第70話 狂人の牙
同窓会が明日に迫っている。
前日の夜である今、俺は頭痛と冷や汗に苛まれながらベッドに突っ伏していた。直前だというのに、明日の準備には何も手がつけられていない。
それというのも、体の変調に起因する。
「……」
記憶の混在だ。
昨日より顕著に、より多く、深い記憶の数々がへばりついたガムみたいに頭蓋骨の内側に留まる。自分の年齢も、性格も、生い立ちも、在るべき世界も、全てが曖昧で、二択だ。自信を持って言えるのは、俺が前原仁であるということ。
転生なんてばかげてる。ハーレムは素晴らしい。弓道なんて全く知らない。この両手が弓の反動を覚えている。莉央ちゃんって誰だ。莉央ちゃんの笑顔はとても可愛い。
「あー……だめだ」
同窓会前日にして、こうも不安定になるとは。記憶がせめぎあい、人格の主導権が安定しない。記憶が人格を形づくるというが、記憶が複数ある時は一体どうなるんだろな。
「……ん、仮ご主人様。苦労している様子」
「……ソフィか。どうしたの?」
「……今はご主人様が強そう。あなたは今相反する記憶に混乱しているだけ。いずれ落ち着いてあるべき人格に戻る。それはご主人様の方。だから安心していい」
ベッドで悶えていると、いつの間にかソフィが脇に立っていた。彼女はとても信頼しているため、その言の頼もしさは計り知れない。
「……そっか」
「殴打すれば瞬時に楽になるかも」
「いやいいよ!」
ソフィのそのショック療法推しは何なの。ただ、にっちもさっちもいかなくなって袋小路に入ったらお願いしようかな。ないとは思うけどね。
これは勝負だな、前原仁と俺との生存競争だ。俺は絶対に負けない。この世界で一大ハーレムを築き上げてみせる。
* * *
記憶喪失の件について病院に行くも、たいした成果は得られず、結局頭痛薬だけ貰って帰ってきた。
それから今まで、次第に振れ幅が大きくなる頭痛と、記憶の錯綜で気が狂いそうになっていた。俺が転生したという事実、俺が一度階段から落ちて死にかけたもしくは死んだという事実、凡そ二人分あると思われた記憶の数々はここ数日でゆっくりと、しかし確実に俺に浸透した。
記憶は、全て取り戻したと言っていいだろう。
前原仁の幼少期も、マエハラジンの幼年期も、前原仁の少年期も、マエハラジンの青年期も、全部俺は知っている。
だからこそ、俺は今人格の形成に苦しんでいた。俺が転生した前原仁なのか、元々この世界にいた前原仁なのか、どちらの記憶もある俺は確固とした判断ができない。
目覚めた当初は、この世界の記憶ばかりで元の記憶が上塗りされていたため、自分はこの世界の前原仁なのだと疑っていなかった。しかし、時間が経つにつれて表層に転生やハーレムなどの要素が浮かび上がってきて、莉央ちゃんや美沙、ソフィ、家族たちとの思い出も次々と現れてきて、それは絶対に転生した前原仁の記憶だ。
俺が前原仁なのか。マエハラジンなのか。
答えときっかけがつかめないまま、絶え間ない頭痛に意識を犯され、ここ数日は学校を休んでいる。
ただ。
「ほんとうにそんな状態で同窓会いくの!?」
「当たり前だよ母さん。これは休む訳にはいかないよ」
「……ん、じゃあ私も仮ご主人様に」
「ソフィも留守番」
「……なぜ?」
「ソフィは同級生じゃないから」
「……」
体調が悪くとも、自己が不安定だったとしても、同窓会には行かせてもらう。行かなければならないと、そう思ったからだ。
「何かあれば、すぐに連絡してほしい」
「わかったよ」
心配げな母さんとソフィに見送られて、俺は今日開催される予定である同窓会へ出立した。
記憶を思い出したおかげで、マキさんや桜咲さんとのケジメをきちんとつけられる。俺が今行かないと、彼女たちはずっとあのままだ。
「……はぁはぁ」
脳髄が弾き出されそうだ、まるで前原仁とマエハラジンが争っているみたいに。願わくば、どちらも消えないでほしい。
体調不良で歩行スピードがかなり落ちているため、間に合わせるように近道を進む。この裏路地はジメジメしていてあまり好きな場所では無いが、背に腹は変えられない。
同窓会には龍彦も来るのだろうか。よく考えてみれば、他のクラスメートもいるはず。俺は自然に話せるだろうか。龍彦以外あんまり記憶にないからなあ。
ソフィも、そろそろ仮ご主人様からご主人様呼びに変更してくれてもいいのに、本人曰く「……ん、まだ完全じゃない」とのことだからな。何とも的を得ていて素晴らしい。彼女の人の目を見る能力は長けているみたいだ。
さて、冷や汗で体がびしょびしょだけど、ようやく駅に近づいてきた。
ここの裏路地を抜ければ、すぐに商店街に―――
その時。
「ぁ"……」
目の前で爆発が起こったかと思った。
凄まじい衝撃で視界がスパークして、何も見えない。視界は真っ白。自分が立っているかどうかも分からない。ひとつ知覚出来るのは、耳が甲高い『キィイイン』という音に支配されていること。
訳が分からない。
「……ぁぐ」
一瞬のスパーク。気が付くと俺はゴツゴツした冷たいコンクリートの上に倒れ伏していた。口の中に砂利が入り込む。
は?
何だ?
状況が掴めない。
壮絶な混乱。しかし現実は俺の理解を待ってはくれない。
「……ぅあ"」
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
正に激痛。後頭部の一部が焼かれるように痛い。バーナーでじっくりと炙られているような。凄まじい痛み。
それなのに体が動かない。地面を転げ回りたい衝動に駆られるのに、体が動かない。
「……ぐぁ、あ"」
声にならない悲鳴を上げる。
意識が飛びそうだ。
何なんだこれは。一体何が起きている?
全く分からない。
とにかく痛い。痛い。
「あはっ!ダーリン痛そう〜!」
そんな時、辛うじて機能している耳から異常な程軽快な声が聞こえてきた。心底楽しそうで、この場に似つかわしくない、まるでテーマパークにいる女の子のようだ。
「やっと逢えたねダーリン!
誰だこの人は。
いや誰でもいい、助けてくれ。頭が痛い。
「……あれ?ちゃんと生きてる?死んじゃったらやだよ?」
なんなんだこいつ。もしかして俺の幻聴か?明らかに異常だ。
心から楽しそうに、こちらへ問い掛けてくる声。朦朧とした意識の中俺は目線だけを声の方向へ向ける。
意識が朧気なせいで得られる情報は少ない。
先端に赤い液体がついたスパナ。
顔はまではよく見えないがボサボサの長髪。
水色を基調として黄色の水玉で模様付されたスニーカー。
足元には……飛び散った?赤い液体。
……。
こいつ……!!
「……ぉまえ」
俺の血だ。
スパナの先端に付着した液体は。足元に飛び散っている液体は。
なんてことは無い。俺はこいつにスパナで殴り付けられたのだ。目の前で爆発が起こったと錯覚したのは、殴られた衝撃か。
もしかして俺のあとをつけていたのはこいつか?
「……お?」
火事場の馬鹿力とはこのこと。先程まで指一本動かせなかった俺だが、犯人を前にしてようやく体を起こす。
「……はぁ"、なんで……」
なんでこんな事をしたのか。怒りよりも先に疑問が湧く。
答えて欲しい。願いを込めてその人物がスパナを持つ右腕を掴む。
「ん〜?なんで?なんでかぁ。そりゃあ、ダーリン、君は凛海の物だから。何してもいいでしょ?」
絶句。
一体なんなんだこいつは。俺はいつこいつの物になったんだ。
「……うぐ」
頭が痛い。まだ焼かれるような痛みが持続している。あとどれだけ意識を保てるか。心無しか痛みが増しているような錯覚さえ覚える。
記憶の混濁による痛みなど、もう気にはならない。
「ほらほら、いつまでもそうしてちゃ動けないでしょ」
そう言って自らの右腕を掴む俺の手を剥がす。
「さ、家に帰ろ!ダーリン♪」
「……ッ!?」
ヒョイっと俺の体を持ち上げ肩に担ぎ歩き出す。
何者だこいつ。俺の体重は60キロ。間違ってもこんな子犬みたいに扱えるような重量ではない。ましてやこいつは女性。有り得ない。
「ま……!どこべ……」
『待って!何処へ行くんだ?』
そう問いを投げられる程俺の体力はもう残っておらず。
「ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふふふん♪ふふふん♪ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふっふっふーふふんっ♪」
異様に不気味な鼻声を耳に、俺は辛うじて保っていた意識を手放した。
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