第44話 かつての



 オレンジ色の斜陽が家々を塗りつぶす。カラスの鳴き声が辺りを反響する。赤雲がじわじわと流れ行く。

 夕暮れの気配が近付き、街が模様替えを始める頃、俺は家路についていた。


「ちょっと遅くなっちゃったかな」


 ののちゃんの家へお邪魔した俺は、その後真っ直ぐに帰宅することなく、とあるカフェに滞在していた。これからの生活について、方策を巡らせていたのだ。数時間つぎ込んだだけあって、良い感じの方法案が完成したように思う。

 少し現実みが乏しく、楽観論や行き当たりばったりの要素も多いが、俺は実現できると考えている。家に帰ったら早速家族に相談して迅速に行動に起こしたい。



「ただいま〜」


 どのようにして家族に俺の考えを切り出すかな。

 反対……はされないと思うけど、如何せん未知だ。俺の知識はまだまだ浅い。子供の浅知恵だと一蹴される可能性もある。どうにか説得を試みたい。


「おかえりジンちゃん」


 玄関で靴を揃えていると母さんがリビングから出て来た。いつもは溌剌にやってくるんだけど、今日はどうやら落ち着いた様子らしい。


「うん、ただいま」


「ジンちゃん、話があるからちょっといい?」


「うん?別にいいけど」


 急に神妙な顔つきになった母さんが言う。

 向こうから話があるというならちょうどいい。俺もこれからの事について相談したかったところだ。良い機会だろう。

 母さんに付いてリビングに向かうと、姉さんと心愛もテーブルの席についており、家族全員参加のようだ。家族会議とは、思いの外ちゃんとした話し合いが開始されそうである。


「ただいま、姉さん、心愛」


「おかえりなさい仁」


「お兄ちゃんおかえりっ」


 2人に声を掛けつつ俺も椅子へと腰を下ろす。

 普段の椅子配置とは異なっているらしく、俺1人に3人が向かい合う形となっている。こうして家族全員が揃うのは御飯時以外ではあまりないため新鮮な感覚を抱く。

 ここまでお膳立てをされると、むず痒いというか緊張するというか。


「さて、ジンちゃんが帰って来た所で私達3人で話し合った事を伝えるよ」


 最後に席に座った母さんが仰々しい態度でそう切り出す。

 俺が外出している間に話し合いなんてしていたのか。


「ジンちゃんの直近の影響力とか、行動力とか、色んなことを考えて『SBM』を要請することにしたよ」


「……!」


 母さんの重々しい口振りで、とある提案……というか確定事項が伝えられる。

 それは予期していなかった案。

 そして、これは今の俺にとって渡りに船といった展開だった。


 『SBM』……男性特別侍衛じえい官の事だ。Special Bodyguard for Maleを略した言語。

 SBMは女性のみで構成されたエリート集団である。前世での自衛隊を養成する大学校のように、日々の研鑽を惜しまず鍛えに鍛え抜かれたもの達の中から更に選抜された本物の天才達。

 男性を侍衛し、外部からの不当な干渉を一切遮断する彼女達は正に鉄壁。確か男性侍衛特務機関という国家機関に属する人達で、国家公務員だったはず。公務員のため、彼女達を要請する事に費用はかからない。しかしSBMは基本的に侍衛対象の男性の傍から離れることはなく同居ということになるため、支援金は当然支給されるが、基本的な生活費などは此方が負担する必要がある。その数はあまり多くはなく、大部分は芸能人や数少ない男性大臣などが対象となっている。


 そんな人材を俺のような一般人に宛てがっていると、リソースが足りなくなるのは自明。だから、本来なら要請が受理されるはずはない。


 しかし、実は俺が個人的に考えていた方策もSBMの存在が前提となっていた。そのタイミングで母さんの方で要請に動いていたというのは願ったり叶ったりな展開である。


「僕みたいな一般人の要請が通るかな?」


 実際問題、この点については懐疑的だ。いくら世間の俺の知名度が急激に高まっているとはいえ、今程度の影響力で認められるかどうか。


「問題ないよ。さっき先方に問い合わせたら、恐らく申請は受理されるだろうって言ってたから」


 おお、それは僥倖。

 期せずして第一段階がクリアできそうだ。母さんには感謝したい。


「断りもなく、ごめんね。ジンちゃんの行動の妨げになるかもしれないし、必要のない処置かもしれない。でも、私たち家族は心配なんだよ。どうか、受け入れて欲しい」


 母さん辛そうに眉尻を下げ、俺に訴えかける。両隣では姉さんと心愛も悲痛な表情を浮かべていた。

 俺としては有難い気持ちしかないんだけど、そんな楽観的でなく家族は悩み抜いてくれたらしい。確かに付き人みたいに女性に着いて回られるのは以前の前原仁くんなら嫌悪するだろうし、慎重に話を持ちかけてくれたのも頷ける。


「もし邪魔だって思うんなら、相手方と相談して侍衛場所や侍衛時間を限定してもいいから!ずっと侍衛官の人と一緒にいろとは言わないから!お願い」


 無言になった俺の姿を見て勘違いしたのか、母さんが両手を互いに握りしめて懇願する。


 ここまで言われてしまっては、男として俺の立つ瀬がない。棚からぼたもち的な流れとは言え、彼女たちの憂う思いは本物だろう。無下になんてできるはずがないのだ。


「分かったよ母さん。心配してくれてありがとうね」


「ありがとう!」


「「ほっ」」


 三者は三様に安心した顔付きを晒す。どうやら、俺の知らぬところでかなり心配をかけてしまっていたみたいだ。申し訳ない。

 俺自身がいくら問題ないと認識していたとしても、周囲の人間がそれを共有しているかどうかは別の話。そして、これは恐らく言葉を尽くしたとしても理解してくれない類の問題だ。だから、目に見える形での安心としてSBMに白羽の矢がたったというわけだ。


「SBMの人が来るのはもう少し先になるから、それまでちゃんと用心してね?」


「うん分かったよ。気をつける」


 図らずも俺からしようとしていた相談内容と被る案件だったな。手間が省けたと言えるだろう。

 調べたところによると、SBMは眉目秀麗、英俊豪傑な女性達が殆どだという。また、SBMが護衛対象の男性と恋仲になる例も少なくはないと聞いた。ハーレムを目指す俺としては、そういった下賎な理由も込みで、一石二鳥というやつなのかもしれない。


 どんな人がやって来るのか、今から非常に楽しみだ。



* * *



「行ってきます」


「気をつけてね?人通りがなるべく多いところを通るんだよ?……あ、でもそしたらジンちゃんが囲まれちゃうかも、あわわわ……」


 次の日、清々しい気持ちで目覚めた俺はいつもより少し早めの時間に家を出ることにした。母さんは何やらあたふたしており此方が狼狽えてしまう。まあ引きこもりだった美形の息子が突然アクティブになって有名になったとすれば、心配の一つや二つは当たり前か。


「大丈夫だよ。こんな朝っぱらから変な事する人なんかいないって」


「そうかもしれないけど……でもでも……」


 心配性だなとつい思ってしまうが、それは前世基準の思考。この世界の男女比の実情、俺の容姿、性格、年齢、取り巻く環境、知名度と多角的に捉えれば、今の母さんの様子はそこまで常軌を逸したものではない。

 本当に、心配してくれているのだ。


「うぅ……」


 SBMが来るまで、どのようにして俺を危険から遠ざけるか頭を抱える母さん。

 ……仕方ないな。


「母さん」


「……なに?」


 玄関に立つ俺はチョイチョイと手招きする。それに甘い蜜に誘われる蝶のように近づいて来る母さん。


 そして俺は、自然な動きで距離を詰め、額を母さんの額にくっ付けた。間違っても頭突きにならないように、ゆっくり、優しく。


「絶対に大丈夫。母さんの息子は、思ってるよりしたたかだよ。それに、良い友達もいっぱいいる。だから、大丈夫」


 至近距離で瞳を見つめながら、一言一言を噛み締める。

 俺は母さんが思っているほど純粋で良い子じゃないし、子供でもない。もちろん、自身が大人なんて驕るつもりはないけど、それでもその辺の高校生よりかは物を知っている。加えて、不誠実だし、性格も悪いし、意地汚い。本来の俺をみんなが知ると幻滅してしまうかもしれない。

 でも、だからこそ俺はずるい生き方ができる。黙って餌になるほど、俺は綺麗じゃないから。


「……なぇ?」


「行ってきます!!」


 惚ける母さんをその場に置いて、俺はドアを勢い良く開け駆け出した。

 俺の安否が不安で仕方ないなら、それ以上の安心と衝撃を与えて塗り潰すまでだ。

 母さんにはずっと笑っていてほしい。それは俺が、彼女の息子である前原仁ではない負い目が理由だし、また、あの人が手放しで賞賛できるくらい『いい人』なことも理由だ。恩には恩で返したい。間違っても、負の感情なんて与えちゃいけない。


「ふう」

 

 夏を感じさせる太陽の日を浴びながら、俺は駅に向かい歩き始める。アスファルトの道路から湧き上がる熱気を少し感じる。

 この感覚を味わってしまうと、もう春気分ではいられない。


「暑い……」


 そう呟きながら、すでに衣替えは完了している夏服のシャツの襟をパタパタと扇ぐ。何気なくやっているこの動作も、女性から見れば扇情的に感じるのだろうか。


 夏は苦手だ。

 蒸し暑いのも、虫が多いのも、日焼けするのも、個人的に特大のマイナスポイントである。女の子の水着が見られることと祭りがあること以外この季節はどうも好きになれない。やはり気候的に過ごしやすい秋がベストだろう。冬は寒いため、春は花粉が舞うためNGだ。


 もっとも、それらの好みは住む場所によっても大きく変わるだろう。北海道の夏とか実際どんなものなんだ。涼しいようなら是非将来的に移住したいんだけど。ゴキブリもいないって聞くし。


 そう俺がこれからの気温の上昇に辟易しながら将来設計を行っていると。



「ま、前原くん……?」



 背後から女の子に名前を呼ばれた。この声は透き通った美声だったが、どことなく控え目な印象を感じる。


 とても聞き心地のよい声だけど、この声の持ち主の女の子に心当たりはない。

 つまり、知り合いではなく、俺の名前を知っている点から考えれば、ファンの子ということになるのだろうか。全く、モテる男は辛いぜ。


 俺は少し、いや大分調子に乗りつつ、笑顔を作り振り向く。


 そこには、内巻きにカールした黒髪のミディアムショートヘアの可愛らしい女の子が立っており、何故か怯えたような、また不安そうな表情で俺を見ていた。


「……?」


 なんだ?

 この女の子に違和感を抱く。これまでの子達とは反応が違う、違いすぎる。それは強烈なちぐはぐを生じさせて、俺を襲う。


「えっと、おはようございます」


「……お、おはようございます」


 小刻みに肩を震わせる女の子。俺が発する一文字一文字、動かす関節一個一個、全てが悪く働いているように感じて。


 ……ああ。わかった。


 この子は明らかに俺を怖がっている。嫌悪ではないと思うが、恐怖の感情を抱いている。

 そこまで思い至ったが、ではなぜ怖がらせてしまっているのかという謎に焦点を当てなければならない。俺はこの子を知らない。では、この子は俺を知っているのだろうか。名前が知られていたことは確定しているんだけど。

 とにかく、探りを入れてみるべきだろう。


「不躾にすみませんが、どなたでしょうか。以前お会いしたことが?」


 危ない危ない、未知の体験に表情が引きつっているかもしれない。印象を悪化させないようにと、礼節を意識して話しかけてみた。笑顔、笑顔だ。初対面はとにかく笑顔。


「……えっ?」


 俺のエンジェルスマイルをもろに食らったはずの女の子は不思議そうに目を丸くさせた。

 なに!俺のスマイルが効かないだと!

 ……じゃなくて、しまった、行動の選択肢を誤ったか?んー、わからん!


「え、えっと……久しぶりだね。前原くん、何処か雰囲気変わった、かな……?」


 女の子は所々詰まりながらも改めてそう返してくれる。もじもじと自分の指を絡ませ、視線は右往左往し、どうにも自信なさげな印象を受ける。


「久しぶり?」


 久しぶり、と言ったか。久しぶり、久しぶりねえ。

 こんな子に会ったことあったかな。女の子を忘れるはずはない、んだけ、ど……。


 ……。


「あ」


 おい、待て。


 まさか。そういうことか?

 いや、間違いない、それならば説明がつく。その可能性を考えていなかった。

 この子の態度、発言、俺の現状の3つから導き出される答えはすなわち―――。



「わ、私のことなんて覚えてない、かな……?そうだよね……忘れちゃってると思うけど、私桜咲雛菊おうさきひなぎく。……前原くんの中学の同級生だよ」



 女の子……いや、桜咲さんは哀しそうに儚げに微笑みながらそう告げた。

 その笑顔は今にも消えてしまいそうで、とてもじゃないが喜びを表しているようには見えなかった。これはそう、深い哀愁が渦巻いている。


 時が止まったかのような静寂の中、2人の間を少し強めの風が吹き抜け桜咲さんの髪が靡くことだけが、俺に今も状況は動いていることを伝えてくれる。



 俺は、かつての前原仁の知り合いに出逢ったのだ。

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