は大丈夫だよ」


 それでも、変わりないみんなの姿に安堵を抱き微笑みながら返す。

 すると、3人はそんな俺を見てまた固まった。


「……ジンちゃん、もしかしてまた記憶なくしちゃった……?」


 ああなるほど、そういう理解になるのか。

 確かにややこしい話ではあるんだけどね。


「ううん、全部覚えてるよ。大丈夫」


「……ん、私が保証する。もう仮ご主人様ではない」


「そ、そっか。ソフィが言うなら間違いないね」


「なになに、また優しいお兄ちゃんに戻ったの?」


「そうみたいだね。ちょっと前まで、また無愛想な仁だったから」


「……」


 心愛と姉さんの何気ない一言が、今の俺には刺さってしまう。やはり、転生するまで俺はずっと邪魔な存在で、愛されてなどいなかったのではないかと、邪推してしまう。


 だからだろうか。


「……記憶なんて戻らなかった方が、みんなも良かったかもしれないね」


 こんなことが口をついて出てしまったのは。


「全部忘れてた時の方がみんな良くしてくれたし、よく笑ってたしね」


「「「……」」」


「あ」


 まずい。つい、出てしまった。

 これは、よくない。『俺』ではなく『前原仁』よりの思考だし、何よりこの場でみんなに言うようなことではない。


「え〜?よくわかんないけど、どっちもお兄ちゃん、だよね?」


 しかし、心愛はまるで動じていないみたいにあっけらかんとしている。


「確かに記憶喪失前のお兄ちゃんは全然話してくれなくて、ずっと部屋に引きこもってたし、顔を合わせたら会いたくなさそうに嫌な顔されたけど〜」


「うっ」


 耳が痛い話だ。あの頃の俺は、確かにそうだった。とにかく関係を絶ちたくて必死だったのだ。それが、楽になる方法だと信じていたから。


「でも、私のお兄ちゃんは1人だけだから。記憶喪失の時の優しくてかっこよくて面倒見が良いお兄ちゃんじゃなくても、お兄ちゃんだよ」


「そうね、中々深いことを言うじゃない、心愛。仁がどれだけ変わったとしても、私たちは姉弟。それだけは変わらない」


「……」


 それなのに、うちの家族は、いちいち心が軽くなるようなことを言ってくれる。こっちがどれだけ思い悩んでいようと、それを問答無用で解いてくれるのだ。


「そうだよね。ジンちゃんは記憶がある時と無い時の自分で悩んじゃってるのかもしれないけど、記憶喪失前のジンちゃんは、優しいところもあったし優しくないところもあった普通の男の子だったよ。それで、今のジンちゃんも強いところもあれば弱いところもある普通の男の子だよ。どっちも私の息子だよ」


「……」


「記憶の有無なんて、私たちの関係には影響ないんだよ〜。確かに『こういうところは違うんだ』ってこっちが寂しくなっちゃう時はあるけど、どっちもジンちゃんなんだから寧ろ新たな一面も見られてお得〜みたいな」


 母さんは、慈しむ表情で俺の頭を撫でる。

 母さんはどこまでいっても母親だし、俺はどこまでいっても息子だった。


「記憶がごちゃごちゃ〜ってなってる時にこんな事件に巻き込まれちゃって、心も疲れちゃうよね。今はいっぱい寝て、いっぱい食べて、それから元気になるんだよ」


「……うん」


 過去の俺は、何に怯えていたのだろうか。

 向き合えば、こんなにも暖かい手で撫でてくれる母親がいる。当たり前のことに気づかせてくれる姉と妹もいる。


 転生してから、どこか一歩引いた目線で家族たちと接していた。俺は中身は別物で本当の家族ではないと、線を引いていたからだ。

 でも、それはみんなに失礼な行いなのだと今気付かされた。


 俺たちは家族なのだ。記憶とか、転生とかそういうのは全部、捨て置ける問題だ。

 大切なのは在り方で、家族とはどう在るかで決まる。

 

 前原仁の記憶は、確かに俺が引き継いだ。それでも、前原仁の意識は消失したことは間違いない。彼は、本来の意味で死んだのだ。

 でも俺は前原仁の意志も記憶も持っている。彼の生きた証は、俺の中に確かに残っている。


 この二度目の人生。前世の自身の無念だけではなく、今世の前原仁の意志も背負って、大切に生き抜いていこう。二人分の魂を込めて、全力で、前原家の一員として。


 そう気持ちを新たにした一幕だった。

 こうして、俺は本当の意味で過去と向き合い、精算を果たしたのだった。


 

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