第76話 真実とおわり
薄暗い街灯の明かりに蛾が集っている。
ジメジメした風が、髪を揺らす。
気温のせいなのか、話している内容のせいなのか、握る手に汗が滲む。
私達は、記憶が戻ったという前原くんから、知らなかった私達自信のことについて聞かされていた。
「え、じゃあマキちゃんも使徒……ってことなの?それも序列一位……?」
「こっちのセリフだよ……。なんでヒナが使徒に」
「私は天命授かっちゃったんだよね」
「いや、私もだよ」
まさかマキちゃんが私と同じ使徒の1人だなんて露ほども知らなかった。思えば、あれだけ前原くんを好いていた彼女が態度を急変させたのは不自然だった。何かあったのだろうとは考えていたけど、まさか天命だったなんて。
「天命なんてもののために、二人を縛って、不信感を抱かせちゃったね、ごめん」
前原くんが深々と頭を下げる。その拍子に血が数滴コンクリートの地面に落ちた。その痛ましい姿も相まって、心が落ち着かない。
「『天命なんて』なんて言わないで前原くん、私達にとっては何よりも大切なこと。取り敢えず話は分かったから、病院に行こう?」
『天命』は、私の生きる指針で、目標で、ゴールだ。だから、誰にも無下に扱わせないし、前原くんであっても軽んじてほしくはない。
でも、それよりも、今は彼の体が心配だ。出血も酷いようだし、見ていて痛々しい。彼にもしものことがあれば、私はどうにかなってしまう。それだけは、絶対ダメなんだ。
「病院は、あとで行く。今伝えたい」
「いや、私もヒナに賛成だ。今すぐ治療した方がいい」
マキちゃんも私と同意見のようで、賛同してくれる。そう、何を差し置いても彼の身の安全が第一。それ以上に優先することなんて、この世にはないんだ。
「申し訳ないけど、その案には乗れない。記憶が戻った今だから、言いたいことがたくさんある」
「……でも」
「俺は、今生は誰にも左右されないし、好きに生きるよ。それが唯一の決め事だ」
「……!」
前原くんは、毅然と言い切る。その言葉通り、何者にも動じない我の強さと芯の太さを聞き手に感じさせる語気だった。その姿は、どこまでも輝いていて、素敵だった。
え、何この人、むちゃくちゃかっこいいよ。もうなんかすごいよ。すごい人に天命貰っちゃったよ。私絶対天命を守り抜いて、ヘラヘラした顔しないし、無表情でいるよ。もう、それだけで幸せ。この人の前だと、笑顔なんてなくたって、こんなにも幸福になれる。
「言いたいことが、ありすぎる。まず、真紀」
「な、なんだよ」
あ、マキちゃん今、前原くんに下の名前で呼ばれて絶対一瞬喜んだ。かわいいなあ、ちょっとの表情の変化で私は分かっちゃうんだよね。だって幼なじみだもん。
「まず、天命……とやらのことだけど」
「え、いやちょっと、ヒナの前で天命を話すのか?」
前原くんの第一声に動揺したようで、マキちゃんが慌てたように応える。
確かに、これには私も意見を唱えたい。
「……そうだよ、前原くん。天命は、人前であまり言うものじゃないんじゃないかな」
「そうだよなヒナ。天命は自分の中だけでこそってとこあるよな」
「……」
「うんうん、なんてったって大事な大事な天命なんだからね」
「そうそう」
「……」
前原くんは、黙って私たちの話に傾聴する。眉間を指で抑えながら、何か考え込んでいるみたいだ。それとも、出血箇所が痛むのだろうか。さっきの前原くんは、史上最強にカッコよかったけど、やっぱり今からでも病院に行くように説得して―――。
「天命、天命って、さっきからうるさい」
瞬間、彼から放たれた言葉に時が一瞬停滞した。理解するための機能を放棄してしまったように、その言葉が脳を素通りする。
「「え?」」
意図せず、私とマキちゃんの疑問符が重なった。
「天命って、ここんとこずっと聞いてるけど、なんなのそれは」
前原くんが、僅かに不快げに眉を寄せながら私達に問う。
見たことがない彼の姿に戸惑いながらも、マキちゃんが口を開く。
「えっと、前原から授かった使命で」
「そう、俺だよね。俺の、言葉だよね。なんでそれが『天』になっちゃったの?」
「「……」」
思いもよらない前原くんの疑問に、私達は二の句が継げない。
天命は、前原くんからの有難い使命で、それを守り続けていればいずれ……。
あれ?
なんで、天命って呼び出したんだっけ?確か使徒の誰かが言い出して、それで定着したはずだけど、そういえばなんで天命なんだろう。守り続けていれば、いずれ何があるんだろう。良い将来が待っているはず、なのに。
あれ?
「『天命』なんて大それた単語を使って、俺の言葉を尊大にするな。お前らの天命なんて、俺がぽろっと気まぐれで発した、ただの戯れ言だ」
「え?え?」
「それなのに、その戯れ言に縛られ続けて、苦しんで、その先に何があるの。俺が何か約束してあげた?全部思い出したけど、してないよね?」
「……」
「もういい加減、厨二病を引き摺り続けて自分を犠牲にする生き方はやめろ。戯れ言は、戯れ言。それ以上でも、以下でもない」
前原くんは、血が滴る頭を何度か振りながら、重く、静かに言い切った。頭が痛むのかもしれない。
いや、それよりも。
「……」
急に、どうしちゃったの?
あの日の、天命は?私たちの未来は?全部、全部無かったことにしちゃうの?
そんなの、ダメだよ。戯れ言でも、それは天命で、大切な私達の接点で。蔑ろにしちゃ、いけないんだ。
「……黙って聞いてれば、好き勝手言って」
腹の底から湧き出る黒い感情をどう発散しようかと迷っていると、マキちゃんが泣きそうな声で話し始めた。
「私がどんな思いで天命を守り続けてきたか、知ってんのか」
「知らない。でも、もう守る必要ない」
「……ッ!よくそんなことが―――」
「あ、あの、話切って申し訳ないんだけど、マキちゃんの天命って一体……?」
ヒートアップするマキちゃんを制すように私は疑問をあげる。これを聞かないことには、二人の話にいまいちついていけないのだ。
「そう、だな。ヒナにはちゃんと伝えておかないとな」
「……まあ、雛菊には教えとこう」
やっと、話の中心とも言うべきマキちゃんの天命、その内容が聞けるみたいだ。彼女を劇的に変えて、苦しめて、これだけの激情をあらわにするその原因が。
嘸かし重い天命を背負わされたはずで、だからこそ序列一位の彼女は重荷で潰れそうになっていたんだ。
高尚で、潔白な―――。
「「『ツンデレ』になること」」
「……」
……。
…………。
ツン……。
「え?ごめん、上手く聞き取れなかったみたい。なんて?」
「だから、前原に対してツンデレになることだよ」
……。
……。
「はい?」
ちょっと待って、混乱してる。
物凄い混乱してる。
ツン……デレ?ツンデレって、ツンツンデレデレのツンデレ?
普段は冷たく「ツンツン」しているような態度を取るのに、何かの拍子で好意的な「デレデレ」した態度を取るような二面性を併せ持つ女の子のこと?そのツンデレ?
……。
「どういう……こと?」
どれだけ頭を悩ませて、定義の確認をしたとしても、今私が捻り出せる言語はこれしか持ち合わせていなかった。
「当時俺はライトノベルにハマってたんだけど、仲が良かった真紀に憧れからお願いしたんだよ。髪型もそれっぽくツインテールにしてって」
「はい?」
「私はその天命に応えるべく、必死に努力したんだ」
「いや、ひとつ言わせてほしい。ぜんっっぜん、ツンデレじゃなかった。当時も、今も」
「は、はあ!?前原が言うから、私は想いを全部押し殺して、ずっと冷たい態度を」
「いや『ツンツン』しかしてないよね?1回でもデレた?」
「……!……!いや、でも」
「『デレ』がないツンデレは、ツンデレに非ず!ただの感じ悪い女だ!今日は、これを伝えたくて、血塗れになりながら走ってきた!……おっきな声出したら頭痛い。クラクラする」
「わ、私の天命をバカにしてんのか!?お前が言うから、必死にキャラクターをトレースして」
「……」
え、なにこれ?ちょっと待って。
今、なんの話しをしているの?
一回、一回だけ整理させて。おねがい。
まず、マキちゃんと前原くんは仲が良かったんだね。これは知らなかった。
でも確かに『ほしみや』と『まえはら』で出席番号が隣だったし、きっかけは分かりやすいかも。あまり話している姿は見かけなかったけど、前原くんにとっては女子の中で1番話しかけやすかったのかもしれない。
それで前原くん、本当のツンデレを伝えるために今日来てくれたんだ。
来てくれたのはすっごく嬉しい。でも、なんだろうこの煮え切らない感情は。
「天命なんて、俺は知らない。過去の俺の軽挙な発言が、真紀と雛菊を縛り付けた。ごめん。これからは、自分を出していい」
「……無責任だ」
「わかってる。だから、責任を取りたい。どうしたら、縛られた期間の贖罪になる?俺は、何でもする覚悟で今日来た」
か、かっこいいよぉ。
覚悟を決めた表情も、突きつけられている言葉も、在り方も、全部全部涙が出るくらいかっこいい。
それなのに、ツンデレ。ツンデレの件だけが私の感情の尾を引いている。それさえなければ、今頃号泣するくらい感動していそうなのに。でも神々しいくらいかっこいいよぉ。
「せ、責任をとる!?じゃ、じゃあ、け、けけけけ、けっ、ここここ!」
マキちゃん落ち着いて!噛みすぎて、変な鳥の鳴き声みたいになっちゃってるよ!気持ちは分かるけどね!気持ちはすごく分かるけどね!
「……わかった、責任を取って2人と結婚する」
「「えぇ!?」」
ちょっと待って!?なにこれは、夢!?私は、夢の世界に迷いこんじゃったの!?ビックリしすぎて、鼻水吹き出しちゃった!
「真紀と雛菊みたいな美少女、こっちから結婚お願いしたいくらいだ!」
「「どぇええ!?」」
やばい、心臓がもたない。血管が恐ろしいくらい脈動して、体がはち切れそうだ。ツンデレとかもうどうでもいい。そうか、これが、天命の行く末だったんだ。こういう風な潮流に世界は形作られていたんだ。
「だから、気持ちを殺す必要なんてない真紀。雛菊は、笑った顔の方が絶対可愛い」
「「!?」」
前原くんは、ゆらゆらとした足取りで近付いてきたかと思えば、私達に覆い被さり、抱き締めてきた。
決して力強くはなく、弱々しい手つきだったけど、なぜか絶大な安心感に包まれているみたいだった。
「これまで頑張ってきてくれてありがとう。でも、もう大丈夫。これからは俺が頑張るから。だから、もう休んでいいよ」
「……」
涙が出た。
この数分間で色んなことがあった。でも、今の一言でそんな衝撃はどうでもよくなって。思い出したのは、あの日、あの時笑わない方がいいと前原くんに言ってもらえて、それから無表情で過ごせるように鏡の前で練習を重ねた時間だ。
彼の期待に応えて、それでその先に何かあると信じてひたむきに頑張ってきた。
頑張ってきて、本当に良かった。
「……」
隣に目を向けると、マキちゃんも泣いていた。彼女も序列一位として、前原くんへの好意を表に出すこともできずにひたすら耐えてきたのだ。その苦しさは想像を絶するだろう。例え、天命とは違った形で努力していたとしても、それは、マキちゃんの努力を否定する理由にはならないのだ。
「もう……だいじょうぶ、だから……」
「前原くん!?」
「前原!?」
感慨に耽っていると、ハグの形から前原くんが力尽きたようにずり落ちた。咄嗟に私たち2人で彼の体を支える。
「……ん、ご主人様はどうやら貧血で気を失っている」
「「え?」」
気付けば、すぐ隣に白髪の少女が立っていた。スーツに身を包み、どこか見た目と雰囲気が合っていないチグハグな印象を受ける。
「えっと、どなた……ですか?」
「……ん、私はご主人様の侍衛官、ソフィア・マルティス。これから私はご主人様を病院へと連れて行く」
ソフィア……と名乗った少女は名刺を私達に差し出し、その小柄な体に似つかわしくない膂力で前原くんの体を軽い様子で担ぐ。どうやら、彼女は前原くんの関係者みたいだ。
「あ、えっと、前原くんにお大事にとお伝えください」
早速病院に向かって歩き出したソフィアさんに言葉をかける。目まぐるしい状況の変化に頭がついていかないが、何とか口だけは開こう。
これから頑張ると覚悟を示してくれた前原くんは、その言葉通り必死に私達のもとまでやってきて行動で証明してくれた。そんな彼の頑張りに対して置いてけぼりな自分が悔しいが、なんとか気遣いだけはしてあげたかった。
「そ、そうだな。しっかり休んでくれ」
「……ん、承知した。伝えておく。……あと、ご主人様は貧血でいつもと様子は違っていた。でも、話していた内容は本心……だと思う。だから、安心してほしい」
「……はい、ありがとうございます」
その言葉を最後に、暗い夜道の中に前原くんを背負ったソフィアさんは消えていった。そうして、残されたのは私とマキちゃんの2人だけ。あと、地面に滴り落ちた数滴の前原くんの血。
「「……」」
血がなければ、さきほどまでの出来事は全部幻だったのではないかと疑いそうになる。それくらい、数々の驚きが詰まっていた時間だった。濃くて、楽しい時間だった。
「なんだか、色んな衝撃事実発覚って感じだね」
「……ヒナの笑顔、久しぶりに見た気がする」
「え!?今笑っちゃってた!?」
「それはもう素敵な笑顔だったぞ」
マキちゃんはからかうように笑う。
「え〜!?うそ」
「無意識か」
「うー、今まで頑張ってきたんだけどなあ」
「まあ、その頑張りを引き継いでくれる人がいるからな」
「……そうだね!」
私とマキちゃんは、帰路につく。足取りは軽く、気分は晴れやか。
どこか生まれ変わったような心持ちで、私達は歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます