第65話 記憶回帰




「無駄骨じゃなくてよかったよ」


「……ん、ご主人様は流石の慧眼」


 黒瀬兄妹との座談会を終え、俺とソフィは家路を歩く。失った記憶を取り戻すため一縷の望みを求めて訪れた母校だったが、案外良い収穫があったのではないかと思う。


 黒瀬龍彦は、特筆すべき関係でもなくただの友人だという話だったが、彼とのやり取りにはどこか郷愁を抱き、心地は良かった。きっと、前原仁もこうして他愛のない会話をしていたのだろうと確信できるくらいには、確かな物懐かしさだ。


 黒瀬美琴に関しては、ひどく大人びた印象を受けたが、十二使徒という子供らしくかわいいグループの一員だと言っていたようにどこか年相応の幼げも感じられた。彼女たちが俺のファンクラブの創始者だった件や、俺を同窓会に誘ってきたマキさんが十二使徒の序列一位だった件など、まだまだ気になる話は湧いてでてきていた。

 本来ならもう少し長く座談しておきたかったのだが、彼ら兄妹にも予定があるということだったので、今回は早めにお開きとなった。


 また、その理由に加えて俺の体調不良の件もあった。


 黒瀬龍彦を見ている時感じた脳の疼きが次第に頭痛へと変遷したのだ。眼窩から脳の髄にかけて鋭い爪で撫でられているような痛み。ただの疲れや風邪ならまだいいのだが、ここ数日過去の自身をなぞるために家族に聞き込みを行ったり、今日に至っては母校へと訪れたりするなど、記憶を戻すために奔走しているため、脳に負荷がかかっているのかもしれない。

 ただ、その場合、痛みという症状であったとしても確かな変化が現れているとも捉えられるので、少しでも前へ進めているのだろう。


「ただいま〜」


「ん、今帰った」


 ソフィと共に玄関をくぐる。

 慣れない場所へ行ってきたせいか、我が家の空気と匂い、色合いはやはり落ち着く。真っ白な壁紙は経年劣化でややくすんだものとなっているが、昔はもっと綺麗だった。それこそ5年前くらいまではシミひとつないほどに。


「ジンちゃん、ソフィおかえり。久しぶりの学校はどうだった?」


「ただいま母さん。相変わらず古めかしいところだったよ」


「……ん」


 とにかく、頭痛は記憶探しの副作用と判断するにしても、風邪や疲労の類だとするにしても、休まなければならない。来週の同窓会までに出来ることはしなければ。

 今は、とりあえず、眠いし疲れた。休息も戦いのうちだ。


「僕部屋戻るね」


「え、あ、わかった。ご飯とお風呂は?」


「……あー、後でいただくね」


「はーい」


 母さんとソフィの視線を背中に感じながら、段差がキツめの階段を登る。

 この家の階段は、昔から昇降するのが少し怖い。僅かに寝惚けて踏み外せば怪我をしてしまいそうだ。だからこそ数年前に手すりが取り付けられたんだろうけど。


 いつも通り、階段から落ちないようにと、しっかりと手すりを握る。

 なぜか、今日は普段より強く握ってしまっているような気がした。



* * *



 母校の訪問から4日ほど経った。

 その間、日常生活送る中突如として記憶が舞い戻るなんてことはなく、試行錯誤をしながら悶々とした日々を過ごした。

 ただ、頭痛だけは日に日に酷くなっていき、4日目にはついに学校を休むことになった。優等生で通っているため、欠席はできるだけ避けたい方法だったが身動ぎ1つするのに痛むので仕方がなかった。


 水分不足とか寝不足とか、風邪を引いたとかそういった類の変調ではない。頭痛薬も全く効果を感じられなかった。母さんやソフィが心配するので念の為病院にも行ってみたが、特に異常は見られなかった。ようするに、原因不明の頭痛に見舞われている。


 こう、脳ミソの中心から何かをえぐり返すのような鈍くもあり鋭くもある痛みが慢性的に繰り返すのだ。特に、朝が酷い。朝目を覚ました瞬間に耐え難い苦痛に苛まれる。

 数日前から、夜ベッドに入る行為が恐怖に変わりつつある。目覚めたら尋常ではない頭痛に襲われるのだから、処刑台に寝転ぶ感覚に近い。



「……」


 こうして今日も、寝起き10分程は痛みで動くことも出来ない。

 原因は不明とは言いつつも、恐らく過去の記憶関係だろうとは思う。まあそれしか憶測はできないんだけど。


 太陽光が反射し眩しい小窓を眺める。今は、この光すら目に響いて鬱陶しい。


 鉛で体が覆われたように、関節が動いてくれない。


「はぁ……」


 また、頭痛に加えて、ここ数日妙な夢を見るようになった。その夢が俺の体調不良を加速させていると言ってもいい。

 が、夢、と言い切って良いのか判断が付かない。それ程、鮮明に明瞭に、実感を伴う内容だ。夢を見ていると言うよりかは、誰か他人の記憶を覗き見ているような、そんなイメージ。


 具体的な内容について言及すると、そうだな。


 夢は俺が一人の人間に入り込んだ一人称視点で進む。視界には常に白いモヤがかかった状態で進行するため、細部に至るまで全ての情報を把握することは難しい。けれどそんな抽象化された視覚とは裏腹に、起こる出来事の辻褄は合い、決してチグハグな事象は起こらない。

 現実のように。


 夢ならば、奇天烈な物体や、突飛な空間、突拍子もないイベントが、予想外な角度から、唐突なタイミングで割り込むのが常だろう。

 経験したことはないだろうか。朝起きて、断片的に夢の記憶を辿ってみると、何故自分はこんな夢を、と。

 とうの昔に忘れ去っていると思い込んでいる記憶は、実は脳の一部にきっちり保存されているという。海馬だったか、大脳皮質だったか、名称はあやふやだが、確実に脳はこれまでの実体験を記録しているのだ。

 意味不明な夢は、若しかしたらそうした『自分が覚えていない記憶』の欠片や覚えている記憶を出鱈目に引っ付け、その時抱いている願望や悩みをスパイスに、適当に映像化したモノを見せられているのではないか。そんな説を考え付いた時期もあった。


 話が逸れてしまった。

 つまり、夢ならば少しは奇想天外な事象が起こって然るべきなのだ。


 それなのに、俺が最近見る夢には一切それがない。それはあたかも現実であるかのように、リアルな情景を俺に与えるのだ。特別な要素は存在しない。

 そう、言ってしまえば、ただなにかを思い出しているだけのような。


 そんな、感じ。

 ただの一般人の、何の変哲もない日常の風景を、他人である俺が覗き見ているだけなのに。そこには違和感なんて介入する余地がない程、自然に俺はその風景を受け入れて、見ているのだ。

 しかも、夢から与えられる情報は視覚だけに留まらない。その男の子の感情まで流入してくるのだ。男の子が何を思って、何を感じて、この場所にいるのか。それが何の呵責もなく俺の中へ流れ込む。夢の中の俺はそれを自然に甘受する。

 そして、朝起きた瞬間その奇妙な現象を思い返し、酷く気分を悪くするのだ。こんな気味が悪い夢があってたまるものか。


「……」


 今だって思い出しただけで気持ち悪くなる。しかし、はっきりと寸分違うことなく、思い返すことが出来る。


 最初のうちは、これは記憶が取り戻される前兆なのではないかと心踊ったものだけど、こう何日も何日も頭痛に見舞われると、正直気が滅入る。

 思い出すなら思い出すで『はっ!?全部思い出したぞ!』みたいな感じで酷く唐突にしてほしい。


「……ぷは」


 枕元に置いてあったペットボトルのお茶を一息に飲み干し、頭痛の軽減を自覚する。

 改めて、頭を整理してみることにする。俺が最近立てているある仮説についてだ。


 改めての話にはなるが……。


 こちらに転生した際に考えないわけではなかった。俺が転生……憑依とも言い換えられる。憑依したならば、前原仁はどうなったのだと。この脳が前原仁の物ならば、記憶はどこに行き、意識はどこに行ったのかと。

 俺は、前原仁は死亡し、その代わりに魂的なファンタジー成分が乗り移って、1人の新たな『前原仁』が出来上がったのだと解釈していた。その解釈は今でも間違っていないと思う。思うが、それに加えて現代科学も機能していたとしたらどうだろうか。


 この体の脳が、主人の記憶や意識を密かに匿っていたとしたら。消滅したフリをして、実は隠し持っていたのではないか。


 これはとても恐ろしい考えだった。前原の過去を追憶する夢だけで済めばいい。夢だけで終わればそれでいいのだが、もし記憶がそれだけに留まらず決壊するように溢れ出してきたら?


 俺の、転生前の前原仁の記憶は一体どうなるのだろう。ただ、人1人の人生の記憶を追体験出来て普通の2倍の人生経験を積めちゃいましたーで終わる話なのか?俺の記憶に上乗せするような形で、新しい記憶が保存されるだけなのか?


 もし、仮にそうではなく、『前原仁』の記憶に俺の記憶が押し潰されるような事態になったら。

 いや、問題はそれだけには収まらない。

『前原仁』の意識は?もしかして『前原仁』は死亡したのではなく、意識を失っている状態なのではないか?俺のような異分子が仮住まい的にこの体を使わせて貰っていた奇跡は、『前原仁』が意識を取り戻した瞬間に終わりを告げ、俺の意識は『前原仁』の意識に喰われてしまうのでは?

 それは、実質の俺の『死』を意味する。


「………はぁ」


 こうした、答えの出ない自問自答のような何かに俺はこの1週間近く頭を悩ませ続けているのだ。いくら考えても解決策などあろうはずかない。しかし考えなければ不安でいてもたってもいられない、考えれば考える程精神を摩耗する。とんでもない堂々巡りだ。


 記憶を取り戻す、だなんて格好つけた手前、過去の自分の軽挙さが恐ろしいよ。無事に記憶だけ帰ってくる保証なんてどこにもないのに。


『コンコンコン』


「ジンちゃーん。起きてるー?体調はどう?」


 頭を抱える俺の部屋がノックされ、可憐な、安心を与える声が響く。……母さんにはこの1週間何度救われたことか。


「……うん、今日も体調良くないから、学校休むね」


「……そっかぁ。後でお粥作ってくるからね。それで、明日もっと大きな病院に行ってみよっか!何か分かるかもしれないし!今日はゆっくり休んでね」


「ありがとう、母さん」


 パタパタとスリッパの足音が部屋から遠ざかる。母さんの献身的なお世話には感謝しっぱなしだ。

 母さんはここのところ仕事を休み、俺を看病してくれている。申し訳なさはあるが、それ以上に助かっている気持ちの方が強い。


 結局、今日も学校は休むことにした。今はとにかく寝たい。寝て、全てを忘れたい。……あの夢を見る可能性はあるが。


「……んんぅ」


 俺は今一度ベッドに潜り込む。


 しかし、今はとても眠いのだ。

 瞼が誰かに引っ張られているかのように重い。閉じる動作に抗えない。


 とても眠い。

 意識が誰かに持っていかれるように眠い。


 とても眠い。

 何日も寝ていなく、脳が休暇を欲しているかのように眠い。


 自室の白い天井が、蛍光の反射した光で淡く光る。俺の眠りを祝福してくれているようで、眠気が加速する。


 大丈夫。この夢は、ただの夢。

 俺は深く考えすぎてしまっているだけだ。俺は前原仁。この体は俺のモノなのだ。

 大丈夫、大丈夫だ。


 とにかく今は眠い。

 寝て起きたら、あの夢なんて忘れて、また何の悩みもなく楽しめるに決まってる。


 だから今は眠ろう。

 とても眠い。


 とても。とても。



 ……。


 ねむい。






* * *






「……んぁ?」


 目が覚めた。

 しかし意識がはっきりしない。水面から顔を出したように、眠気が執拗に張り付いて取れない。明滅とした思考しか繰り返すことが出来ず、状況が掴めない。


「……ぁー」


 感覚が一向にクリアにならない。五感に靄がかかったように妨害を感じ、自分が何をしていたのか思い出せない。



 まるで、長い間、それも月や年単位で眠っていたかのようだ。



「……ねみぃ〜」


 数分程経ち、漸く自分が今眠い状態だという事実に気が付いた。それ迄は自分の感情も、増してや外部の情報など全く理解出来なかった。

 やっと、人間としての機能を再起させた。稀有な、今まで感じたことの無い感覚だ。


 あーー。えっと。


 自分が今から何をすべきで、今まで何をしていたのか瞬時に思い出せない。何だこれは。記憶喪失にでもなったというのか?いや、この俺がそんなファンタジー紛いのイベントに巻き込まれるわけがない。


「……あ」


 そうだ。思い出した。

 ……別に自分の名前を思い出したとかではないぞ?

 俺の名前は前原仁だ。中学3年……じゃなくて、ついこの間高校1年になったんだった。確か春蘭高校?だったか?そんな名前の高校に入学しだと思う。推薦で適当に選んだからな。あまりその学校は知らん。

 ほら、大丈夫だ。何故か記憶が曖昧だったがきちんと覚えている。


 何を思い出したかと言うと、あれだ、最後の記憶だ。


「……確か」


 そう、階段。

 階段から落ちたんだ。あれは迂闊だった。あの時も今みたいに寝惚けてたんだよな。あれは流石の俺も死を覚悟した。まあ死んでも別に……って感じだけど。


 そんな俺が自室のベッドに寝てるということは……母親かな。

 なんでいつまでも俺なんかに構うのか理解出来ない。さっさと見限ればいいものを、一体どれ程痛い目を見れば済むんだ。考えが分からない。


 まぁいい。今に始まったものでもないしな。


 俺はやけに汗ばんだ体を不思議に思いながらもベッドから立ち上がる。その時、少し異なる感覚に戸惑い、思わずたたらを踏んでしまった。


「……あ?」


 これは……。


 もしや身長が伸びているのか?体感に妙に違和感があると思えば。一体何なんだ。

 起きた瞬間から、やけに疑問が次から次へと付き纏う。気味が悪いな。気を凝らして見渡してみれば、微妙に部屋の内装が変わっている気もしないでもない。


「……んー、きみわりぃ事を放置すんのは性分じゃないんだが」


 取り敢えず今は腹が減った。腹が減っては何とやら。人間、万全の状態でないとベストなパフォーマンスは行えない。これは事実だ。

 だから、俺は飯を食う。話はそれからにしよう。


 俺は身体をぎこちなく動かしながらも何とか移動を開始する。この違和感をどう払拭してくれようか。






「あーー、それにしても眠いな」








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