第29話 大会の終わり




「.......」


 私は、神崎莉央は、今、絶句していた。言葉が上手く紡げない。

 いや、私だけではない。みんなだ。会場にいる、観客、係員、選手、仁くんの家族、みさみさちゃん、みんな言葉を発せないでいる。呑まれているのだ。


 そんな私たちの視線を一身に浴びているのが、


「仁……くん?」


 そう、仁くんのはずだ。

 艶々の髪の毛も、宝石のような瞳も、通った鼻筋も、桜色の唇も、全部全部知っている。絶対あれは仁くんだ。

 それなのに、別人なのだと私の脳が勝手に認識してしまう。それは今の異質さが起因だろう。


 一体、どういう原理なのだろう。

 あの人からは、普段の朗らかで心優しい仁くんの面影が感じられない。

 じゃあ具体的にどの部位が異なっているのかと問われれば、なんて言い表せば良いのか私の拙い語彙力では分からない。

 しかし、それでも一つ言えることは。


「……綺麗」


 ポツリと横に座っている仁くんの妹の心愛ちゃんが呟く。故意というよりかは、自然と漏れ出た感想のように思う。

 そう、そうなのだ。今の仁くんは、とにかく綺麗だ。幻想的、神秘的、空想的、そんな言の葉の数々がそのまま当て嵌るような。


 その雰囲気は、仁くんが会場に入ってきた瞬間に強く感じられた。肌がぴりぴりと焼け付いたような衝撃があった。


 違う。全部、全部違う。


 いつもの仁くんとはもちろん違うし、何より周りの人間との存在感がまるで違う。動作の一つ一つから溢れ出る気品が。感情の読み取れない、かと言って無表情というわけでもない不思議な表情がひき立てるその圧倒的な美貌が。


 なんだろうこの感覚、神聖なものを目の当たりにしているような気がする。恐らく彼の動作の一つ一つの緻密性と正確さ、大胆さ、そういったものが複合的に合わさって私はそんな感慨を抱いているのだと思う。


 そして私が呆気に取られている間に、仁くんが矢を放った。

 次の瞬間、片方の耳から片方の耳へ劈くような、高音の弦の音が静寂の空気を吹き飛ばした。

 一拍遅れて矢が空気を切り裂く音、その矢が的に的中した音がほぼ同時に鳴り響く。


 矢が速すぎて全く視認できなかった。仁くんが矢を放ったかと思えば既に矢は的のど真ん中に的中していたのだ。


 その後も的に的中し続け、仁くんの持つ4本の矢は全て的中した。


 その瞬間『パチパチパチ』と大歓声と言うには控え目な拍手が場内に響き渡った。

 そういえば自分が持つ4本の矢を全て的中させることを「皆中かいちゅう」と言い、誰かがそれを達成すると拍手をする決まりがあるという話だった。

 自分が為せる最大限の効果をあげた人に対しての祝福、という意味で捉えて良いのだろうか。

 仮にそうなのだとしたら。


 私は精一杯拍手をした。

 本当に仁くんがカッコよかったから。部活に励んでいる姿はあまり見たことがなかった。でも今の短いパフォーマンスだけでも、彼が積み上げてきた努力の量が痛い程に伝わってきた。

 

 本当に、頑張ったんですね。


 仁くんが退場する姿を見届けた後、横目で左を確認してみると、仁くんのお母さん、お姉さん、妹さんは悟りを開いたかのように沈黙していた。3人とも両手を合わせて拝んでいるような体勢なので、仁くんが神様や仏様にでも見えたのかもしれない。

 そっとしておいてあげましょう。


 次に右隣を見てみると、みさみさちゃんは涙を流して必死に嗚咽を堪えていた。


「え?みさみさちゃん、なんで泣いてるんですか!?」


 驚いた。それでもまだ競技中なので大きな声は出せない。


「だ、だって仁が凛々しすぎるから……反則だあんなの……普段とのギャップであたし死にそう……」


「お、大げさですよ〜」


 みさみさちゃんの応答に対してそう返す私だが、実の所大げさでもなんでもないのは私自身よく分かっている。


 流石にかっこよすぎたのだ。

 黄色い歓声をあげるなどのレベルではない。あそこまでいくと溜め息しかでない。他の観客たちもそうだったのだろう。その証左に、あの水準の美少年が現れたというのに会場はとても静かなものだった。

 私は今すごいものを観てしまったのかもしれない。未だに心臓がうるさく鳴っている。


 それにしても。


「仁くんの魅力は天元突破してますね……」




* * *




 大会は午後3時半に終了した。


 なんと、仁くんが予選、決勝と通じて射った合計12本の矢は全て的に的中してしまった。仁くんが的中する度に、会場が大きくざわめいていたように思う。私はあまり詳しくないが、異常な的中率なのだろう。


 仁くんの活躍もあり、春蘭高校は団体戦初優勝を果たした。表彰式の時には、皆仁くんに熱い視線を送っていた。確かに彼の活躍は優勝に大いに貢献したと思うし、それが美少年だというのだからあの注目度は自然の摂理だ。

 しかし、それでも仁くん1人の力で優勝を掴み取ることはできない。同じチームの人達も努力と涙を重ねて今があるのだろうから、私はチームみんなに心からの賞賛の拍手を送った。


 そして現在、私は武道館の入り口で仁くんの帰りを待っている。疲れているだろうから、私が癒してあげるんだ。


「ジンちゃんかっこよかった……」


「そうだね……」


「お兄ちゃん最高だった……」


「「「……ふぅ」」」


 隣で仁くんのご家族が遥か遠くを見つめながら、賢者タイムのようになっている。ご家族ですらこの反応なのだから、この会場にいた女は皆仁くんに魅了されたに違いない。

 ちなみにみさみさちゃんは赤く染め上げた顔とは反対の青い空を見上げて突っ立っている。


 あー……いつもの殺人級の笑顔の仁くんと弓道をしてる時の凛々しい顔の仁くんとが私の頭の中に交互に現れて私の恋心を揺さぶってきます。まるで天使の囁きと悪魔の甘言のようです。惜しむらくは、その天使と悪魔も両方超魅力的だということ。



 私は両手を重ね胸の前で強く握りしめ、仁くんが来るであろう入り口をジッと見つめるのだった。

 早く来ないかな。


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