第45話 同窓会への誘い





 時が停滞する。

 初夏の風が周囲を取り巻く。

 頬に張り付いた一束の髪の毛が煩わしく感じた。息が詰まるような感覚は、俺の知らない俺の知り合いを目の前にしているという奇妙な現状が理由だろう。

 

 まさか。

 まさか、前原仁おれの昔の知り合いに邂逅してしまうとは。

 前もって予想していなかったわけではない。それでも、いざ時が来てしまうと気後れしてしまう。


 俺は今ある女の子と対峙している。

 名前は桜咲雛菊おうさきひなぎく。俺の中学校の同級生らしい。彼女は制服に身を包んではいるものの、春蘭のものではないため他校生だと思われる。

 実はただの俺のファンで、成りすましによって近付いているだけという可能性も考えられなくもないが、それは俺が記憶喪失だという情報を持っていることが前提になる。クラスメイトならまだしも、その情報が世間に広まっているという事実はないはずだ。だから、多分この子は本当にかつての同級生だと思っていいだろう。


「名前聞いても思い出せないかな?そうだよね、あの前原くんがただの一使徒である私なんて覚えてるはずないのに……何を期待してたんだろ私……。でもこれもまた悪くない……」


 視線を固いアスファルトの地面に落としてそう力なく呟く桜咲さん。


 く、暗いなこの子……。声は小さいし、話し方に抑揚はないし。いや、それよりも使徒って何の話?最後の一言は……まあ、うん。


 って、いやダメだダメだ。そんな失礼な観察をしている場合じゃない。彼女は俺が桜咲さんの事を忘れていると思い込んでいるようだが、それは誤解なのだ。そもそも俺は前原仁であって前原仁ではない、もはや同姓同名の別人なのである。

 しかし、実は転生者なんです、なんて告白した所で頭のオカシイ奴だと思われるのがオチ。此処はやはり記憶喪失だと説明するべきだろう。


 うん、毎回毎回嘘を述べるのは忍びないが記憶喪失としか言えないのだから仕方がない。

 とりあえず誤解を解こうと俺は話し始める。


「あ〜ごめんね、忘れてたわけじゃなくて実は僕記憶喪し……」


 と、その時。


「ヒナ〜!ごめん待ってた!?」


 この絶妙なタイミングで違う女の子の大きな声が桜咲さんの背後から俺の言葉を遮る。


 なんて時機の悪さだ。これもはやワザとじゃないのかってレベルだぞ。今から誤解を解かんとする時だったのに、俺が桜咲さんの存在を忘却していたなんてバツが悪すぎるから早く処理させてくれ。

 落ち着かない。


 俺は少々恨みがましく体を傾け桜咲さんの後ろから此方に駆け寄ってくる人物を見やる。

 その人物は、黒髪をツインテールにした少し背の低めの美少女であった。目は少しキツめで何処と無く負けん気が強そうな印象を受ける。この子も桜咲さんと同じ制服を着ており、同じ学校に通っているのだろうということが窺える。

 朝のこの時間ということと先程の黒髪ツインテールの子の言葉から、恐らく登校の待ち合わせでもしていたんだろう。


「マキちゃん……」


「よっ、おはよ!先行っといてって言ったのにこんな所で何してんの?」


 桜咲さんに並び立ち、快活な笑顔で挨拶する黒髪ツインテール……マキといったか。髪型のイメージとは違ってかなりボーイッシュな女の子のようだ。系統的には美沙に似た感じかな。あの子も結構ボーイッシュな喋り方だし。


「あ……えと……」


 マキさんの問いに対して、答える代わりに俺の方をチラリと見る桜咲さん。怖がっている……のだろうか。使徒がどうたらとか、なんか恐れられているのかどうか分からなくなってきた。ビクビク震えてはいるんだけど……。


「ん?あ、誰かいたのか?」


 そんな桜咲さんの視線を辿るように首を動かし俺の方へ顔を向けるマキさん。

 俺もちょうどマキさんを見ていたので、そこでピタリとお互いの視線が交錯する。



「……前原」



 しかし、何やらマキさんの様子がおかしい。

 具体的には睨まれている。俺の名前を呟きながら不機嫌そうな表情を浮かべる彼女からはとてもじゃないが歓迎ムードは感じられない。

 彼女も桜咲さん同様俺をご存知のようだ。ファン……ではないですよね。この2人は幼なじみのような関係性で、どちらとも前原仁の同級生なのかもしれない。


「何で前原がここに?もしかしてお前、またヒナに変なことを……!」


 肌が白くなるほどの強さで拳を握り締め、歯を食いしばりながら俺を睨むマキさん。

 この世界に転生してからというもの常に周りからチヤホヤされてきた俺にとって、今向けられる怒りの感情は普段とは差異がありすぎてどうしようもない戸惑いしか覚えることができない。


「や、やめてマキちゃん……!昔から何度も言ってるでしょ。前原くんに変なことされた経験なんてないって」


「……いやそれは」


「本当!」


 そんなマキさんを必死になだめる桜咲さん。猜疑心が彼女を満たしたおかげで何とか少しだけ向けられる怒りが緩んだ気がする。未だ大部分は健在なのだけど。


 マズイな。

 俺とこの子達の関係性が分からない。マキさんも桜咲さんと同じく俺と昔の知り合いというのは察せられるんだけど、問題は俺に向けられる負の感情である。

 恐らく、いや間違いなく過去の俺がこの子達に何かしたんだろうなっていう事だけは予想できる。だが、それだけである。


「……ねぇ、ちょっといいかな?」


 俺は、未だ押し問答を続ける2人に話し掛ける。ここらで一旦誤解を解いておかないと、良くない方向に話が転がってしまう。


「……な、なに?前原くん」


「……」


 桜咲さんは反応してくれたが、マキさんは残念ながら返答はくれなかった。むすっと端正な顔を逸らしている。


「さっき言いかけたんだけど、実は僕今年の春から記憶喪失になっちゃってて……。中学時代の記憶は全部なくなっちゃってるんだよ。だから君達のことが分からないんだよ」


 美少女に無視されたという心的ダメージを負いつつも顔にはおくびにも出さず俺はそう返す。


 向こうからしてみれば、知人が自分の事を忘れているというあまり気分が良くない状況だ。彼女達の心情を思えばとても申し訳ない気持ちが溢れてくる。

 俺はこの世界においてイレギュラーな存在であり、本来いるはずのない人物だ。言い方を悪くすれば、俺は前原仁にすり替わっているのであり、常にその十字架を背負っていなければならない。そのせめてもの償いとして、俺は周りの人達を少しでも幸せにしてあげたい。


 それは、今初めて出会った人物だとしても例外ではないのだ。


「…………えっ」


「……は?」


 桜咲さんは長い沈黙を経て驚愕した表情、マキさんは意表と不信が混ざり合った表情をそれぞれ浮かべる。


「うん……ごめんね。事故でね」


 このごめんには、彼女達の事が分からないことと記憶喪失であると嘘をつくことへの謝罪の2つの意を込めている。

 転生も楽じゃないと、心底そう思う。いつか秘密をみんなに明かせる日が来るといいな。


「嘘……ウソ、だよね?」


 桜咲さんは手を口に当て心底驚いたように掠れた声で呟く。そう言いたくなる気持ちは分かる。記憶喪失を患う人なんて俺もフィクションでしか見た経験はない。それが実際目の前にいて、ましてや知人なのだから簡単に信じる事など出来ないだろう。


「いや、残念ながらほんと―――」


「嘘だよ!だって、それじゃあ、あのことは……」


 俺の言葉を切って桜咲さんが悲痛に叫ぶ。あのこととは、何を指すのだろう。今の俺には何が何やら全くわからない。

 素直に聞き返したい気持ちはとってもあるんだけど……。


「……」


『うそだうそだうそだうそだ』と呟きながら親指の爪を噛む彼女の姿を見ていると、どうにも臆してしまう。

 端的に言って、なにこの子怖い。


「……はっ」


 すると、唐突にマキさんが此方を馬鹿にするように鼻で笑った。


「嘘……嘘に決まってんだろ。こんな奴の言う事なんて信じんなよヒナ」


「マキちゃん……そ、そうだよね。前原くんの冗談だよね」


 マキさんがゆらりと顔を上げる。その表情は紛れもなく嘲笑……だが、額に汗の粒が浮かんでいる。

 桜咲さんはそんな彼女の言葉に希望を見出したように大きく頷く。


「どうせその口調もお飾りなんだろ?その態度も演技なんだろ?またヒナに何かするつもりなんだろ?」


「だからマキちゃん、私は何も……」


「ヒナは黙ってて」


「……もう」


 こうして二人の会話を聞いていると、あの二人の仲でも噛み合っていない話があるみたいだ。過去に俺が桜咲さんに何かしたのか、していないのか。前原仁くんが亡くなってしまった以上、もはやそれを記憶しているのは桜咲さんだけである。


「ごめんね、以前の口調も、態度も、過去も、僕は分からないんだよ」


 かつての前原仁おれが何をやらかしたのかは分からないけれど、今の俺がやらかしたわけではないこともまた事実。

 俺がこの世界に転生したのは今年の春で、それより過去の事は伝聞でしか知り得ない。今のように人伝に教えられるしかないのだ。


「この子をこれだけ変えといて、お前だけ忘れてんのかよ……」


 マキさんは苦虫を噛み潰したような顔で唸る。

 言いたいことはわかる。イジメの加害者はイジメの事実などすぐに忘却してしまうが、被害者はずっとそれを覚えているといった話を前世ではよく聞いた。過程は違うが、つまりはそういう事だ。

 そんな身勝手な話があるだろうか。彼女が激昂するのも納得だ。

 しかし、桜咲さんをこれだけ変えといて、というのはどういう意味だろうか。


「……」


 うーん、言葉が出てこない。何も思い浮かばない。ここで一言『ごめん』と告げる事は簡単だけど、そんな抜け殻だけの謝罪に何か意味はあるのかだろうか。

 そもそも桜咲さん本人は否定しているし……。まずは、事実確認をしたい。


 しかし、そのための時間が今はない。


 いつもより早く家を出たとは言え、少しここに留まりすぎた。このままでは学校に遅刻してしまうだろう。長々と話し込んでしまうわけにはいかないのだ。


「なんで僕がこれだけマキさんに嫌われているのか、じっくりお話を聞きたいところなんだけど、今は時間がないんだよね。連絡先でも交換しない?今度、改めて最初から話をしたい」


 知りたい。

 俺の知らない、俺の軌跡を。前原仁の良い行いも悪い行いも全部引っ括めて、俺の行いだ。


「ッ!交換す―――」


「お前なんかと連絡先交換するわけないだろ!な、ヒナ」


「え、えぇ……」


 俺の提案に劇的な反応を見せた桜咲さんだったが、続くマキさんの否定の言葉に気勢を削がれてしまったみたいだ。

 というか、桜咲さんはやはり俺のことなど恐れてはいないっぽい。ならばなぜあんなに挙動不審に震えていたのだろうか。


「それは困ったな。僕もう学校に行かなきゃいけないんだけど」


「お前!逃げるのか。せめてヒナに謝れよ」


「……いやだから、マキちゃん。前原くんに謝ることなんか」


「じゃあなんでヒナは1年前からそんな感じなんだよ!」


「……それは、えっと……。ないしょ、です」


「あぁああむかつく!頬赤らめてモジモジすんな!」


 ……。

 お取り込み中申し訳ないんだけど、そろそろ登校を開始しないとまずい。次の電車に乗り遅れたら遅刻が確定してしまう。成績は常にトップを維持しておきたいし、内申に響くような行為は出来るだけ避けたい。


「……えっと、じゃあそろそろ僕は」


「あ!じゃあこうしよう」


 お暇させていただこうかと思った瞬間、マキさんが名案を考え付いたとばかりに声を上げた。


「3週間後だ」


 マキさんが3つの細くしなやかな指を立て、俺に突きつける。3週間後とは、何を意味するのだろうか。


「3週間後に、私が幹事を務める中学の同窓会がある。お前を招待する気はなかったけど、招待状を送っておく。そこに来い、前原。その時に、ヒナが変わった理由を教えろ、そして必要であれば謝罪をしてもらう」


「……いや、桜咲さんが変わった理由とやらは僕は思い出せないから、本人に聞いてほしいんだけど」


「ま、前原くん、ごめんね。私から言うのはちょっとできなくて……」


「ヒナは変わってからずっとこの調子だ。だから、前原。記憶喪失が嘘か本当かは知らない。例え本当でもこの3週間で意地でも思い出せ。どちらにしろ、同窓会で話せよ」


 いやそんな無茶苦茶な。

 そもそも桜咲さんがどう変わったのかも知らないし、俺は根本的に前原仁とは別人の存在だから思い出す云々も望みがあまりにも薄い。というか、多分無理。

 

「んじゃ、そんな感じで絶対に来いよ。来なかったら逃げたとみなす。その場合お前は記憶喪失を騙ったただの間抜けだ。二度と、ヒナに近付くな」


「マキちゃん、そんな言い方……。それに近付くななんて。私は」


「行くぞ、ヒナ。ぐだくだしてたら遅刻する」


「……もう。ごめんね、前原くん。記憶喪失の件は、ちょっと信じたくないけど、とにかく元気そうでよかった……。またね、絶対に同窓会来てね。絶対だよ。絶対、絶対、絶対。絶対」


「あ、うん」


 こうして二人は去っていった。

 最後までなんだか振り回されっぱなしだったように思う。

 マキさんには随分と嫌われてしまっているようだ。俺にはてんで自覚がないだけに、困惑しか残らない。同窓会への出席は正直迷いどころではあるが、旧友というのも気になるし行ってみたいとは思う。ただ、桜咲さんが変わった理由とやらはなにも分からないため、その点だけが懸念点である。

 桜咲さんに関しては、人物像がよく捉えられなかった。怯えているのか、そうでないのか。接した限りでは、好かれていたように感じた。なんか最後の去り際とかすごい怖かったし。


「……取り敢えず俺も学校行くか」


 2人が曲がった十字路を俺は曲がらずに直進する。


 同窓会、かつての級友、過去の行い。頭をグルグルと回るそれらは、今の俺にとってどうしようもできない課題だ。策を弄してどうにかしたいが……うーん、糸口が見えない。


「はぁ」


 辟易とした思いを体外へ吐き出す。とにかく、3週間後だ。今すぐという話じゃない。

それまでに対策を練りたい。


 頭を悩ませながら、俺は駅までの道を足早に歩くのだった。

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