第42話 妹の妹がいて、妹が姉をする




「あ、こんにちはののちゃん」


「こ、こんにちは!お兄さ……お、お兄ちゃん!」


 梅雨の季節も終わりが見えてきた今日、俺はいつもの待ち合わせ場所である駅の時計塔に来ていた。

 ベンチに座っていると、アホ毛をぴょこぴょこと揺らしながら小走りで近づいて来るののちゃんを発見したため、とりあえずのこんにちは。


「お待たせしたみたいでごめんなさい……」


「ううん僕が早く来すぎただけだよ。ののちゃんの家に遊びに行くのが楽しみで張り切っちゃった」


「ふへっ?楽しみ……ですか、そうですか。えへへ」


 一瞬間が抜けた顔をするも、直ぐにニマニマと口角を上げるののちゃんは嬉しくて仕方がないという顔をしている。

 

 つくづく思うがこの子は本当に素直だ。嬉しく思ったなら笑顔を見せる、悲しく思ったなら涙を見せる。そこには何も偽ることなんてない、何も我慢なんてしていない。人間とは皆どこか自分を抑制しているものだと俺はずっと思っていた。その場の空気を読み、関係を壊さないように適切な対応を常々心がけている。いや、心がけさせられている。狭い檻の中に閉じ込められているかの様な息苦しさを俺は前世ではずっと感じていたのだ。


 だから、尚更眩しい。

 ののちゃんはとても眩しい。これだけ透き通った人格を持つこの子が、心底羨ましい。きっと幸せになれると、そう思う。


「……お兄ちゃん?」


 ののちゃんはいつまで経っても反応がない俺に痺れを切らしてしまったようで不思議そうに首を傾けながら声を掛けてくる。


 まずい、ののちゃんを放ったらかしにしていた。ダメだな、ついふと前世が頭によぎると暫し考え込んでしまう癖がある。それだけ、俺は自分がこの世界で異分子なのだと理解しているのだ。


「何でもないよごめんね。よしよし」


 無性に頭を撫で撫でしたい欲求に駆られた俺は、それに忠実に従う。

 おチビちゃん3人衆は撫でやすい位置に頭が来る身長をしているからついつい手を伸ばしてしまう。前世ではセクハラになりかねない行為だが、今世では割と大胆にいって差し支えない。勿論限度は大切だ。


「ふへへ」


 ののちゃんも喜色に溢れた様子だしwinwinというやつだ。しかし、調子に乗りすぎないように常に注意はしたい。


「じゃあののちゃんの家に行こっか。案内よろしくね」


「はい!任せて下さいお兄ちゃん!」


 胸をぽすっと叩きながら顎を上げるののちゃん。

 そういえばこの前自らの事を頼りになるお姉さんであると自称していたけど、どっからどう見てもお姉さんを頼りにする妹側なんだよね。まあ本人がそう思ってるなら、其れが1番なんだけどね。



* * *



「それでですね、ねねが、ボクがご飯を食べてる時に変顔をしてきまして。思わず盛大に吹き出してしまったんですよ!ヒドイと思いませんかお兄ちゃん!」


「はは、それはひどいね。ねねちゃんはよく悪戯をしてくるの?」


「そうですね〜、頻度はそれ程でもないんですけど偶にする悪戯が凶悪なものが多い印象がありますね」


 俺とののちゃんは他愛ない会話を楽しみながら閑静な住宅街を進む。前原家と早乙女家は駅を挟んで存在する。通学を除いて俺の行動範囲は駅周辺までなので、この近隣は基本的に無知だ。


 ののちゃんは身振り手振りを加えて話をしてくれている。話に聞く限りでは中々賑やかな家族をお持ちのようだ。悪戯好きのお茶目な一面を持つ妹のねねちゃんに、娘達に嫉妬心を抱く大人気ないお母さん。

 会うのが余計に楽しみになってきたな。


「あっ見えてきました!あれです!」


 駅から徒歩20分ほど経っただろうか。

 住宅街のとある一角にある二階建ての一軒家を指差すののちゃん。全体的に少し淡いオレンジ色のような色でまとめられていて、新築だと思われる。老朽化している兆しは見受けられない。大きさは一般的な家屋とそう変わらない。


 俺は『行きましょう!』と両拳を握りながら張り切る可愛い妹に笑みを零しながらその後をついていく。


「ただいま〜!」


 ののちゃんは玄関扉を勢い良く開け放ち、家の中へ元気な声を飛ばす。これだけ気持ちの良い挨拶を毎日してくれれば家庭内の明るさは安泰だろうな。


「さ、入ってください」


「うん、お邪魔します」


 ののちゃんが家に入ることを促してくれたので、取り敢えず基本の礼儀として靴はきちんと揃え、用意してくれたスリッパを履き玄関に上がる。


 人の家の匂いがする。

 自分の家の匂いって全然分からないけど、友達の家とか行くと結構分かりやすく匂いを感じるんだよね。何処も良い匂いではあるんだけど。

 鼻をスンスン鳴らして失礼なことにののちゃんの家の匂いを堪能していると、玄関のすぐ前の廊下に位置する扉が静かに開けられた。


「ん?」


 そして、ドアを陰に顔だけ覗かせる小さな生き物の姿が目に入った。その真っ黒なまなこは俺の顔面に全意識を集中させている。

 凄まじい既視感。デジャヴュと言い換えてもいい。この、愛らしい子供は。


「……ののちゃん?」


 そうあの小さな生き物は正しくののちゃん。黒髪ショートカットに、物理法則を無視して生えたアホ毛。まん丸とした大きな瞳。どの要素を抜き出してみてもののちゃんで間違いない。

 ……間違いないのだけど、本人であろうののちゃんは今俺の横に立ってるんだよね。そうなれば謎の解答は自ずと導かれる。


「いや、ねねちゃんかな。こんにちは」


 先程の呟きを否定してから挨拶をする。

この子は恐らくだがののちゃんの妹ねねちゃんだろう。本当に良く似ていると思う。圧縮機でののちゃんを圧縮したらねねちゃんが出来上がりそうだ。


「……」


 できるだけねねちゃんの緊張を解きほぐそうと足を曲げて視線の高さを同じにしたり、柔らかな笑顔を心掛けていたりしたのだが、ねねちゃんはじっと俺の顔を凝視している。反応という反応がない。

 人見知りだろうか。それとも怖がらせてしまっただろうか。どちらもこの年齢の子供には大いに有り得ることだ。どうにかして警戒を解きたいものだけど。


「こら!ねね!きちんと挨拶は返さなきゃダメでしょ!」


 どうしたものかと思案していたのだが、お姉さんモードののちゃんが未だに硬直を解かないねねちゃんを叱ってくれた。

 妹分のとても意外な一面を目にしてしまった気がする。何か得した気分だ。姉属性持ちの妹か……ありだな。


「……もしかして」


「うん?」


 やっと口を開いたと思えば、この場に似つかわしくない言葉から紡ごうとするねねちゃん。思わず疑問の声を上げてしまった。

 彼女はこくりと一度喉を鳴らすと、意を決したように言った。



「まえはら……じん……さん?」



 うん?


 俺の名前を知っていたのか。まあ来客というか、家にやってくる人の名前くらいは事前にののちゃんから聞いているのだろう。ただその場合『もしかして』という枕詞が引っ掛かるところだけど。


「えっ!ねね、お兄ちゃんのこと知ってたの?」


 すると、やはりと言うかなんというか、ののちゃんが仰天したように疑問を呈した。


 俺の名前を教えたのはののちゃんではないのか。そうとなれば自ずと答えは絞られる。第三者又は外部から情報を取り入れたとすると、つい最近俺の情報がましましに詰め込まれた媒体がまず脳内に浮かび上がる。


「ねねちゃん、どうして僕の名前を知っているのかな?」


 俺は自分の予想に半ば確信を得ながら問う。それが外れないならば、とあるブツをこの家は所有しているはずである。

 俺の問いを聞き届けたねねちゃんは、無言のまま素早くドアの影から頭を消し、トテテテと可愛らしい足音を響かせて何処かへ走っていった。


「ねね?」


 そんな妹の行動に、我が妹が首を傾げる。


 姉の疑問を尻目に十数秒後、ねねちゃんはまたもやトテテテという足音と共に今度はおずおずとドアの影から全身を晒した。チェック柄のワンピースに身を包んだミニののちゃんである。


 そんな彼女は両腕で何かを抱き締めている。それはとても見覚えのある、俺の家にもある代物であった。そして、予想通りでもある。


「こ、これで……」


 上目遣いでそれを差し出すねねちゃん。

 そう、これは。


「月刊スポーツ男子、か」


 俺が巻頭カラーを飾ったあの月刊誌である。

 男性に焦点を当てた雑誌は数あれど、それでも他の追随を許さない人気を誇る王道中の王道月刊スポーツ男子。

 男性が少ないこの世界において、比較的容姿の整ったスポーツ男子が汗水垂らして精を出す姿を記事にしている月刊スポーツ男子は世の女性たちに圧倒的な支持を得ている。 『月刊スポーツ男子を読まずは女子に非ず』という素晴らしいお言葉まで存在しているらしい。


 しかし、それでもこんなに幼いねねちゃん……確か小学校5年生だっただろうか。それくらいの女の子がこの月刊誌を読んでいるとは流石に驚いた。

 ……いや、前世の小学生男児が興味本位でグラビア雑誌を楽しむものと考えれば、特におかしい話でもないか。


「あ、あの……ほんもの?」


 む、また考え込んでしまっていた。これは本当に悪い癖だ。

 こんないたいけな少女を放置するなど男の風上にもおけない。


「うん、そうだよ。初めまして前原仁といいます。よろしくね」


 そう言って手を差し出す。年齢関係なく俺が知られていることは素直に喜ばしい。妹のねねちゃんが知っていたということは、ののちゃんのお母さんも同じく俺を知っているかもしれないな。


「……わぁああ!!凄いっ!凄い凄い!生で見たらもっとカッコいい!サインください!!」


 ねねちゃんは、満面の笑みを見せつけながら両手で俺の手を握りしめ、その場で何度もジャンプする。全身を使って喜びを表現しているようだ。

 人見知りなのかと薄っすら勘繰っていたがどうやら勘違いだったみたいだ。年齢相応に活気に溢れた女の子に思える。

 サインね。しっかりと履修済みですよ。


「いいよ。サインまた後で書いてあげるね」


「分かった!!やくそくだよ!」


 うーん、可愛い。

 妹の妹とは、こうも愛らしいものなのだろうか。この根源から滲み出る純白さがマイナスイオンに塊に感じる。

 これが浄化か。ハーレムを目指す穢れた男で本当にすみません。


「おねえちゃんすごいね!あの高尚で人類の究極的存在のまえはらじんおにいちゃんとお友達だなんて!」


「……」


 ねねちゃん?

 なんか、小難しい言葉知ってるんだね。幼女が使う単語じゃないものが混ざってるよ。人生二週目?


「そ、そうでしょ?流石ボクでしょ?」


 妹の尊敬の念に対して、ふふんっと平たい胸を張るののちゃん。こちらの妹も非常に癒される。妹ばかりの素敵空間だ。


「うんっ!あ、じんおにいちゃんどうぞ中に入って!お母さんが待ってるんだよ!」


 ねねちゃんが俺の手を力強く引いて、彼女が出てきた部屋の中へと案内してくれる。

 どうやらそこがリビングのようで、ののちゃんとねねちゃんのお母さんが待って下さっているらしい。

 話に聞く限りでは癖が強そうな方ではあるが、その分会うのが楽しみである。


「うん。お邪魔します」


 ぐいぐいと、此方を引っ張ってくる幼女に苦笑を漏らしつつリビングへと俺は入っていった。

 この先に待ち構える変態の恐ろしさに気付かぬままに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る