第63話 喫茶店の一幕




「〜〜というわけで、僕は記憶喪失になっちゃったんだよね」


「マジかよ。それを先に言えよ、珍しくボケてんのか、それか頭狂ったのかと思ったわ」


「……いや、最初に言ったよね?」


「仁様……なんとお労しい……。あなた様のご心労を想像するだけで、私、身が裂ける思いでございます」


「……ん、ご主人様へのその敬意、素晴らしい。お前は見込みがある。名前は?」


「あなたは、仁様の付き人の方ですね。私は黒瀬美琴と申します」


「ん、良い名前」


 時は、黒瀬兄妹に出会ってから15分後。俺たちは、学校近くのこじんまりした喫茶店へやってきていた。いつまでも校門で立談していれば、人を堰き止めて迷惑になってしまうからだ。


 注文したアイスミルクコーヒーで舌を湿らせ、状況を整理する。


 まず、俺の正面に座りクリームソーダを飲んでいるのは、黒瀬龍彦たつひこ。俺の中学時代の同級生だという話だ。外見も言動もその辺のチンピラにしか見えない。話しぶりからして、昔は前原仁と旧知の仲だったようだ。今日は、妹である黒瀬美琴を迎えに出身中学校にやってきていたらしい。案外身内には甘いタイプなのかもしれない。


 その隣に腰を落ち着け、ストレートティーを嗜んでいるのは、黒瀬龍彦の妹、黒瀬美琴。現在中学3年生で、俺の後輩にあたるらしい。龍彦の妹とは思えない、上品な出で立ちで貴族令嬢のようだ。

 自らを十二使徒と名乗る奇妙な女の子だが、その使徒とやらには少し聞き覚えがあるため詳しく話を聞きたいところだ。


 そして最後に、俺の隣に位置取り、アイスココアをストローで吸っているのはソフィア・マルティス、俺の侍衛官である。特に他に言うことはあるまい。


「それで、なんか思い出さねぇかなみたいな感じであの学校に来たってわけか」


「まあ端的に言えばそういうことだね。学校自体というよりも、それを通して知人を探しに来たんだけど」


「まあ、でしたら私達の存在は正にうってつけだったというわけですね」


「そうなるね」


 事実、半信半疑ではあったものの、この2人……特に龍彦を見ていると、脳の奥が疼くような違和感を抱くのだ。ただの気の所為と言えばそれまでだけど、その延長線に手掛かりもあるかもしれない。


「だから、色々話を聞かせてほしいんだけど」


「あー俺はいいんだけどよ、美琴がこれからピアノの習いごと―――」


「仁様とお話をさせていただけるだなんて、こんな光栄なことはございません。何時間でも何日でも何ヶ月でも、お付き合い致しましょう」


「……あ?いやだからお前はピアノが」


「一生口を閉じていてくださいお兄様。もう二度と、私の邪魔をなさらないでください。お兄様の浅慮な言の葉一つ一つが、仁様に煩わしさを抱かせます」


「えぇ……」


 どういう兄妹仲なんだ、この2人は。尻に敷かれるにもほどがあるだろう。見たところ、龍彦は美琴ちゃんに甘い節があるようなので、こうも言われっぱなしなのだろうけど。


「お母様には、私から一報入れておきます。この世には、優先順位というものがあるでしょう。お母様も分かってくださるはずです」


「……そ、そうか」


 もうお兄ちゃんが何も言えなくなっちゃってるよ。近頃の中学生は怖いね。


「まあ美琴がそう言うなら、俺も残るかな。なんでも聞いてくれ仁」


 龍彦も快い返事をくれた。この奇妙な兄妹に不安を覚えなくもないが、前原仁の知り合いだという話は嘘では無いだろう。ならば、かつての記憶を思い出すという雲を掴むような話を実現するために足掻くべきだ。


「ありがとう。聞きたいことは色々あるんだけど……とりあえず、さっき言ってた『十二使徒』ってなに?」


 美琴ちゃんに目線を向けながら問う。

 本音を言えば龍彦の方から話を聞きたいんだけど、美琴ちゃんが俺から聞かれたそうにそわそわとしているため、こちらから潰すことにする。


「ご質問頂き感謝の念に耐えません仁様。ご回答致します。十二使徒とは、仁様を敬愛し、仁様から寵愛を授けられた12人のこの学校の生徒のことを指します」


「えっと、寵愛って?みんな、僕の……昔の恋人ってこと?」


「!?こ、ここここいびと!?そんな、畏れ多いです!確かにいつか契りを交わして下僕……そして恋人、ゆくゆくは奥方なんて浅薄な希望を抱いてしまっていたことは白状致しますがそれは何も今すぐという話ではなく何年何十年とかけて信頼関係を築かせていただいた上で天文学的確率の下成就されるべきもので」


「……ん、美琴落ち着け。ご主人様はその性格上、妻の空き枠は多い。そう焦らなくてもその願いは達成される可能性が高い」


「え!?え!?本当ですかソフィア様!?」


「ん、そのためにももっと精進するように」


「は、はい!」


「「……」」


 いやなんか女性陣で盛り上がってるけど、男性陣はお通夜状態だよ。

 俺は急にソフィに誰とでも結婚する奴みたいな言われようされているし、龍彦は最愛の妹が目の前の男との結婚願望を語り出しているし。


「……まあその話は置いといて、話戻すね。寵愛ってなに?」


 この話を続けてしまえば、どこかのお兄様が心に致命傷を負いそうなので早めに切上げることとする。


「あ、これは失礼致しました仁様。寵愛とは、仁様より天命を与えられたという意味なのです。つまり、選ばれし12人はそれぞれ為すべき使命を背負って活動しているということです」


「え、僕が君たちに?」


「はい仁様!」


 なにその尊大な物語は。前原仁は神かなんかなのですかい。昔の俺って、同校生徒に天命を与えられる存在だったの?なんなの?厨二病なの?


「ということは、美琴ちゃんも……その、天命を?」


「勿論でございます」


「それって、内容とか聞いても大丈夫?」


「本来なら、人目を気にすべき話題ですが……」


 美琴ちゃんは、龍彦とソフィを交互に見て最後に俺に視線を合わせる。これは、俺に判断を仰いでいるという意味で捉えて問題ないだろう。


「あー、まあこの2人ならいいんじゃないかな」


「……仁様がそう仰るならば、僭越ながら私に授けていただいた天命、その内容を申します」


「あ、お願いします」


 なんでいちいちこんなに大袈裟なのこの子。そんなに人目を憚るべき天命なのだろうか。よもや、どこかの物語のように世界を救えとかそんな類というわけでもあるまい。それとも、人命に関するなど重大なミッションなのだろうか。


 美琴ちゃんは、小さく呼吸を一度挟み、その形の良い唇を開いた。



「私は、仁様に『まあ、頑張れよ』と、そう天命を託かったのです」



 心底誇らしげに、彼女は一言一句丁寧に言い切った。頬を桃色に染めたその表情は、恋する乙女のようである。


「……」


 はい?


「あ、ごめん、何を頑張れって言われたって?」


 どこか肝心な箇所を聴き逃してしまったらしい。天命とは、何を頑張るべきかが焦点になるだろうからな。


「……?いえ『まあ、頑張れよ』の一言を頂戴致しました。その前後に目的を指し示す文言はなかったと記憶しております」


「……え?もしかして、それが天命?」


「左様でございます」


 いやそんな恍惚とした顔で返事しないで。

 一体どういうことなんだ。天命なんて大それた言葉を使うものだから、影響力のある重要なミッションでも遂行しているのかと思えば『まあ、頑張れよ』?何を言ってるのこの子は。


「『まあ、頑張れよ』が本当に天命?」


「仰る通りでございます。『まあ、頑張れよ』が私の天命でございます」


 その『まあ、頑張れよ』って言う時に毎回ちょっとイケボになるのは何?もしかして当時の俺の口調を真似してるのか?


「……あー、他の11人の子達も似たような感じの天命を?」


「使徒同士に面識はないため、詳しくはありませんが、恐らくご明察の通りかと存じます」


「…………そっか、ありがとう」


 今理解した。

 十二使徒とは、厨二病患者の集団なのだ。中学生時代の俺自身についてはあまり知らないが、今の俺のように大勢の女の子と親交を深めていたということはないはずだ。つまり女子生徒にとって、前原仁と言葉を交わすこと自体誇らしい行いだったに違いない。

 そんな中『まあ、頑張れよ』程度の軽い励ましであったとしても、それを受け取った当人にとっては天地を揺るがす有難い一言だったのだと予想できる。そして、その運が良かった12人が自称している集団こそ、十二使徒なのだ。

 中学生という年頃、嘸かし自分を前原仁に認められた特別な存在なのだと勘違いしてしまったのだろう。


 彼女たちの存在は、何とも悲しい物語が未だに続いている証左なのだ。前原仁の何気ない一言に縛られて過ごしている。もっとも、美琴ちゃんのように縛られることを喜び、楽しんでいるのであれば、一向に構わないとは思うが。


「十二使徒は分かったけど、何かみんなで活動しているわけじゃないの?頑張れって言ったって、何を頑張ってるの?」


「はい、その二つのご質問は、同様の回答が可能でございます。私たち十二使徒は、仁様を崇拝する宗教団た……ファンクラブを運営しているのです。今やその信徒……会員数は50万人を超えました。加速度的にこれからも増え続けるでしょう」


「え?僕のファンクラブって美琴ちゃん達が運営してたの?」


「はい。献金……会費を徴収しないため、名ばかりではございますが。あの団体は、ただ老若男女問わず全ての人々に仁様の仁徳を布教……広めるために作ったものですので。損益等は生じていないためご安心ください」


 いやもう宗教団体ってことでいいよ。なんで合間合間に匂わせてくるのこの子。というか中学生や高校生であの規模のサイト運営って凄まじいな。


「……ん、殊勝な奴らもいるもの。素晴らしい」


「なんかよくわかんねえけどお前すげえ人気らしいな」


「……そうだね」


 他人事にも程がある口調の2人は置いといて。十二使徒やらがどういった存在なのかは、大体理解した。ここで、美琴ちゃんに1つ聞きたいことがあるんだけど、その前に確認しとかなければ。


「十二使徒同士は面識がないってさっき言ってたけど、他の使徒の名前は分かる?」


「基本的に関わらないため、殆どの使徒は互いの名前は知らないはずです。ただ、私は宗教団た……ファンクラブ運営の中核を担っていますので、名前くらいは存じておりますよ」


「そっか。じゃあ聞きたいんだけど『桜咲おうさき雛菊ひなぎく』って女の子は、その使徒の中にいない?」


「……!」


 これは、俺が十二使徒という存在を知ってから気になっていた疑問だ。忘れもしない、以前、かつての同級生である桜咲さんとマキさんの2人に邂逅した時、桜咲さんは間違いなく自らを『一使徒』とそう自称していた。当時はなんの話かさっぱり分からなかったが、今なら知識を繋げられる。

 あれが十二使徒という意味に変換できるならば、彼女は。


「仰る通り、桜咲雛菊先輩は十二使徒、その序列第十一位に位置付けられております。ご存知だったのですか」


 美琴ちゃんは、一度ストレートティーが注がれているカップに口をつけた後、俺が望む答えを述べた。

 やはり、と言わざるを得ない。使徒なんて単語を口にするのは、オタクか厨二病患者しかいない。十二使徒の皆さんは勿論後者である。


「まあね。ちなみに、その順位みたいなのは何なの?」


「はい、十二使徒内の序列は、その者の仁様に対しての愛の深さ、重さ、大きさ、奥行、横幅、質、量。そして、その者が持つ他者の規範となるべき器量によって、総合的に決定されます」


 いや、重さだの奥行だの、なんか似たような採点項目多くなかった?……まあいいか。とにかく要約すると、前原仁への愛と、その人の器の大きさで序列が決められるわけだな。なんとも抽象的だけど、厨二っぽくて非常に好感が持てる。


「不躾ながら質問をさせていただきますが、桜咲先輩のことだけは何故ご存知で?」


「少し前に偶然会ったんだよね。俺が記憶を思い出そうと思ったきっかけも、その時桜咲さんと一緒にいたマキって女の子でさ。すごい悪態ついてくる子でびっくりしたよ」


「……マキ、さん」


 今思い出しても、彼女の眼光は鋭かった。この世界にやってきてからというもの全ての女性からちやほやされてきた俺にとって正に寝耳に水。嫌われているというより、憎まれていると称した方が適切なのではないだろうか。

 後にも先にも、あれほど悪感情を携えてぶつかってくる子はそういないだろう。もっとも、俺が善行し続ける前提の話だけど。精々他人から恨みを買わないように立ち回りたいところだ。


「マキさんとは、星宮真紀先輩のことでしょうか?」


 マキさんの態度を思い出して戦々恐々としていると、美琴ちゃんが慎ましい声色で話し掛けてきた。


「どうだろう。フルネームはわからないな」


「そうですか……。しかし、桜咲先輩と行動を共にしていたのなら、星宮真紀先輩で相違ないと存じます。あのお二人は昔から仲がよろしかったので」


「へえ、そうなんだね。……なんで美琴ちゃんはさっきから深刻そうな顔してるの?」


「……そう、ですね。私自身信じられることではないのですが、仁様のお言葉を疑うなど有り得ません。そのため、少々言いづらいのですが……」


「……?」


 どこか要領を得ない喋り方だ。美琴ちゃんらしくないと言っていい。この短時間ではあるが、この子の為人は分かってきているつもりなんだけど。


 そして、満を持した様子で唾を飲み込むと、美琴ちゃんは静かに言った。



「星宮真紀先輩は、十二使徒、それも序列第一位に位置づけられている方なんです」


 


 

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