第37話 ののちゃんのお願い
「うわ、オシャレなお店っす」
あの後、俺たちは今は懐かしきカフェBlenに移動した。少し前に莉央ちゃんとのデートで最初に向かったお店である。
パスタが美味しい。あと、なんか新人が店内を牛耳っていた。見たところ今日は例の新人はいないみたいだ。
「ブレンドコーヒーお願いします」
「ボ、ボクはいちごミルク下さい」
「私はホットココアお願いするっす」
順に、俺、ののちゃん、愛菜ちゃんだ。
俺の顔を見て少し挙動不審に陥っている店員さんに飲み物を注文する。
普段なら俺はミルクコーヒーを頼むところなのだけど妹達の前でカッコつけたかった。悲しい男の性である。コーヒーがカッコイイという思考自体が既にカッコ悪いと言うのに。
席はもちろん窓側を選択した。何故なら、俺は落ちゆく雨粒が好きだからである。見てる分にはね。
そわそわと肩を左右に揺らす2人をこのまま眺めるというのも良いものだが、残念ながら時間がない。
早く帰らないと家族のみんなに心配されるからな。さっそく本題に入るとしよう。
「えーと、じゃあお願い事って何なのか聞いてもいいかな?」
正面に座る2人を出来るだけ安心させるように微笑みながら問う。心愛もそうだったが、男にお願いをするという行動にはとても勇気が伴うらしい。だから、こちらからきちんと促してあげるのだ。
「は、はい!」
ののちゃんはまだ俺に対して緊張が抜けないようだ。Blenに入店するまでは順調にほぐれていたと思ったんだけど。いざ話すとなったらまた違った話になるのだろう。
ならばお兄ちゃんがフォローしなければなるまい。
「何でも言って?お兄ちゃんが叶えてあげるよ、ののちゃん」
唸れ俺のイケボ。
正直、最近声変わりなのか気持ち発声しづらいんだよね。万全の状態で挑みたかったが、無い物ねだりというもの。まあ声変わり中であってもイケボはイケボだ。
「うぅ……胸が苦しいよ、愛菜ちゃん。ボク、死ぬの?」
「それは仕方ないっす。お兄ちゃんと接してると胸が痛めつけられるっす。これからも一緒に居たいなら心臓の1つや2つ諦める必要があるっすよ」
え、そうなの?俺と共に過ごすには心臓を捧げなければいけないの?命がけで大変だ。
ののちゃんは可哀想なくらい悶え苦しんでいるのに、それに対して愛菜ちゃんは中々落ち着いてるようだ。ボケる余裕がある程である。……ボケなんだよね?
「……そうだよね。分かったよ愛菜ちゃん。ボクはお兄ちゃんの為に命をかける覚悟が足りなかったみたい。ごめんね」
君も、ボケてるんだよね?
やめてののちゃん、そんな何かを決意した精悍な顔付きにならないで。
本気?本気なの?やめさせた方がいいかな。
俺が心の中でどうやってこの事態を収拾しようか焦っていると。
「失礼します、お待たせしました」
注文した品をお盆に乗せた店員さんが現れた。何というベストなタイミング。流れを変えるには第三者の介入に限る。
「あ、ありがとうございます。僕がブレンドコーヒーです」
「畏まりました」
俺の目の前にコーヒーが静かに置かれる。
会話が途切れたことによって、それを合図に愛菜ちゃんとののちゃんの謎のシリアス展開は終わりを告げた。
母さん達もそうだけど俺の事になったらみんな本当に大袈裟になるからな。俺がしっかり手綱を握らないといけないな。
「ボク、いちごミルクです」
「ホットココアっす」
「話逸れちゃったね。それでお願いっていうのは?」
この機会に乗じて方向修正。
とにかく本題を進めよう。前述したようにそれ程時間が余っているわけではないのだ。
「は、はい実はですね」
未だやや表情は硬いが及第点といったところの、ののちゃんが事のあらましを話し始めた。
* * *
それはボクが家族で夜ご飯を食べている時のことだ。我が家では必ず家族全員で団欒する機会を設けている。
ボクの家族は、お母さん、妹がいる3人家族になる。妹は小学校5年生で、お母さんはもちろん人工授精により私たちを産んだ。ちょっとだけお父さん欲しかったよ。
「おいひい〜」
そうしてボクがお母さんの春巻きに舌鼓を打っていると、突如妹のねねがこう切り出した。
「あ、お母さんあのね!今日クラスに1人だけいる男の子と仲良くなったんだ!」
「「ッ!?」」
まさか……そんなことが。
ボクは春巻きを咀嚼する歯の動きをピタリと止めた。
男の子と仲良く……?そんな兆候なんてなかったじゃん!!ねね……恐ろしい子……。小学生の身にしてもう既に他の女よりも進んじゃってるよ。もしかして、うちの妹って『モテる』の!?
「あら、そうなの?それは妬ましいわね代わってくれない?」
ボクがねねに慄いていると、お母さんがフォークで春巻きを突き刺しながらそう返した。
いや満面の笑みなのはいいんだけど、ちょっと……何ていうか雰囲気が怖くないかな?気のせい?ほら、何回も春巻き刺してるし。
「えへへ〜ダメだよ!ボクのお友達なんだからね!」
「へぇ〜男の子の友達が出来てそれはそれは良かったわね、ねね。……チッ」
今舌打ちした!舌打ちしたよねお母さん!?しかもわざと響かせたでしょ!ねねに聞かせるつもりで!
あと、ねねはそんなにとても眩しい笑顔でお母さんを見つめないであげて!悪意はないんだろうけど、それは世間一般で言う煽りだよ!気づいて、ねね!世界は厳しいんだよ!
お母さんもお母さんで、大人気ないよ。小学5年生の娘に嫉妬するなんて。そりゃ、人生で男の子に相手された経験がないって毎日酔っ払って愚痴ってるのは知ってるけど。
「お姉ちゃんは男の子のお友達とかいるの?」
頬がひくひくさせて苛苛しているお母さんを尻目に、ねねがその無垢な瞳をこちらに向けてボクに話題を振ってきた。
これは煽りとかではなくただの純粋な疑問のつもりなんだと思う。そうであってほしい。流石に、小学5年生の妹に煽られる姉にはなりたくないよ。
「……」
……男の子のお友達か。
正直に言えば、いない。
だって男の子と喋るのはとても緊張するし、頑張って話しかけたとしても相手にしてくれないだろうし。ボクがすっごく美人だったりスタイルがよかったりしたらチャンスがあったかもしれないけど、こんなちんちくりんな体型だし……。これからも望み薄だろうな。
そこまで想像を広げたボクは、尚も輝かしい目でこちらに集中する、ねねをチラリと見やる。本当に、純真な子だ。
落ち着いて考えてみよう。
まず、ここでいないと答えるのは簡単だ。嘘じゃないし、それが当たり前だから。
でも、本当にそう答えていいものだろうかとボクは踏みとどまってしまう。
ねねは、私の返答に期待している眼差しだし、その期待をどうしても裏切りたくない。何より、妹に男の子の友達がいて姉にはいないって威厳が保てないよ!
今も食い入るようにボクの動向に注目しているお母さんへの恐怖の分を差し引いたとしても。ここは。
ある種の覚悟をその身に宿して。ボクは言葉を絞り出す。
「い、いるよ?もちろん。しかも、ものっっすごくイケメンのね!」
大嘘を吐くしかない。頭からおしりまで、隅から隅まで全部嘘。自分の虚栄心が嫌になる。
天に顔向けできない愚行を許して下さい神様。
ボクはとりあえず、仮想の男のお友達……モデルは心愛ちゃんのお兄さんである。彼を脳内に思い浮かべながら、薄い胸を張ってねねに告げてあげた。
どれだけ醜い真似をしたとしても、お姉ちゃんとしてのプライドがボクにもあるのだ。
「いけめん!?お姉ちゃんすご〜い!」
「ギリリ……ギリィ……!」
心底楽しそうにはしゃぐ妹に、尋常ではない歯軋りの音を室内に響かせるお母さん。罪悪感と恐怖が蔓延したせいで、家族団欒の場はとても居心地の悪い空間に早変わりしてしまった。
ボクの責任なんだけど、もう自室に帰りたい。
「そ、そうでしょ?お姉ちゃんだから当たり前だよ」
ねねからの尊敬の念と、母さんからの負の重圧に挟まれて焦りに焦ったボクは、よく分からない理論を唱えてしまった。お姉ちゃんだからってどういうことなの?
「お姉ちゃん!」
「どうしたの?」
ねねが改まったようにボクの名前を叫んだ。何だろう。そこはかとなく嫌な予感が頭をよぎる。
「ボクそのいけめんの男の子見たい!見たい見たい!会わせて!」
「え"っ」
妹から少々……いやかなりまずいお願いをされて、咄嗟に人生で出した記憶のない声が漏れ出てしまった。嫌な予感が的中してしまった瞬間である。
「ね、ねねは、どうしてもその人に会いたいのかな?」
上擦っているのが自分でわかる声でねねに尋ねる。この子はもう止まらない。止まらないと分かっているのに、どうにか時間を稼いで断る口実を考えるために意味の無い問いを送る。
「うん!ボク会いたい!」
「ど、どうだろうね〜。その人忙しいからな〜」
万人に通じそうな、でっち上げた適当な理由をとりあえず仄めかしてみる。
忙しいなら仕方ないね、ってそう落胆しながら言って!頼みます、これで引いて、ねね!お願いします!
「え〜ちょっとだけでいいから会いたいよ〜!」
ダメか〜!
小学5年生といえば好奇心旺盛なお年頃。
ちょっとやそっとじゃ納得してくれないか。増してや美少年に会えるともなれば、ねねも必死になるよね。ボクも立場が逆なら粘り強くお願いするだろうし。
「そうね、先っちょだけでいいから会いたいわ」
そしてねねに便乗するように澄まし顔で主張してくるお母さん。
「……?」
お母さんもイケメンに会いたいっていう願望は分かるんだけど。
先っちょだけ……?どういうことかな。何の先っちょ?一瞬だけでもって意味かな。
お母さんが言うことはたまによく分からない。
「お願いお姉ちゃん!!」
「私からもお願いするわ、のの。先っちょだけでいいの」
2人からお願いされたボクは、それを断る図太さは持ち合わせていなかった。
嘘をついた時点で、観念するしかなかったのだ。
* * *
「……という事情がありまして」
「……なるほどね」
ののちゃんが所々話を端折って大体のあらすじを語ってくれた。
つまり俺に、ののちゃんのお母さんと妹さんに会ってもらいたいと、そういう話だな。
思ったよりも簡単な内容だ。その程度なら、すぐに叶えてあげられる。
それにしても、以前心愛にも似たような頼み事をされたな。その時は、ののちゃんと愛菜ちゃんに優しいところを見せつけてくれ、というものだったが。
あと、ののちゃんがずっと気まずげに振舞っていた理由も分かった。つい嘘をついてしまったという発端に罪悪感を抱いているのだろう。
嘘なんて誰かしら1回はついたことがあるんだから、人に迷惑をかけたり、傷付けたりするようなものじゃなければそれほど気に病む必要も無いと、俺は思う。俺は迷惑だなんてまず思わないから、今回の嘘は特に問題なしだ。
ののちゃんのお母さんから変態の香りがするが……まあ大丈夫だろう。
「うん、いいよ。今度の休みの日ののちゃんの家に遊びに行こうか?」
不安気にこちらを上目遣いで見ていたののちゃんに了承の意を伝える。
「ッ!?本当ですか!ありがとうございます!」
嬉しそうに飛び跳ねるののちゃんを見ていると、俺まで嬉しい気持ちになる。純粋な子の感情は、こうも簡単に他人に伝播してしまうんだなと漠然と思った。
「よかったっすね、ののちゃん」
「うん、ありがとう愛菜ちゃん!」
ん〜、可愛らしい女の子同士が手を取り合ってはしゃぐ姿は絶景だな。眼福、眼福。
俺は喜び合う2人を眺めながら、少し冷めてしまったブレンドコーヒーに口をつけるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます