第73話 打開




「はむ」


 凛海は、幾度も俺に唇を重ねる。

 口の中に鉄の味が広がる。鼻から抜ける自らの血の匂いが不快だ。かと言って心の底から拒否しているかと問われれば否と答えるだろうことも、もどかしい。


「ぷはっ」


「……」


 薬の影響からか、頭がぼーっとする。思考にもやがかかったように物事を考えられない。……何をやってたんだっけ?心無しか後頭部と左太ももの傷の痛みも何処か心地よく感じられて。


「あ……あ"っ……!……はぁはあ、イッちゃった♪」


 凛海が口元を指で抑えながらビクビクと体を数回大きく震わす。……妖艶だ。こんなにこいつは魅力的だったかな。自分に暴行を加えた相手にこんな感情を抱くとはいよいよ俺も末期なのかもしれない。


「美味しいねダーリン!もっと……はむ」


「やめ……」


 凛海は2度目の口付けを断行する。なんかもう抵抗する気力も無くなってきた。身体中痛いし、感情も思考もふわふわするし。血も相当流しただろうし貧血になっている可能性もある。


 甘い……。


 なんかもういいかな……。この世界に来てから色々あって疲れたし。折角色々思い出したけど、同窓会でそれを披露するのももう厳しそうだし……。


「ぷはぁ……!おいし♪」


 結局何こいつは何者なんだろうな?

 知り合いでもないし。

 ストーカーの類か?それならこいつの全ての行動に納得がいく。尾行して背後から強襲、意識を刈り取った後拉致、そして手足を拘束し監禁。拷問とまでは行かないが、抵抗出来ない相手に好き勝手して己の欲望を満たす。まだ太ももを刺されてキスしかされていないが、これからまず間違いなくそれ以上のことをされるのだろう。最悪……殺されるかもな。


 紛うことなき命の危機。


 俺が甘かった。

 この世界での俺の価値は正しく理解しているつもりだったし、いつかは凛海のような輩が現れるだろうと確信に似た予測は立てていた。だからこそ母さんがSBMを要請した時は特に反対意見を唱える事もなく素直に受け入れた。それでも、それでもどこかやはり甘く考えていたのだろう。当事者になった経験がなかったから。


 その結果が現状だ。


 打開策が見つからない。

 せめて学校に行く途中とかだと、一向に登校してこない俺を不審に思った莉央ちゃん、美沙、聖也当たりが何かしらしてくれるかもしれないし、それは学校から帰る途中でも家族で同様。

 でも今日は同窓会なのだ。そもそも俺の参加も定かではなく、例え参加をかつての同級生に伝えていたとしても過去の俺がわざわざ俺のために何かしてくれるような友人を沢山作っているとは到底思えない。


 凛海も流石にそこまでは計算していないだろうけど、中々嫌なタイミングで襲いに来たもんだ。間が悪いとはこの事か。


「あ!そうそう」


 急にふと何かを思い出したように『ポン』と手を叩く凛海。なんだ?まだ何かあるのか?もう勘弁してくれ。


「ちょっと待っててね〜」


 ご機嫌に鼻歌を歌いながらスキップで部屋を出ていった。……恐怖でしかないよ。


 30秒から1分程経っただろうか。『ガチャガチャ』と金属同士が擦り合う音が聞こえてきた。嫌な予感しかしない。


「たっだいま〜!」


「……」


 もう絶句する他ない。

 1メートル程の幅のダンボールを持ってきた凛海。その中には、錆びたノコギリ、ごついヤットコ、無骨な金槌、デカいプライヤ、使い古されたネイルガンなどの工具用品が詰め込まれている。


「ただエッチするだけじゃつまんないと思って、色々持ってきたよ!」


 誰か助けてくれ。エッチだけでも全然つまらなくないと思いますけどね。

 媚薬で朦朧とした意識でも今から何が行われるかなんてハッキリと分かる。


 冷や汗が止まらないし、泣きそう。なんなら小便漏らしそうなんだけど。マジで。


「……」


 喉が震えて声が出ない。早く泣き叫んで近隣住民に助けを求めたい。前原仁はここに居るぞと力いっぱい叫びたい。


「ん〜?まずはどれがいいかな。ダーリンは潰されるのと切られるのどっちが好き?オススメはねー、潰しながら挿入かな!」


 何を潰しながら何を何処に入れるの?

 本当に何言ってるの?


『ガチャガチャ!』


 どれだけ力いっぱいもがこうとも手枷足枷はビクともしない。当たり前だろう。人力でどうにか出来るようには作られていない。


「ダーリンも絶対気持ち良くなると思うよ」


 誰か助けてください。

 もう何でもします。この異常性癖者に多分色んな穴が壊されてしまいます。


「凛海興奮してきたぁ♪」


「……」


 こんな狂人に目をつけられた時点で詰んでいたのか?もう成すすべはないのか?2度目の人生はここで呆気なく終了か?


「……」


 馬鹿言え。

 死ぬほど怖いし泣きそうだ。けどな、俺が何回死ぬ思いしてきたと思ってんだ。いや寧ろ1回実際に死んだんだよ。それが奇跡で今こうして生きてるんだよ。そこら辺に居るようなヘナヘナした男とは違う。前世の俺だったらこんな状況になったら、小便大便漏らし飛び散らせながら泣き叫んで発狂してると思う。でも今は違う。


 こんな訳もわからず死ねるか。

 人は簡単に死ぬ。それは俺が身をもって知ってる。だからこそ人生の一瞬一瞬に魂込めて楽しみ抜いてるんだよこっちは。その邪魔だけは絶対にさせない。

 こんな所で死ぬつもりは無い。……ないが、例え死ぬことになったとしても最後まで楽しんでやる。自重はしない、この世界を謳歌しまくる。俺が最初に決めたこと。


 恐らく誰も乗り越えていないだろう『死』を見事奇跡的に乗り越えた俺がそう簡単にチビると思うなよ。舐めんな。


「これでゆっくり潰そうかな?いやでもこれで少しずつ削るのもあり?いっその事噛み千切ろうかな?」


 ……。

 やっぱりほんの少しだけ怖いかもしれない。痛いのは嫌だし。


 い、いや恐れるな。死よりも怖いことなどない。信じろ俺の底力を。

 取り敢えず1発かましてやる。


「おい凛海」


「ん〜?」


「俺が気持ちよくなれるように精々頑張れよ」


「……」


 言った、頑張ったよ俺、これだよ。これからハーレム作ろうって意気込んでる奴がこんな1人の美少女にヒィヒィ泣かされてたまるか。度量が違うんだよ、度量が。もう後戻りは出来ない。煮るなり焼くなり好きにしろ。


 凛海は反応がない。さっき迄のご機嫌は一体どうしたんだ。

 やがて少し頬を赤らめたかと思えば、口を開いた。


「ダーリン……やっぱ―――」



『――――――ッ!!』



「「!?」」


 な、なんだ!?

 とてつもない爆音と共に辺りが砂埃で覆われる。凛海の姿が全く確認出来ないほど濃く、厚く蔓延する。凛海も俺も咄嗟に声が出ないほど驚愕する。


 ビックリした〜。


「げほっげほっ」


 むせるわ。急になんなんだ、心臓に悪い。凛海が持ってきた爆弾でも誤爆したか?危ないからやめてくれ。

 だが少しずつ、少しずつ視界が明瞭になる。自分から半径2メートル程は知覚できるようになっただろうか。目を凝らして周りを見渡す。



「……ん、手遅れにならなくて良かった」



 すると、ある声が未だ不明瞭な空間に響く。

 人を安心させるような平坦なこの声。俺が聞き慣れた落ち着くこの声。



「ご主人様を害した罪。死をもって償うといい」



 まさか。


 やがて砂埃が晴れる。俺が横たわるベッドの脇に勇ましく立つのは、果たして俺が期待した人物だ。

 ……流石というかなんというか。

 心のどこかで来てくれんじゃないかって思ってたよ。淡い期待だった。それでも応えてくれるんだな。



「私はソフィア・マルティス。男性特別侍衛官であり、ご主人様の忠実なる未来の嫁」



 ソフィ。


 黒いスーツに身を包み、微笑ましい妄言とは裏腹にその無表情な顔には何処か怒りが帯びている。こんな彼女は初めて見る。


 今この瞬間、心の底から安心した。彼女が来てくれたなら俺は助かった。そう確信出来る。だから、今まで張り詰めていたものが切れたんだろう。


「後は任せたからね〜ソフィ……」


 俺はソフィの姿を確認した途端に、あっさりと気を失った。見栄を張った、強くありたいと願った。だけどちょっとだけ休ませて。


 彼女なら大丈夫。

 信じている。俺の最強の侍衛官だ。


 そう、思いながら。

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