第35話 取材本番
「あぁ!いい!今の顔!はぁはあ!」
『カシャ』
「そこぉおお!前原様ぁ!」
『カシャ』
「ほおっ!?最高!今の表情頂きます!」
『カシャ』
「そらここだっ!!いいですねぇ!うへへへへ」
『カシャ』
いよいよ待ちに待った取材が開始された。
俺は今、弓を引き絞っている最中の写真を美鶴さんに撮影されている。仮にもスポーツ男子という雑誌名なのだから、まあ競技中の写真は必須だろう。
だから、写真なんていくらでも撮ってもらって構わない。
構わないのだが……。
「はい、いま!このタイミング!この因果律で!」
『カシャ』
俺を中心に半径2mほどの空間をカメラを片手に舞っているのは、柊美鶴。月刊スポーツ男子のカメラマンである。ワンカット毎にやけに妙な言語を叫び散らかしている。
……。
なんていうか……美鶴さん……でいいんですかね?最初のイメージが知的な美人だったから、何とも形容しがたい感情に襲われている。
彼女は、俺の写真を撮ってる時口は常に半開きでヨダレが垂れてきそうだし、視線は何だかいやらしいし、口調も変化している。
世の中には仕事中は人格が変わる人もいると聞いたことがあるがそのタイプだろうか。
以前第一印象は兎に角大切だと力説したことがあったが、第二印象以降がこうも衝撃的だと第一印象など
「いまっ!その体勢をしばらくキープしてくださいな!」
「わ、わかりました……」
ここに来て急に体勢の指定が入った。
「んん〜っ!凛々しい!はぁ!はあ!きりっと!目付き、きりっとください!」
『カシャ』
ずっとこの調子なのだろうか……。
確かに俺は完璧すぎる美女は近寄り難く、何か隙が欲しいと望んだが。これは隙というか、なんというか。
取り敢えずこの瞬間は今の状況を甘んじて受け入れ続けなければならない。
* * *
「うっひょおおお!さいっこうぉお!」
『カシャ』
3分後、俺は未だに先の体勢のままでいた。この、矢を放つ直前の型は、本来なら5秒ほどが理想とされている。それを3分。
流石にそろそろヤバイぞ……!
この体がチートスペックとはいえそれは全能を意味するものではない。乳酸が、乳酸が溜まりまくっている。もう間もなく筋肉が吊りそうだよ。全身の筋肉が悲鳴をあげている。
「はぁはあ……あの、美鶴さん。さすがに……そろそろ体力的にキツイです……まだです、か?」
息も絶え絶えに俺は尋ねる。
自己判断でやめてもいいんだけど、未だにシャッターを切り続けている美鶴さんの姿に躊躇ってしまう。それに勝手に止めたら刺されそうな凄みさえ感じるのだ。
勿論暴発なんてことになったらとても危険なので、その域に達すれば早急に中断するつもりである。
「……ふー。……ふーっ」
『カシャカシャ』
しかし俺の願望とは裏腹に、美鶴さんは鼻息を荒くさせカメラのシャッターを切るスピードを加速させた。
俺の切実な望みが耳に入ってないのだろうか。思い返してみれば、こういったクリエイターの仕事中は凄まじい集中力が発揮されるため声には反応できないといった感じの情報もあった気がする。真実は定かではないが。
「あの……?」
とりあえずもう一度声をかけてみる。彼女が聴き逃してしまったという可能性を考慮したのだ。
「いいっ!!息を切らした、瞳を涙で潤ませながら頬を赤らめる美少年っ!溢れ出るリピドーが止められません!うへ、うへへへ」
「……」
違った。
プロとかそういう話ではない。
変態だ。変態だから俺の話を聞いていなかったらしい。
完全にキャラ……というか人格が崩壊している。もう先刻までの美鶴さんとは別人と認識しておいた方が良いだろう。
今の頭が逝っちゃってるモードの彼女では話が通じそうにない。獣と同程度のIQと、考えて相違ない。
俺は早急に美鶴さんに見切りをつけ、足立さんに協力を扇ぐ方向に切り替えた。彼女には以前も会ったことがあり、その際には通常の受け答えが可能だった。そんな足立さんならば、助けの手を差し伸べてくれるだろう。
「足立さ……」
「……ぐへへ。この美少年をこうしてああして丸め込んで……ぐへっ……ぐへへへ」
よし。
妄想に耽ける足立さんは使い物にならない、と。これは仕方ない。そういう世界なんだもん。
ヨダレを垂らすのはご自由にしてもらってもいいけど、道場の床には落とさないでね。
美鶴さんも足立さんもダメ。ならばここはもう最後の砦である、あのお方に頼るしかない。
彼女は俺が知る限りでは、他の女の子は一線を画している。男に興味がないのか、それとも強靭な精神力で欲望を抑え込んでいるのか。判断はつかないが、どちらにせよこの場でこれほど最適な人物はいないだろう。
「ぶ、部長……」
我が春蘭高校弓道部一のしっかり者、右京部長に縋るしかあるまい。
他の部員たちももれなく妄想の世界へ旅行中みたいだしな。すみれ先輩、あなたまで。
男の赤らんだ顔を見て何がそんなに嬉しいのだろう。いやまあ逆の立場に立って考えた時に、この世界の女子が圧倒的に少なく、唯一の女性部員が超美少女となれば俺も同様の行動をなぞってしまう……かもしれない。
「……あ、ど、どうした前原!」
……ん。
右京部長にしては珍しく何やらぼーっとしていた様子だ。あの堅物……ではなく毅然とした彼女が俺に見蕩れていたという線は考えにくいが……。
「そ、そろそろキツイので、柊さんを正気に戻して貰っていいですか……。未だにシャッターを切り続けているので無断で体勢を戻すのも心苦しいし、それにあの、怖いんで。部長にしか頼めないんです、お願いします」
「あっ!?そ、そうだな。わかった!」
部長に事情を説明すると速やかに協力してくれるらしく、美鶴さんを物理的に止めに入ってくれた。やはりこういう時は言葉ではなく、第三者に体を使って間を取り持ってもらうのが効果的だよね。
ありがとうございます部長。さすがです。
* * *
その後どうにか策を弄して、部長と協力して美鶴さんを正気に戻した俺は、ただいま弓道場の横にある部室で絶賛インタビュー中である。
ちなみに正気に戻った美鶴さんは特に取り乱すことなく、真顔で『失礼致しました』とだけ言い残してすんなり身を引いた。
あれだけ逝っちゃっていながら、その後堂々としていられる精神力の強さを俺は見習いたい。『いや、今発情してましたよね?』って問い詰めていいんだぞ。
「じゃあ弓道を始めたのは高校入学してからってことかな?」
「はい、その通りです」
俺に質問を投げかけるのは、ライターの足立さんだ。
いつのまにか妄想に囚われた状態から脱していたようだ。また、インタビュー中の足立さんは眼光を研ぎ澄ませた、所謂仕事専用の顔つきと呼べるもので、普段の小動物感は綺麗さっぱり失われている。
ここら辺はやはりプロなのだろう。いや、だからと言ってさっきの痴態は忘れられないけどね?
また質問に関してだが、本当は弓道を10年以上嗜んではいるがこの世界の前原仁くんは(おそらく)弓道の経験などはないと思うので、申し訳ないとは思うが嘘をついておく。
寧ろここで10年以上の経験があるなどと答えてしまうと、俺の家族が混乱してしまうだろう。
「それで、この前の大会で全部的中ってかなり凄いことだよね?何か特別な練習とかしてるのかな?」
「いえそのようなことはありません。しかし、とにかく質を重視しています。練習で放つ矢の一本一本を妥協したことはないです」
「なるほど……妥協しない姿勢。それが大会での前原君の的中に繋がっているのかもしれないね」
とまあ、このような至極真っ当な内容のインタビューで、時間は進んでいった。どこか拍子抜けな思いが拭えなかったが、やはりと言うかインタビュー開始15分ほどたってから、少し主旨が変わった質問が多くなった。
「前原君は女性にも優しいという噂を聞いたんだけど、そこのところ教えてもらってもいいかな?」
「え、ええ。僕は女性に対しても男性に対しても接する態度を変えるつもりはありません。みんなと交流を深めていきたいなと思っています。なんなら男より女の子と仲良くしたいですね」
「前原君ほどの容姿なら女の子がたくさん寄ってきたり、またまたいっぱい告白されたりすると思うけど、実際それについてどう考えているのかな?」
「えーと、とても喜ばしいことです。しかし、おっしゃる通り告白を頂くこともあるのですが本当に僕でいいのかなといった思いを抱いているのも事実です。だから、こんな僕を好いてくれる女の子達にはいつも感謝でいっぱいです」
珍妙な質問に気圧され、少しためらいながらもとりあえず無難な答えを返していく。やはり俺のような男はこの世界では珍しいらしい。流石に女好きな男がいないということはないと思うが……。
というか、これ、スポーツ雑誌の取材だよね?
明らかに関係ない質問のオンパレードなんだけど。購読層を意識した、ニーズに合わせた内容ということになるのだろうか。
俺の疑念をよそに、その後も20分ほど無関係な質問タイムは続いた。『女の子と手を繋いだ回数』とか『体を洗う時はどの部位から?』とか聞く必要ありましたかね。
そして、最後に俺が考案したサインを手渡して、今日の取材は終了を告げた。
「今日は貴重な時間をくれてありがとう前原君っ!最高の記事にして見せるよ!」
爽やかな笑顔を振り撒きながら、足立さんが親指を立てる。不自然な箇所があった点は否めないが、最高に記事にしてくれるならにも文句は言うまい。
「本日はお忙しい中ありがとうございました前原様。それと少し取り乱した時間もございまして誠に申し訳ありませんでした。ご迷惑を……。これからは精進致します」
物凄く綺麗なお辞儀を披露する美鶴さん。頭の頂点からおしりまで一直線である。
うーん、やっぱりこうして見るとすごい変貌っぷりだったなさっきのは。白昼夢か何かだったのではないかと疑いたくなるくらいだ。
「いえ、頭を上げてください。確かにあの体勢維持はしんどかったですし、美鶴さんの変わり様にはビックリしました。でも―――」
「……でも?」
俺はそこで一旦言葉を切り、美鶴さんは続きを促す。
息を大きく吸って、心の底から告げる。
「それ以上に楽しかったです。足立さんは妄想の世界に突入しちゃいますし、美鶴さんは人格変わっちゃってますし、ははっ。取材の方達が良い人でよかったです」
今思えば、前世で受けた取材は記者の仕事で仕方なくやっていますよといった雰囲気があちら側からありありと感じられた。それに比べてこの女性達は本当に楽しそうに仕事をこなしていた。
この世界の女性達は本当に賑やかで、騒がしい人達ばかりだ。全く退屈しない。
変態は多数
それでも、俺に振り向いて欲しいその一心で夢中で頑張る女の子たちは、全くもって魅力的だ。俺なんかには勿体無いくらい良い子達ばかりなのだ。
俺はこの世界に転生できて幸せ者だ。前世で今までに亡くなった人々も、こうして素敵な世界に転生していたらいいのに、と心から思う。
改めて転生できた幸運に感謝を込めて、微笑みを浮かべた。人に好かれようとする偽物ではなく、感情から漏れ出た自然な反応である。
「その笑顔いただきますっ!!!」
『カシャ』
その瞬間、美鶴さんが目にも留まらぬ速さでカメラを構えシャーターを切った。残像を残すほどの神業である。カメラマンは普段からシャッターチャンスを狙い済ませた生活でも送っているのだろうか。
「……」
素の自分を切り取られてしまったみたいで気恥しい気持ちもあるが、あまり気にする事はない。
そんなこんなで俺は無事に取材を終え、2人は早速編集に取り掛かると言って、自社へと帰って行った。
まだ見ぬ記事を楽しみに、俺は部活の練習に戻るのだった。
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