第61話 狂人の始動





「なんで?」


 みんなは、なんで嬉しいの?なんで悲しいの?なんで楽しいの?なんで怒るの?なんで凛海りみを睨むの?なんで凛海を避けるの?なんで怯えてるの?なんで?なんで?なんで?


 ねぇ、なんで?

 

 なんで凛海のお友達のはーちゃんは飼い犬が死んだ時、泣いてたの?だって犬だよ?いなくなって寂しいならまた新しい犬を飼えばいいよ。

 なんで凛海が家の近くの虫さん達を殺し回ってた時お母さんは凛海を叱ったの?だって虫さんだよ?きっと虫さん達も何とも思ってないよ。

 なんで生き物を殺してはいけないの?別に自分が殺されたわけじゃないんだよ?誰がどこで何を殺そうと凛海には関係ないし、その人の自由だよ。

 物を壊す事と、生き物を殺す事ってなんで違うの?命ってなに?そんなモノ見た事ないよ?なんで命は奪ってはいけないの?

 なんで?なんで?なんで?なんで?




 な ん で ?




* * *




「……」


 幼い頃の夢を見ていたみたいだ。昔から2日に1度は必ず見る夢。凛海が、まだお馬鹿さんだった頃。まだ、何も理解できていなかった頃。


「……あはっ」


 まあ、どうでもいいことなんだけど。

 はーちゃんも、お母さんもどうでもいい。犬も猫も鳥も虫もヒトも。海も山も湖も。国も地球も宇宙も。愛も勇気も友情も。

 どうでもいい。凛海に関係ない。


 湿り気を感じる布団に寝転び何となしに薄汚れた天井を眺めながら、過去の記憶を掘り起こしてみる。



『ねぇー○○ちゃん』


『んー?どうしたの、りみちゃん」


『○○ちゃんをさ、壊してもいい?ヒトって壊れたらどうなるか気になっちゃったんだ〜!』


『………え?』


 もう名前も思い出せないけど、近所の幼馴染の女の子にそう尋ねてみたことがあった。ただの好奇心から出た発言だ。まあ結局許しは得られず、それ以降その子とは疎遠になってしまったんだけど。


 あと勘違いしないで欲しいのだけど凛海はヒトを壊したいわけじゃない。壊してみたい、くらいの感覚。他にも骨を折ってもいいし、内臓を潰してもいい。とにかく、興味が尽きないのだ。凛海は殺人狂なんかとは違う。行動の選択肢がたくさんある。


 しかし、世間一般では凛海の感覚はずれているのだという。確か、人を傷付ける行為自体忌避されていると聞いた。この『傷付ける』という言葉を理解するのにかなり苦労したのは記憶に新しい。何しろ定義が曖昧なのだ。人体に外傷をつけるな、という意味で最初は解釈していたのだが、どうやら他人の『心』に傷を付ける行為も駄目らしい。

 

 なにそれ?


 心?意味が分からない。他人は他人。凛海は凛海。凛海の物じゃない脳で思考されている内容なんて分からないのだから、どういう行動を取ればこのヒトの心が傷付くとか察せるはずがない。目に見えないんだから。


 それなのに、周りのヒトは分かると言う。

 その時、凛海は悟った。


 あ、分かった。

 こいつら、全員狂ってるんだ!他人の気持ちを勝手に決め付けて行動する狂人だ。狂ってる、成り立ちから狂ってるんだ。だから、正常な私には理解できなかったんだ。


 幼い頃から感じていた違和感の正体は、正にそれだった。凛海以外のヒトはみんな、異常だ。凛海は不幸にもその狂人達が蔓延る世界に生まれてしまったんだ。

 テレビで放映される赤の他人の人生のドキュメンタリー映像で涙したり、自分の親しいヒトが他人に馬鹿にされたら怒ったり。自らの事象以外に一喜一憂する、疑問を通り越して呆れすら感じてしまうこの世界。


 

 つまらない。人生で一度も何かに感慨を覚えた事なんてない。



 それでも、凛海は必死にその時々の今を生きてきた。

 今言葉を交わしている目の前の狂人は何を考えているのか。今までの単語の羅列パターンからして、次はどんな言葉を口にすればこの場が盛り上がるのか。


 毎日毎日が、退屈と疲弊と試行錯誤の繰り返し。幸運な事に凛海は俗に言う『天才』というやつで、決して納得はできないが狂人達が何を思考しているのかその概要を予測できるようになった。凛海が高校生の時だ。


 それまではとにかく大変だった。

 小学生の時、クラスメイト達が『飼育小屋のウサギの世話面倒くさいよね〜』と言い合っているのを耳にした凛海は、親切心でウサギを一羽残らず殺してあげたことがある。

 てっきり礼を言われると思い凛海はクラスメイト達にそのことを教えてあげたのだが、彼女達は聞くやいなや号泣し、そのあげく先生や親にまでその話が伝えられ、こっぴどく叱られた。面倒くさいならその原因を排除すればいいと凛海は考えたのだが、今思えばあれは悪手と言わざるを得ない。殺して放置するのではなく、殺した後何処か別の場所に死体を隠蔽すれば良かったのだ。そうすれば、ウサギが脱走したと見なされ、凛海は叱られずみんなが幸せになれた。


 学生時代は中々に無茶をしたな、と思う。


「……あ〜、くだらない人生だった」


 かびた畳の上にきちんと布団を整理し、凛海は嘲笑と共に呟く。ネバネバしたホコリが喉に張り付き不快だ。


「えっと、あ、あったあった!」


 枕元にあるビニール袋の中から、昨日買っておいたナイロン製のロープを取り出す。


「んと、あそこにしよ!」


 寝室として使っている和室から出て、洋室のドアノブで実行する事にした。

 通称『もやい結び』と呼ばれる方法を駆使し、輪っかをロープの両端に作り片方をドアノブに引っ掛ける。もう片方の輪っかは凛海の頭が入る程度の大きさにする。


「……あはっ」


 出来た。

 よし、じゃあ今から、


「死のっと♪」


 首吊り自殺は、頸動脈洞を圧迫して呼吸や脳への血流を意図的に阻害して死ねる方法だ。縊死いしと言う。

 調べた所、これが1番楽な死に方だと分かったためこの方法を選んだ。


 特に生きる糧となるモノも目標もないのに、こんな狂人達ばかりの世界で生きていけるわけないでしょう。狂ってるヤツらは狂ってるヤツら同士で仲良くしといてね。

 まあ、死んで死後の世界の有無を確かめたいという知的探究心もあるけど。


 凛海はロープに手を掛ける。うん、強度は問題ない。さ、逝こ逝こ。


 と、そこで。


「あっ」


 そうだそうだ、忘れていた。

 死ぬ前にプリンを食べよう。せっかく一昨日買ったのに凛海が死んだら食べられなくなる。勿体無い。プリンってグッチャグチャにかき混ぜて一気飲みするのが1番美味しいんだよね。壊した背徳感も味にプラスされてさ。


「ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふふふん♪ふふふん♪ふんっ♪ふふふんふふふん♪ふっふっふーふふんっ♪」

 

 お気に入りの童謡を口ずさみながら、台所へ足早に向かう。昔お母さんが凛海が寝る前によく子守唄として歌ってくれた有名なものだ。大人になった今でも大好きな歌だ。


『ガチャッ』


 台所の薄汚れた冷蔵庫を開け、中から好物のプリンを取り出した。


「ふんっ♪ふふんふん♪ふふふん♪」


 スプーンで中身をかき混ぜると『グチャッ……グチャッ……』とカラメルとプリンが混ざり合い美味しそうな音を響かせる。この瞬間がたまらない。唾液の分泌が加速する。


 かき混ぜる作業を続けながらテーブルへと向かい、席に着く。


「……あは、最後の晩餐ってやつだね!よーし。じゃあ、お手手を合わせていただきま―――」



 ……。



「ん?」


 冷えたスプーンを手に取り、いざ実食というその瞬間、『違和感』と呼ぶにはあまりにも些細なモノが頭をよぎった。いや、違和感よりも正の意味合いが強い。心が喜びでザワつくような。


「……」


 プリンじゃない。何か。凛海は何か絶対に見落としてはいけない何かをたった今目にした。

 探せ。視線を巡らせろ。

 23年の人生の中で、この瞬間だけはしくじってはいけない。本能がそう訴えている。


 床。天井。扉。テレビ。窓。飲みかけのお茶。スプーン。冷蔵庫。一昔前のゲーム機。プリン。加湿器。草臥れたスーツ。カーペット。中身のないティッシュ箱。少し臭うソファ。凛海が身に纏うパジャマ。ホコリがたまったリモコン。時期外れのストーブ。爪切り。本が横に積まれた本棚。虫が溜まった照明。数回しか使わなかった電気ケトル。机。机……の上。


 ……。


 つくえ?


 机に意識を向けた時、一冊のある本があるページを開いた状態で無造作に置かれているのが分かった。凛海は気にも留めずプリンをその上に、鍋敷きのように本を扱っていたみたい。


 ……この本。


 凛海はひとつの確信を胸に抱えながら、プリンをそっと持ち上げる。

 そして本の内容を―――。



「……」



 みつけた。



「……あはっ。あはは……あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははほはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!あはーっ!!みづけだぁああッ!」


 みつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけたみつけた。

 笑いが止まらない。

 自身が震え上がる、沸き立つ。

 鳥肌が治まらない。

 自慰なんてゴミのように感じてしまう程の圧倒的な快感。


「……あ"っ!……あぁ、はぁぁ」


 つい絶頂してしまった。

 仕方ない、今までこれ程気持ち良く感じた経験なんてなかったのだから。溜め込んでいた欲望が垂れ流しになっている。生きる意味に立ち会えた歓喜に打ち震えている。


 御書の上に置かれたプリンを急いで退かし、内容をもう1度確認してみる。


 二枚の写真が見開きで写っている。どちらも同じ人物が大きく入っているのだが、その人物が重要だ。


 男だ。

 凛海たち女よりも圧倒的に数が少ない人種。それ故に女は男に飢え、求める。

 それでも凛海は例外だった。男なんて希少性が高いというだけで、凛海よりも特に秀でた性能があるわけじゃない。あんなのただの女の性欲処理係だ。


 そう、思ってたのに。


 ゴクリと喉を鳴らしつつ写真を注視する。


 ……非の打ち所がない。

 髪、目、鼻、口、肌、輪郭、表情。

 どれをとっても溜め息すら出てしまう程の優美さ。こんな人が存在したのか。凛海に笑いかけてくれているこの男の子。


「………ほしいなぁ」


 ほしい。凛海は、この男の子がほしい。死ぬまでずっと、ずっと隣にいてほしい。凛海がご飯を食べさせてあげて、服を着替えさせてあげて、歯を磨いてあげるんだ。


「ふんっ♪ふふんふふんっ♪ふふん♪ふふん♪」


 死ぬのはやめた。こんな男の子がいるのに死ぬなんて勿体無い。せっかくの人生、芯までむしゃぶりつくす。


 ……そういえば、こんな本凛海は買ったかな?本なんてここ数年購入した記憶はないんだけど。

 

「えっと、本のタイトルは」


 見開きを閉じ、表紙を確認してみる。


 タイトルは、『月刊スポーツ男子』。

 表紙の半分の面積を使っているのではないか、と言うほど大きくプリントされたその文字の羅列。

 聞いたことがある。比較的美形な男子学生を対象とし、彼らが汗水垂らし目標に向かって努力する姿を取材するんだとか。確か女性層からかなりの支持を得ていたはず。


 ただ、凛海は全く興味がなかったため見向きもしなかった。

 そんなこの本が何故この家に……?


 ……。


「あ」

 

 思い出した。

 そういえば数日前、お母さんが家に来た。その時に、帰り際何か言いながら机に置き土産をしてくれた。どうせ大したものじゃないからと記憶の彼方に放ってしまっていた。


 これか。


「……あはっ!お母さん大好き」


 今度会った時何かお礼をしよう。何がいいかな……あ、この前『男の髪の毛凄くいい匂いする』とか言ってたから、その辺の男の髪でもむしり取ってプレゼントしよう。


 とまあ、その話は一旦置いといて。


 凛海は再び月刊スポーツ男子を開き、あの男の子の姿を目に焼き付ける。止まらない、一日中眺めていたい。


「……あぁたぎる」


 視界に入れているだけで、2度目の絶頂に達しそうだ。美味しそうな艶々な髪の毛も、引き千切れるくらい柔らかそうなほっぺたも、性器を擦り付けたいくらい魅力的な顎も。


「この男の子の体から神経を全部引きずり出してその神経で服を編みたい。キスしてる途中に唇を噛みちぎってそのまま嚥下えんげしたい。どろどろになった彼の胃の中の消化物を取り出して、もう一度それを味合わせて欲しい。関節全部外して四肢ブランブランにしてリビングに飾りたい。いつでも使ように、乾燥させた彼の排泄物がほしい。綺麗な肌を彫刻刀で少しずつ削ぎ落としてみたい。どれだけ痛め付けたらこの端正な顔が歪むんだろう。どれだけ強くしたら壊れるんだろう。どれだけしたら、喜んで凛海のものになってくれるんだろう。ほしい。ほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしい」


 手を、あたかも小ぶりのナイフを握っているかのような形にし、空中に何度も突き刺すようなモーションをしてみる。


 グサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサ。


「グサグサグサグサグサグサグサグサ!!!あははは!!」


 滴る唾液を拭う。どうしようもなく疼くこの体に自分でも驚く。武者震いのように手足が震え、何もせずにはいられない。

 生きてる。凛海は生きてる。


 この、凛海が初めて興味を持った男の子は、


「……春蘭高校。……前原、仁」


 そう、本に記されている。事細やかにインタビューされているようで、いくつもの有益な情報が得られそうだ。

 そっかそっか!なるほど!思ったより近い!凛海たち運命で結ばれてるのかも!





「……あはっ!すぐに会いに行くよ、待っててダーリン♪」


 

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