第72話 ピンチ





「はぁ……はぁ……ダーリン♪」


 勘弁してくれ。

 俺は確かに可愛い女の子が大好きだし、あわよくばハーレムを作りたいなんて考えてる外道だが、それでもノーマル男子だ。美少女との束縛SMプレイに興味が全くないとは言わない。

 しかし自分に暴行を加え拉致し監禁している相手に興奮するなんてことは間違っても出来ない。極度のM体質ならあるいは……っと言った感じだが、何度でも言うが俺はノーマルだ。


 結論今このシチュエーションでエッチな事など出来ようはずもないのだ。できる奴がいたらドン引きものだぞ。


 それに、ほんの直前まで俺は俗に言う『自分が分からない』状態に陥っていたため、未だに自我がフワフワしているのだ。とにかく今はただ同窓会へ出席し、早く帰宅してベッドで休みたい。それなのに、なんでこんなことに。


「あはは!ダーリンは指を折ったらどんな反応してくれるのかな〜?♪」


「……」


 それエッチな事じゃないですよね?


 どうにか、どうにかお願いして解放してくれないだろうか。ダーリンという呼び方からも分かるように、歪んでいるとは言え、この女の子、リミも俺を好いてくれているはずだ。ということは誠心誠意お願いすれば、この部屋から出して貰える可能性も無きにしも非ず。


 というか大切な同窓会が控えてるんですお願いします解放してください。


「えっと……リミ、さん」


「凛海でいいよ!」


「凛海。お願いがあるんだけど」


 もう敬語なんていらん。言葉の壁を無くして親身に接している感を演出する。こういう輩には親しくされていると勘違いさせておいた方が都合がいい。嫌悪感はおくびにも出さないのが吉だ。


「どうぞどうぞ!」


 ……なんか調子狂うな。こっちは無茶苦茶真剣なんだけど。間違って力を持ってしまった大きな子供を相手にしているみたいで、酷く疲れる。


 俺は意を決して言葉を紡ぐ。

 さて、聞き入れるかどうか。


「出来れば、俺をこの部屋から解放して欲しい」


「……え?」


 聞こえていなかったのか、凛海は呆けた顔になる。何を言っているのか分からないといった表情だ。

 兎に角もう一度思いを伝える。神経が削られるんだから一度で理解してくれ。


「いや、だから俺を解放……」




『トスッ』




「……?」


 もう一度決死のお願いを伝えようとした俺だったが、不意に耳が拾ったどこか間抜けな音でそれを中断した。


「何言ってるの?ダーリンは凛海の物なんだから何処にも言ったらダメだよ?悪い子にはお仕置きします!」


 そんな凛海の主張などもはや俺には聞こえていなかった。それどころではない。


 左太腿ひだりふとももの一部が熱い。燃えるような熱さではなく、じんわりとした、優しい熱さ。しかしその優しさがかえって違和感として頭に刻まれる。


 ……嫌な予感がする。滝なような冷や汗をかきながら自らの左太腿を見やる。


 そびえ立つそれを視界に入れた瞬間、俺の嫌な予感が的中したことを確信した。


 それの本来の使用用途は、氷の塊を砕いたり、綺麗な丸氷を作ったりするため。しかしその鋭利な切っ先はやわな人体を傷つけることなど簡単で。使い方次第で凶器にもなる。


 黒色のスキニーがじわじわと赤黒く染まっていく。


「反省するように!」


 まぁとどのつまり、アイスピックが俺の左太ももに刺さっているということだ。その犯人は言うまでもなく凛海。

 現状に理解が追いついた途端、頭が冷え体が急速に痛覚を訴えてくる。


「ぅあ……!」


 いや、痛すぎるだろ。脳髄にダイレクトに来る芯が通ったような痛み。太腿にアイスピックなんて、やろうと思って本当にやるやつがいるのか?サイコパスかこいつ。

 歯が割れるほど強く噛み締め、全身が力み筋肉が硬直する。現実逃避をしたいのか、脳内は何故か冷静に思考を展開していた。


「あはっ……!ダーリンの叫喚きょうかん……!いい……あそこがきゅんきゅんするぅ」


 陶酔仕切った顔で自らの股に手をやる凛海。痛みで意識が霞む。彼我にここまで反応に差があるのも珍しい。


「あぐぁ……はぁ……はぁ……」


 もう分かった。こいつは悪魔かなんかだ。こんな拷問紛いな事を平気で行える。美少女どころかもはや人間にすら見えない。


 

『ズチュッ……』



「ぅあっ……」


 凛海がごく自然な流れでアイスピックを俺の太ももから引き抜く。切っ先は唐紅からくれないに染まり、ポタポタと鮮血が滴り落ちる。染まっている部分から考えてあまり深くは刺さっていなかったみたいだ。精々数センチといったところ。まあ骨もあるし深く刺さるはずもないんだけど。


 ……なんで俺は冷静なんだろうな。恐怖と痛みで頭がおかしくなったかもしれない。


「あ〜ん……」


 『レロォ』そんな擬音が聞こえて来そうだ。凛海がニードル部分から俺の血を舐めとる。興奮し切って赤く染ったその端正な顔立ちと、下着はつけているとはいえ裸ワイシャツという扇情的な服装、涎にまみれた舌で血を舐める仕草は何処か絵画のようで。

 一人の男としてはこれ以上我慢できる訳もなく、俺はその控えめに膨らんだ胸へと手を……。



 って、



「は?」



 いや、何やってんの?俺。

 頭とち狂ったか?

 急いで手を引っ込める。


 俺を暴行して、拉致監禁するようなやつ相手は例え美少女であったとしても興奮など決してしないとさっき断言したばかりだろ。興奮する奴がいたらドン引きだとも言った。ありえない。それなのになんで……。


 分からない分からない。おかしい。俺は女の子好きの変態だけど、きちんと場は弁えると自負している。こんなシチュエーションで女の子に興奮?あろう事か手を出そうとした?絶対ない。


 混乱の極致。自分で自分が分からない。


 そこで、俺をじっと観察するように見つめていた凛海と目が合った。実験動物に向けるような眼差し。俺の反応を楽しんでいるような表情。


 ……。

 こいつ……いやまさか。


「あは。段々効いてきたみたいだね、おくすり。我慢しなくていいんだよ?」


「……!」


 悪い予感ほど的中するもの。


 普通なら発狂してしまうだろうズクズクと痛む太ももと後頭部。なのにどこか他人事のように頭では考えていた俺。

 自らを暴行、拉致監禁の末、拷問紛いな事をしている相手が目の前に居るのに、何処か楽観的に接していた俺。


 兆候はあった。それでも元々の前原仁に備わっていた強靭なメンタルが、記憶の想起と共に備わったためになせる技かと無理やり納得させていた。違う、そうじゃなかった。


 つまり、


 催淫剤……媚薬か?

 経口摂取か注射か。手段はわからないがこいつは俺が意識を取り戻す前に小細工をしていたのだ。その結果ある種酔っ払ったように物事を楽観的に考え、事態の深刻さに気づいていなかったのだ。


 そして俺はそのことに気づいてしまった。

 意識してしまえば、何処と無く体が熱いように感じるし、目の前の美少女が魅力的に見えてしまう。

 ……これも1種のプラシーボ効果だろうか。媚薬を投与された事実を知り、思い込みによってその効果が加速する。


「さ、始めよ?」


 そう言って凛海はワイシャツのボタンを外し始める。何故この狂人に俺はここまで翻弄されてる?情けない。この世界に来てからここまで無力感を味わったことは無い。


「おい、やめ……」


 そこで俺は言葉を区切った……いや、区切らされた。凛海の顔が視界いっぱいを覆い、体温をダイレクトに感じる。


 ……?


 その薄い紫色の唇は、俺の桜色の唇に強く押し当てられていて……。


「ふむ!?」


 こいつ、キスしやがった。なんてことを。俺の純情を奪われた。俺は高校生だぞ。印行と言ってそれは犯罪なんだぞ。ありがとうございま……くそ!媚薬で頭がおかしくなってる。


『ガチャ!ガチャ!』


 手枷の鎖が忙しなく動く。俺は一体どうなってしまうんだ。今のところ打開策が全く浮かばない。


 狂人の檻に囚われた俺。

 純情を今にも汚されそうな俺。

 薬の作用により本気で抵抗出来ない俺。

 記憶が完全に定着しきっておらず、自我が不安定な俺。


 そう、これは。



 こちらの世界へ転生してからの初めての明確なピンチ。

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