第56話 ソフィア・マルティスという女性 前編





 ―――みんな、死んでしまえばいい。


 幼い頃の私はそんな事を特に深く考えることなく、漠然と思っていた。

 別に周りのみんなを憎んでいた訳ではない。ただ、眩しかった。私とみんなは住む世界が違う存在なのだと理解してしまっていたから。私以外いなくなればいい、若しくは私がいなくなりたい、そう思っていた。


 私には家族がいない。


 生まれは外国、育ちはこの国なのだが、児童養護施設で育てられた。私の母や父はどんな人なのか、何故私を独りにしたのか、どういう経緯で児童養護施設に預けられたのか。疑問は尽きない。何度か施設の職員に聞いてみたことがあったが、うまくはぐらかされ、答えを聞くことはできなかった。


 児童養護施設には、『男の子じゃないならいらない』といった理不尽な理由で捨てられた身寄りのない子供や、同様の理由で過去に虐待されていた子供など理由は様々であるが、私の他にもたくさんの人がいた。

 最初の頃は、同じ境遇の中同士仲良くしてくれると思っていた。


 だけど、それは間違っていた。


 虐められたり、陰口を言われたりする事はなかった。みんなよく話しかけてくれたし、一緒に楽しそうに遊んでくれた。


 表面上は。


 けれど、分かる。私には分かってしまう。みんなが、私と接する時だけみんな少し緊張している。


 理由は大方察しがつく。


『見た目』だ。

 この国の人々は殆どが黒髪に黄色っぽい肌の色をしている。対して、私は銀髪に真っ白な肌。はっきり言って、はたから見たらすごく浮いていたと思う。

 みんなは、1人だけ見た目が圧倒的に異なる『異分子』の私を頑張って歓迎してくれた。子供ながらにして、私に同情してくれたのかもしれない。


 施設の職員も、


「ここにいる子はもちろん、職員の私達もみんなソフィアちゃんの家族みたいなものだからね」


 と、そう諭すように言ってくれた。その言葉が嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 でも、どう頑張ってもみんなを家族と思うことは私には出来なかった。だって家族というのは血が繋がってなきゃいけないから。血縁がないのは、それはただの同居人と言うのだから。


 職員の善意を無下にしてしまう行為に幼い私は苦しさを覚えた。

 

 さらに、みんなに無理して構ってもらうというのは、とても辛かった。向こうも気を使うし、私も気を使う。そんな関係に果たして意味があるのだろうか。


 私は、みんなと距離をとった。


 会話はできるだけ少なく、同じ空間にいる事も避けた。

 そんなことを続けているうちに、私に話し掛けてくれる子はいなくなった。


 これでいい。これでいいんだ。私なんかに構うより、本当に仲の良い友達と遊んだ方がみんなにとって良いに決まってる。


 自分に必死に言い聞かせた。



 ひどく惨めで、空虚だと思った。



* * *


 時は過ぎ、18歳になった時私は施設を出る決意をした。18年間お世話になった施設だけあって、愛着もあったしとても感謝していた。けれど、それ以上そこに留まるのは私にはできなかった。私はみんなとは違う存在で、異端なのだから。


 施設を出た私は、男性特別侍衛官、通称SBMを目指す女の子達が集まる国立の育成大学校を目指した。理由は特にない。強いて言うなら、全寮制のためこれ以上施設に迷惑をかける心配がないのと、何故か私には人並み外れた天性の身体能力があったことが理由。

 その育成学校の入学試験の倍率は凄まじく高く、私なんかが受かるとは思わなかった。

 ただ私の身体能力のおかげで、座学試験はイマイチだったのだけど実技試験で巻き返しなんとか滑り込みで受かれた。


 その学校内でも、私の立場が変わることはなかった。私の見た目はそこでも遺憾なく違和感を発揮し、浮いた。とにかく私は異分子。わかりきったこと。

 それでも、仲良くしてくれようとする女の子は沢山いた。私もそれに応えようとしたが、できなかった。人との関わり方が分からなかったから。仲良くなろうとしても、すぐにみんな離れていった。


 だから、ここでも私は人を拒絶するようにした。私は、彼女達が求めているような存在じゃないから。そう心の中で言い訳をしながら。自分で自分を最低だと思った。


 そんな私だったが、成績は常にトップだった。充実した設備があるため、人と接する必要がない私が、暇さえあればトレーニングと勉強を繰り返した結果だ。


 それから4年間研鑽を積んだ私は、無事国家男性侍衛特務機関の本部に配属された。そして数ヶ月の間のSBMの先輩に付いて任務をこなす名目上の研修期間を終えた今日、初めての単独任務を任された。


 先行資料によると、侍衛対象の名前は『前原仁』。

 数少ない私達SBMが侍衛するのは有名人が殆ど。実際、これまで侍衛して来たのは世情に疎い私でも知ってるような名前の男性ばかりだった。


 しかし、私はその男性、前原仁の名前を知らなかった。写真を見た限り、異常なまでに顔が整っておりかなり若いので芸能人か何かだと思う。

 ……ただ、前原仁の顔を初めて見たとき、私は何か言いようのない感情に襲われた。そしてそれは決して悪いものではなかった。美形だから?優しげな顔立ちだから?どちらも違う気がする。何というか郷愁に類する『同じもの』を感じた。上手く言えないけれど、私と同じく『他と一線を画す』ような。私のそれは、この国の人間とは見た目が異なるという意味。ならば、前原仁は……。考えてみても答えは出なかった。

 だから、前原仁とはどのような人物かSBMの先輩に尋ねてみた。

 ちなみに、その先輩は私が1番お世話になっていて数少ない信用できる人物だ。


「……え?あんた本気で言ってるの?前原仁くんのこと知らない?」


「……ん、知らない」


「SBMたるものトレンドはチェックしなさいっていつも言ってるでしょ……」


 何故か呆れられた。もしかしたら途轍もなく有名な人だったのかもしれない。

 その後、先輩に前原仁の逸話と呼ぶべきような話を幾つか話してもらったが残念ながらどの話もピンと来なかった。月刊スポーツ男子とやらで記録的な数字を叩き出しているらしい。


 まあとにかく、私はその前原仁たる男性を侍衛すれば良い。そうすればきっとこの感情の何かが分かる。

 初めての単独任務で少し体が硬くなっている気がするが、問題はない。任された任期は半年。先方の満足度次第では任期が伸びることがある。逆に、粗相をすれば任期満了を待たずして送り返されることもある。精々後者の事態にならないように留意したいところだ。


 身が引き締まるスーツに着替えた私は、着替えや歯ブラシなどの生活必需品が詰まったトランクを引き、書類に記載された住所に従って侍衛対象の家に訪れインターホンを押す。


『ピンポーン』


 見た所普通の一軒家で、態々SBMが要請される程の男性が住んでいるなど考えられない。SBM私達が侍衛する男性などは大抵何か大成していて、豪勢な家を所持している場合が多いからだ。


『はーい』


 私が脳内で首を傾けていると、鈴を転がしたような綺麗な高音の女性の声が聞こえてきた。


「ん、夜分に失礼。私は国家男性侍衛特務機関より前原仁様の侍衛官に拝任された、ソフィア・マルティス。こちら前原様の家で相違ない?」


 ……決まった。

 昨日、あまりにも私の言葉遣いがなっていないということで先輩に『初めはこう言ってご挨拶をするのよ?いい?』と教えてもらった。幾度となく練習をしたので、恐らく完璧だろうと思う。


『あ、SBMの方ですか!お待ちしてました!すぐに扉を開けます』


「……ん」


 初めての単独任務に緊張している自分に少し驚きつつ、声の人物を玄関にて待った。

 十数秒後、『ガタガタッ!』と何やら騒がしい音と共に声の主が扉を開けた。


「お越し下さってありがとうございます!ジンちゃ……仁くんはまだ学校から帰って来てないですが、取り敢えず中にお入り下さい!」


 見た所20代程の妙齢の女性が慌ただしく現れた。長めの黒髪を垂らしている。先行資料によると、侍衛対象の家族は母親、そして姉、妹が1人ずつ。そのため、この女性は恐らく姉だと思われる。


 ……それにしても、家族。私には一生縁のない言葉。昔は狂おしい程欲したモノ。けれど、歳を重ねるにつれてその欲望は空気が抜けたみたいに縮んでいった。

 だって、その願いは叶わないから。

 今でも憧れの感情はあるけれど、無駄だと分かっていることを願う程苦しく辛い事はない。今では願いそれは心の深層へと押し込んでいる。


 ズキンと、胸の辺りが痛んだ気がした。


 いけない、少し感傷に浸ってしまった。そんな過去の理想を思い返すより、まずは現実を優先しないと。


「んっ。失礼する」


 自分に喝を入れ直した私は、玄関から扉までの石畳の上を歩む。

 そして、近付くにつれ前原仁の姉だと思われる人物の表情に変化が帯びてきた。その視線は私の頭から足を往復している。


 やっぱり。


 思わず出てしまいそうになった溜息を呑み込み、胸中で辟易とそうこぼしてしまう。

 初対面の人間のこの手の行動には、幾度となくデジャビュを感じてきた。


 そして、この後に紡がれるであろう言葉も予想がつく。


『そんなに小さくて大丈夫なのか』だ。

 

 小学生と見間違われる事もある低身長。私自身それほど気にしているわけではない。機動性に富み、力任せな戦法相手の実戦訓練では負けなし。小柄な体が必ずしも不利になるわけではない。


「……言いたい事は分か―――」


 私が機先を制し、任務の度にしなければいけない説明を済ませようとしたその時。


「わ、小柄なのにSBMだなんて、凄いんですね!よっぽど優秀なのかな、期待していますね!」


 いつも経験している嘲りを孕んだものではなく、素直に驚嘆したといった様子で彼女は私に笑い掛けた。


「……」


 思わず目を丸くしてしまった。どうやら機先を制されたのは私の方のようだ。

 この低身長を見て、優秀という言葉と結びつける者は一体どれほどいるだろう。


 まあ、会って間もない相手の身体的特徴について言及するのも褒められた行為ではないけれど、見た所彼女は天然そうなので悪気はないのだと思う。


「えと、どうかしました?」


「……ん、何でもない。失礼する」


 動きを止めていた体を再起させ、そう一声かけながら今度こそ私は家へと足を踏み入れた。

 そういえば、身長について触れられたけど銀髪や肌色については一切触れられなかった。よく分からない人。



* * *

 


「私の名前はソフィア・マルティス。国家男性侍衛特務機関本部から前原仁様の侍衛任務を言い渡された。任期は半年。改めて、よろしく」


「ソフィア・マルティスさんね、よろしくお願いします!私は前原柚香。ジンちゃ……仁くんの母親です」


「初めまして、姉の茄林です。どうか、仁の事をよろしくお願いします」


「初めまして、お兄ちゃんの妹の心愛です!」


 リビングへと通された私は、そこで前原仁の家族と顔合わせをする事となった。

 驚いたことに、私を玄関で出迎えてくれた黒髪長髪の女性は姉ではなく母親なのだと言う。こうして3人並ぶと、誰もが三姉妹だと勘違いしてしまうと思う。これ程の見た目年齢と実年齢の隔絶した差には正直末恐ろしいとまで感じてしまう。


「……ん。本人はいないけど、取り敢えず任務内容の擦り合わせを行いたい。いい?」


「あ、そうですね。分かりました」


 先程用意されたお茶が置かれるダイニングテーブルに腰掛ける。前原仁の母と姉も私の正面に腰掛けた。妹の方はテレビの前に備え付けられたソファに座っているため、この話に参加するのは目の前の2人だと言うことだと思う。


「じゃあ開始する」


 鞄から書類を出し、机上に並べた私はそう宣言した。口下手だけど、がんばる。



* * *



 対談を開始させてから、20分程経った。その間に、私の経歴や、前原仁の現状など多岐に渡る情報の確認をお互いにできたため中々有意義な時間だったのではないかと思う。


「へぇ〜、そっかソフィさん首席だったんですね!外国の方なのに凄いな〜」


「んっ。もっと褒めてもらっても構わない」


 大方の擦り合わせは終え、殆ど雑談と化している現在。

 そろそろ前原仁が帰宅する時間だと聞き及んでいるけど。



『ただいま〜』



 ―――ん。


 今、私の聴覚が確かに少し幼さの残る男性の声を捉えた。発信源は恐らく玄関。そして、声の主は十中八九前原仁。


「ジンちゃん驚くかな〜」


 彼女達は気付いていない。会話に夢中で聞こえていなかったみたい。まあ私は日頃から五感を研ぎ澄ます訓練は行っているので、聞き逃す何てことはない。


「……ん、じゃあ任務内容の最終確認をしたい。前原仁様の侍衛対象時間は基本的には登下校中のみ。ただし、本人がそれとは別に侍衛を希望した場合その限りではない。大丈夫?」


 前原仁が帰宅したため、対談は間も無く終了となる。私は最終確認として、任務内容をもう一度読み上げた。


「あ、はい!大丈夫です。ジンちゃんは危なっかしいですから、どうか宜しくお願いします」


「……ん、わかった」


 どうやら、前原仁が扉の前まで来たようだ。微かに荒い呼吸音が聞こえる。


 さて、じゃあ見せてもらう。私があなたに感じた感情は一体何なのか、私が感じたあなたが持つ『異質』が何なのか。

 私は、あなたに興味がある。


 扉に体ごと視線を向け、今か今かと待ち侘びる。少し心臓の鼓動のリズムが早くなっている気がする。


「ソフィさん……?」


 前原仁の姉が、会話を切り突然扉を見つめ始めた私に困惑したような声を出す。

 少し待って欲しい。もう間も無く、そこから現れるはずだから。


 その時、『コンコンコンッ』と三度乾いた音が部屋に響いた。此方を気遣うように控え目な強さで。

 来た。

『ドクンッ』と心臓が1度だけ強く跳ね上がった。脈拍が力を持つ。

 私は知りたい。あなたのことを。



「ただいま〜……」



 そして遂に件の人物がその姿を現した。


 写真で見た通り、前原仁は信じられないほどの美形だった。いや、写真以上だ。このレベルならば、侍衛官が必要になる理由も察しがつくというもの。


 だがそれ以上に私が驚いたのは、彼の存在感。オーラや風格などと言うレベルではない、他の追随を許さない圧倒的な輝き。この人物は『特別』なのだと私の第六感が告げていた。


 そして、顔と声しか知らない彼を。

 性格も、趣味も、好みも知らない彼を。

 今初めて直に見た彼を。


 あ、見つけた。

 こんな人を探していたと、そう思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る