第75話 間に合った





「楽しかった〜!」「ね!みんなすっかり変わっちゃっててビックリした」「え〜?陽茉莉ひまりが1番変わってたよ!」「絶対ウソ!あおいもイメチェンしてるし!」


 週末の夜の喧騒に包まれた駅前。心底楽しそうにバカ騒ぎしている大学生集団。飲み屋をハシゴしているのか、休日出勤終わりであろうスーツを着て気持ちよさそうに酔っ払っているおばさん達。家族で外食なのか、手を繋ぎながら仲睦まじく目の前を通り過ぎていく親子。

 

 私はふと空を見上げる。

 暗く、目を凝らさなければ分からないが、恐らく曇り空である。夏の夜の少し湿った空気と相俟ってあまり明るい気分にはなれない。


 隣では、嘗ての級友……中学時代の同級生達が同窓会を終えて、店の前で談笑をしている。今回の幹事は私、星宮真紀ほしみやまき。当初は何のことは無く、ただの思い付きで企画したものだった。


 しかし、忘れもしない3週間前、前原仁と邂逅した事により、今回の同窓会には特別な意味が生まれた。なんでも前原は記憶喪失という不可解な状態に陥っているという。

 ヒナは1年前まで明るく活発的な……抱き締めたくなるくらい純粋で眩しい子だった。だけど、前原と関わってしまったあの子はすっかり性格が変わってしまった。控えめで大人しい、口数の少ない子に。


 何があったか知らないが、前原がヒナにきちんと謝罪して、和解する事が出来たならあの子はきっと救われる。きっと何かが変わるはず。そんな願いを込めて、前原に同窓会に出席することを提案したし、彼もその要求を呑んだ。


 なのに、それなのに。


「……ッ」


 唇を強く引き結ぶ。周囲の楽しげな喧騒が今はどうしようもなく憎らしい。


 前原仁は、結局同窓会には現れなかった。

 現在時刻は20時半を少し回ったところ。17時から開始だった。……今更、来るかもしれないなんて儚い願望を抱くつもりもない。

 期待していた。記憶喪失の件は半信半疑だった。でも、久方振りの彼の姿はどこまでも輝いていたから。

 私の献身も努力も、ヒナとの事情も、全部置いてけぼりで、これが守り抜いてきた天命の結果なのかと空へ叫び上げたい。


「……ふぅ。ヒナ、ごめん」


 すぐ横で、悔しさと怒りに震える私をオロオロと眺めていたヒナに声をかける。

 この子も煮え切らない感情のはずだ。


「……ううん、私は大丈夫。今回は縁がなかった。そう思えたら、これからも耐えられる気がするんだ。私は、まだ大丈夫。耐える、耐えられるよ」


「……そ、そうか」


 光を失った瞳で、自分に言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す幼なじみに少し気後れしてしまう。


「おい」


「ん?」


 不機嫌そうに……いや実際不機嫌なんだろうけど、低く野太い声で声をかけてきたのは、嘗ての級友で、クラスでは前原以外だと唯一の男である黒瀬龍彦くろせたつひこだ。


「仁が来るって話だったからきたんだけどよー、話が違うじゃねえか。こっちは妹から仁への贈り物を山程預かってるってのに……」


「私に言われても困るよ。来なかったのは前原なんだし」


「……はあ、だよな。まあ仁との機会がまたあれば、呼んでくれよ。じゃあな」


 黒瀬は、溜め息と共に肩を落として踵を返した。彼は前原と親しい様子だったし、彼なりに今回の同窓会は楽しみにしていたのかもしれない。妹からの贈り物……というのはよく分からないけれど。


「……ヒナ、私達ももう帰るぞ」


「そうだね」


 歩き出しながら隣に立つヒナに帰宅を促す。今回は、本当に残念だ。



* * *



「「……」」


 私たちはお互い無言で暗くなった川沿いを歩く。街灯の数がどう見ても足りておらず、十数メートルごとに殆ど真っ暗になる。


 今回は、縁がなかった。


 早く自分が報われたいと思うし、ヒナに元気になってほしいとも思うが、まだ時期ではないということなのだろう。

 そう納得しないと、心がひび割れて立ち止まってしまいそうになる。

 

「前原くん……前原くん……」


「……」


 隣を歩く幼なじみは、爪を噛みながら彼の名前を何度も呟いている。こわい。

 なんでこの子の心は、これほどに傾倒しているのだろう。そんなに前原と接点はなかったはずなんだけど。

 

「……はぁ」


 今日何かが変化すると期待していた。

 願わくば、私とヒナの全部が。

 それが叶わないと実感した途端、肩の力が抜けてしまう。明日からまた日常が始まるのだ。彼もいない、ただ天命を尽くすだけの日々が。


 私は、それがどうしようもなく―――。



「ちょっと待って!」



 その時、鼓膜を揺らしたのは背後からかけられた声だった。

 苦しんで待ち望んだ、でも一度諦めた。落ち込んで、歯を食いしばって。

 それなのに、どうして。


「……いまさら」


 今更、何しに来たのだと糾弾したい。

 もう同窓会は終わって、約束は果たされなかった。そう、今更、今更なのだ。一度終わった願いで、だからもうこれ以上掻き乱さないでほしいのに。

 胸から滲み出てくるのは、体を芯から暖めるような幸福感だ。それがどうしようもなく憎らしくて、心地好い。


「……遅いぞ、前原」


「前原くん!!」


 湧き上がる涙を堪えて、精一杯の抵抗を送る。ここで喜びで小躍りしてしまえば、天命と違えることになってしまうから。それが、使命だから。


「はぁッ……はぁッ……」


 前原は、肩で大きく息をして苦しげにしている。同窓会の開催に間に合わなかったのは、何か事情があったのかもしれないし、ないのかもしれない。

 それでも、必死でこの場に駆け付けてくれたのは見る限り真実だろう。


「遅れて、ごめん!なんか、色々あった!」


 頭を少し下げると、前原は私達に謝罪をした。


「ぜ、全然大丈夫だよ。来てくれだけで。ね、マキちゃん」


「ま、まあ許さないけどな」


「またまた」


 私はちゃんと分かってるよと言わんばかりのヒナの顔が鼻につくが、ここは黙っておこう。


 そんなことよりも、興奮していて遅れてしまったが、今気づいたことがある。


 前原の顔……正確には額から何か赤い液体が一筋流れている。それは顔を経由し首元まで達しており、白いシャツの襟元が赤く染っている。あれは、どう考えても血だ。


「……え」


 ヒナも流れる血に気が付いたのか、口元を手で覆い驚いている。言葉も出ないみたいだ。


「えっと、その血は……」


 驚愕や不安、疑念に頭が支配されながらも、何とか言葉を絞り出す。


「……あぁこれ?急いで走ってきたから傷が開いちゃってさ。……気にしなくていいよ」


 前原は血を拭いながらこちらを気遣うようなことをいう。

 その途中僅かに蹌踉よろめいたのを私は見逃さなかった。それなのに彼はそれは些事だと言わんばかりに振る舞う。


「びょ、病院行った方がいいよ! ね? 来てくれたのは嬉しいけど、それどころじゃないって」


「そ、そうだな。何があったか知らないけど、取り敢えずその傷を―――」


「記憶を、戻してきたんだ」


「え?」


 私の言葉を途中で遮って、前原がぽつりと呟いた。それは、小さい声ながらやけに明瞭に聞こえた。


「無くなっちゃってた記憶を取り戻してきた。覚えてる。桜咲雛菊、星宮真紀」


「……えっと」


「2人への天命とやらも、知ってる。それに苦しんでることも、知ってる」


「!」


 ぽつぽつと、前原が言葉を紡いでいく。一言一言が鮮明で、脳内に直接流れ込んでくるみたいだ。


「ちょ、ちょっと待て!急すぎる!記憶が戻った!?ほんとに?それに天命も、私は苦しんでなんかないし、それにヒナの前でそんなこと」


「え?天命って、私のことだよね?」


「……え?いやヒナじゃなくて、私が前原から受けた―――」


「だから、それ私だって!」


 ヒナの懸命な様子に、混乱する。

 前原の記憶喪失が出会い頭に完治したと伝えられ、天命を人前で口にしたかと思えば、ヒナが自分だと主張する。天命は、言わずもがな十二使徒にしか与えられない。そもそも、使徒しか知り得ない単語なのだ。


「……その辺りも含めて、ちゃんと話そっか」


 前原のその提案に、私達は静かに頷くことしかできなかった。

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