第31話 反響
「ねむ……」
超絶眠い。
思考が鈍すぎて、意識に何重もベールが掛けられているような幻視を抱く。瞼は眼球に張り付いたように、閉じた状態を維持しようと必死に藻掻く。
夢現必至の状況である。
俺は今、昨日の大会の疲れも抜けぬまま登校している。自宅から駅に向かって歩を進めている。
大会って体力的には余裕があるのに、精神的に疲弊しすぎるんだよね。
「はあ……」
しかし、それにしても昨日の大会は思いの外上手く事が運んだ。
アスリートにとって実力以上の力を発揮できたというのはとても誇らしい。これからもこの調子で日々精進していこうと思う。こういう時に調子に乗ってしまうと、転落人生への切符を切ってしまうのはよく身に染みている。
俺は、駅のホームにいる群衆の視線に晒されつつ、大きな欠伸を添えていつも通り一般車両に乗り込む。
ここにきても眠気が散ってくれない。大会中の精神への負荷は中々重かったんだろうな。
「……それにしても」
なんだか最近この車両だけ乗車人数が多い気がする。他の車両は比較的空いているので、あまりに極端だ。改札口に近い位置に停車するといったようなこれといった利点もない車両のはずなんだけど。
まさかとは思うが、俺がいるからという理由は考えられないだろうか。俺はいつも決まってこの位置の車両に乗るため、その事実が街に広まっていれば可能性はゼロではない。
いや、いくらなんでも自意識過剰すぎるだろうか。
「仁、おはようっ!」
つり革を掴みながら頭を捻っていると、朝に似つかわしくない快活な声がかけられた。
その声色だけで人物を認識した俺は声の主へと振り返り、眠いながらも無理やり笑顔を作る。
「おはようございます、すみれ先輩。それと、中川先輩に田島先輩も」
今日は2年生3人組勢揃いだな。
ちなみに莉央ちゃんは用事があるらしく今日は一緒に登校する予定は無い。
「おはようございます〜前原さん」
「おっ!?おはよ!」
相変わらず中川先輩は柔らかい空気を纏っている。間延びした話し方もその助長に一役買っていると言えるだろう。
あと、田島先輩は……この前すみれ先輩にむっつりスケベだとカミングアウトされたからな。どのように接すれば良いのだろうか。
「聞きましたよ〜前原さん。昨日の大会は大活躍だったとか。すごいです」
「あはは。ありがとうございます、調子が良かったんですよ。でもすみれ先輩の活躍がなければ優勝はできなかったので是非一緒に褒めてあげて下さい」
これはお世辞でもなんでもなく、本当の事だ。団体戦である以上一人で勝ち切るなんて芸当は不可能。メンバーの支えがあってこその優勝だったと、そう思っている。
「私なんて全然だよー!でも、仁にそう言われたらちょっと調子に乗っちゃうかな!えへへありがと!」
朝っぱらからどこまでも元気溌剌だなあこの人は。人生二週目おじさんである俺には少々眩しすぎるよ。
「お、おめでとう前原!すごいな!」
お、珍しく田島先輩の方から話しかけてくれた。この人はいつも両手の指を絡めてモジモジと俺の顔を見つめるだけだからな。こちらから話題を降らないと会話が開始されることはないのだ。
「ありがとうございます、田島先輩」
「〜〜っ!あ、ああ!」
田島先輩は、頬を紅潮させながら大仰に頷く。屈託の無い微笑みは、まるで幼子のようである。
うーん、この人は本当にむっつりスケベなのか?俺の目には、ただの男と喋るのが恥ずかしい純粋無垢な子としか映らないぞ。
「(すみれ先輩、本当に田島先輩はむっつりスケベなんですか?全然そうは思えないんですけど)」
俺は田島先輩に聞こえないように細心の注意を払いながら、小声ですみれ先輩に問う。この人が情報源である話だが、どうにも信じることが難しいのだ。
「(本当だよ?じゃあ今から証明するからちょっと見てて!)」
「(え?)」
すみれ先輩は心外とばかりに不満気な顔付きを見せると、直後に通学鞄のチャックを開け、中からスマホを取り出した。
証明とは、何をするつもりだろう。
「2人とも!昨日の大会の仁の勇姿見たい?友達に撮ってもらってたんだ!」
すみれ先輩は中川先輩と田島先輩に対して、スマホを指差しながら自慢げに宣言する。
なんといつの間にそんなものを。俺は別に構わないんだけど、俺以外の人の写真を勝手に撮ったらダメだからね。
……まあ俺が普段から写真撮影OKを口外してるからこそなんだろうけども。
「見たいっ!!!」
「……見たいです〜」
すると、田島先輩がかなり前のめりに食い気味に返答した。中川先輩はそんな彼女の姿に気後れしている様子だ。
片や鼻息荒く瞼をこれでもかと力いっぱい開け、片やおっとりした足取りでスマホ画面に近付く。
「ほら、
「ふぉおおお!」
「わーお」
本人の前ですよ。
俺如きの胸くらいどうでもいいんだけど、普通の男にやったらブチ切れられるよ?まあ他でもないこの俺だからこうして本人を目の前に大冒険してるんだろうけど。
「お、おおおっぱい……ぶ、ぶふっ……」
田島先輩は顔全面を真っ赤な絵の具をブチまけたくらいに染めて、鼻血をぶっと噴き出した。
中川先輩は『あらあら』と呟きながら、そんな彼女の鼻にハンカチをそっと添えてあげている。なんやかんやバランスが取れている2人だ。
というか、まあ、そうだな。
これは、紛れもないむっつりスケベだろう。
すみれ先輩がウィンクと共にサムズアップを俺に向けた。これで田島先輩むっつりスケベ説QEDというわけだ。親友同士なだけあって、華麗な証明だった。
疑ってすみませんでした。
* * *
「じゃあまた部活でね〜!」
「はい、ではまた」
そんな一幕を経ながらも、その後俺は無事学校に着いた。3人の先輩たちに一時的な別れを告げ、下駄箱へと向かう。
もう既に眠気は完全に消えたと言っても過言ではないだろう。美少女たちとの会話は否応なしに意識を覚醒させるのだ。
下駄箱を開けると、いつもの例に漏れず女生徒からのラブレターが十数枚入っていた。差出人を確認すると、1年、2年、3年と幅広い学年の生徒から想われていることが分かる。中には用務員や教師からの手紙も混ざっている。おい、大人。それはだめ。
自明の理というかなんというか、俺は学校に通い始めてからというものラブレターを相当な枚数頂いている。
しかし、しかしだ。
俺は、きちんと相手が俺を愛してくれ尚且つ俺もきちんと相手を愛すことができなければハーレム足り得ないと考えている。ハーレムは作りたいが見境なしは望むところではないのだ。
そのため面識すらなく告白してきた子に対しては丁寧に断りを入れ、まずは友達関係から始めようと返答をすることにしている。お互いの為人を知るという地点から、関係性を積み重ねていくのである。
しかし、そんな事をしていたからか、最近は恋を成就させるためではなく、俺と話したいがためだけにラブレターを送ってくる生徒が大半を占めている。女の子と話すのは好きなので別段非難するつもりはないが、そろそろ対応可能人数の限界に近付いている。対処を考えておく必要があるだろう。
そうして頭を悩ませながら1年1組の教室に着き、いつものように愛想を振り撒きながら、朝の挨拶をクラスメートたちに返していく。
自席に腰を落ち着かせ辺りを見渡してみるが聖也はまだ来ていないみたいだ。
こちらの世界に来てからというもの、同性の存在が意味する大きさをありありと実感している。異性が苦手とか好きとかそういう問題ではなく、同性というだけで落ち着くのだ。
それに、莉央ちゃんや美沙を除いてクラスの女子は遠慮しているのか俺に話しかけてくることがほとんどない。その二人がいない今、聖也を探してしまうのは仕方ないことなのだ。
が、しかし。
「ま、前原くんおはよう」
今日は珍しくクラスメイトである森山さんが挨拶しにきてくれた。彼女は深い黒色の髪をお下げにした大人しい少女だ。丸メガネをかけているという特徴も相まって、静かな性格であるという印象を俺は抱いている。
「おはよう」
もはや十八番となりつつある朗らかなスマイルで対応する。イケメンなら自然なスマイルができないとね、やっぱり。
「ね、ねえ前原くんちょっと聞きたいことあるんだけどいい?」
「ん?どうしたの?」
「こ、これ前原くん、だよね?」
彼女はそう言って少し躊躇いつつスマホの画面を俺に見せてきた。
『これ』が『俺』とは、どういう意味だろうか。とりあえず俺は画面に顔を寄せ注視する。
そのスマホに映し出されていたものとは。
「あ」
昨日の大会にて、俺が競技をしている最中の動画であった。
画角から逆算して考えれば、撮影地点は観客先のどこかだろう。つまりあの時あの場所にいた見物人の誰かが撮影したものと結論付けられる。
それは別に構わない。肖像権侵害として俺が告訴することはないし、寧ろカッコよく収めてくれてありがとうという感謝の気持ちさえ抱いているくらいだ。
しかし、一点引っ掛かりがある。
それは、なぜこんなものを弓道部でもない森山さんが所持しているのかという疑問だ。
「これどうしたの?森山さん昨日会場にいたってこと?それとも弓道部の誰かから貰ったとか?」
「ううん、違うの。昨日の夜SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を眺めてたら『超絶美少年の弓道動画!是非見て欲しい! #よだれもの』っていう文面とこの動画が添付された投稿が私のタイムラインに回ってきたの……それで見てみたら前原くんにすっごく似てたからもしかしたらと思って……」
「え……」
大会が行われたのは正真正銘昨日だぞ。その日のうちに動画が拡散されたってことか?
そうなると、森山さんに回ってきたということは、少なくともこの学校中には既に拡散されたものと捉えた方が得策かもしれない。
「そ、それでこれ前原くんなのかな?」
「……うん、それは確かに僕だよ。昨日の大会の時の動画だね」
「っ!!やっぱり!前原くん!」
「はいっ!?」
突如森山さんが弾かれたように目と鼻の先まで顔を近づけてきたものだから、つい驚いてしまった。もっとこう、前兆とかがあってくれたら身構える事もできるんだけど。
そして彼女は瞳を爛々と輝かせながら、言葉の数々を紡ぎ出す。
「ものっっっすごくカッコいいよ!なんていうか凛々しい感じ?前原くんって普段はポワポワ優しい王子様って感じじゃない?いつも笑顔でニコニコ挨拶してくれて喋りかけても嫌な顔一つしないし!でもこの弓道動画の時はキリッとした俺様系王子様みたいな?ああ、罵って欲しい!みたいな?普段のゆるふわ系前原くんも好きだけど、この動画の俺様系前原くんも好きだよ!それにしても前原くんって綺麗な顔してるよね?髪もサラサラだし。女の子よりもキレイでカッコいいって一体どういうことなの?なんか羨ましい超えて理不尽な存在みたいな?でもでも私はそんな前原くんがいいし、これからもそのままの前原くんでいてほしいと思ってるんだよ。えへへ恥ずかしいな。ついに本心を打ち明けちゃった。でも前原くんはモテるから私なんか眼中にないよね?それでも私は構わないと思ってるよ。前原くんの頭の隅っこに存在を許されるだけで十分だよ。それだけで私はこれからも生きていけるんだから。そんな無欲な私でもこの動画を見ちゃったらちょっと欲が出てきちゃったよ。ねえ前原くん?あ、あと……」
え?なに、こわい。
最早マシンガントークという域ではない。息継ぎの隙間が感じられないのだ。ガトリングガントークだこれは。
森山さんが物静かな女の子だという俺の見立ては見当違いも甚だしかったらしい。まだまだ見る目を養わないとな。
それにしても、もう少しその拡散されている投稿について情報を聞き出したかったんだけど、未だに彼女はガトリングガンで言霊を射出し続けている。
……どうしようか。
体を演劇のようにくねらせながら熱弁する森山さんを目の前に、俺は途方に暮れそうになったのであった。
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