第55話 白銀




「じゃあまた明日ね〜」


「はい、気を付けて帰って下さいね〜」


「また明日〜。怪我とかしないようになー」


 莉央ちゃんと美沙に手を振り、そこで2人と別れる。


 夕暮れ時。ひぐらしの鳴く音を浴びながら、赤橙色に染まる世界を進む。あと数十分もすれば、切れかけた街灯と民家から漏れる光しかこの辺りを照らす事はない。


 今日も充実した1日だった。

 放課後の部活を終えた俺は、今帰路についている。相変わらず部活の調子も良かったし満足である。


 今日は朝練もあったためか、体に疲労が溜まっているのが分かる。節々が少し痛むのだ。

 しかし、それでも俺の足取りは軽かった。鼻唄を唄おうとさえ思ってしまうほどに、気分が高まっていた。


 それは、これからSBM、男性特別侍衛官の人が家を訪ねてくるからに他ならない。いや、時間的にはもう来ていてもおかしくない。正直言ってとても楽しみだ。行動を制限されるのは嫌だとか何とか言っておきながら、やはり女の子との新たな出逢いは胸が高鳴るものである。


 また、一緒に暮らすことになるという点も大きなポイントだろう。SBMは俺を守る為に住み込みをするらしいのだ。テンションが上がってしまうのは仕方ない。


「走るか」


 早歩きではダメだ、もどかしい。

 通学カバンをもう一度肩にかけなおし、俺は小走りで我が家へと向かった。1秒でも早く、この動悸をおさめたい。



* * *



「ただいま〜」


 少し息を切らしつつ、家の扉を静かに開け放つ。

 どうだろう、そろそろ予定の時間であるためもう既に家にいる可能性が高いと思うんだけど。取り敢えずリビングへ向かおうと、未だに少し肩を上下させつつ靴を脱いだ時、俺はあることに気付いた。


 見覚えのない小さめのローファーが一足玄関に揃えてある。


 心愛のローファーは茶色であるが、この見覚えのないローファーはツヤのある黒色だ。


「……」


 これは、間違いない。

 既に件の人物は家に上がっているようだ。

 それに、靴は家族全員分揃っており、この家に全員居ることも確定だ。

 暑さのせいか、はたまた緊張のせいか。額に汗を浮かべつつ、俺は改めてリビングへ向かった。


「〜〜ですから、〜〜」


「〜〜。〜〜わかった」


 リビングへ近付くにつれ話し声が聞こえてきた。1人は母さんの声だが、もう1人の声に聞き覚えはない。こちらがSBMの人だろう。


 それにしても会話中だったか。今入室しても迷惑にならないだろうかと、俺は少し逡巡したんだけど。


「……?」


 会話が止まった、かな。

 どうやらちょうど俺が扉の前に来たあたりで、会話が一旦途切れたようだ。運がいい。

 今の内に入室してしまおう。


『コンコンコンッ』と3回ノックをしてから、少しヒンヤリとしたドアノブを握り静かに扉を開ける。

 

「ただいまー……」


 一体、どんな人だろう。

 何しろ、家族のような距離で長い付き合いになるのだ。そんな人物とは馬が合えば尚良い。

 性格が俺とは相容れない人でなければいいんだけど。


 様々なことに思いを馳せながら、見慣れたリビングを見渡す。


 サラサラの黒髪のショートカットが初々しい心愛がソファに座っている。

 同じく黒髪ミディアムショートの姉さんは、母さんと一緒にダイニングテーブルに備え付けられた椅子に腰掛けている。


 ―――そして、そんな2人の向かい側に腰掛けている女性。


「……あ」


 ぴたっと、目が合った。

 時間の流れが遅くなる。


 この人、白い。


 俺が真っ先に思い浮かんだのは、そんな言葉だった。

 ともすれば白銀とも言い換えられる程の輝きを放つ長いそれは、芸術家が宝石を引き延ばして作ったのではないかと疑ってしまうほど高貴な雰囲気を発している。

 肌も限りなく白色に近く、眉毛や睫毛までも白銀。

 唯一違う色があるとすれば、それは菫色の瞳だ。周りが白色なためか、存在感が凄まじく、目が合っている現在の状態を続ければ引き込まれてしまいそうなほど。ただ、目はとても眠たげである。外国人……だろうか。


 母さんと姉さんはどちらも生粋の黒髪であるため、白銀が余計に映えているように感じた。


 とても綺麗だと思った。


「……」


 そんな白銀の彼女は、俺という存在を観察するように見つめている。まるで品定めをするかのように。

 全て見透かされているような気がするが、

なぜか悪い気分ではない。


「あ、ジンちゃん帰ってたんだね。おかえりなさい」


 一瞬とも永遠ともとれる感覚の時間は、母さんの声により終わりを告げた。現実に引き戻されたと言っていい。

 危ない。今ほんの少しの時間だったけど、確実に彼女に呑み込まれていた。


「う、うん。ただいま」


 少し狼狽えながらも、笑顔でそう返す。続いて、姉さんや心愛も声を掛けてくれたため、同じく笑顔で応える。


 対して、白銀の彼女は、未だに俺から視線を外そうとはしない。

 何か気分を害するようなことをしてしまったのだろうか。それともこれからの侍衛対象を品評しているのだろうか。彼女はとことん無表情で、その優美な顔から感情を読み取る事ができない。


「それで母さん、そちらの方が例の?」


 母さんに『この人が例のSBMの人ってことでいい?』という意味を込めて聞いてみた。まあこの状況からしてまず間違いないだろうけど。


 「あ、ごめんね紹介が遅れちゃった。コホン。では改めまして!ジンちゃん、こちらは……えっと、ソ、ソフィア……あ、ソフィア・マルティスさんだよ!国家男性侍衛特務機関から来てくれました!生まれが外国の方なんだけど、育ちはこの国なんだって。さらに、なんと育成学校を首席で卒業して特務機関に入ったんだって!超エリートだよ超エリート!」


 母さんが興奮冷めやらぬと言った様子で、身振り手振りで力説してくれた。

 なるほど、やはり出身は外国だったか。確かにあの容姿は両親ともに日本人である可能性は低いと思っていた。

 それに、首席とは。にわかには信じられない。俺のような一般人にそんなエリートをあてがうか、普通。どういった判断基準を設けているんだ。適当に人選しているわけでもあるまいし。


「初めまして、ソフィアさん。前原仁と申します。色々ご迷惑をおかけすることになるとは思いますが、宜しくお願いします」


 初対面は大切だといういつもの持論を掲げ、いつも通り丁寧に言葉を紡ぎ頭を下げる。



「……。……ん、私は男性特別侍衛官のソフィア・マルティス。ソフィと呼んでほしい」



 ほっ。

 ずっと俺を見ているものだから、反応してくれるか少し不安だったのだが、きちんと返してくれて一安心だ。あと声が有り得んくらい透き通っててびっくり。


「分かりました。ソフィさん、ですね」


「呼び捨てでいい。あと敬語も不要」


「分かりまし……分かった、ソフィ。これから宜しくね」


「……んっ」


 うーん、なんというか、抑揚のない話し方だな。淡々としているというか。しかし嫌いじゃありません。これはいわゆる無気力系美少女だ。眠そうに下がっている瞼も良い。


「そういえば、僕みたいな一般人にソフィみたいな首席エリートをあてがって大丈夫なの?そういう人は、もっと偉い大臣の人とかに付くものじゃないの?」


 疑問に思った点を聞いてみた。

 SBMに首席で入ったなんて、それこそ一握りの天才なのだろう。そんなソフィを俺につけるなんて本来考えられない判断だ。勿論、いずれ大物になるつもりではあるけど、現段階では俺にそれほどの影響力はないのだ。


「……ん、問題ない。厳正な書類審査の結果決められたこと。それに首席と言っても私は今年入庁した新人。今回は初めての単独任務」


「あ、そうなんだね」


 なるほど。成績優秀で卒業したての新人さんだったのか。それに、初めての単独任務と。数ヶ月の研修を終えての初仕事って感じかな。

 そう言われれば、納得してしまう。


「良かったねお兄ちゃん!ソフィさんとっても凄い人みたい!これで安心だ〜」


「そうね。首席卒業する程の人なら安心して仁を任せられる」


 心愛、姉さんが安堵した表情でそう言う。

なんか、今まで気苦労をかけてごめんなさい。きっと俺の奔放な行動にずっと心労を抱えていたのだろう。


「……ん、大船に乗ったつもりで任せて欲しい。改めてよろしく」


 無表情ながらも何処か自慢げにそう告げたソフィは、椅子から降り俺の前に立つ。


 えっと、言っていいかな。

 大船というより……うん、小船かな。


 そう、眼前に立つ白銀の美少女は、俺より頭ひとつ分程小さい。身長で言えば150センチないくらいだ。

 まあ、言ってしまえば小っちゃい。可愛い。


「……何を考えているのかは大体分かる。でも実力に問題はない。安心して欲しい」


 心なしムッとした顔になるソフィ。

 この子は顔から感情は読み取り辛いが、雰囲気にかなり感情が乗るので思ったより分かりやすいかもしれない。


「あ、ごめんね。でも決して頼りないとか思ったわけじゃないんだよ。ただ、可愛いなって」


 と、そこで癖でソフィの頭を撫でてしまった。会って数分の人にする行為ではない。失礼にも程があると自分で自責してしまうくらいだ。

 しかし、普段から妹達やすみれ先輩の頭をナデナデしている俺にとって彼女の身長はとても撫でやすい位置にあり、つい魔が差してしまったのだ。反省はしているが、後悔はしていない。

 それに、嫌がられないだろうという打算もあった。


「……ん」


 少し。ほんの少しだけ、頬を赤くしたソフィはうつむきながら呟くように声を落とした。

 うん、こういう初々しい反応も愛らしい。これから俺の身を守ってくれる存在ではあるけど、単なる仕事としてだけではなくきちんと友好関係を築いていきたい。


 そんなことを思いながら、ニコニコとソフィを眺めていたんだけど。


 次の瞬間、ソフィの綺麗に整った鼻から一筋の赤い水のようなものが垂れた。それはとても綺麗で、宝石のルビーのように煌めいて……。


 え?


「あ、ちょっと、ソフィ鼻血が!」


「鼻血?ん、問題ない」


 彼女の突然の出血に戸惑う俺だけど、当人はあっけらかんとしたものだ。この子今の状況分かっているのだろうか。


 前原家のみんなは、床にみるみる血溜まりを作る出血量に焦りに焦る。こんな出血量を見たのは、少し前に俺の半裸を見た家族達が鼻血を吹き出した時以来だ。


 えっと、本当に大丈夫なのだろうか。SBMに所属しているくらいだから、見かけによらず物凄くタフだとか。本人は惨状にノーリアクションだし、その可能性は高い。


「……?ん、目眩がする」


 いや、ダメじゃん。出血しすぎて貧血起こしてるじゃん。この子アホじゃん。なんでさも通常運転みたいに平静なのか。

 俺たちは急いでソフィの鼻にティッシュを詰め込む作業に移るのだった。



 これから大丈夫かな……。

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