第36話 妹
「......」
ある日の昼下がり。
取材から丁度1週間が経った。
俺は今授業中であるにも関わらず、先生の講義は話半分に聞き流し、机に肘をつきながら窓の外を無心で眺めていた。
特に珍しいものがあるわけではない。
雨が降っているだけだ。
今は梅雨の季節、嫌という程の降雨が俺たちを迎える。
一般的に雨という天候はあまり好まれていないように思う。まあ雨に濡れるし傘は必要だし出掛ける事を妨害してくるようなものだろうから仕方がない。薄暗くなって、気分的にも良いものではないだろうし。
しかし俺は雨が好きだ。
更に言うなら、屋内から窓越しに雨を眺める事が好きだ。
人間の視力では雨粒の一粒一粒は確認できないけど、この数多ある雨粒たちが遥か高い位置にある雲から生成されこの地面に降り立っている様を想像すると、意味は不明だけど何故か感慨深さを感じてしまうのだ。
また、ザーーーという絶え間ない自然が奏でるBGMは俺の耳を癒してくれる。まるで雨に、自然に俺が包み込まれているかのような気分である。本当に雨に晒されるのは勘弁したいところではあるのだが。
「はぁ……落ち着く」
誰にも聞こえないように音量を調整しつつそう呟く。やはり雨はいいものだ。
よし、私的雨談義はこの辺にしておく。
「……」
ところで、唐突な話を切り出すんだけど。
カッコ良くない?
いや自分で言うなって感じなんだけど。
奢りとか慢心とかそういう次元ではなく、今の俺の図はかなり様になっていると自負している。完成されたイラストのようだろう。
その証拠に周りの席の女子たちが陶酔しきった目で俺を眺めている。
ふっ、これだからイケメンはつらいぜ。何をしても映えてしまう。
そんなくだらない思考を展開しながら自分に酔っていると、視界の端で、机の中に入れてあるスマホの画面が明るくなった。これは何かの通知だろう。授業中であるため通知音は消しているのだ。俺とてそれくらいの常識は備えている。
とりあえず、先生の目を盗みながらこそこそと何の通知なのか確認したいと思う。
授業は言うまでもなく大切だが、もし女の子からの連絡だとすればそれは授業以上の重要価値を誇るのだ。可愛いは正義。
さて、何の通知だろうか。女の子からの連絡であってください。
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早乙女のの:お兄さんこんにちは。突然で申し訳ないのですが、今日会えませんか?それほどお時間は取らせません。お願いしたいことがあります。
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そのお願い叶えよう。
おっと、落ち着け俺。クールダウンだ、こういう時こそクールにいけってな。期待した通りの展開に己のテンションを抑えきれなかった。
まずはそのお願いとやらの内容を確認しなければいけないだろう。
しかしののちゃんからのお願いか。余程の事ではない限り……それこそ宇宙に連れて行ってとかではない限り、出来るだけ期待には応えたいところなのだが。
通知は、早乙女ののちゃんからの連絡だった。
連絡先は結構前に心愛、愛菜ちゃん、ののちゃんのおチビちゃん3人と一緒に帰った時に交換しておいたのだ。
俺も年下の女の子から何かお願いされるようなってきたか。少しは頼りになりそうな性格だと慕ってくれているのかもしれない。目指すはハーレムを作るだけの度量をもった甲斐性溢れる男性である。
今回の件は、その第一歩なのだ。
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仁:こんにちはののちゃん。勿論いいよ。じゃあ学校終わった後駅に待ち合わせでいいかな。
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とりあえずこれで送信、と。
どんなお願いなのだろうか。わざわざ俺に話を持ちかけたということは、男が関係しているはず。
ののちゃんとのトーク画面を眺めながら、これから待ち受けているであろう、とあるお願いに期待を高めるのだった。
* * *
時は過ぎ、部活を終えた俺は、莉央ちゃんと美沙と3人で電車に揺られていた。いつものメンバーである。
「……それで、あたしは『やめとけ!それ以上したら頭皮が禿げ上がるぞ!』って叫んだんだ」
「へぇ〜」
「そしたらあたしの想いが届いたみたいでさ、なんとか毛根を守りきれたんだよ」
「そうなんだねえ。美沙は偉いな」
正直なんのこっちゃ分からなかったが、美沙がとても真剣に話し込んでいたのと、彼女の活躍で1人のハゲの危機を救ったらしいので、取り敢えず褒めておく。
「……うへへ、ありがと」
頬を赤く染めて、嬉しそうな顔を隠すように俯かせる美沙。
最近は美沙と打ち解けてきている気がする。以前は莉央ちゃんと3人でいても、緊張しているのか美沙はあまり口を開くことがなかったのだが、どうやらようやく慣れてきたようである。
良い兆候だ。
良い兆候なんだけど……。
「......」
強いて問題をあげるなら、頬に空気を入れて膨らませながら、ぶすっと此方をジト目で見ている莉央ちゃんの存在だろう。
「莉央ちゃんどうしたの?」
理由を察することは容易いがとりあえず尋ねてみる。
「……別に何もないですけど?仁くんが、他の女の子と、イチャイチャしてても、私は、特に何も思いませんよ?」
やはり、莉央さまはとてもお怒りあそばせられているようだ。
今も、ひたすら電車の吊り革をパシッとはたき、振られる吊り革が戻ってきてはまたはたく、という行動を繰り返している姿からは、とにかく拗ねているという事実が強く伺える。
これは早急に処置しなければならない。
「あの、莉央ちゃん?」
「何ですか」
尚も吊り革への攻撃を止めない莉央ちゃん。公共機関の備品を乱暴に扱っちゃいけません。
「今度2人っきりで遊ぼっか」
ピタッと、吊り革をはたいていた莉央ちゃんの手が動きを止める。
俺と莉央ちゃんの間には物理法則に従ってプランプランと振られる吊り革。
そして、それらを緊張した面持ちで見つめる美沙。
しばしの気まずい静寂の後、莉央ちゃんが口を開いた。
「……仁くんが遊びたいなら、私は構いませんよ?」
緩んだ口元を隠せていると思っているのか、はたまた気付いていないのか。
ツンデレのような内容とは裏腹にその顔は喜色に満ちていた。ツンデレに見せかけたデレデレとみた。
「僕は莉央ちゃんと遊びたいよ。また今度一緒に予定を考えようね」
「……はい」
俺はストレートに笑顔でそう言ってのけた。こういうのは変に遠回しで伝えるべきではない。女の子相手なら、尚更。不安がらせるなど以ての外なのである。
莉央ちゃんは照れてしまったようで、顔を赤く染めて目を逸らしながら返事をしてくれた。
そのやり取りを傍から見守る美沙はまるで妹を見ているみたいに優しい笑みだ。彼女はあまりヤキモチをやくような性格ではないのかもしれない。
「じゃあまたね、ばいばい」
その後電車から降りた俺たちは駅で別れの挨拶を交わす。
普段ならば、ここからまた少し一緒に徒歩で帰るのだが、今日は俺がののちゃんと約束があるためここでお別れだ。
「はい、また明日です仁くん」
「うん、じゃあまた明日学校で仁」
先程より幾ばくか機嫌が良くなった莉央ちゃんと、そんな彼女の姿を微笑ましそうに見つめる美沙がそう返してくれた。
2人が仲睦まじそうに歩いていくのを見送った俺は、待ち合わせ場所となっている時計塔の下へ向かう準備をする。
「……まだ降ってるな」
見てる分にはいいんだけど、やっぱり雨は不便だな。髪の毛も湿気でへたってしまうし。
今日1日雨が止むことはなく、俺は少し雨で濡れている傘を開く。
さて、行きますか。
雨で若干視界が霞む中、時計塔の下に何人か立っていることが遠目からわかった。
他にも待ち合わせしている人がいるのかもしれない。時計塔って目立つからね。
えっと、ののちゃんは……。
「お」
それらしき姿を見つけた。傘をピョコピョコと忙しなく揺らしているちっちゃい子が1人……。
いや、2人?
あれは、愛菜ちゃん?
ののちゃんとしか約束はしていないはずだが何故か隣に速水愛菜ちゃんが立っている。こうなってくると、心愛がいないことで違和感を抱いてしまう。
「ののちゃん。それと、愛菜ちゃんも。こんばんは」
とりあえず声を掛けてみる。こんばんはなのか、こんにちはなのか判断がつかない時間帯だが。
「はわっ!こ、こんばんはお兄さん!」
「こんばんはっす。私もお邪魔して申し訳ないっす」
雨が続き湿気が高まっている中、それを物ともせず相変わらず逞しくアホ毛が跳ねているののちゃん。いつか触らせてもらおう。
それと、頭を下げながら申し訳なさそうに謝る愛菜ちゃん。こちらも癖のある語尾は健在なようだ。
「別に大丈夫だけど、愛菜ちゃんが一緒にいるのは知らなかったからちょっと驚いたよ。何でまた一緒に?何か僕に用事あった?」
気になることは聞いてみるに限る。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ってね。今の状況では別に聞くのも一時の恥とかではないけど。言ってみたかっただけだ。
「あー、それはっすね」
「あ、ボクから説明するよ愛菜ちゃん」
ボクっ娘属性も衰えていないようだ。
「ボ、ボクがお兄さんと2人っきりは緊張して話せないかもしれないので無理言って愛菜ちゃんには付いて来てもらったんです。……勝手な真似をしてごめんなさい」
肩を小さくさせるののちゃん。なんかアホ毛も同調するようにしゅんと垂れ下がっている。どうなっているんだ、運動神経でも通っているというのか。この毛は一体なんなんだ?
いやそんな疑念に意識を割いている場合じゃなかった。可愛い後輩を救わなければ。
前から思っていたのだが、この世界の女性達は極端な2つに分けられる。
男に積極的に交流を深めにかかる女性と、逆に遠慮して敬遠してしまう女性だ。前者は男に飢え、求めすぎることにより少々過激になり気味だ。それに対して後者は、希少な男にどう接すればいいのか分からず何処か一歩引いている感じで丁寧に接しようとする。どちらも魅力的な点に違いはないが……。
ののちゃんは明らかに後者のタイプである。こういうタイプには、きちんと俺から言ってあげるのが肝要だろう。自信と信頼の種が芽吹くことを願って。
「ののちゃん」
「……はい」
怒られるとでも思っているのだろうか。普段から小さか体がさらに縮こまっているように見える。
「俺はね、ののちゃん。心愛の事可愛くて良い妹だと思ってる。それと同時に、ののちゃんと愛菜ちゃんの事も本当の妹のように思ってるんだ。だから遠慮しないで。俺は君たちのお兄ちゃんだよ」
ののちゃんと愛菜ちゃんは俺の言葉を聞いている間微動だにせずこちらを見つめていた。必死に聞き逃すまいとしてくれたのかもしれない。
沈黙が3人を包み込む。
雨音だけが変わらず聞こえる。それは、静寂の心地悪さを打ち消してくれる優しい音だった。
「……おにい、ちゃん?」
俺の言葉の意味を頭で理解するために繰り返すののちゃん。
「そう、お兄ちゃん」
もちろん肯定してあげる。女の子は全肯定されたい生き物なんだよ、と偉い誰かが言っていた気がする。教えを実践できています。
「ボ、ボクのお兄ちゃん……ですか?」
「そうだよ」
身長差があるため、少し屈んでののちゃんが差す傘にお邪魔し頭を撫でてあげる。何だか雨の中迷子になった子供をあやしている図に見えなくもないけど……。
「.....」
ののちゃんは、俺を少し潤んだ瞳を宿して見つめる。どうしたのだろう。
「……お兄ちゃん?」
一人呟くようにののちゃんがそう口にした。
心愛から呼ばれても思うことだが、良い響きだ。俺はお兄ちゃんと呼ばれることが好きなのである。ロリコンというわけでは決してない。
「うん」
これも肯定してあげよう。
女の子の全てを受容する男です。宜しくお願いします。
「……ボ、ボクこれからお兄さんのことお兄ちゃんって呼んでいいですか!?」
ののちゃんは思い切ったように目を瞑りながら叫んだ。健気で素直な子だと、そう思う。
「いいよ?それに、そんなに変わってないじゃん」
「『お兄さん』は心愛のお兄ちゃんで『お兄ちゃん』はボクのお兄ちゃんです!」
一文字の差異が譲れない区別に直結しているらしい。まあ確かにニュアンスは分からなくもない、かな?
あと、勢いで許可してしまったが、後で心愛に怒られてしまうかもしれない。『私以外にお兄ちゃん呼びを許すなんて』という怒り顔が目に浮かぶようだ。いや、親友同士そういうのも許容できる間柄だという可能性も捨てきれない。
「えっ、あ、ちょっとずるいっすよ!私もお兄ちゃんって呼んでいいっすか!」
そこで今の今まで固まっていた愛菜ちゃんが再起動した。このチャンスを看過することはできないとばかりに主張してくる。
「うん、いいよ」
もちろん答えはイエスだ。
心愛はまた今度いっぱい甘やかしてあげよう。それで許してくれるはずだ。多分きっと。
「「はわぁああ……」」
感激したように悶える2人。前世だと『俺のことは今後お兄ちゃんと呼ぶように』なんて、イケメンが口にしたとしても大層引かれそうな発言だが、今世だと可愛い女の子にお願いされてしまうとはな。
何とも男にとって都合が良い世界だと増長しそうになるが、それは絶対にしないと決めている。女の子たちはハーレム要員ではない。血が通って、人生に一喜一憂する一人の人間なのだ。だから、一人一人にちゃんと向き合いたい。それが、ハーレムを目指す俺の行動と矛盾するとは思わない。
男のロマンであるハーレムは、ただ快感のために女の子を取っかえ引っ変えする軽い行為とは違うのだ!
と、正当化しておく。傍から見ればただの最低野郎なんだけどね。でも男の夢だし、ほら、この世界じゃ一夫多妻もあって、別に問題ないから。うん。
「じゃあ雨の中立ち話も何だし、何処かに移動しよっか」
「「あ、はい(〜っす)!」」
未だ降りしきる雨粒の中、今にも鼻歌を口ずさみそうな、またスキップをしはじめそうなくらいご機嫌な2人の妹と連れ立つ。
嬉しそうな2人を見ていると、何故かこちらまで嬉しい気分になってしまう。
心愛や愛菜ちゃん、ののちゃん達と接すると不思議と何か不確かなものに癒される感覚があるのだ。もしかしたらこれが俗に言う妹成分なのかもしれない。
妹成分、恐ろしい子。
俺は未知の成分に戦慄しながら、3人で仲良く歩を進めるのだった。
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