第71話 本領






 暗い。


 痛い。


 俺は……今何をしている?


 夢現な気分だ。

 何も見えない。

 何も聞こえない。


 ただ、悪くない気分だ。歪に絡まりあっていた二つが本来あった一つになった。

 この一体感は、懐かしい。


 暗い。


 痛い。



* * *



「……はぁッ!……はぁはぁ」


 眠りから飛び起きた俺は、目を開きながら必死に呼吸を繰り返す。まるで産声をあげたかのように、ただ必死に


「……ふぅ……いっ!?」


 現実に引き戻され、安堵した俺だったが気を抜いた瞬間に後頭部に尋常ではない激痛が走った。火傷しているのかと思うくらいその部位は熱い。


『ガチャ』


「……はい?」


 なんかヤバい毒虫とかに刺されたのかと思い至り、後頭部に触れて真偽を確認しようとしたのだが手が動かない。


 いや……これは手というよりも。


『ガチャガチャ!』


 ……四肢が拘束されて全身が動かない。

 何だこれは。

 首だけが動くため、俺の現在の状況をすぐさま確認する。正直混乱で頭がいっぱいだ。


『ガチャ!』


 これは……手枷?

 黒く着色されたそれはかなりの大きさであり、俺の手首だけではなく前腕の中ほどまで圧迫感に支配されている。鎖部分もかなりの太さを誇っており、強引に引きちぎるという選択肢は考えられない。俺が動く度に響く『ガチャ』という音はこの鎖から鳴っているみたいだ。


 それに、


『ガチャ!』


 ……足枷も。


 訳が分からない。

 一旦状況を整理させてくれ。


「ふぅ……」


 ズキズキと痛みを訴える後頭部のせいで思考がまとまらない。1度ゆっくりと深く息を吐き、辺りを見回す。


 先ずは俺。

 どうやらベッドに仰向けで横たわっているらしい。シミが多く埃っぽいこのベッドは間違っても清潔とは言えず、ノミやダニがわんさか湧いてそうでとても不快だ。

 そのベッドの四隅に手枷、足枷が固定されており、俺の四肢は不自由を強いられている。ちょうど大の字の形で貼り付け状態だ。


 次にこの場所。

 ……。


 知らない、天井だ……。

 まさかこの名言をこんな意味不明な状況で出すことになるとはな。神よ、どうかご慈悲を。


 一見するとごく普通の民家の一室といったところか。ただ、室内は非常に暗い。カーテンを締め切っただけではここまでは暗くならないはずなので、窓を板か何かで塞いでいるんじゃないだろうか。


 首以外動かせないので、得られる情報はこれくらいだ。


 ……うん、意味わかんない。

 後頭部が無茶苦茶痛くて上手く思考に集中出来ないし、この部屋なんかちょっと臭うし。


 そもそもなんで俺こんな所に居るんだっけ?さっきまで何してたかな……。


「うぐっ」


 記憶を掘り返そうとすると後頭部に激痛が走る。勘弁してくれ。

 動けない、思い出せない、考えられない。詰んでるだろこれ。ベッドに縛り付けられてるこの体勢はなんかSMプレイのMの方みたいで恥ずかしいし。早く誰か来て欲しいけど、あまり見られたくもないな。



「あ」

 そしてもう一点。とても大切な変化が。


 今、気がついた。俺が俺になっている。

 細かく言うと、俺は転生した前原仁なのだと強く認識できている。もう女の子に悪態なんてつかないし、母さんにお前とは呼ばないし、ソフィにご主人様って呼んで欲しい。


 ただ、そうなるとあの現象はなんだったのだろうと思う。記憶を取り戻したはいいものの、そのあまりの膨大な情報量に俺の脳がついていけなかったのかもしれない。

 ほんの少しの時間だけど、俺は自分を前原仁だと思い込んでいた。……結局、前原仁がこの世に再臨したわけではなく、彼はやはり死亡してこの世にはいないのだ。

 人格混濁の時期は流石に怖かったが……どうやって、人格形成できたのだろうか。



「ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふふふん♪ふふふん♪ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふっふっふーふふんっ♪」



 ん?

 どこからともなく……いや、扉の向こうから聞こえるこの鼻唄は。確か有名な童謡だな。聞き覚えがある。聞き覚えがあるんだけど……それだけじゃなくてつい最近聞いた気が……。


 引っかかる。思い出せない。しかし思い出そうとすると頭が痛むからなあ。


 まぁ今はいいだろう。兎に角、人がいることは確定したのだ。早急に助けを求めたい所なのだが、そもそも俺をこの状態にしたのは何処の誰だ?という最も根底的で重要な疑問が残っている。


 後頭部の激痛ゆえに正常な判断が出来なくなっている自覚はある。それでも先程の鼻唄の主が俺をこんな風にした張本人であることは想像に難くない。


 ……。冷や汗が……。


 『ギィ……』と年季を感じさせる開音と共に、木製で無骨な扉が開かれた。



「ふんっ♪ふふふんふふふ……あれ?ダーリン!!起きたの?」



 この人は……



「……ッ!?」


 痛い!!


「うぁ"……!!」


 後頭部が内部から弾けるような痛み。視界が霞む。熱い痛い熱い痛い熱い痛い!

 痛みの奔流とも言うべき負の感覚が脳内を暴れ回る。かつて経験したことの無い種類のこの痛み。歯を限界まで噛み締める。そうしないと耐えられる自信がない。



「ぉ"まえ……」


 あぁ思い出した。全部思い出したぞ。

 血濡れたスパナも、まるで手入れしていないボサボサの黒髪も、センスが悪い靴も、脳内をフラッシュバックする。


 俺を殴り倒して拉致し、ここに運んできたのは紛れもなくこいつだ。


 ソフィが言っていた殴打療法ではないが、結果的にこいつの一撃で俺の人格が安定した可能性があることは腹ただしいが。


 痛みに耐えつつこいつの顔を見る。


 痛みに傷んだその黒い長髪。その大きな目には光が宿っておらず、新雪のような白い肌とは対象的な少しばかりの隈が目立つ。少し紫がかった唇は何処かこちらを不安な気持ちにさせるが、全体的にパーツはよく美女……あるいは美少女と呼んで差し支えない美貌だった。


 ダボダボの白いカッターシャツ1枚だけを身にまとっている。俗に言う『裸ワイシャツ』だろうか。


 こんな人が俺を?

 

「あはっ!痛がってる!可愛い……興奮しちゃうよぉ」


 俺はこの世界に来てから、幾度となく女の子に襲われた。しかし女性は女性。力でに叶うわけはなく、いつも軽くあしらってきた。それに例えなにか危害を加えられたとしても非力な女の子に加えられる危害などたかが知れている。


 そう考えていたのだが。


 こいつは俺を拉致した時、60キロあるこの体を軽く担ぎ運んだのだ。加えて一撃で俺を卒倒させる手際。

 マジで何者だ。

 ……こんな事になるんだったらソフィに同窓会の会場くらいまでは着いてきてもらうんだった。

 ってそうだ同窓会!今何時だ?くそ、まさかこんな事態になるとは。……ちょっと自分の価値を甘く見てたかな。


「はぁ……イッちゃうかも……。ん?ダーリンどうかした?」


「……」


 どうしよう。正直言ってこいつ無茶苦茶怖いんだけど。えっと初対面だよね?ダーリンって何?もしかして俺殺される?大丈夫?目的が分からん。あと、なんで今イッちゃうの?


「……あなたが誰なのかは聞きませんが、何故僕を拉致したのですか?」


 震えそうになる声を押し殺し疑問を問掛ける。


「えっ?拉致?ん〜……拉致っていうか、だってダーリンは凛海のモノでしょ?どうしようと凛海が決められる、みたいな?ちゃんと首輪も付けてあげたし」


 ……いよいよヤバいやつに目を付けられてしまったかもしれない。俺の運命はここで終わると、そういうことなのか?

 というか、


「首輪?」


 首に何かあるのは感覚的に分かってたけどまさかこれが首輪とはな。本当にペットみたいだ。本当になんなんだこいつ。可愛い顔してえげつなさしか感じないんだけど。


「あは!まぁまあ!細かいことはいいじゃん!さあ何する?楽しくお喋り?一緒にテレビ見る?ゲームする?それとも……」


 自らを『リミ』と呼ぶこいつはそこで1度言葉を区切り、舌舐めずりをしながらこちらへと向かってくる。フラフラと不安定、なのに何故かしっかりとした足取りで。

 そして俺に跨ると口からヨダレを垂らしながら、その生気のない目で至近距離で見つめた。



「……えっちなこと、したい?」


「……ッ」


 鳥肌が立った。正気なのかこいつは。僅かに赤く染ったその妖艶な顔も、こいつから感じる高い体温も、顔にかかる甘い吐息も、本来なら男である俺なら歓喜に値するのに。普段なら大歓迎なのに。

 決定的にシチュエーションがイカれてる。  

 かび臭く仄暗いこの部屋。頭部に傷を負い、縛り付けられ身動きのできない俺。

 こいつ……リミだけが明らかに浮いている。こういうやつをなんて言うか俺は知っている。



 

 狂人。





「ねぇねえ!えっちなことしたいんでしょ?そうだよね!?凛海もう我慢出来ないよ!!ダーリン!」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る