第62話 失った記憶を求めて




 記憶は、どこに保管されているのだろうか。


 医学的に言えば、それは脳で間違いない。確か、うろ覚えだけど海馬だか大脳皮質だかにインプットされているという話だったはずだ。それは恐らく変えられない事実で、正しい知識だ。


 ただ、ここで生じる疑問がある。

 それは、俺自身の存在だ。


 『転生』と簡単に銘打っているものの、実際にはこの体は俺のモノではないし、憑依に近い形態のように思う。以前の前原仁は俺に上書きされ死亡したのか、それとも意識は消失せずに奥底でなりを潜めているのか、何も分かっていない。


 以前の前原仁の記憶は何処へ行ったのだろうか。前述した通り医学的に言えば、この俺の脳に保管されているはずなのだ。俺自身が全く関与していない赤の他人の記憶が、今のこの脳に潜んでいるということだ。恐ろしくて、軽く身震いしてしまう。

 とにかく、俺は以前の記憶を取り戻すなど不可能だと考えていたのだが、現代医学的に言えばきちんと記憶は陳列されていることになる。これは、異世界転生というファンタジーと科学の真っ向からの対面だ。


 だからこそ、俺はこのフワフワした立ち位置を確固たるものにしたい。自分という存在の起因が曖昧であるが故に、時々自分が何なのか分からなくなるからだ。


 そんな折、かつての同級生であるマキさんと桜咲さんに再会し、同窓会への招待を受けた。3週間で記憶を取り戻せというミッションと共に。

 なんていう無茶振りだと辟易しそうになるが、良いタイミングと言えば良いタイミング。ここらで一度足掻いておくのも悪くない。


「ということで、手始めに出身中学校にやって来ました」


「ぱちぱちぱち」


 俺の眼前に建つは、懐かし……多分懐かしの愛すべき母校。駅から商店街を抜けて10分ほど坂道を登ると、この学校が見えてくる。やけに古びた……歴史的価値のある校舎と小さ……コンパクトで草むしりが楽そうなグラウンド。何とも、普通としか言えない。


 すぐ隣で無感情に拍手を口で鳴らすのは、俺を侍衛してくれる頼れる相棒ソフィア・マルティス。長い銀髪が黒スーツで映えて非常にグッド。


「……ん、例の同窓会のためにわざわざ足を運ぶなんて、ご主人様は律儀。感服」


「まあ、そのためもあるけど、思い出せるなら思い出しときたいでしょ?なんか旧友と因縁あるみたいだしさ」


 手探りだけど、来週の同窓会までにどうにかきっかけだけでも掴めたらいい。何から始めれば良いのかよく分からなかったので、取り敢えず過去の景色に触れて眠れる記憶を呼び起こそうという作戦だ。


「……ん、さっそく、この学校を見て、どう?」


「んー……」


 ソフィに導かれるように、視線を校舎へ戻す。どこか郷愁を抱くと言えば、そのような気がするし、何も感じないと言えば、それが正しいような気もする。

 そもそも、俺が住み慣れていたはずの実家に初めて訪れた際も、記憶が戻ることはなかったのだ。今更中学校に来ただけで望む結果が得られるとは考えてない。


「んー、むり。やっぱり、人に会おう」


 だから、出身中学校にやってきたのは学び舎を視界に収めるためではない。先生や後輩など前原仁と交流のあった人物と言葉を交わすため、足を運んだのだ。今日は土曜日、時刻は正午。部活動や生徒会、委員会などの活動がある者たちが、そろそろ帰宅し始める頃合いだろう。

 だからこそ、今俺たちはこうして校門の前で待機しているのだ。


「了解した。いくらでも会うといい。私がいれば、ご主人様に危険はない」


「ありがとね」


 頼もしいSBMの激励を背に、俺は仁王立ちで今か今かとまだ見ぬ待ち人を待つ。いるかどうかも分からない知人を待ち続けるのは苦行だが、背に腹はかえられない。


「……」


 僅かに汗ばんできた。やはりSNSでも駆使して現代的に人探しを行った方が効率が良いのではないだろうか。こういうのは足を使うんだよ、と勇んで飛び出してきたものの、なんかこう決定的に間違っているような気がしないでもない。張り込みっていつの時代の手法なんだ。いや、今でもやっているか。

 ……それにしても、暑いなあ。


 俺が自身の覚悟に揺らぎを感じ始めた時。


「……ん、きた」


 ソフィが静かに呟いた。そして、それを合図としたように校門を挟んだ校内にいくつもの人影が確認できた。どうやら、こちらへ歩いてきているみたいだ。恐らく帰宅組だろう。


「ふう……さて、こっからだね」


 一人にも出会えなかったという最悪の結末には至らなそうだが、本題はここからだ。俺は自分で言うのもあれだけど、美形も美形。中学でも有名だったに違いない。ただ、向こうが俺を一方的に知っていても、それに意味は無いのだ。お互いに認知し、尚且つ親しい間柄であればあるほど、記憶回帰の効果は期待できる。


「……でさ、おじさんのポヨっとしたお腹に肘が当たっちゃって!嬉しいって思っちゃうのは女の悲しい性だよね〜」


「わかるー、本当は男子高校生の無茶苦茶イケメンのお兄さんにボディタッチしたいよね。おじさんでもそりゃドキッとしちゃうんだけどさ」


「あんたそれ絶対前原先輩イメージしてるでしょ」


「バレた?中学時代はほとんど知らないけど、最近よく話題に上がるんだよね」


 まず現れたのは、二人組の女子生徒。どちらも紫色のジャージを着ているため部活帰りだと思われる。この学校の指定ジャージってあんなデザインなんだね。

 それよりも、俺の名前が登場したことに動揺を隠せないけど。


「こんにちは、君たちちょっといい?」


 どこぞやのナンパ師のような口調で俺は二人に近づく。ソフィのOKサインは既に頂戴済みだ。


「ん?あ、はいなんです……かァっ!?」


「は?なにあんたのその反応……はァァ!?」


 喋りかけるやいなや、彼女たちは鞄を空高く放りあげ硬直してしまった。驚き方が似ていて、良いコンビだねと賞賛したい。若い子たちの反応は、いつ見ても鮮度が高くて興味深い。


「急にごめんね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「「…………」」


 2人のリアクション芸をじっくり観察したいところではあるけど、残念ながら時間に余裕があるわけではないため、さっそく本題に入る。

 しかし、口を半開きにした彼女達は、再起する未来を微塵も想起させない。希望がないと言っていい。ほら、右の子なんてヨダレ垂れて来てるよ。


「……あのー」


「イケメンがいっぴき……」


「天使が1ダース……」


 これは、もう諦めて次の人選に移った方が英断かもしれない。イケメンが1匹はまだ理解出来るけど、天使が1ダースってなんだよ。天使が12人もどこにいるんだ。幻覚でも見ているのだろうか。


「驚かせてごめんね、ちゃんと正気を取り戻してから帰るんだよ。交通事故とか危ないからね」


「イケメンの大軍……」


「天使の大行進……」


 早々に見切りをつけた俺は、二人を取り敢えず校門の傍に座らせて、次の知り合い候補探しに移行した。こういった作業は、とにかく数をこなす必要がある。一人一人にかける時間が短いに越したことはないのだ。


「ちょ、ちょっと、あれ前原先輩?」「え?本当じゃん。天使のお迎えかと思ったわ」「我が校唯一の誇り」「ちょっと誰か、校長先生に菓子折り持ってこさせて」「いや、ここは私が菓子折りを……」「お前の汚ねえ弁当の空箱なんていらないだろ」「ワンチャンかけて、プロポーズしてきていいかな?」「せんぱ〜い、おっぱい触ってもいいで……へぶ!?」「殴るぞお前」「ここで何してるんだろ?」「母校なんだから、そら……なんだろ?」「前原先輩が通った道だからと、毎日校門の砂利に頬擦りしてたけど、こうして努力は報われるんだね。感動で、お漏らししちゃったよ」「お前、頭からケツまで全部気持ち悪いな」


 すると、後続の生徒たちが俺を発見したらしく、口々に何やら話し始めた。例え女子中学生であっても、深淵を抱えている子は多いようだ。君たちが真っ当に成長してくれることを本当に心から祈っています。だからどうか、全員で包囲網を作ってじりじり距離を詰めてくるのはやめてください。


「まあソフィがいるから万が一もないと思うけど……。それにしても、知人らしき子は、いないなあ」


 ソフィが躙り寄る怪人たちを警戒している姿を横目に見ながら、俺は辟易する。どうにかして、見つけ出せないものか。いっそのこと、この子達に俺の知り合いが友人にいないかどうか尋ねてみようか。

 それがいいかもしれない。いつまでもここで来るかどうかも分からない人を待ち望み続けるより余程有意義だ。こういうのは人伝で捜索範囲を広げていかないとな。


「おい、ちょっとどいてくれ」


 今まさに群がる女子生徒たちに聴取を行おうとした時、一際野太い声が黄色い歓声を裂いた。その出どころは、群衆の背後である。


「……?」


「お!やっぱり仁じゃねえか!久しぶりだなあおい」


 女子の壁を掻き分けながら眼前に現れたのは、俺より背丈が少し高い男性だった。筋肉質な体格で、真っ向からの力比べでは恐らく勝てないだろう。どことなく聖也と似た雰囲気を感じる。

 この学校の指定ジャージではなく私服を着用しているが、この学校の関係者ではないのだろうか。


 なんだろう、この男性を見ていると、頭の芯が痒い。

 

「どうした?」


「……えっと、こんにちは。急にごめんね。君は、僕の知り合いの方?」


「……はあ?」


 知り合いを求めてやって来て、それらしき人物と邂逅を果たしたというのに、いざ向かい合ってみるとどういった立ち回りをすればよいのか非常に悩ましい。言葉選びが難解なのだ。


「どう説明すればいいかな……今記憶喪失しててさ、思い出すために知り合いを探してるところなんだよね」


「……」


「だから、もし知り合いなら色々教えてほしいんだけど……」


「……いや、お前何言ってんの?」


 そうなるよね〜。


 恰幅の良い男性は、こちらの正気を疑うように眉をひそめる。どうにかして事情を理解してもらい協力関係に移行したいけど。

 俺だって久しぶりに会った知人が実は記憶喪失で……なんて出会い頭に話し始めたら不審に感じてしまうからね。


「何から話せばいいだろ……今年の春の話になるんだけど」


「そういうのいいって。今お前なにしてんの?ちゃんと高校行ってんのか?ってか、ここでなにしてんだ?」


 予想通り、中々一筋縄ではいかないみたいだ。この男性に事情を汲んでもらうのは骨が折れる。ソフィに力を貸してもらいたいが、生憎彼女は迫り来る女子生徒たちの牽制で手一杯だ。

 どうしたのものだろうか。



「お兄様、口を謹んで下さい。仁様がお困りになられています。お兄様如き・・がこのお方のお言葉を疑うものではありませんよ」



 頭を悩ませ思案していると、男性の背後から凛とした声が響いた。それは、人々の喧騒を宥め、周囲の注目を惹き付けるような力のある声色だった。


「ん?あぁ美琴みことか。え?今『如き』って言った?てか、お前仁と面識あったっけ?」


「お黙りになられて下さい。矢継ぎ早に言葉を紡ぐのは、お兄様の悪い癖です」


「えぇ……」


 なんだか、ひどく辛辣な女子生徒が現れた。長い黒髪を姫カットにした儚げな美少女である。例のごとく指定ジャージを着ているため、この学校の生徒のようだけど。

 会話から察するに、この二人は兄妹という関係性になると思うんだけど、なんでそんなに毒舌なのだろうか。


「……仁様、お久しうございます。こんな辺境へ御足労頂き感謝の念に耐えません」


 姫カットの女の子が、恭しく礼をする。一々動作のどこを切り取っても優美で、言葉遣いも相俟って良いとこのお嬢様のような立ち居振る舞いだ。

 あと辺境って、別に家からちょっと歩いただけなんだけどね。


「えっと、多分久しぶりなのかな。さっきも言ったんだけど、今記憶がなくてさ」


「みなまで仰られなくて結構です。仁様のお言葉は世界の真理そのものなのですから。しかし、そうあるならば、不肖なる私のこともご失念なされているかと存じます」


「そ、そうだね」


 何この子、なんかもう色々すごい。このこの全身からヒシヒシ伝わってくる、慕われているというか信仰されているような激情。

 後ろであなたのお兄様がすごい表情でドン引きしてるよ?もしかして今知られざる素顔みたいな感じ?


 彼女は襟元を正し、両足を揃え、背筋を伸ばすと、真っ直ぐに見つめながら口を開いた。



「では、不躾ながら自己紹介をさせていただきます。私は黒瀬美琴、仁様を敬愛する十二使徒、その序列第五位を担っております」



 なんか、すごい人来た。


 


 


 

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