第32話 特定
「あ、そうそう前原くんは犬と猫どっち派?私はね〜前原くん派!なんちゃって!」
俺の動画が拡散されているという話題が提示されてから5分。森山さんは未だに独りで身振り手振りを加えながら喋り続けていた。
よくもまあ湯水のように話題が湧き出てくるものだと感心してしまう。
いや感心している場合じゃないな、止めないと。別に可愛い子の語りを延々と聞いていても苦ではないのだが、生憎ホームルームの時間が迫っている。それまでに俺の動画が投稿された件について聞き込みをしないと。
「森山さん!」
「それでね……んっ?どうしたの前原くん」
俺が一際大きな声で呼び掛けると、やっと意識がこちら側に向いてくれたようだ。放置すると、本当に歯止めがきかなくなってしまいそうだ。
「森山さんとはまた今度時間がある時にゆっくりお話したいな。だから今はさっきの動画のことについて教えてくれないかな?」
「あっ……私ったらごめんなさい。前原くんのことを考えずに……反省しなきゃ。うん、なんでも聞いてよ!」
お、意外と聞き分けがいいな。
やはり素直な子なのだろう。両拳を勇ましく握る姿からは、健気な性格であることが伝わってくる。
「じゃあ、僕の動画が拡散されてたって言ったけどそれはどれくらい拡散されてるの?」
「うーん、『いいね』マークは1万くらいだったかなあ」
「いちま……」
これは思ったより大事かもしれん。俗に言う『バズる』というやつか?
昨日の一日だけで1万ということは、これから先もねずみ算式に増える可能性が大いにある。SNSの拡散能力には目を見張るものがあるのだ。
「そ、そうなんだ……。付いているコメントとかどう?」
「みんな狂喜乱舞って感じだったよ!意味の分からないアルファベットの羅列を打ち込んでいる人とか『
え、こわい。
ストーカーにならない?大丈夫?
「私前原くんの役に立てたかな?」
「う、うん、すごく有益な情報だったよ。ありがとう」
「ふ、ふふふ。全然大丈夫だよこの程度のこと!なんならもっとこれから毎日毎時間でも頼ってくれていいんだよ?私は前原くんの為なら協力は絶対惜しまないし、私に協力させたことを後悔もさせないよ!あ、でもでも無理難題とかを出して私が結果を出せなかったことを口実にお仕置きだ!とか言っていじめるのはナシだよ?私濡れちゃうからね!べ、別に嫌とかじゃないんだよ?ただ、ね?恥ずかしいでしょ?あ、そうそう……」
俺がこの子の手綱を握ることができる日は来るのだろうか。暴走ガトリングガンである。
* * *
その後すぐ福岡先生が入室し、出欠確認から始まるいつものホームルームが始まったおかげで、森山さんは惜しみながらも自席へと帰っていった。
そしてホームルームを終え、俺が最初の授業の準備をしていると福岡先生に『前原くん、お昼休みに職員室の私のところまで来てもらっていいかしら?』と声をかけられた。
その言の通りに、昼休みにて俺は今職員室の扉の前に立っている。
教室からここに辿り着くまでに校内の生徒たちが俺を見て口々に噂話をしていた。
「ほら、やっぱりあの動画1組の天使じゃない?」「だよね?弓道部だし」「私保存しちゃった」「弓道部に入部したいー!」「いや、あそこは部長の面接が厳しいよ。下心の権化みたいなあんたじゃ受からないだろうね」「天使の後をつけて、彼の吐いた息を吸い込もうと必死になってるあんたに言われたくない」
どうやら予想通りかなり広まっているようだった。それに右京部長の入部希望者のふるい落としも良い感じに機能しているようだ。無事、変態を弾き出すことに成功している。
『コンコンコン』
「失礼します」
とりあえず先生のところに行こう。職員室内を見渡すと、先生方は皆一様に昼食をとっているみたいだ。中には作業をしている人もいるけど。
さーて福岡先生は、と。
確か窓際の方の席が割り当てられていたはずだ。
「福岡先生、来ましたよ」
「あ、来たわね。わざわざごめんなさい。少し伝えておきたいことが2つあってね」
背後から声をかけると、福岡先生は睨めっこしていた書類の束を纏めて机の脇に固めた。そして椅子を回転させて俺に向き直る。
「伝えておきたいことですか」
「ええ。まずは、月刊スポーツ男子の取材の件だけど学校から許可が下りたわ。急だけど明日の部活の時に取材を受けることになると思うからそのつもりでいてちょうだいね」
学校側も足立さん側も何とも仕事が早いな。少し休みたい気持ちが芽を出すが、まあいつまで経っても物事が進まないよりかは余程いい。
「明日ですか、わかりました。もう1つのことは?」
「それなんだけど、昨日の前原くんの動画が出回ってること知ってるかしら?」
やはりその件か。このタイミングでの呼び出しとなると、半ば予想はしていたが。森山さんから情報を聞いておいて良かった。
「はい」
「あの動画でねー、近々あなたが春蘭高校の生徒だっていう事実は世間に知られてしまうと思うんだけど、そうなった場合厄介なことになる可能性があるのね。だから、今学校と件のSNSの公式とで協力して拡散された動画を削除してるのよ」
あー……まあ、それは自然な流れだ。
いわゆる『特定』というやつだな。SNSという誰でも閲覧出来るネット空間に顔や自宅などを公開してしまうと、その情報から個人を特定されてしまう恐れがあるのだ。今回は、全身が映っている上に数少ない男性、それに美形という要素も加われば、特定は容易だろう。
「そうなんですね。やっぱりバレると厄介ですか?」
「……そうねー、我が校の知名度が上がって来年度の入学希望者数が増えるとか、そういう利点はあるかもしれないけど。それ以上に混乱も起きるだろうし、何より学校側はあなたの身を心配しているわ」
「僕の心配ですか?」
「ええ。有名になることを前原くん本人がどのように捉えているかは分からないけど、あなたを知る人物が増えれば増えるほど比例してストーカーや追っかけなどの迷惑行為は増えると予測できるわ。大人として、それは見過ごせないの」
福岡先生は憂いと不安を乗せた眼差しを俺に送る。
ストーカーの出現は、十分にあり得る話だ。更に言うと、今の時点で既にストーカーがついていてもおかしくはない。そうなっていないのは偏にこの街の住人が持つ良識のおかげだと言えるだろう。もっとも美人なストーカーだったらそれはそれでアリなような気もするが、そんな舐めた考え方をしているといつか痛い目を見てしまう気がする。
男女比がおかしい世界であっても人間の根本はそう変わるものではないのだ。
俺も、その他の人間も。
「そういうことだから、前原くんも気をつけてね?」
「わかりました」
「話は以上よ。時間取らせてごめんなさいね」
「いえ大丈夫です。失礼します」
そう残して俺は職員室を後にする。
教室に戻るため廊下を歩きつつ、改めてこの世界での男の希少さを再認識する。
正直言って、俺は、俺自身にストーカーができる危険性をそこまで危惧しているわけではない。前世だと『女の子のストーカーとかご褒美じゃん』とかほざいていた身だ。
ただ、それは恐らく俺の無知から来る発想だろう。ストーカーの性別が男であれ女であれ、見知らぬ人物が常日頃から尾行してくる恐怖は筆舌に尽くし難いものがある、と思う。経験がないからこそ、ふざけたことを言えるのだ。
重ねて言うが、それでも俺自身へのストーカーの被害はそこまで憂慮していない。幾らでも対処は出来るだろうと思っている。
俺が本当に危惧していることは、俺自身ではなく、俺の身の回りの人物への被害の波及である。家族しかり、友達しかり。
俺への違法行為は看過できるにしても、それは断じて許せるものではない。
だからここは大人である福岡先生の助言を素直に受け取って『気を付ける』。まあ俺自身ではなく、周囲の人間への被害という枕詞が付いてしまうが。
まあその俺以外の誰かが直接不利益を被るというのは、起こる可能性が高いというよりかは、可能性は別段高くないが起こってしまっては困る、という観点からの想定だ。
ハーレムを作るためには有名になることが良い、だなんて意気込んでいたが、余りにも浅慮だったかもしれない。
自重しない人生を送るにしても、その自重が許されるだけの対策がこれから必要になってくるだろうな。
具体的な案はすぐには出ないが、考えておこうと思う。
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